「一杯、付き合いなさい」
「え? 私まだお酒は……」
「未成年にお酒を勧めたりしないわよ。これでも元教師なのよ」
普段の素行が原因なので仕方はないが、ヴァレリーにまで妙な誤解をされて溜め息を漏らすサラ。
頭に元が付くとはいえ、一応サラは士官学院で教官をしていた経験がある。さすがに未成年に酒を勧めるほど非常識ではなかった。
しかし、こんな勘違いをすると言うことは、サラが大の酒好きであることを知っているということだ。
同じノーザンブリアの出身と言っても、サラとヴァレリーは直接の面識はない。
互いに相手のことを噂程度には知っていると言った程度の関係だ。
どこで、そのことを知ったのかとサラが尋ねると――
「リィン団長から聞きました。『サラは酒癖が悪いから絡まれないように気を付けろ』と……」
「やっぱりアイツか!?」
ヴァレリーの口から返ってきた答えに、サラは憤りを顕にする。
ヴァレリーと接点のある人物でサラのことをよく知る相手と言えば、候補は限られる。
そのなかで最も可能性の高い人物と言えば、リィンを置いて他にいなかった。
ある意味で予想通りの回答と言えるだろう。
「あの……サラさ……バレスタインさんは、リィン団長とどう言う関係なのですか?」
「サラでいいわよ。アイツとは……腐れ縁ね。共闘することもあったけど、戦場では何度も酷い目に遭わされたわ」
サラの反応から随分と親しげな雰囲気を察して、リィンとの関係を尋ねるヴァレリー。
余計な勘違いをされても困るからと、サラは正直にリィンとの関係を伝える。
言ってみれば、戦場で武器を交えたことのある間柄と言ったところだ。
利害の一致で共闘することもあれば、敵としてぶつかったことも何度かある。
リィンとサラの関係が気安く見えるのは、そうしたことから互いに遠慮がないというのが理由の一つにあるだろう。
とはいえ、この話には余り触れて欲しくないのか、サラは適当に話を切り上げて二人分の飲み物を用意する。
「この香り、もしかして……」
「ええ、ノーザンブリアの紅茶よ。慣れ親しんだ味の方がいいでしょ?」
サラのいれた紅茶の匂いを嗅いで、驚きの表情を浮かべるヴァレリー。
それはノーザンブリアで古くから愛飲されている茶葉の香りだった。
稀少と言うほどではないが、ほとんどが自治州内で消費されて他国に出回ることはない。
食糧自給率が低く、塩の杭事件の影響で栽培できる土地が限られていることも理由の一つに挙げられるだろう。
「……よく手に入りましたね」
「ノーザンブリアのお酒とか、いろいろと融通してくれる人がいるのよ」
サラはギルドで得た報酬の一部を、定期的にノーザンブリアへ送金している。
その関係から昔馴染みに、ノーザンブリアの酒などをサラは時々融通してもらっていた。
故郷の味を恋しく思うことはサラにだってある。
それに一方的に施しを受けるよりは少しは気が楽だろうと、相手のことを考えてのことでもあった。
嘗ての戦友。互いのことをよく知っている相手だけに余計だ。
「それって……バレスタイン大佐の部下だった方ですか?」
「まあ、そりゃ分かるか。団を抜けた後も、アタシのことを気に掛けてくれていてね」
あっさりとヴァレリーの問いに答え、いまも〈北の猟兵〉と繋がりがあることを認めるサラ。
とはいえ、部外者には違いない。団の内情を知れる立場にはいないと、サラは話を補足する。
「もしかして、その人は今も大佐の部隊に?」
「ああ、うん。知っている顔がチラホラといたわね」
ラクウェルの山間で嘗ての戦友たちと再会した時のことを思い出しながら、ヴァレリーの質問に答えるサラ。
猟兵たちを率いていた男こそ、現在の〈北の猟兵〉のリーダー格の一人。
嘗て、バレスタイン大佐の下で右腕を務めていた人物だった。
サラも幼い頃から面識があり、戦場での心構えなどを教わった経験がある。
出来ることなら余り敵に回したくない人物の一人と言っていいだろう。
「アタシのことはいいのよ。それよりアンタこそ、どうするつもりなの?」
「それは……」
今度は逆に話を振られ、ヴァレリーは答えにくそうな表情を見せる。
まだ自分の中で、リィンの問いに対する明確な答えをだせてはいないのだろう。
「アイツはあんな言い方しか出来ないけど悪い奴ではないわ。ノーザンブリアのこともアイツに任せておけば、そう悪い結果にはならないと思ってる」
微妙に悔しそうに複雑な表情で、リィンのことをそう話すサラ。
馬が合わないのは事実だが、リィンのことを本気で嫌っていると言う訳ではない。
猟兵王の名を継ぐだけの実力と実績がリィンには備わっていること。そして、家族想いで義理堅い人間であることをサラは認めていた。
リィンがノーザンブリアの一件に拘るのは、西風の立ち上げに自分の養父が関わっていたことをサラも知っているからだ。
そんな昔のことを覚えていて、育ての親が受けた恩を返そうと言うのだから律儀と言うほかない。だが、だからこそ信用が出来る。
リィンならクロスベルの時のように、ノーザンブリアのことも悪いようにはしないだろうとサラは確信していた。
