バルコニーで物思いに耽るアルフィンの姿があった。
いつになく元気のない様子のアルフィンを心配して、エリゼは声を掛ける。
「姫様、珍しい茶葉が手に入ったので、お茶にしませんか?」
そう言って、茶会の準備を進めるエリゼ。
香ばしい茶葉の香りと、この辺りでは珍しい東方の菓子がアルフィンの関心を誘う。
エリゼが用意したのは、捏ねた餅米を蒸して作った饅頭と青茶だった。
「この饅頭はエリゼが?」
「はい。サンサンさんに教わったんです。丁度、材料が手に入りましたので――」
作ってみました、とアルフィンの問いに答えるエリゼ。
サンサンと言うのは、クロスベルの東通りに店を構える龍老飯店という店の看板娘だ。
ノエルたち警備隊員の行きつけのお店で、エリゼもよく誘われて店へ足を運んでいた。
最近は執務が忙しく外食も難しいことから、アルフィンもエリィと一緒によく出前を頼んでいたのだ。
饅頭を一口食べて、確かに龍老飯店の味だとアルフィンは納得した様子で頷くが――
「よく材料が手に入りましたね?」
探せばないと言うことはないが、ここはクロスベルではなく帝都ヘイムダルだ。
稀少とまでは言わずとも、東方の食材を取り扱っている店は限られる。
しかし街に買いに出掛けようにも、現在アルフィンたちはカレル離宮に軟禁されている。
行動を制限されている中でよく手に入ったものだと、アルフィンが不思議に思うのも当然だった。
「リーシャさんが届けてくれましたので」
なるほど、とエリゼの話を聞いて納得するアルフィン。
リーシャは街での情報を集めながら、定期的にアルフィンたちの様子を見に来ていた。
勿論、正面から堂々と訪ねると言う訳ではなく、人目を避けて潜入すると言った手段でだ。
そんな状況で食材などをよく持ち込めたものだと、アルフィンは感心するが――
「ああ、ユグドラシルですか。こういう時は、本当に便利ですね」
ユグドラシルの空間倉庫を使って持ち込んだのだと、アルフィンは察する。
理法と呼ばれる異世界の技術を用いることで、アリサが開発した戦術オーブメントの拡張ユニット。導力魔法は使えないと言った欠点を抱えているが、ユグドラシルは通常の戦術オーブメントと違い、身体能力の強化に特化している。何よりアーティファクトの機能をクォーツに封じ込めることで再現したという通信機能や、使用者が保有する霊力の大きさに応じて収容量が変化する空間倉庫。更には〈隠者の腕輪〉の機能を再現した光学迷彩など、デメリットを補って余りある機能が三つも付与されていた。
しかも現状では三つだけだが、これからは更に様々な能力が付与されたクォーツが開発される可能性が高い。特殊なクォーツの生成には、あちらの世界の理法具と呼ばれるアーティファクトの製作技術が用いられているとのことだが、こんなものが公表されたら導力革命以来の技術的革新が起きるとアルフィンは考えていた。
そもそもアーティファクトは解析が困難なことからアーティファクトと呼ばれているのだ。
その機能を再現し、クォーツに封じ込めるなど、これまでの常識からは考えられないことだった。
イオの手を借りたとはいえ、そんなものを開発したアリサは物作りに関して、やはり天性の才能を持つと言うことなのだろう。
本人はティータやティオのような本物の天才と比べると自分など凡人だと言っているが、既存の技術を応用・発展させることに関してはアリサの才能は先の二人以上と言っていい。
発明と設計と開発は違う。ティータが発明の天才なら、ティオは設計の天才。そして、アリサは開発の天才と言う訳だ。
「いまリーシャさんが材料を持ってきてくれたと言いましたよね? それって、いつのことですか?」
二つ目の饅頭に手を伸ばしたところで、ふとアルフィンは重要なことに気付く。
リーシャが材料を持ってきてくれたとエリゼは説明したが、ここ数日アルフィンはリーシャを見ていないのだ。
いつリーシャと会ったのかと、アルフィンが疑問を抱くのは当然だった。
「昨晩、姫様がお休みの間に」
「……どうして、起こしてくれなかったのですか?」
「お疲れのようでしたので。いまも溜め息ばかり溢していらっしゃいますし」
そう言われては、何も言い返せなくなるアルフィン。
ここ数日、一人で物思いに耽る時間が多くなっていることに自分でも気付いていたからだ。
原因は、はっきりとしている。
(どうして、お兄様とセドリックはあんな……)
先日、帝国政府よりだされた声明が、この憂鬱の原因だとアルフィンも分かっていた。
オリヴァルトやセドリックがいながら、どうして帝国政府があのような声明をだしたのか?
