「ふむ……まずまずと言ったところか」
地面に膝をつき、息も絶え絶えと言った様子のクルトを見下ろしながら、そう評価を下すオーレリア。
噂に違わず、剣術の腕は悪くない。基礎もしっかりとしている。
才能や本人の努力もあるのだろうが、良い師に恵まれた証拠だろうとオーレリアは考える。
しかし――
「悪くはない。だが、剣に迷いがあるな」
それがクルトの全力ではないとオーレリアは見抜いていた。
手を抜いている訳ではないのだろうが、剣に迷いがある内は全力を出し切れているとは言えない。
その原因もはっきりとしていた。
「ミルディーヌ様の仰ったことを気にしているのか?」
「……オーレリア閣下も、そのつもりで稽古を付けてくださっているのではないのですか?」
何を今更と言った感じで、質問に質問を返すクルト。
オーレリアがこうして鍛練に付き合ってくれているのも、ミュゼからの話があったからだとクルトは考えていた。
「それを否定するつもりはない。だが、ヴァンダールの双剣に興味があったことも事実だ」
勿論それを否定するつもりは、オーレリアにはなかった。
ミュゼとの話がなければ、このような申し出をすることはなかっただろうからだ。
しかし一人の剣士として、クルトの剣に興味を持ったというのも、また事実であった。
オーレリアが学んだのは、ヴァンダールで主流となっている大剣の扱い方のみだ。
双剣に関しては使い手が少なく、こうして実際に剣を交えるのはオーレリアも初めてのことだった。
「……閣下の期待には添えなかったみたいですね」
「そうでもない。荒削りではあるが、光るものがあるのは事実だ。いまのまま鍛えれば、いつかは父君や兄君と肩を並べる日も来るだろう」
逆に言えば、現状ではマテウスは勿論のことミュラーにも及ばないと言っているも同じだった。
しかし厳しいようだが、それが現実だ。そのことはクルト自身が一番よく分かっていた。
悔しさと情けなさを噛み締めながらクルトは瞼を閉じ、逡巡する。
未熟であることは分かっていたことだ。
皆伝にすら届かない身で、オーレリアに敵わないのは当然。
それでも――
「閣下さえ、よろしければ……もう一本、お願いします」
母から託された双剣をギュッと握り締めながら、クルトは再び立ち上がる。
オーレリアの言うように、迷いがあることは否定しない。
正直なことを言えば、ミュゼから騎士にならないかと誘われ、未だ答えをだせずにいた。
ミュゼが何を自分に期待しているのかが分からないほど、クルトは愚かではない。
オーレリアの代わりが自分に務まると考えるほど、自惚れてはいないからだ。
なら、ミュゼが自分に期待しているもの。それはヴァンダールの名だと察することが出来る。
「意気込みは買う。だが、迷いがある内は何度やっても同じことだ」
「ええ、ですから閣下を利用≠ウせてもらいます」
呆気に取られた様子で、目を丸くするオーレリア。
クルトの口からそのような回答が返って来るとは思っていなかったからだ。
しかし、
「くくっ、私を利用するか。なるほど……そなたもあの男≠ノ影響を受けた口か」
と、オーレリアは心の底から愉しそうに笑うのだった。
◆
「ミュゼに手をだしたというのは本当ですか!?」
ミュゼとの会談の後、領主館に一泊したリィンは早朝一番に部屋まで押し掛けてきたアルフィンに詰め寄られていた。
「情報源はミュゼ本人か。他に誰の気配も感じなかったからな」
話の出所は容易に察しが付く。
さすがに誰か隠れていれば、リィンもあのような行動は取らない。
大方、ミュゼが意趣返しをかねて、アルフィンを焚き付けたのだろう。
「否定しないと言うことは……事実なのですか?」
「少しからかっただけだ。想像しているようなことはしてないから安心しろ」
頬を顔を赤くするアルフィンを見て、リィンは図星かとやれやれと溜め息を吐く。
ミュゼの年齢はエリゼやアルフィンとそう変わらない。いや、二人よりも一つ後輩なのだ。
そんな年端もいかない少女に手をだすほど、リィンは女に飢えていない。
