「……いま、なんて言った?」
「だから、リィンが乗って帰ってきた船にティータさんが乗ってたのよ」

 翌朝、港の宿酒場で食事を取っているとアリサの口から思わぬ報告を聞かされ、リィンは眉をひそめる。
 ティータと言うのは、ティータ・ラッセルのことで間違いないだろう。
 リベールに本社を置く〈ツァイス中央工房〉――通称ZCF。
 帝国のラインフォルト社や共和国のヴェルヌ社と並び、大陸最高レベルの技術力を誇る導力器メーカーだ。
 ティータとは、そのZCFの創業者アルバート・ラッセル博士の孫娘だった。
 歳の頃は十五。リィンとも面識があり、既に大人にまじってオーバルギアの開発を任されていると言うのだから驚く他ない。
 とはいえ――

「なんで密航なんか……」

 船倉に隠れていたと聞かされれば、リィンが嫌な予感を覚えるのも無理はない。
 ティータ自身に思うところがある訳ではないが、彼女の母親とは過去にいろいろとあったからだ。
 そんなリィンの心情を察して、アリサは苦笑を漏らす。
 リベールでの一件を考えれば、リィンが何を心配しているかは容易に察せられるからだ。

「レンのことが心配で、船に忍び込んだみたいね」

 アリサから理由を聞き、そう言うことかと納得した様子を見せるリィン。
 レンがどう思っているかは分からないが、少なくともティータの方はレンのことを親友だと思っている。
 その親友が〈黒の工房〉に拉致されたと聞かされ、いてもたってもいられなくなったのだろう。
 大人しそうに見えて、行動力のある少女だ。頑固なところは祖父譲りと言っていい。
 危険だから帰れと言っても、素直に従ったりはしないだろう。

「……面倒なことになったな」

 何度も言うようだが、ティータ自身に問題がある訳ではない。彼女の才覚と実力はリィン自身も認めているのだ。
 これから更に忙しくなることを考えると、彼女の力は惜しい。
 ティータならティオと同様に、アリサの助けになってくれるだろう。
 しかし、家出同然に飛び出してきたのであれば、家族は心配しているはずだ。
 孫娘のことを溺愛している祖父と、トラブルメーカーとも言える母親のことがリィンの頭を過る。

「何を心配しているかは察せられるけど、諦めた方がいいわよ」
「他人事だと思って……」
「そうは言うけど、レンとキーアを誘拐されなかったら、こうはなっていない訳だし」

 アリサにそう言われると、何も言い返せずに黙るしかなかった。
 レンとキーアが誘拐されたことには、リィンも〈暁の旅団〉の団長として責任を感じているからだ。

「……仕方ない、腹を括るか。ティータのことは任せていいか?」
「ええ、彼女には引き続き、エンジニアとしてアウロラに乗艦してもらうつもりよ」

 アウロラはカレイジャスと同様、リベール王家が所有する船アルセイユの同型艦だ。
 ZCFが開発した最新の導力機関が搭載されている。
 しかもZCFはオリヴァルトからの依頼を受け、設計当初から船の建造に関わってきたのだ。
 そう考えると船の整備を任せるのであればティータほどの適任者はいないと、

「確かに、それが適任か」

 アリサの案にリィンも同意するのだった。


  ◆


 領主館の中庭から、激しい剣戟の音が聞こえてくる。
 兵士たちが訓練をしてるのかと思いきや、剣を交えていたのはオーレリアとクルトだった。
 その場から一歩も動かず涼しい顔で攻撃を捌いて見せているオーレリアに対して、クルトの方は息が乱れ、余裕がない。
 対等な勝負と言うよりは、クルトがオーレリアに稽古を付けてもらっていると言った方が正しいだろう。
 そんな二人の戦いを兵士たちにまじって見守るレイフォンの姿があった。
 珍しく真剣な表情で二人の戦いを観戦しているレイフォンにリィンは声を掛ける。

「オーレリアがいるってことは、領邦軍の訓練に参加させてもらってるのか?」
「あ、リィンさん。えっと、ちょっと違うみたいです。オーレリアさんの方からクルト坊ちゃんを誘ったみたいで」
「……オーレリアの方から?」

 てっきりクルトの方から頼み込んだのかと思っていたら、逆だと聞かされて訝しむリィン。
 とはいえ、オーレリアはアルゼイドだけでなくヴァンダールの剣術も修めている。
 言ってみれば、オーレリアにとってクルトは弟弟子のようなものだ。
 大方、噂に聞くクルトの実力に興味を持ったのだろうと考えていると――

「なんでも、ここの公女様から誘われたらしいです。私の騎士≠ノならないかと」
「……騎士?」
「はい。で、そういうことなら私が鍛えてやると――」
「オーレリアの方から誘ったと?」

