「皆さん、大丈夫ですから落ち着いてください! あの光こそ、空の女神の軌跡。女神様がきっと、皆さんを守ってくださいます!」
と、教会へと避難してきた人々を励ますシスター・オルファの姿があった。
街への被害は今のところないとはいえ、激しく響く爆音が人々の心を不安にする。
そんな人々を元気づけようと気丈に振る舞うオルファではあったが、
「……大丈夫ですよね?」
「ええ、副長もいらしていますから」
そんな彼女も内心では、不安を感じていた。
ロジーヌに大丈夫だと言われても、やはり心の底から安心は出来ない様子で微かに表情を曇らせる。
法国の学習院で学んでいたことがあるとは言っても、彼女は裏の仕事に従事していたと言う訳ではない。
オルファの所属は典礼省だ。従騎士のロジーヌと違い、荒事に慣れているとは言えなかった。
勿論そのことはロジーヌも理解していた。それでも住民の不安を取り除くには、彼女の協力が必要だと考えたのだ。
実際、今日まで暴動へと発展しなかったのは、住民の不安を少しでも和らげようと奔走するオルファの働きがあったからだ。
神父とシスターが二人だけの小さな教会ではあるが、それだけ彼女は街の人たちの信頼を得ているのだろう。
「ですが、領邦軍がどうしてこんな……」
ロジーヌから協力を持ち掛けられた時、てっきり襲撃の相手は猟兵だと思っていたのだ。
それが蓋を開けてみれば、領邦軍から攻撃を受けていると言うのだからオルファが困惑するのも無理はなかった。
領邦軍が街を守ってくれないことは住民の間でも噂となっていた。
領民の声に耳を傾けてくれない領邦軍に対して、不満を抱いていた人たちも少なくない。
だからと言って領民を守るべき立場の軍人が、自分たちの街を攻撃するなどと想像もしていなかったのだろう。
「確かに普通≠ナはないと思います。ですが、そのありえない≠アとが起きてしまっている」
それは、この街に限った話ではないとロジーヌは話す。
ここ数日、ロジーヌのもとには帝国各地で起きている事件≠フ報告が寄せられていた。
一つ一つの事柄を見れば、注目するほど大きな事件とは言えないものばかりだが、問題の原因を探ってみると発生した事件の規模に対して動機が薄すぎるという共通点があった。
理性のタガが外れ、まるで魔が差した≠ゥのように普通であれば起こり得ない事件が各地で頻発していたのだ。
いま、この街で起きている騒動もそうだ。ワッズやハーキュリーズを始末しなければ自分たちの立場も危ういとはいえ、街を襲い領民を傷つければ、仮に証拠を隠滅できたとしても大きな禍根を残すことになる。住むところを失い、大切な人を奪われた人々が黙ってはいないだろう。その先にあるのは、抑えの効かなくなった領民による反発――暴動だ。
更に言うなら、ここラクウェルはカジノや小劇場などを目玉に観光で栄えた街だ。
ただでさえ今回の騒動で街へ訪れる観光客が減っていると言うのに、街そのものを破壊してしまえばラクウェルの産業は回復が困難な程に大打撃を受けることになる。ひいてはラマール州の経済にも悪影響を及ぼすことになるだろう。結果、税収が下がれば困るのは貴族たちだ。自分たちの首を自分たちで絞める行為に繋がりかねない。
だと言うのに、一時の感情と目先の問題に囚われ、彼等は街を攻撃した。余りに愚かな行為だ。
しかし、一時の感情で暴走するような貴族は、そのほとんどが先の内戦で命を落としている。事実、現在このラマール州を治める領主代行のバラッド候は、典型的な悪徳貴族と言った感じの俗物ではあるものの宮廷内での立ち回りに長け、慎重で狡猾な性格の持ち主だった。
そうしたことから考えると、領邦軍の暴走がバラッド候の指示であるとは考え難い。
いま、この街を襲っている領邦軍の指揮官は、冷静な判断力を失っているとしか思えなかった。
――呪い。
ローゼリアの言葉がロジーヌの頭に過る。
