夜も更け、灯台の明かりが点るオルディスの港に一隻の赤い船が停泊していた。
アルセイユ型三番艦アウロラ。『暁の女神』の名を与えられたカレイジャスの後継艦だ。
「ようこそ、紺碧の海都オルディスへ」
そう言ってスカートの裾を持ちながら小さく頭を下げ、船から降りてきたリィンたちを優雅に出迎える少女。
先の内戦で命を落としたカイエン公の姪、ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンことミュゼ・イーグレットだ。
その後ろには領邦軍の兵士たちと、ウォレスの姿も確認できる。
オーレリアの姿は確認できないが、揃っての出迎えにリィンは苦笑する。
「後のことは任せても構わないか?」
「はい。姫様やエリゼ先輩のこと、ありがとうございました」
「気にするな。物のついでだ」
二、三言葉を交わしただけで早々と立ち去るリィンにミュゼは頭を下げる。
口や態度にはださないが、気を遣ってくれたのだと察したからだ。
「はあ……兄様は相変わらずですね」
「恐らく気を遣ってくださったのでしょう。エリゼ先輩、ご無事で何よりです。それに――」
エリゼに挨拶を返すと、チラリとアルフィンに視線をやるミュゼ。
しかし、まったく気付く様子のないアルフィンを見て、首を傾げる。
深刻な悩みを抱えていると言うよりは、何か良いことでもあったのか?
ニヤニヤと笑みを浮かべ、夢見心地と言った様子であったからだ。
「リィン団長と何かあったのですか?」
すぐに原因を言い当てたミュゼに驚きつつも、彼女なら当然かとエリゼは溜め息を溢す。
いや、ミュゼでなくともこの状態のアルフィンを見たら、誰が原因かを言い当てるのは難しくないだろう。
完全に恋する乙女のそれであることは、アルフィンの反応を見れば一目瞭然だからだ。
そして、アルフィンがこんな風に想いを寄せる相手など一人しかいない。
「この船の名前、アウロラというのは兄様がつけたのだけど……名前の由来を聞いたら『暁の女神』から取ったと」
「ああ、それで……」
エリゼから話を聞いて、納得した様子を見せるミュゼ。
リィンの話を聞いて、アルフィンがどのような勘違いをしたかを察したのだろう。
しかし、リィンがその名前に秘めた決意≠ワでは、ミュゼやエリゼでも気付くことはなかった。
◆
『随分と皮肉のきいた名前をつけましたわね』
リィンから新しい船の名前の由来を聞き、通信越しに愉しげな笑みを浮かべる金髪の美少女。
先の戦いで死亡したことになっているクロイス家の錬金術師。マリアベル・クロイスことベルだ。
いま彼女はノルンと共にクロスベルへと帰ってきていた。
『空の女神が信仰されているこの世界で別の世界の女神の名を付けるなんて、ある意味で教会にも喧嘩を売っていますわよ?』
リィンが船の名前に込めた想いを、ベルだけは正確に読み取っていた。
空の女神の否定。エイドスや、女神を信奉する教会に対する挑戦的な意志が込められているのだと――
深く考えて名付けた訳ではないが、そういう意図がなかったかと言えば、リィンは否定するつもりはなかった。
元よりエイドスを敬う気持ちなど欠片もないし、教会とも何れは事を構える覚悟は出来ているからだ。
「それはそうとノルンを迎えにやったとはいえ、随分と早かったな」
『そろそろ助け≠ェ必要になる頃じゃないかと、準備をしていましたから』
事前に準備をしていたと聞いて、納得した様子で頷くリィン。
ノルンのように未来が見える訳ではないが、こちらの情報は逐一ベルのもとにも届けられていたのだ。
彼女の洞察力なら、これから起きることを予測できたとしても不思議な話ではない。
『それにクロスベル≠フことなら、わたくしにも責任がないとは言えませんし協力くらいしますわ』
可愛いエリィのためですもの、と笑みを浮かべるベル。
その言葉に嘘はないのだろうが、彼女の性格を考えると裏があるのは明らかだった。
いまは協力関係にあるとはいえ、それはリィンが彼女の目的を遂げるのに必要な存在だからに過ぎない。