「……信頼しているんですね」
「まあ、不本意ながらね。育ての親と同じで、筋は通す奴だって分かってるから」
リィンがそういう人間だと分かっているから話を持ち掛けられた時、提案に乗ることをサラは決めたのだ。
故に、一つだけ確実に言えることがある。
「アンタがどんな答えをだそうと、アイツは他人の言葉で自分の考えや行動を変えるような奴じゃない」
だから無理に関わる必要はない。
このままノーザンブリアの件から手を引いて、普通の生活に戻ると言った選択肢もあるとサラはヴァレリーに別の道を示す。
ヴァレリーの境遇には同情する。ノーザンブリアの人々が甘えていると言った彼女の考えも理解できなくはない。
しかし、
(こんな風にパパの気持ちが分かる日が来るなんてね……)
だからと言って、それをヴァレリーがやらなくてはならない理由はないのだ。
父に憧れて少年猟兵隊に入ることを決めた、あの日。
こんな風に父も自分のことを見ていたのかもしれないと考えると、サラの口からは苦笑が漏れる。
だからサラは――
「後悔だけはしないように、ゆっくりと考えて答えをだしなさい」
当時、父から掛けられた言葉を思い出しながらヴァレリーを諭すのだった。
◆
「おや? もう話はいいんですか?」
「……なんで、お前までここにいるんだ?」
ロジーヌとフィーを伴ってブリッジへ戻るとトマスに出迎えられ、リィンは呆れた様子で尋ねる。
ヴァレリーを連れてきてくれとロジーヌに伝言を頼んだことは確かだが、トマスまで呼んだ覚えはないからだ。
「ロジーヌくんに声を掛けて、僕を除け者にするのは酷いじゃないですか」
「必要を感じなかったからな」
「これでも一応、ロジーヌくんの上司なのですが……」
教会での立場は自分の方が上だと言うのに、ロジーヌとの扱いの差に肩を落とすトマス。
メルカバのことやヴァレリーたちを匿ってくれていることには感謝しているが、それとこれは話が別だ。
リィンからすると、トマスとロジーヌ。どちらの方が信用をおけるかという話をしたら答えは決まっていた。
それにトマスに話を通さなかったのは、面倒事を避けたかったからと言うのが理由の一つにある。
「どうせ、お前のことだ。また面倒な話を持ってきたんだろ?」
「まあ、否定はしませんけど……」
仮にも星杯騎士団の副長を務める男だ。理由もなく無駄なことをする男ではない。
呼ばれてもいないのにこんなところまで追ってきたと言うことは、別に理由があるはずだとリィンは考えたのだ。
それは一緒にいるイーグレット伯の表情を見ても分かる。
「僧兵庁が動いたか?」
「……察しが良いですね」
やはりな、とトマスが黙ってついてきた理由を察するリィン。
教会内のいざこざについては、トマスから話を聞いている。
法国の防衛を担うはずの僧兵庁が封聖省の領分を侵し、黒の工房の一件で動いていると言うことは――
本来、こうした裏の仕事は封聖省が管轄することになっているのだが、帝国とノーザンブリアとの間で緊張が増しているというのを理由に僧兵庁が横槍を入れてきたのだ。
戦争となれば、ノーザンブリアの自治を承認している法国にも少なからず影響がある。
法国の防衛と治安維持を預かるという立場上、僧兵庁の言い分も間違いとまでは言えないのだ。
そこに加え――
「ノーザンブリアだけならまだしも共和国との戦争ともなれば、法国も第三者ではいられないからな」
正確には、世界中が二国の戦争に振り回されることになるだろうとリィンは予想していた。
当然だ。帝国と共和国は他に並ぶ国がいない大国。勝利した方がゼムリア大陸の覇権国家となる。
これまで絶妙に保たれていた国家間のバランスは崩れ、他の国々も選択を迫られることになるだろう。
どちらの国に味方するかで、戦後の立場も大きく変わる。それを見越した外交が水面下で既に進められていた。
そこに僧兵庁が首を突っ込んできたと言うことだ。
「僧兵庁が決起軍にコンタクトを取ったとの情報を教会内で耳にして、確認に伺ったのですが……」
「イーグレット伯の反応を見るに、当たりだったみたいだな」
リィンに探るような視線を向けられ、素直に頷くイーグレット伯。
聞かれたら答えると言った程度ではあるだろうが、本気で隠し通すつもりはなかったのだろう。
「いつからだ?」
故に、リィンは具体的な話に移る。
決起軍がオルディスを占拠してから、まだ一日と経っていない。
なのに、まるでクーデターが事前に起こることを知っていたかのように、このタイミングで僧兵庁が接触してきたことに疑問を持ったからだ。
『その質問には、わたくしから答えさせて頂きます』
リィンの質問にイーグレット伯が答える前に、タイミングを見計らっていたかのように通信が割って入る。
若い女の声がブリッジに響くと同時に、備え付けられたモニターに映し出されたのは――
イーグレット伯の孫娘、ミュゼ・イーグレット。
いや、決起軍を率いる指導者――公女ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンであった。