二人のことをよく知るが故に、アルフィンには信じられなかったのだ。
帝国は階級社会。皇帝の裁可がなければ、あのような発表を政府が勝手に行えるはずがない。ましてや現在の宰相は、あのオリヴァルトだ。嘗ては帝国の強引なやり口を非難していた彼が、ギリアスと同じようなことをするとは考え難かった。
だが、結果として帝国政府はノーザンブリアへの侵攻を示唆し、共和国に対しても宣戦布告とも取れる声明をだしている。その所為で、日に日に戦争の機運が高まっているのが現状だ。一連のテロ行為に対する報復を望む声が、帝都の人たちの間で広がっていた。
だからと言って、共和国が非を認めて謝罪をするとは思えない。彼等からすれば諜報部隊を帝国へ潜入させたのは事実だが、それ以外のことは身に覚えがないからだ。
しかし、ノーザンブリアとの繋がりを否定する証拠などない。逆に帝国政府が根拠として示したように、状況証拠は共和国の関与を示唆している。帝国政府が共和国の暗躍を主張する以上、話は平行線だ。
いま思えばノーザンブリアへの責任を追及する声が上がったあの時から、共和国との開戦を目論んでいたのかもしれない。問題は誰がシナリオを書いたのかだが、バラッド候の可能性は低いとアルフィンは考える。宮中での立ち回りは得意なようだが絵に描いたような小悪党と言った様子で、こうも緻密で大胆な作戦を思いつくような人物とは思えなかったからだ。
だとすれば、これも〈黒の工房〉――アルベリヒが裏で糸を引いていると考えて間違いないのだろう。
だが、何者が企んだことであるにせよ、既に事は起きてしまっている。この流れを今から止めることは至難の業と言っていい。
「姫様は、どうされたいのですか?」
「……エリゼ?」
今更、どうすることも出来ない。
しかし諦めきれない様子で、また一人で考えに耽るアルフィンを見かねて、エリゼは口を挟む。
予期しなかったエリゼの問い掛けに、戸惑いの表情を浮かべるアルフィン。
「お気持ちは察せられますが、いまの姫様は姫様らしくないと思います」
「……私らしく?」
「はい。いつもの姫様なら今頃は周りの忠告を聞かず、ここから抜け出す計画を練っているはずですから」
その無茶に昔はよく付き合わされたと、エリゼは溜め息を漏らす。
余りに余りな言い方だがアルフィンは頭で考えるよりも、まずは行動を起こすことが多い。
まったく考えなしと言う訳ではないようだが、好奇心を優先する悪癖もあって行動が伴わないタイプだった。
アルノール皇家の中で最も行動力のある皇族と言えば、エリゼは間違いなくアルフィンだと思っている。
それは内戦時の大胆な行動からも、腹違いの兄であるオリヴァルトをも凌ぐほどだと考えていた。
「もしかして、エリゼ。あなた……」
「はい。いつ姫様に無理難題を振られてもいいように、準備は整えています」
その説明で、昨晩リーシャがエリゼのもとへやってきた本当の理由を察するアルフィン。
エリゼがリーシャと通じて、カレル離宮を脱出する算段を練っていたのだと理解したからだ。
リーシャが動いていると言うことは、恐らくリィンにも話が伝わっているはずだとアルフィンは考える。
それに――
「このことをノエルとミレイユは?」
「昨晩の内に話してあります。お二人とも、とっくにそのつもりだったようですが……」
ノエルとミレイユも、アルフィンを連れて逃げる作戦を別に考えていたようだとエリゼは答える。
エリゼと比べるとまだまだ付き合いが浅いとはいえ、アルフィンの性格を二人もよく理解しているのだろう。
「ですから、あとは姫様の決断を待つだけです」
そう言って、アルフィンの覚悟を問うエリゼ。
エリゼ・シュバルツァー。帝国の最北端、辺境の郷ユミルを領地に持つ男爵家の一人娘。
そして、あのミュゼさえも一目を置く皆のお姉様。実際、女学院におけるエリゼの人気はアルフィンをも凌ぐほどだった。
