「そろそろ作戦開始の時間か」
レミフェリアの公都アーデントに停泊中の飛行船の甲板から、街の景色を眺めながらそう呟くリィン。
通信が傍受される可能性を警戒して、リィンは念のためアリサたちとの連絡を絶っていた。
ユグドラシルの通信機能には、オリヴァルトから譲り受けた〈響きの貝殻〉と呼ばれるアーティファクトの機能が用いられているが、相手は魔女と共に騎神を開発した地精の技術者たちだ。
異世界の技術を用いているとはいえ、アリサにもアーティファクトの機能を再現≠キることが出来たのを考えると、同じようなことが〈黒の工房〉にも出来ないとは言い切れない。実際、ベルの持つ錬金術の知識は表≠フ科学者たちが持つ技術力を大きく超えているのだ。それだけで三高弟を始めとした表の技術者たちよりも優れていると言う話ではないのだが、本来なら誰も再現できないとされるアーティファクトの解析≠ェ可能だという事実は大きい。
だからこそ、教会も各国と協定まで交わして、積極的にアーティファクトを回収している実態がある。
危険なアーティファクトの管理を名目にしているが、トマスたち星杯騎士団の守護騎士が所有しているメルカバには遺跡より発掘されたアーティファクトの技術が用いられている。過去にリィンを襲撃した教会の暗部が用いていた〈隠者の腕輪〉もそうだ。回収したアーティファクトを利用している時点で、彼等の言葉には説得力がないとリィンは考えていた。
「そんなところに隠れてないで、出て来たらどうだ?」
そう言って振り向くことなく、物陰から様子を窺っていた人物に声を掛けるリィン。
物陰から様子を窺っていたラクシャは思わず、ハッと声を上げそうになりながら観念して姿を見せる。
「相変わらずの勘の鋭さですね。上手く気配を隠せていると思ったのですが……」
「俺に悟られたくないなら、せめてフィーくらいは上手くやるんだな」
「彼女やあなたのような人外と一緒にされても困るのですが……」
「そういうお前も既に達人の域に足を踏み込んでると思うがな」
さすがにオーレリアやヴィクターと比べると見劣りするが、ラクシャも相当に腕が立つ。
出会った頃はそれほどでもなかったが、やはりセイレン島での経験が彼女の秘めた力を開花させたのだろう。
実戦に勝る経験はないと言うが、ラクシャの場合はまさにそれだ。
アドルに付き合って島中の遺跡を探索し、古代種なんてものと戦いを繰り返していれば強くなるのも頷ける。
人間との戦いの経験が少ないのは気掛かりだが、それもラクシャならすぐに慣れる≠セろうとリィンは考えていた。
性格的に甘いように見えて、ラクシャは合理的な考え方も備えている。
実際、目の前で人を殺したリィンに対して最初は怒っていても自らを振り返り、最終的には自身の非を彼女は認めた。
キルゴールを生かしておけば、他の島民に危険が及ぶ可能性が残る。
いや、彼の性格から考えれば大人しく捕まっているフリをして、油断したところで裏切る可能性は高かっただろう。
リィンとて必要だから殺すのであって、別に人殺しを頼んでいる訳ではない。自身の非を認めたと言うことは、ラクシャにもそれが分かっているのだろう。
即ちそれは人の命を奪うことが正しいとは思っていなくとも、いざと言う時には決断≠ナきるだけの覚悟≠ニ意志≠ェ彼女にもあると言うことだ。
「お前がアドルと駆除していた古代種だが、大型のものなら高位の幻獣と寸分変わらない力があるからな?」
「幻獣ですか。今一つピンと来ないのですが、魔獣とは違うのですよね?」
「俺も専門家じゃないから詳しいことは分からないが、魔獣はマナの影響を受けて進化した動物なんかが主だが、幻獣はこの世界の生き物ですらない」
「異界の存在……と言うことですか?」
「ああ、俺たちとは異なる次元からやってきた生命体。悪魔や天使、それに聖獣なんかも分類上は同じ扱いになるな」
ラクシャの疑問に対して、ローゼリアが聞けば『一緒にするな!』と怒りだしそうな説明をするリィン。
ローゼリアは別だが、一番の違いは食事を必要とするかどうかだろう。
一般的に幻獣と言うのはマナ――霊力さえあれば、食事を取らなくても存在を保つことが出来る。
だが、物質的な存在である魔獣は食事を必要とする。魔獣に畑を荒らされて、ギルドに依頼がくるなんて話も良く聞くくらいだ。
「それはそうと、俺に何か話があったんじゃないのか?」