 頷くレイフォンを見て、想像の斜め上を行く展開にリィンは少し反応に困った様子を見せる。
 騎士――と言うのは、言葉どおりの意味だろう。
 元々ヴァンダールの家は、代々皇家を守護する役目を負っている。こんなにも早くセドリックが帝位を継いでいなければ、ミュラーとオリヴァルトの関係のようにクルトもセドリックの騎士となっていたはずなのだ。
 そして、カイエン公爵家はアルノール皇家の縁戚。謂わば、ミュゼは皇家の血を継ぐ正真正銘のお姫様と言う訳だ。
 となれば、ヴァンダール家のお役目から言って、クルトがミュゼの専属護衛となるのはありえない話ではない。
 しかし――

「クルトは了承したのか?」
「返事は保留にしてもらっているみたいですね。どのみち、いまの実力では務まらないと――」
「オーレリアが鍛えてると言う訳か」

 まだセドリックとのことは引き摺っているみたいだし、簡単に頷くことは出来ないだろうとクルトの気持ちを察するリィン。
 だが、どう頑張ったところで、もはやセドリックの騎士となることは不可能なのだ。
 なら、ミュゼからの誘いはクルトにとって悪い話ではない。いや、むしろ千載一遇のチャンスと言っても良いだろう。
 何かあるとすれば――

(ミュゼの奴、何を考えやがる)

 ミュゼの方だとリィンは考えるのであった。


  ◆


 それから応接室へと通されたリィンは――

「それで、どういうつもりだ?」

 少し遅れてやって来たミュゼに、早速クルトのことを尋ねた。
 突然のことに目を丸くしながらも、リィンの質問は予想していたのだろう。
 特に慌てる様子もなく、ミュゼは淡々とリィンの質問に答える。

「姫様の了承は頂きましたよ?」
「それ、事後承諾だろ。というか、質問の答えになってないぞ?」

 ミュゼがクルトを誘ったのは、リィンが帝都へ発った後のことだ。
 そして、軟禁状態にあったアルフィンと連絡を取る手段はミュゼにはない。
 ということは、アルフィンと話をしたのは昨晩と言うことになる。リィンが呆れるのも当然であった。
 しかし、アルフィンもアルフィンだと思う。

(あっさりと許可するとか、クルトの奴も報われないな……)

 セドリックは無理でもアルフィンの騎士となれる可能性は、極僅かではあるが残されていたのだ。
 しかし、あっさりとミュゼにクルトを売り渡したところを見るに、脈無しと考えて間違いないだろう。
 まあ、既にアルフィンにはエリゼという従者がいるし、堅苦しいことを嫌うアルフィンの性格を考えれば専属護衛をつけることに難色を示すのは分かっていた。
 それに休学中とはいえ、アルフィンとエリゼはまだ女学院に在籍している。
 すべての問題が片付き、仮に復学することになっても男のクルトが一緒に通うのは難しい。
 だから性格的にも上手くやっていけそうなレイフォンを、アルフィンの護衛に推すつもりでリィンはいたのだ。

「それで、何を企んでる?」
「酷いです。こんなにもかよわい少女を捕まえて、何かを企んでいるだなんて……しくしく」
「自分でかよわいとか言うな。あと嘘泣きもやめろ」

 あっさりと嘘をリィンに見破られ、不満げに頬を膨らませるミュゼ。
 しかし、それすらも演技であるとリィンは見抜いていた。
 ある意味で、ヴィータよりも強かな性格をしていることを知っているからだ。

「つまらないです。もう少し乗ってくれてもいいのでは?」
「そう言って、誤魔化そうとするからだ」

 話に乗れば、そのままはぐらかされることくらい承知の上だった。
 さすがのリィンも話術でミュゼに勝てるとは思っていない。
 だから敢えて話に乗らず、ストレートに尋ねているのだ。

「説明するのは構いませんが、その前にこちらからも一つだけお尋ねしてもいいですか?」
「……なんだ?」
「どうして、そこまでクルトさんのことに拘るのですか?」

 どういう意図があってクルトを誘ったのか? 気になるのは分かる。
 しかし、こうまで他人のことを気遣うのは、いつものリィンらしくないとミュゼは感じたのだろう。

「あの二人のことは、オリエから頼まれているからな」
「ヴァンダールの風御前ですか。昨夜の内に挨拶をさせて頂きましたが、噂に違わぬ女傑のようですね。でも……人妻ですよ?」
「そんなんじゃない。なんで俺の周りの女どもは、すぐにそっちへ話を持っていこうとするんだか……」
「いろいろと噂されていますし、普段の行いが原因ではないかと。クルトさんのような大きな子供がいるとは思えないほど、若々しく綺麗な方でしたしね」

 もしかしたらと考えても不思議ではないと話すミュゼに、リィンは何も言い返せずに唸る。
 実際そう勘違いされても仕方の無いことをしているとの自覚は本人もあるのだろう。
 とはいえ、エリィやアリサと関係を持ったことを後悔している訳ではなかった。