アルノール皇家が秘蔵する〈黒の史書〉については、教会も先の内戦から調査を進めていたのだ。
帝国人というのは本来、質実剛健で生真面目。誇りを重んじる人間が多い。
武を尊ぶとはいえ、力を悪戯に振り回さないのが美徳とされているのが帝国貴族の常識だ。
なのに、この国では信じられない愚行が時に突発的に起きることがある。
獅子戦役にせよ、先の内戦にせよ、ハーメルの悲劇にせよ――
そもそも戦争を引き起こすためと言っても、自国民を虐殺するというのは明らかに行き過ぎた行為だ。
これを呪い≠フ所為だと言うのなら、確かに歴史の裏で不可思議な力が働いていることは間違いなかった。
だとすれば恐らく今回のこれ≠焉A呪いが関与している可能性が高いとロジーヌは考えていた。
しかし、リィンによって完全ではないものの帝国を蝕む呪い≠ヘ復活した巨神と共に浄化されたと言う話だった。
あれから五ヶ月余り。いまになって呪い≠フ力が活性化した理由が分からない。
原因として考えられるのは、黒の工房の動きだ。
ずっと歴史の影に潜み、表舞台に姿を見せなかった彼等が今になって姿を現した理由。
覚醒したヴァリマールの力に目を付けたと言うだけでは、少しばかり根拠が薄い。リィンの協力を得られるとは限らないからだ。
その証拠に〈暁の旅団〉と〈黒の工房〉は敵対関係にある。
そして、リィンの協力を得られないことは、最初から彼等も理解していたはずだ。
なら最初から交渉が決裂することを前提に、何かしらの準備が整ったから姿を現したと考える方が自然だ。
リィンも恐らくはそのことに気付いているはずだとロジーヌは考える。
だからこそ、敵の思惑を探るために敢えて後手に回り、領邦軍の動きを誘ったのだと考えていた。
とはいえ――
(恐らく、この結界はノルンさんが張ったもの。なら……)
リィンは敵と認識した相手には容赦がないが、無関係な人々の命を奪うような極悪人ではない。
それはクロスベルの一件からも明らかだ。
街を守るための結界を張ったと言うことは、少なくとも領邦軍の好きにさせるつもりはないのだろう。
いや、ノルンを待機させ、結界の準備をしていたと言うことは、こうなることを予想していたと考えるのが自然だ。
だとすれば――
「オルファさん。もう一つ、お願いがあるのですが」
リィンが次に取る行動を予測して、ロジーヌは行動を開始するのだった。
◆
「ガイウスからの手紙?」
「ああ、やはり予想した通りの展開になったみたいだ」
窓枠にとまった鷹を見て、ガイウスから連絡がきたのだと察し、フィーはリィンに声を掛ける。
ゼオが運んできたガイウスからの手紙には、海上要塞とオルディスの様子が詳細に記されていた。
特に説明があった訳ではないが、ミュゼの企みについては大凡の予想が付いていたのだ。
だからこそ、敢えて動かずに領邦軍の様子を窺っていたとも言える。
「ああ、だから……」
リィンから手紙の内容を聞き、納得と言った表情を見せるフィー。
そんなフィーの反応を不思議に思い、リィンは「何があった?」と尋ねる。
「さっきサラから連絡があってね。領邦軍の陣地が少し騒がしくなってるって」
フィーの話によると、領邦軍の陣地で動きがあったとの話だった。
何やら兵士たちが慌ただしく動いているらしく、不穏な気配が漂っているとサラから連絡があったらしい。
恐らくはガイウスの手紙にもあったように、オルディスで起きているクーデターにようやく気付いたのだろう。
ラクウェルに兵を集めている隙を狙って、オルディスを占拠されたのだ。彼等が慌てるのも理解できなくはない。
当然、ウォレスの動きを警戒をして海上要塞には見張りをつけていたのだろうが、
「〈深淵〉が協力してるんだよね? じゃあ、オルディスを強襲した方法って……」
「ああ、精霊の道を使ったみたいだな」
海上要塞の部隊を、ヴィータの魔術を使って直接オルディスへ転位させたのだろう。