休学中の身ではあるが、いまでもエリゼのことを慕い、総督府宛にファンレターを送ってくる女生徒は少なくない。
そんなエリゼの武勇伝を思い出し、アルフィンは小さく苦笑する。
「そう、でしたわね。エリゼの言うとおりですわ」
――こんなことではリィンに笑われる。
そう言ってアルフィンは、
「わたくしは、お兄様とセドリックの真意を知りたい。だから、力を貸してください」
自らの想いをエリゼに打ち明けるのだった。
◆
「図々しいお願いだと言うのは理解しています。ですが――」
ノーザンブリアの人たちを助けるために、力を貸してください。
そう言って、深々とリィンに頭を下げるヴァレリー。そのすぐ後ろには、様子を見守るサラの姿があった。
お前の差し金かと言ったリィンの視線を、堂々と受け流すサラ。
サラが何かをしたのは間違いないが、ヴァレリーを焚き付けたのはリィン自身だ。
半々くらいでこうなる予想はしていたので、仕方がないと言った感じでリィンはヴァレリーに尋ねる。
「どうして、そこまでする? 故郷の連中には『悪魔の一族』と言って虐げられてきたんだろ?」
ノーザンブリアのためにヴァレリーが何かをしなくてはならないという理由はない。
ヴァレリーを逃がした者たちも、そんなことは望んでいなかったはずだ。
むしろ彼女の置かれてきた環境を考えれば恨みこそすれ、故郷の人々を救いたいという考えが理解できなかった。
「確かに、ずっと腫れ物を扱うような視線に晒されて生きてきました。あの街に私の……私たち家族の居場所はなかった」
結果、政府にも裏切られ、ヴァレリーの両親は連れて行かれた。
そのことを恨んでいないかと言われると、少しも恨んでいないとヴァレリーは言えない。
正直に言うと許せない。どうして、こんな仕打ちを受けなくてはならないのかと考えたこともある。
大公がしたことは確かに許されないことだが、ヴァレリーの家族には直接的に関係がないからだ。
「政府に対する憎しみは確かにあります。ですが……」
いまなら政府が両親を拘束した理由も分かる。
ノーザンブリアの政府は、帝国と戦争をして勝てるとは少しも考えていないのだろう。
だが、戦争となれば誰かが責任を負わなくてはならない。そのスケープゴートとしてヴァレリーの家族が選ばれたのだ。
すべては自治州政府の保身のために――
「でも、そんな私を助けてくれたのも、ノーザンブリアの人たちなんです」
あの人たちが逃がしてくれなければ、今頃は両親と共に捕まっていただろうとヴァレリーは話す。
彼等がヴァレリーを助けたのは、スケープゴートにされた両親に対する負い目もあったのだろう。
それでも、助けられたことに変わりはない。
「助けられた恩には恩で報いたい。それさえ、出来なければ……私は、私の家族を虐げてきた人たちと同じになってしまう」
それはヴァレリーにとって、絶対に譲れない一線でもあった。
自分が虐げられて生きてきたからこそ、彼等と同じことを決して自分はしないと心に誓って生きてきたのだ。
せめて心だけでも誇り高く、強くありたい。それがあの街で学び、ヴァレリーが望んだことだった。
だが、そんな話を聞いてリィンは――
「それが、お前の本音≠ゥ?」
敢えて、そんな風に尋ねる。
確かに嘘は吐いていないのだろう。
しかし、まだ彼女は本音で語っていないと感じたからだ。
「ノーザンブリアの連中やバレスタイン大佐のことはおまけで、本当は両親を助けて欲しいんだろ?」
リィンの言葉に目を瞠るヴァレリー。
ノーザンブリアの人たちのことをいろいろと言ってはいるが、誤魔化しているのはヴァレリーも同じだ。
このままでは戦争の責任を負わされて、両親が処刑されるかもしれないのだ。
少なくともヴァレリーを見ている限りでは、両親との仲は悪くないようだ。
なら、親が殺されるかもしれないと分かっていて、何も感じない子供はいないだろう。
「表向きの理由なんて、どうでもいい。本音で話せ」
――お前はどうしたいんだ?