少なくともメリットもなく、他人のために動くようなお人好しでないことは間違いなかった。
「で? 本音は?」
『黒の工房が集めた研究データに興味がありますの』
やっぱりそういうことか、とリィンは溜め息を漏らす。
黒の工房は十三工房のネットワークを利用することで、世界中から研究データを蒐集していた。
となれば地精の拠点には、それらの資料が保管されていると考えて間違いない。
ベルのことだ。彼等が集めた知識を掠め取るつもりでいるのだろう。
「泥棒の上前をはねる気か……」
『ホムンクルスの技術も使われていたみたいですし、少し利子を付けて返してもらうだけですわ。それに――』
最初からそのつもりだったのでしょう? と尋ねられれば、何も言えなかった。
ベルと同じようなことをリィンも考えていたからだ。
もっとも――
『彼等の研究データが手に入れば、あの子たちも完璧に調整してあげられますから』
それがアルティナの姉妹たちのためであることをベルは察していた。
残念ながら彼女たちに植え付けられた命令≠解除することは出来なかったのだ。
そのため、現在アルティナの姉妹たちはセイレン島に用意されたベルの工房で治療を受けていた。
ノルンにベルを迎えに行かせるついでに、またアルベリヒに利用されないように彼女たちをセイレン島へと送らせたのだ。
「分かった。俺の負けだ。好きにしろ。どのみち、お前やアリサに見て貰わないことには分からないしな」
口では勝てないと悟って、両手を挙げるリィン。
どのみち、そのつもりでベルをこっちの世界へと呼び戻したのだ。
なら、結果は同じことだと自分を納得させる。
とはいえ――
『エリィを泣かせるような真似はするなよ?』
「心得ていますわ」
釘を刺すことだけは忘れないのであった。
◆
『それで、目星はついているんですの?』
本題へと移るベル。
自分をこうして呼び寄せたと言うことは、黒の工房の拠点に目星がついたのだと考えていたのだろう。
しかし、
「いや、まだ正確≠ネ位置は分かっていない」
ベルの予想に反して、リィンは首を横に振る。
ならばと質問を変えるベル。
『正確な位置は、ということは大凡の位置は掴んでいると?』
「ノルンがキーアの気配を探れないと言ったら分かるか?」
『ああ、なるほど……そういうことでしたか』
リィンが何を言わんとしているのかを察して、ベルは納得した様子を見せる。
ノルンはキーアの願いが生んだ存在。至宝の力を身に宿し、虚なる神へと至ったもう一人のキーア≠セ。
故にキーアがノルンの存在を感じ取れるように、ノルンもキーアの存在を感じ取ることが出来る。
何処にいようとも互いの居場所を感じ取れると言うことを、それは示していた。
なのにノルンがキーアの気配を探れないと言うことは――
『外界と隔絶された場所に閉じ込められていると言うことですわね』
この世界とは異なる空間――
結界のようなものの中に閉じ込められているのだろうと推察できる。
だが、ノルンの感知能力すらも遮断する結界となると、維持には膨大なマナを必要とするはずだ。
『七耀脈を利用しているのは間違いありませんわね。となれば、マナの流れを辿れば……』
自然と敵のアジトへ辿り着く。
そこまで考え、リィンが自分を呼び寄せたもう一つの理由をベルは察する。
『出来ればアジトを特定してから呼んで欲しかったのですけど……』
「そう言うな。ロゼにも頼んでるんだが、手こずっているみたいでな」
『当然ですわね。幾ら魔女の長と言えど、帝国は広いですから』
帝国は広い。
異常なマナの流れを辿り、そこから敵のアジトを特定するというのは口にするのは簡単だが容易いことではない。
ローゼリアがどれだけ卓越した腕を持つ魔女であろうとも、一人の力では限界がある。
里の魔女たちも協力はしているのだろうが、それでもこの僅かな時間で結果をだせというのは無茶な話だった。
勿論リィンもそのことは理解している。だからベルをクロスベルへ呼び戻したのだ。