これでは防ぎようがない。やはり転位対策は必要だな、とリィンは肩をすくめながらフィーの疑問に答える。
「それで、どうするの?」
「そうだな。このまま撤退してくれれば、余計な仕事をしなくて済むんだが……」
難しいだろうと、リィンは考えていた。
クーデターが起きてしまった以上、撤退しようにも彼等には帰るべき場所がない。
オルディスを奪還しようとしたところで、たった千の兵では困難と言わざるを得ないからだ。
ガイウスからの報告によると、既にオルディスには五千を超す兵が集結しているという話だった。
かなり以前から根回しを進めていたのだろう。
恐らくは領邦軍の膿をだし、バラッド候に味方をする貴族を排除するのが狙いなのだと察せられる。
このままバラッド候が引き下がるとは思えないが、そこはミュゼにも何かしらの考えがあるのだろう。
「リィン、サラから追加の連絡。今度は列車砲を持ちだしてきたって」
「やっぱり諦めてくれないか……。てか、そんなものまで用意してたのか」
予想はしていたが、やはりそうなったかとリィンは溜め息を吐く。
今更引き返せない以上、オルディスを奪還するにも拠点となる場所が必要だ。
となれば、全力でラクウェルを占拠しにくるだろうことは予想が付いていた。
大人しく決起軍に投降するなんて真似は、彼等の置かれている立場や状況を考えると死んでも出来ないだろう。
「ノルン。ちょっといいか?」
『うん? どうかしたの?』
「連中、列車砲を持ちだしてきたみたいなんだが、この結界で耐えられそうか?」
『列車砲って、前にクロスベルへ向けて撃ってきた奴だよね? たぶん大丈夫だと思うけど』
実際に受けたことはないので何とも言えないと、あやふやな答えが念話越しに返って来る。
確かに以前ガレリア要塞から放たれた列車砲を防いだのは、クロスベルの結界ではなく神機の力だった。
同じ至宝の力を使っていることに違いはないので恐らくは問題ないと思うが、はっきりとしたことは言えないのだろう。
この機会に結界の力を試すと言う手もあるが、後々のことを考えると街に被害を出すような行為は避けたい。
「仕方がないか。まだ本調子じゃないんだがな」
大体八割くらいかと、身体の調子を確かめるリィン。
ラグナロクを使った反動で、まだ完全に力が回復しきっていなかった。
それでも一ヶ月以上も思うように能力が使えなかった以前と比べれば、進歩と言える。
精霊化を習得してからというのもの肉体が力に適応して、変化してきているのだろうとリィンは感じていた。
「行くの?」
「ああ、このまま去るならミュゼに丸投げするつもりだったが――」
フィーの問いに「向かってくるなら潰すだけだ」と、リィンは獰猛な笑みを返すのだった。
◆
「なあ、本当にやるのか?」
「上の指示だし、やるしかないだろ」
憂鬱な表情で、揃って溜め息を溢す領邦軍の兵士たち。
上官の指示で彼等は今、ラクウェルに向けて発射する列車砲の準備を進めていた。
バラッド候の肝煎りで製作された新型の列車砲で、本来であればこれをここで使うつもりはなかったのだ。
しかしオルディスを決起軍に占領され、撤退しようにも後に引くことが出来なくなってしまった。
その上、戦車や機甲兵の攻撃が街を覆う結界に阻まれ、通用しないというのだから他に打つ手がなかったのだ。
「なんで、こんなことになったんだろうな……」
上官の指示とはいえ、やるせない気持ちを吐露する兵士。
領邦軍は貴族が多いとされているが、それは士官クラスのエリートが大半で末端の兵は平民の出身者が大部分を占めている。
本来、自分たちが守るべき領民を攻撃して何も感じない兵士など、全体から見れば極一部だった。
しかし上からの命令である以上、それに従わないという選択肢は彼等にはない。
「おい! 何をもたもたしている! 将軍がお怒りだ。さっさと準備をしろ!」
「は、はい! すみませ……」
上官に叱責され、慌てて姿勢を正す兵士。