「フフッ、リィン団長の困った顔が見られたので、意地悪はこのくらいにしておきましょうか」
「お前な……」

 話に乗ってこなかったことに対する意趣返しなのだと察して、リィンは深々と溜め息を吐く。
 そんな悪戯が成功したとばかりに笑みを浮かべるミュゼを見て――

「なら噂≠ェ本当かどうか、確かめてみるか?」
「……え?」

 リィンは髪を優しく撫でながら、ミュゼの耳元でそう呟くのであった。


  ◆


「これに懲りたら、男をからかうのは程々にしておけよ」
「……不意打ちは酷いです」

 最初に仕掛けたのは自分だけに、強くは言えないのだろう。
 乱れた衣服を整えながら半目で睨み付けるミュゼに、リィンは肩をすくめる。

「もういいです。噂以上だと知れただけでも成果はありましたし……」
「それはそれで反論したいところだが、随分と話が脱線したしな。そろそろ、本当のことを聞かせてくれるか?」

 やはり誤魔化すことは出来ないと悟り、観念した様子でミュゼは小さく溜め息を吐く。

「将来性を買ったのは確かですよ? 所謂、青田買いという奴ですね」
「……将来性ね。いまのクルトじゃ、実力不足なのは認めるんだな?」
「ええ、ですからオーレリア元¥ォ軍の厚意に甘えることにしました。大叔父さまの謀略で爵位を剥奪されたとはいえ、ルグィン伯爵家は代々カイエン公爵家に仕えてくれた武門の家柄。恐らく自分が去った後のことを気に掛けてくれたのだと思います」

 遠回しに〈暁の旅団〉へオーレリアを引き抜かれたから手が足りないと、若干の嫌味をまぜながら説明するミュゼ。
 とはいえ、そうなったそもそもの原因はバラッド候と、彼の取り巻きの貴族たちにある。
 内戦の責任から逃れるために、オーレリアへすべての責任を押しつけたのだ。
 何よりミュゼに味方をする彼女が邪魔であったのだろう。

「俺にそのことを言われてもな」
「分かっています。リィン団長を責めるのは間違いだと言うことは……。こうなったのも、すべて大叔父様が原因ですから」

 そのことはミュゼも理解している。だからリィンに抗議しないのだ。
 オーレリアから相談された時も、彼女が〈暁の旅団〉へ行くことに反対はしなかった。
 だから、この程度の嫌味は大目に見て欲しいというのが、ミュゼの本音なのだろう。

「事情は分かった。だがクルトを選んだ≠フは、それだけが理由じゃないだろ?」
「……本当に察しが良いですね。皇帝陛下の騎士にマテウス卿が任命されたと言う話は、お聞きになっていますか?」

 そういうことかと、ミュゼの話を聞いて納得するリィン。
 マテウス・ヴァンダール。ヴァンダール家の当主にして、光の剣匠と並び称されるほどの剣士だ。
 しかも、帝都の守護を司る第一機甲師団の司令。そんな彼が皇帝の騎士に任じられるのはおかしな話ではないが――

「大義名分を得るためか」
「はい。あちらにだけヴァンダールの騎士がついているというのは風聞が悪いので」

 領主代行という立場にありながら具体的な対策を講じなかったバラッド候に代わり、ラマール州の秩序を守っただけと帝国政府には報告しているそうだが、ミュゼのしたことは領地の乗っ取りだ。逆賊のレッテルを貼られてもおかしくはない。実際これから彼女がやろうとしていることは帝国政府の方針に背くものだ。
 しかし、まだ彼女は正式に爵位を継いだ訳ではない。だからこそ、言葉に説得力を持たせるための後ろ盾が必要だった。
 アルフィンの保護をリィンに頼み、更にはクルトを仲間に引き込もうとしたのも、それが理由なのだろう。

「オリエは、そのことを?」
「昨夜、挨拶へ伺った時にすべてお話しました」
「承諾済みってことか。なら、俺から言うことは特にないな」

 オリエに話が通っているのであれば自分が口を挟むことではないと、リィンはあっさりと引き下がる。

「そう仰ると思っていましたけど、随分とあっさり引き下がりますね」
「義理を果たそうとしただけだしな」
「猟兵の流儀、ですか」
「ヤクザな商売だしな。通せる筋は通す。ただ、それだけの話さ」

 彼女の方から言いだしたことだが、オリエには帝都を脱出の際に時間稼ぎの役目を負って貰った借りがある。
 結果、オリエは軍に捕まり、バルフレイム宮殿に軟禁されることとなった。
 拷問などは受けていなかったみたいだが、それでも不自由を強いられていたことは確かだ。
 だからこそ、リィンはオリエとの約束を守ろうとしたのだろう。

「リィン団長の立場と考えは理解しました。では、クルトさんのことは任せてもらっても?」
「ああ、口を挟む気はない。だが、選択肢を潰すような真似はするなよ?」
「心得ています。姫様やエリゼ先輩からも釘を刺されましたし……」

 そんなに私って信用がないのでしょうか?
 と溜め息を漏らすミュゼを見て、先程までの彼女とのやり取りを思い浮かべながらリィンは自業自得と結論付けるのであった。



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