偶然居合わせたと言うよりは、ラクシャが何か用があって自分を捜していたことにリィンは気付いていた。
オルディスを出発してから余り顔を合わせる時間はなかったが、そろそろ尋ねて来る頃だろうと思っていたからだ。
ラクシャが自分を捜していた理由についても、大凡の察しがついているのだろう。
「アルフィンから頼まれました。ヴァレリー……いえ、大公女の護衛を引き受けて欲しいと」
そう尋ねてくるということは、リィンが裏で糸を引いているとラクシャは気付いているのだろう。
実際、ラクシャをヴァレリーの護衛に推したのはリィンだ。
アルフィンとエリゼにはレイフォンとノエルたち親衛隊が護衛についており、ミュゼにもクルトが護衛についている。
しかし、ヴァレリーの護衛はまだ決まっていなかったことから、リィンはラクシャを推薦したのだ。
「ヴァレリーの護衛が決まっていなかったと言うのもあるが、いざと言う時のことを考えるとノエルたちはともかくレイフォンやクルトでは少し頼りないからな」
「なるほど、そういうことですか。ですがそんなに心配なら、あなたがついていればいいのでは?」
「俺は悪い意味で注目を浴びているからな」
間違いなく警戒されているだろうとリィンはラクシャの疑問に答える。
実際、通商会議への参加が認められたのも、自身をオルディスから遠ざけるためだとリィンは帝国政府の思惑を読んでいた。
もっと厳密に言えば、ノーザンブリアとの戦争の前に不安材料を遠ざけておきたかったのだろう。
ラマール州の反発は抑え込んでおきたいところだが、そちらに大きな戦力を避けるほどの余裕は現在の帝国政府にはない。
しかし、先の内戦のこともある。ノーザンブリアへ戦力を集中させている隙に背後を突かれ、帝都を占領されるという事態は避けたいはずだ。
逆に言えば、リィンがいなければ帝都を守り切れる自身が彼等にはあるのだろう。
(シャーリィと〈緋の騎神〉がいれば、帝都くらい落とせそうだけどな。フィーやリーシャも力を付けてるし)
恐らくアルベリヒはリィン以外、眼中にすら入れていないのだろう。だからこそ、他への警戒が疎かになる。
同じことが帝国政府にも言える。暁の旅団が警戒されているのは、やはりリィンの存在があってこそだと考える政府関係者が多いと言うことだ。
だが、それは大きな間違いだとリィンは考えていた。
シャーリィの実力は〈鋼の聖女〉とはじめて戦った頃のリィンに迫ろうとしている。
フィーも新たな力を手に入れたことで、ゼノやレオニダスと言ったトップクラスの猟兵を凌駕する力を身に付けつつある。
オーレリアの実力は言うまでもなく、リーシャやスカーレット。それにヴァルカンも警戒に値すべき実力者だ。
単純に剣術の腕では圧倒的にオーレリアの方がリィンよりも上だし、伝説の凶手と呼ばれるだけあってリーシャの隠形術には目を瞠るものがある。
猟兵としての経験や用兵の上手さという部分では、ヴァルカンやスカーレットの方が自身よりも上だとリィンも認めているほどだった。
暁の旅団は決してリィンの一枚看板ではない。
そのことを証明するために、レンとキーアの救出作戦をアリサに任せたのだ。
黒の工房の拠点を押さえれば、暁の旅団の存在感を世界に示すことが出来る。
リィンの存在ありきの猟兵団だと、侮られることもなくなるだろう。
尚且つ〈暁の旅団〉に手をだせば、どうなるのかという見せしめにもなる。
「……また、妙な悪巧みをしてませんか?」
「さてな。だが上手く行けば、幾つかの懸念は解消されるはずだ」
「少し不安ですが、信じましょう。あなたが根は悪い人じゃないことは分かっていますから」
世間的に見れば猟兵は悪人に違いないが、リィンならそう悪い結果にはならないだろろとラクシャは納得する。
何か他に企みもあるのだろうが、リィンが自分で護衛をしないのはクルトとレイフォンの成長を期待しているからでもあると考えたからだ。
レイフォンに入団の条件をつけたのも、結局のところは彼女が団に入って本気でやっていけるのかを試したかったのだろう。
見習いとはいえ入団を認めたのは、レイフォンがその覚悟を示し、リィンが認めたということに他ならない。
そして、恐らく――
(逆に言えば、彼女たちのことを任せてもいいと思えるくらいには、信頼してくれていると言うことですよね?)