むしろ、年齢を理由にシャーリィからのアプローチを先延ばしにしていることを考えると、それは悪手と言える。
「俺がシャーリィにどんな対応を取っているのか? 知っているはずだよな?」
「うっ……それは聞いていますけど、わたくしやエリゼに対しても同じような反応ですし……」
当然そのことはアルフィンも知っている。
そもそもリィンはアルフィンやエリゼに対しても、シャーリィと同じように返事を保留していた。
それだけに少し考えれば分かるようなことなのだが、上手くミュゼに乗せられたのであろう。
「……姫様。やはり、こちらへいらしていたのですね」
廊下の方から声が聞こえてきたかと思うと、開け放たれた扉の前にエリゼの姿があった。
アルフィンを追ってきたと言うことは、エリゼもミュゼから話を聞いてきたのだろうとリィンは察し、尋ねる。
「お前は事情を聞かないのか?」
「兄様を信じていますから」
寸分の迷いもなく問いに答えるエリゼに、リィンは頬を引き攣る。
面倒がなくて助かるが、その一方で信頼を裏切ればどうなるのか、想像するのも怖かったからだ。
それに――
「あの子のことですから、どうせ姫様をからかうために話を盛っているに決まっていますから」
さすがにミュゼの性格もよく熟知しているようだった。
ミュゼがどのような説明をしたのかは、それだけで大凡の想像が付く。
嘘は言っていないのだろうが、恐らく想像を掻き立てる内容を話したのであろう。
呆れているだけで、怒っていないというのはエリゼの態度からも察せられる。
とはいえ――
「ですが、兄様も自重なさってください。それでなくとも、悪い噂が絶えないのですから」
「……すまん」
心配して言ってくれているのであろうと察し、リィンは素直に謝罪するのだった。
◆
「随分と疲れた顔をされていますが、やはり帝都で何かあったのですか?」
「いや、気にしないでくれ。そういうのじゃないから……」
体調を心配して声を掛けてくれたクレアに、微妙な顔で大丈夫だと答えるリィン。
それを見て、長年の付き合いから何があったかを大凡察するサラ。
「心配しなくても、どうせ女絡みでしょ?」
「……どうして、そう言い切れる?」
「仕事のこととはいえ、アンタたちに何度邪魔されたと思ってるのよ。それにシャーリィと戦場でやり合った後も、ケロッとした顔で酒宴に参加してたって言うじゃない。一日やそこらの仕事で顔にでるほど疲れることなんてないでしょ? 仮にそれほど激しい戦いになってるなら彼女が知らないはずもないし」
リィンが顔にでるほど体力を消耗しているのなら、今頃帝都は壊滅しているはずだとサラは答える。
当然そうなっていれば、一日経ってクレアの耳に入っていないのはおかしい。
その妙に説得力のある説明にリィンは反論するのを諦める。
どう言い訳したところで、誤魔化すのは無駄と悟ったからだ。
「アンタも苦労するわね。こんなのに惚れちゃうなんて、絶対苦労するわよ」
「わ、私はそんな……」
サラにからかわれ、珍しく動揺した様子を見せるクレア。
話の流れから、自分に矛先が向くとは思っていなかったのだろう。
しかし、その態度からも彼女が少なからずリィンに好意を寄せていることは明らかだった。
そもそも幾ら猟兵が元軍人が多いと言っても、自分から望んで猟兵に身を落とす者は少ない。
クレアとて、リィンからの誘いでなければ軍を辞めて猟兵に転職することなど考えもしなかっただろう。
「前にも言ったけど、アンタいつか刺されるわよ」
「ファザコンを拗らせて、恋人の一人も出来ない奴よりマシだと思うが?」
火花を散らせ、テーブルを挟んで睨み合うリィンとサラ。
そんな、いつもと変わらない二人を見て、クレアはどこか楽しげな表情で苦笑を漏らすのであった。
◆
「――報告は以上です。指示された通りに計画は進めていますが、他に何かありますか?」
「いや、完璧だ。むしろ、想像以上と言ってもいいな」
クレアから経過報告を聞きながら渡された資料に目を通し、感嘆の息を漏らすリィン。