『計算にオルキスタワーの演算装置を利用するつもりですか。魔女の長とは、もう話はついているのですわよね?』
「ああ、そのために連絡役としてシャロンをつけてある」
『そういうことなら異論はありませんわ』
これで何一つ準備が整っていないようなら文句の一つも垂れるところだが、少なくとも手はず整っていると知ってベルは納得する。
シャロンがアリサのもとを離れていると言うことは、当然アリサもこのことを知っているのだろう。
いや、オルキスタワーの演算装置を利用することを思いついたのも、話の流れから言ってアリサだとベルは察する。
それなりに知識があると言っても、リィンは魔女や錬金術師でなければ技術者でもないからだ。
(まあ、試しておきたいことがありましたし……)
考えようによっては丁度良い機会だと、ベルは微笑みを漏らすのだった。
◆
黒の工房が蒐集したデータが目的なのは嘘ではないのだろうが――
「釘を刺したばかりだっていうのに……また、悪巧みしてるな」
ベルが他にも何かを企んでいることをリィンは確信していた。
あの捻くれた性格なら、本当の目的を素直に白状するとは思えなかったからだ。
とはいえ、それを承知の上でベルに協力を求めたのだ。この程度のことは想定範囲だと、リィンは諦める。
言ったところで止まらないのは分かっているし、少なくとも裏切ることはないだろうという程度にはベルのことを信用しているからだ。
「で? お前はいつまで隠れている気だ?」
「……気付いていたなら声を掛けなさいよ」
リィンに声を掛けられ、観念した様子で物陰から姿を見せるヴィータ。
ミュゼたちと別れた後、ヴィータが後を付けてきていることにリィンは最初から気付いていた。
どのみち、この一件にはヴィータも深く関係している。故に――
「それで? お前は結局どっち≠ノ付く気なんだ?」
良い機会だと考え、敢えてヴィータに会話の内容を聞かせたのだ。
「どっちも何も……黒の工房に味方をする気はないわよ?」
「それは分かっている。だが、お前は〈結社〉の人間だろ?」
痛いところを突かれたと言った表情を見せるヴィータ。
とはいえ、いつかは尋ねられることだと思っていたのだろう。
実際リィンたちはカンパネルラや鉄機隊の面々と交戦し、ギルバートを捕らえているのだ。
ヴィータが関与しているとまでは言わないが、カンパネルラが動いていると言うことは〈結社〉が暗躍していることは間違いない。
カンパネルラの役割。それは盟主の代行として、計画を見届けることにあるからだ。
となれば――
「幻焔計画だったか? まだ諦めてなかったのか?」
「最近は〈結社〉から距離を置いていたし、分からないわ。信じて貰えないかもしれないけど……」
何かしらの計画が動いていることだけは間違いないとリィンは確信していた。
ヴィータから返ってきた予想通りの回答に、あっさりと納得した様子を見せるリィン。
そんなリィンの反応を訝しみ、逆にヴィータが尋ねる。
「問い詰めないの? 嘘を吐いているかもしれないわよ?」
「嘘を見抜けないようでは、猟兵は務まらないからな。それに、どこかの錬金術師と一緒で本音は話さないが嘘も吐かないだろ?」
結社と繋がっていないことを知れただけで十分だと話すリィンに、完全にしてやられたとヴィータは苦い表情を浮かべる。
リィンが自分にもベルとの会話を聞かせた本当の目的を察したからだ。
結社との繋がりが本当にないのかを確かめると共に、釘を刺す思惑もあったのだろう。
「なあ、お前なんで使徒なんかやってるんだ?」
「何を……」
突然なにを言いだすのかと言った表情で呆けるヴィータ。
リィンがどう言うつもりで尋ねているのか?
突然のことで、質問の意図が理解できなかったからだ。
しかし――
「いや、いい。忘れてくれ」
そう言って、自分から切りだした話を中断するリィン。
困惑するヴィータを残して、リィンはその場を後にするのだった。
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