◆
公都アーデント。ゼムリア大陸北方に位置する小国――レミフェリア公国の首都だ。
そんな公国を代表する企業の一つで、大陸随一の医療機器メーカーであるセイランド社の執務室に二人の男女の姿があった。
赤い髪に少し派手めのシャツを胸元から覗かせる黒いスーツ姿の男と、対照的に落ち着いた雰囲気の白いスーツを纏った金髪の女性。
レクターと、ルーシーの二人だ。
「……通商会議を来月の頭に? 急な話だな」
ルーシーから聞かされた急な話に、訝しむような表情を見せるレクター。
二年前から毎年夏に開催されている西ゼムリア通商会議。政府の代表が集い、政治や経済、国際問題について話し合いが設けられている国際会議だ。
過去にクロスベルの安全保障について、帝国と共和国が白熱した議論を交わしたこともある。
今年で三回目を向かえる会議だが、例年であれば八月末に開催されていた催しを四ヶ月も前倒しにするカタチで、レミフェリアの公都アーデントで開催したいとの打診が七耀教会から政府にあったのだとルーシーは説明する。
教会の狙い。そして、議題の内容については大凡の予想が付く。
「今朝あった帝国の発表が理由か」
「ええ、あの様子では教会は随分と前から、この流れを予想していたみたいね」
「だとすれば、教会の表向き≠フ狙いは、帝国と共和国の戦争回避と言ったところか」
基本的に各国の内政には干渉しない七耀教会ではあるが、法国の安全保障にも関わる問題となれば話は別だ。
帝国と共和国の関係悪化は、大陸全土に影響を及ぼすほどの事態だと判断したのだろう。
仮に開戦となれば、世界を二分するほどの大きな戦争へと発展しかねない。
それを未然に防ぐのも教会の役割と言われれば、否定するつもりはない。
どの国に対しても一定以上の影響力を持ち、中立的な立場にある教会でなければ、大国の間を取り持つことは難しいと言えるからだ。
しかし――
「帝国が教会の話に耳を貸すと思うか?」
「……さすがに無視は出来ないと思うわよ」
教会の仲裁に帝国が耳を貸すかというレクターの疑問に、少なくとも無視は出来ないだろうとルーシーは答える。
同じことは共和国にも言える。こうも一方的に公の場で非難されたのだ。簡単には引き下がれないだろう。
帝国が間違いを認め、共和国に謝罪をすれば話は別だが、それだけは絶対にないと両国の関係と歴史を振り返れば言い切れる。
教会が話し合いの場を設けると言えば、どちらの国も否とは言わないだろうが、仲裁に応じる可能性は低い。
そのことを教会が理解していないとは思えなかった。
だとすれば表向きの狙いとは別に、何かしらの思惑があると考えるのが自然だ。
いや、そもそもの話――
「本当に教会の考えなのか?」
「どういうこと?」
「話は筋が通っているが、別の人間の思惑が透けて見える気がするんだよな……」
今回の話、本当に教会が考えたことなのかと、レクターは訝しむ。
彼だから気付けたようなもので、他の人間では違和感を覚えることも出来なかっただろう。
実際、ルーシーもそんなことは少しも考えなかったのだ。
だが、レクターの勘≠ヘ良く当たる。
そのことを誰よりもよく知っているが故に、ルーシーは表情を険しくする。
「……と言っても公国の立場上、確かな理由もなしに教会の提案を断るのは無理よ。それに……いい加減、身を隠して暮らすのは嫌でしょ?」
「ぐっ……」
教会が見返りにどのような条件をだしてきたかを察して、レクターは何も言えなくなる。
アランドールの名を捨て、現在はレミフェリアに身を寄せているとはいえ、レクターの犯した罪が消える訳ではない。
教会や各国がレクターの所在を知りながら黙っているのは、公国の庇護下に彼がいるからだ。
生活は保証されているが、自由はない。一人では太陽の下を歩けない生活をレクターは強いられていた。
だからと言って、レクターはレミフェリアを離れることも出来ない。
仮に自分が姿を消せば、ルーシーが真っ先に疑われると分かっているからだ。
恐らく教会がだしてきた条件と言うのが、自分に関することなのだと察してレクターは溜め息を吐く。
「悪いな……また迷惑を掛けちまったみたいで」
「大丈夫よ。これから、たっぷりと利子を付けて返して貰うつもりだから」
昔の分も含めてね、とルーシーに言われ、レクターは降参と言った様子で両手を挙げる。
さすがは自分のことをよく知る嘗ての学友。敵わないと悟ってのことだった。
「ああ、そうだ。これ、あなたの身分証よ。ようやく手続きが終わって発行されたから、ついでに受け取ってきたわ」
そう言ってルーシーから渡された新しい身分証に目を通すレクター。
これで、ようやく正式にレミフェリアへの亡命が認められたと言うことになる。
だが身分証に記された名前の欄を目にして、目を瞠るレクター。
無理もない。そこには――
「おい、これって……」
アランドール改め『レクター・セイランド』と記されていた。
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