信頼されている一方で、試されているのは自分も同じだとラクシャは考える。
以前、リィンがラクシャを団に誘った時の言葉は嘘ではないだろう。
その上で、お前はどうするつもりなのだと――
そう、尋ねられているかのような錯覚をラクシャは覚えていた。
家族を嵌め、領地の経営権を奪ったガルマン貴族への恨みの気持ちは既にない。
まったく恨んでいないと言えば嘘になるが、復讐する気が無いのは本当のことだ。
確かにラクシャの兄は嵌められたが、領主としての才覚がなかったことは事実だ。
そして領民の信頼を失ったのは領主であるラクシャの父が、領地経営よりも自分のやりたいことを優先したからに他ならない。
領地を捨て、家族を捨てた父親に一言文句を言ってやろうと家を飛び出しはしたが、いまではその気持ちも少しずつではあるが薄れかけていた。
自分のやりたいことを諦めきれず、安定した生活を捨ててまで夢を叶えようとした父親の気持ちも少しだけ分かるような気がするからだ。
(私のやりたいこと……)
父親の影響を受けて始めた考古学の勉強。
父親を思い出すかのようで、一時は嫌悪していたが――
実際、アドルの探索に付き合って、島中の遺跡を巡る冒険に少なからず楽しさを覚えていたのだ。
そう言う意味ではどれだけ嫌っていても、やはり自分はあの父の娘なのだろうとラクシャは思う。
なら、いま自分が一番やりたいことは答えが決まっている。
「この件が片付いたら、私の話を聞いてもらえますか?」
「それは構わないが――」
ようやく覚悟を決めて話を切り出したところで、まだ他に何かあるのかと首を傾げるラクシャ。
「アルフィンたちのことを名前で呼ぶくらいに仲良くなったんだな」
「そ、それは……彼女たちが敬称などつけず、名前で呼んで欲しいと……」
「女学院の生徒からも姉様≠ニ呼ばれているらしいな」
「――どうして、そのことを!?」
女学院と言えば、アルフィンやエリゼも席を置く聖アストライア女学院が有名だが、オルディスにもラマール州を代表する大きな女学院がある。
そこに通う貴族の子女たちからラクシャは『姉様』と呼ばれて慕われていた。
アルフィンとラクシャを引き合わせるためにミュゼが計画した茶会に出席したところ、貴族の子女たちの注目を集めてしまったのだ。
頭に元が付くとは言え、高貴な家の生まれとあって教養があり、所作一つとってもラクシャの動きは洗練されている。
更に達人クラスのレイピアの腕を持ちながら、それを鼻にかけるようなところがない。
ましてやミュゼが招待した客だ。アルフィンも以前からラクシャには興味を抱いていたこともあって、そこが子女たちの目を引いたのだろう。
「大層な人気らしいじゃないか」
「他人事だと思って……」
覚悟を決めて素直になろうとしたところで冷や水を浴びせられ、呆れるラクシャ。
リィンのことは嫌いではないが、こういうところはラクシャの苦手とするところだった。
それに――
「歳の近い友人が出来て良かったな」
未知の世界に対する興味はあったが、心細さや不安は確かにあった。
だから大きな失敗をする前にこの世界のことを学ぼうと、知識を求めたのだ。
その焦りがリィンにも察せられていたのだろうと、ラクシャは気付く。
同じようなことはヴァレリーにも当て嵌まる。
ノーザンブリアから一度も離れたことがなく、外の世界を知らない彼女は内心では凄く不安を感じているはずだ。
ましてや、ヴァレリーは大公家の血縁者。故郷では『悪魔の一族』と呼ばれ、随分と酷い偏見の目にさらされてきたとの話だ。
「私を大公女の護衛に推薦したのは、そこまで計算してですか」
ヴァレリーの心情も察し、導き出した答えがラクシャを護衛につけると言うことだったのだろう。
勿論、リィンにも何かしらの思惑があるのだろうが、自然とこんな気遣いも出来るのだから狡い男だとラクシャは思う。
「……そういうところが、好きになれないんです」
そう言いつつも、仕方がないなと言った表情でラクシャはヴァレリーの護衛を引き受けるのであった。
◆
同じ頃、エリンの里では――
「救出作戦の突入メンバーって、これだけですか?」
広場に集められた救出作戦のメンバーを確認しながら、アリサに尋ねるユウナの姿があった。