そう、リィンはヴァレリーの目を真っ直ぐに見据えながら、本心を尋ねるのであった。
◆
「なるほど。そうやって、姫様も誑かしたんですね」
ヴァレリーとの一件を聞いて、クスクスと楽しげに笑うミュゼ。
いま彼女はオルディスにある公爵家の城館で、リィンとの対談を行なっていた。
暁の旅団の団長に依頼主として聞いておくこと、そして伝えておくことがあったからだ。
「俺が何かをするまでもなく、アルフィンにはエリゼがついていたからな」
少し背中を押しはしたが、出番などなかったとリィンは肩をすくめる。
その話に納得した様子を見せるミュゼ。エリゼの能力を誰よりも高く評価しているのは彼女だからだ。
エリゼが一緒にいて、アルフィンが道を間違えるようなことは確かに考え難い。
「それで、団長さんは彼女の後見役に?」
内戦時の帝国のように、ヴァレリーを御輿とすることでノーザンブリアの件に介入するつもりなのだとミュゼは考えたのだ。
ノーザンブリアの政府がヴァレリーの両親をスケープゴートとしようとしたことからも、血筋的には申し分ないことが窺える。
塩の杭なんてものが現れなければ、彼女も今頃はアルフィンと同じく『姫様』と呼ばれていたかもしれないと言うことだ。
「どのみち、ノーザンブリアは取り込むつもりだったからな」
「……そう言えば、そんなことを仰っていましたね」
そんなミュゼの考えを肯定するでも否定するでもなく、リィンは自身の思惑を述べる。
詳しくは聞いていないが、リィンが大量の物資を集めていることは既に掴んでいる。
そして物資の次に目を付けたのが、数千から数万人規模の労働力だと言うことにもミュゼは察しを付けていた。
そのために依頼の成功報酬として、百億ミラもの大金を要求されたのだ。忘れようにも忘れられるはずがない。
「お前も人のことが言えるのか? 両親を事故≠ナ亡くしたりしなければ、こんなことをしなくても普通に『姫様』と敬われていた立場の人間だろうに」
最近まで女学院に隔離され、存在自体を秘されていたことを考えると、ミュゼもヴァレリーと境遇は大差がない。
実の叔父に疎まれ、今度は大叔父と対立する道を選び、ここへ至るのだ。
どのような選択をヴァレリーがしようと、何かを言えるような立場になかった。
「では、わたくしも誑し込められるのでしょうか?」
「そのつもりは、まったくないから安心しろ」
「残念です」
どこまで本気なのか?
しくしくと悲しそうな素振りを見せるミュゼに、リィンは呆れた様子で溜め息を吐く。
そして――
「アルスターの住民は、そっちで保護してくれたんだろ?」
「はい。ヴィータさんにお願いして匿って頂いています」
「なら、いい。じゃあ、そろそろ本題に入るか」
アルスターの住民の無事を確認してきたリィンの思惑を読み、ラクウェルの件はこれで水に流すと言う意味だとミュゼは受け取る。
囮となるのは契約の内とはいえ、事前の相談もなく利用したことは間違いない。
ましてや、決起軍のことや僧兵庁と繋がっていたこともリィンには黙っていたのだ。
必要なことだったとはいえ、騙すようなカタチになったことだけはミュゼも少しだけ負い目を感じていた。
もっともリィンの性格から言って、そのことで責められるようなことはないだろうとも予想していたのだが――
リィンがすべてを話していないように、ミュゼにも隠しごとの一つや二つはある。互いにそれを了承の上で、契約を交わしたのだ。
それだけに利用されたからと言って、リィンが怒るようなことはないだろうと分かっていた。
契約に対してはストイックで仕事に誇りを持っていることは、リィンの普段の言動や行動からも察せられるからだ。
「では、ここからは隠しごとはなしにしましょうか。これから、私たちは運命共同体≠ニなるのですから」
「言い方はともかく、腹を割って話すというのは同感だ。そっちが本気ならな」
どうせ、まだまだ隠していることがあるのだろうと互いに牽制しながら、本題へと入るリィンとミュゼ。
二人の秘密の悪巧みは、ちょっとした脱線を交えつつ夜更け過ぎまで続くのであった。
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