軍人として優秀なのはスカウトする前から分かっていたが、それでも想像を遥かに超えていたからだ。
指示された仕事をこなすのは当然だが、その上で問題点を洗い出し、具体的な対策まで講じてあると言うのだから驚く他ない。
それも、この僅かな時間で資料まで添えて、文句の付け所がない報告を受けられるとは思っていなかったのだろう。
「それに比べて……」
「何よ? ちゃんと言われたとおりに、レポートにまとめてあげたのよ?」
「字が汚い。要点が纏められていないから読み難い。お前、こんなのでよく教師が務まったな」
「ぐっ……そう言われても、アタシは軍人じゃないし……」
「ギルドだって報告書くらいはだすだろ? さては、ガイウスに丸投げしてたな?」
さっと視線を逸らすサラを見て、図星だったかと呆れた様子で溜め息を吐くリィン。
そもそも軍人ではないと言うが、彼女は遊撃士となる前は〈北の猟兵〉の一員だったのだ。
北の猟兵は猟兵を名乗ってこそいるが、元々は軍を前身とする組織だ。
故に他の猟兵団と比べて規律が厳しく、隊員の教育もしっかりとしている。
サラも当然そうした教育を受けているはずなのだが、その成果がレポートからはまったく感じ取れなかった。
「まあ、内容が分かるだけ、シャーリィよりはマシか」
「あの子と比べられるのは、微妙に納得が行かないのだけど……」
シャーリィと比較されて、不満げな表情を見せるサラ。
とはいえ、シャーリィと比べれば、まだサラの方が遥かにマシというのはリィンの嘘偽りない本音だった。
以前シャーリィに報告書の提出を求めた時は、ほとんど白紙の中身のないレポートを一枚渡されたことがあったからだ。
だからと言って口頭で説明を求めても主観的な感想に基づいた内容ばかりで要領を得ず、ヴァルカンが音を上げた程だった。
故に戦闘以外の仕事は一切シャーリィには振られなくなったという経緯があった。
「とにかく支部新設の件は、マイルズが本部に確認を取ってくれるそうよ。恐らく承認は下りるだろうけど、こういう状況だから時間は掛かるって」
サラに頼んでいた仕事とは、ラクウェルにギルドの支部を開設する件についてだった。
アッシュたちが街道の魔物を討伐したり、教会から頼まれた薬草を採取していたみたいだが、結局は遊撃士の真似事でしかない。
そんな生活が、いつまでも続くとは限らない。アッシュが懸念していたのも、そこだろうとリィンは気付いていた。
だから考えたのだ。それならいっそのこと真似事でなくしてしまえばいいと――
「本当はトヴァルに頼むつもりだったのだけど、連絡がつかなくてね。無事だとは思うけど」
最初はトヴァルに連絡を取るつもりだったことを明かすサラ。
トヴァル・ランドナー。ギルドに所属するB級の遊撃士。
ランクこそサラよりも低いが情報の収集や分析能力に長け、ギルドからの信頼も厚い熟練の遊撃士だ。
「連絡がつかない? 一緒に動いていたんじゃないのか?」
「ええ、ここ半年ほどは密に連絡を取り合ってたんだけどね」
最後に連絡があったのはルーレでの一件が最後だと、サラは話す。
アルフィンから伝言を頼まれたトヴァルが、ラウラをフィーたちのもとへ救援に寄越したことはリィンも報告を受けている。
しかし、その一方でオリヴァルトからの手紙をヴィクターに手渡したのもトヴァルだと聞いていた。
(……偶然ってことはないだろうな)
トヴァルとオリヴァルトが通じているのは、状況から考えても明らかだ。
恐らく以前オリヴァルトが言っていた独自の情報網≠ニ言うのは、トヴァルのことのだろう。
だとすれば――
「サラ、マイルズとは連絡を取れるんだよな?」
「ええ、まだ何かあるの? 嫌な予感がするんだけど……」
「たいしたことじゃない。ちょっと情報を流して欲しいだけだ」
上手くすれば、それを逆手に取れるかもしれないとリィンは考え、サラに注文を付け加えるのだった。
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