しかし、謝罪を口にしようとしたところで、何かに驚いた様子で固まる。
部下の反応を訝しみ、後ろに何かあるのかと振り返る上官。その時だった。
「な、なんだ!? 一体なにが起きた!」
空が眩い光に包まれたかと思うと轟音が鳴り響き、巨大な揺れが陣地を襲ったのだ。
立っていることすらままならず、その場に倒れ込む兵士たち。
だが、彼等に迫る脅威は、それで終わりではなかった。
「なんだ? この音……」
ゴゴゴゴ、と低い地鳴りのような音が辺り一帯に響く。
何が起きているのか理解できないまま狼狽える兵士たち。
そんな中、地鳴りの正体に気付き、声を上げる者がいた。
「まずい! すぐにここから離れろ! 山が崩れるぞ!」
そんな声が辺り一帯に響いた直後、滑り落ちるように山肌が大きく崩れた。
陣地に向かって真っ直ぐに襲い掛かる土砂。
逃げ惑う兵士たちの悲鳴が、地響きに掻き消される。
状況をまったく理解できないまま、列車砲と共に呑まれていく兵士たち。
「たすけ……」
それが、最後に彼等が口にした言葉だった。
◆
「……で、こうなったと?」
サラが溜め息を溢しながら眺める視線の先には、土砂に埋もれた列車砲が横たわっていた。
突然発生した土砂崩れに列車砲諸共呑まれ、領邦軍の陣地は壊滅。それを為したのは、リィンの放った集束砲だ。
辛うじて無事だった者もいるようだが、大半は土砂に呑まれて命を落とした。
そのなかには指揮官の姿もあったようで、残された兵士たちは全面降伏したと言う訳だった。
「頭を潰す方が早いからな。お陰で戦利品も大漁だ」
鹵獲した戦車は八十両。機甲兵もドラッケンが十六機、シュピーゲルも二機手に入るという大戦果だった。
問答無用で一切の躊躇なくリィンが領邦軍の陣地を狙ったのは、これが理由だ。
前線にでてくるような指揮官でないことは分かっていたので、陣地を潰せば降伏を促すのも難しくないと考えたのだ。
実際、命を懸けてまで上官の弔い合戦をしようという者はいなかった。
元より、領民を守るべきはずの軍人が街を攻撃することに疑問を持っていた兵士も少なくはなかったのだろう。
「今更どうこう言うつもりはないけど……」
相手は街へ攻撃を仕掛けてきたばかりか、列車砲まで持ちだしてきたのだ。
リィンがやらなければ、街に大きな被害がでていたかもしれない。
土砂に埋もれて死んだ兵士のように、街の人たちが犠牲になっていたかもしれないのだ。
やり過ぎと言ったところで、それは意味のないことだとサラも理解していた。
とはいえ――
「これから、どうするつもり?」
大半はラクウェルの攻撃に参加していたため、陣地に残っていた兵は百名ほどだ。
しかもそのほとんどは、ラクウェルへの侵攻を主導した貴族出身の将官や士官だった。
それは言ってみれば、大多数の兵士が死を免れ、捕虜になったと言うことになる。
さすがにリィンたちだけで、それだけの数の捕虜を管理するのは不可能と言っていい。
ましてや相手に問題があったとはいえ、領邦軍を壊滅に追いやり貴族を殺したのだ。
対応を誤れば、帝国そのものを敵に回すことになりかねないとサラは危惧する。
「さてな。そこは相手の出方次第と言ったところか」
「ちょっと、まさか……」
「安心しろ。いまのところ、そのつもりはない」
まったく安心できない回答に、サラは不安を覚える。
それは状況次第では帝国と一戦交えることも厭わないと言っているも同じだからだ。
だが、そうは言っても、すぐにそうはならないだろうとリィンは見ていた。
と言うのも――
「ようやく、おでましみたいだな」
「……導力エンジンの音?」
エンジン音に気付き、空を見上げたサラは目を瞠る。
嘗ての貴族連合の旗艦にして、カイエン公爵家が保有する豪華客船。
「なんで、あの船がここに……」
――パンタグリュエル号の姿がそこにあった。
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