これから〈黒の工房〉の本拠地に乗り込もうと言うのに〈暁の旅団〉のメンバーを除くと、ユウナとアッシュ以外の協力者はエステルとヨシュア。それにラウラ、ティオとティータの五人しかいない。外からサポートする手はずとなっているメンバーは他にもいるが、それでも敵の本拠地を攻めるには少ないと感じたのだろう。
「これだけって……これだけいたら帝都だって落とせると思うわよ」
「え、でもアイツ……クラウゼル団長は参加しないんですよね?」
慌てて呼び方を訂正するあたり、ユウナなりに空気を読んでいるのだろう。
リィンのことを『アイツ』と呼んだだけで怒るような団員は、この場に一人としていないが――
むしろリィンの正体を知っていて未だに突っ張れるユウナやアッシュの度胸を、フィーやシャーリィは感心して見守っているくらいだった。
とはいえ――
「やっぱり、そういう認識なのね」
ユウナの認識が間違っているとも言えない。実際、そう考えている人々は少なくないだろう。
それだけリィンが強すぎるというのもあるが、この場合は目立ち過ぎたというのが正しいだろう。
リィンの活躍ばかりが目立って、他の団員に人々の目が向かないのだ。
フィーやシャーリィが有名と言ったって、それはあくまで裏の世界での話だ。
リーシャに関しても基本的に正体を隠して仕事を行っていたので、彼女が〈銀〉であると知る者は少ない。
スカーレットやヴァルカンについても過去の行いから警戒はされているだろうが、脅威になるとまでは考えられていないのだろう。
「丁度良い機会だし、暁の旅団はリィンだけじゃないってところを見せてあげるわ。リィンもそれを望んでいるみたいだしね」
今回の作戦。出来る限り、暁の旅団のメンバーだけで成功させる必要があるということをアリサは理解していた。
公爵軍の力を借りてしまっては意味がない。同じことはオーレリアにも言える。
オーレリアが〈暁の旅団〉に入ったことは既に帝国中に知れ渡っているが、彼女が作戦に参加すれば当然の結果と人々は考えるだろう。
それだけ、この帝国においてオーレリア・ルグィンの力と名は広く知れ渡っていると言うことだ。
だからこそ、バラッド候もオーレリアを恐れ、遠ざけようとしたのだと考えられる。
「ハッ、大将がいなくてもやれるって言うんだ。お手並み拝見といこうぜ」
「言うね。リィンが気に掛けるのも分かるかな。うちのパパとか気に入りそうな子だし」
アッシュの挑発めいた言葉に、心の底から愉しげな反応を見せるシャーリィ。
完膚なきまでにリィンに叩きのめされ、フィーやラウラの戦いを目の当たりにしていながら、これだけの啖呵を切れるならたいしたものだ。
さすがに不良たちを率いていただけのことはある。もう少し鍛えれば、少しは物になるかも知れないと考えたのだろう。
「お嬢様、そろそろ時間です」
「ええ。あっちも準備が終わったみたいね」
霊力など感じ取れないアリサにも、シャロンの言うようにはっきりと場に力が満ちていくのが分かる。
魔女の里総出で用意していた転位の準備が整ったのだろう。
「あ、シャーリィ。もう一度、念を押しておくけど、やり過ぎないようにね。あとで調査するんだから壊しすぎるとベルが怒るわよ」
「アリサしつこい。でも、リィンも困るだろうし……気には留めとく。確約は出来ないけどね」
頼り無い返事に不安を感じながらも、仕方がないかと言った表情で一先ず納得するアリサ。
リィンが作戦に参加しない以上、シャーリィは作戦の要――切り札と言ってもいい。
シャーリィが本気で暴れるような事態に陥ることはないと思うが、アリサは少しも油断をするつもりはなかった。
仮に罠であった場合、アルベリヒはリィンが攻めて来ることも考慮に入れて、待ち受けている可能性が高いと考えられるからだ。
しかし――
(何が待ち受けていようと、私たちがやるべきことは変わらないわ)
これだけの戦力をリィンから託されたのだ。
その意味を考えながら、アリサは作戦を確実に成功させることに意識を向けるのだった。
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