「まあ、こんなもんだろ」

 レミフェリアの公都アーデントの公爵館に、いつもの装いと違い黒いタキシードに身を包んだリィンの姿があった。
 どうしてこんな格好をしているかと言うと、通商会議にクロスベル側のオブザーバーとして招かれたためだ。
 リィンは政府の人間と言う訳ではないが、いまや大陸中の国々からその動向を注目される〈暁の旅団〉の団長だ。
 しかも〈暁の旅団〉はクロスベルの防衛上、重要な役割を担っている。
 クロスベルが帝国に併合されながらも独立性を保てているのは帝国政府がアルフィンに配慮していると言うのもあるが、暁の旅団の存在が理由として大きいだろう。
 だからこそ、クロスベル側のオブザーバーとして声が掛かることは別におかしなことはない。
 ないのだが――

「で? 俺を会議の場に招くように提案したのはアルフィンとエリィじゃないんだよな?」
「……はい。帝国、共和国からの提案です」

 リィンの疑問に対して、複雑な心境を覗かせながら答えるノエル。
 まさか帝国や共和国の方からリィンの参加を要請してくるとは、彼女も考えていなかったのだろう。
 共和国はヴァリマールとテスタロッサに自慢の空挺部隊を壊滅され、クロスベルへの侵攻を阻止された過去がある。
 帝国に至っては英雄と讃えられる一方で権威に媚びず、法で縛ることの出来ないリィンのことを恐れている権力者たちも少なくないのだ。
 だと言うのにリィンを会議の席に招いたと言うことは、何かしらの思惑があってのことだと推察できる。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか。なかなか面白い展開になってきたな」
「正直、不安しかありませんが……お願いしますから暴れないでくださいね」
「そこは相手次第だが、こちらから仕掛けたりはしないさ」

 状況次第では帝国や共和国に喧嘩を売ることも躊躇わないとも取れるリィンの発言に、疲れきった表情でノエルは溜め息を漏らす。
 リィンならそう答えるであろうことを注意する前から予想していたからだ。
 とはいえ、リィンが本気で暴れたら自分たちでは止めることなど出来ないと言うことも彼女は理解していた。
 だからこそ出来ることなら、そうした事態には陥って欲しくないと考えているのだろう。

「まあ、心配しなくても問答無用で襲われたりはしないだろう。正直、リスクの方が大きすぎる」

 少なくとも身の危険はないはずだとリィンは考えていた。
 この通商会議に出席するのは帝国や共和国だけではないのだ。
 リィンを敵に回せば自分たちの身を危険に晒すだけでなく、会議に出席する各国の重鎮たちの安全を脅かすことにもなる。
 そんなバカな真似を帝国や共和国の代表たちがするとは思えない。別に狙いがあると考える方が自然だろう。

「俺を態々呼んだと言うことは、会議の席を利用して無理難題を振ってくる可能性はあるけどな」
「どちらにせよ、平穏無事に終わりそうにありませんね……」

 何事もなく終わって欲しいがリィンの話からも無理そうだと理解すると、ノエルは肩を落としながらも腹を括るのであった。


  ◆


「リィン団長のタキシード姿というのも新鮮ですね」
「そう言いながらサイズが寸分違わずピッタリなところを見るに、用意させたのはお前だろ」
「フフッ、バレましたか。でも、とてもお似合いですよ」

 控え室に用意されていたタキシードを見て、リィンは最初からミュゼの用意したものだとあたりを付けていた。
 大方このような展開になることを予想して、リィンの礼装を事前に準備していたのだろう。
 高い洞察力と観察眼から導き出される未来予測。そんな真似が出来るのはミュゼしかいないからだ。
 しかし、どれだけ的中率が高くともミュゼのは予知ではなく予測でしかない。
 何かしらの情報を掴んでいなければ、この事態を予想できなかったはずだ。

「で? 何を知ってるんだ?」
「……やはり、そこに気付きますか」
「気付かせるように仕向けたんだろ?」

 そこまで見抜かれているとは思っていなかったのか?
 リィンの口から返ってきた言葉に目を瞠るミュゼ。

「本当に怖い人ですね。私よりも正確に未来が見えているのでは?」
「俺のはただの勘だ」
「そうでしょうか? まるで先のことが分かっているかのように内戦時も動いていた節が見受けられましたが……」

 原作知識のことはミュゼに話していない。そのことを知っているのは、一部の限られた人間だけだ。
 しかし月霊窟で、ミュゼも水鏡が見せた記憶の断片を目にしている。
 そこから、ある程度はリィンの秘密に察しがついているのだろう。

「俺からすれば、お前の洞察力の方が恐ろしいよ。少なくとも敵には回したくないな」
「そう思って頂けるのでしたら幸いです。私もリィン団長を敵に回すことだけは絶対に避けたいですから……」
「なら、余計なお節介は程々にするんだな」
「……本当に怖い人ですね」

 ノエルを迎えに寄越すように手配したのはミュゼであることにリィンは気付いていた。
 多少は改善されてきたとはいえ、特務支援課との間にある蟠りが完全に解消された訳ではない。
 あの時はあれが最善ではあったとはいえ、クロスベルが帝国に併合されたことに納得していない市民も多くいるのだ。
 アルフィンの親衛隊にノエルが参加することを決めたのは、あの時の判断が正しかったのかを見定めたいと言うことでもあるのだろう。
 そう言う意味で考えるなら、この状況を作り出したのはリィンと言えなくもない。エリィを唆し、大国の後ろ盾を得るように勧めたのはリィンだからだ。

 実際、アルベリヒが帝都で暗躍などしなければ、上手く行っていた可能性は高い。最低でもアルフィンが総督である間は時間を稼ぐことが出来ただろう。
 その間にクロスベルの強化を図り、周囲の干渉をはね除けるだけの力を付けることが出来れば、本当の意味での独立も夢ではなかっただろう。
 しかし、それもたられば≠フ話でしかない。いまクロスベルが置かれている立場は非常に難しいものとなってしまっている。
 特区として自治権を認められているとはいえ、クロスベルが帝国に所属していることは紛れもない事実だ。
 仮に帝国政府に参戦を求められれば、クロスベルは協力をせざるを得ない。断れば、叛意の疑いありと容疑をかけられるだろう。
 エリィやアルフィンが今は上手く帝国政府の要請をかわしているみたいだが、それも結局のところ時間稼ぎにしかなっていないのが現実だ。
 ノーザンブリアの味方をするような真似をすれば、帝国政府はクロスベルを正式に獅子身中の虫≠ニ認定する可能性が高い。
 ノエルはそのことを心配しているのだろう。リィンに暴れないようにと釘を刺したのも、最悪の事態を危惧してのことだと想像できる。
 しかし――

「ノエルには悪いが、ここで弱腰な姿勢を見せれば元の木阿弥だ。仮に帝国の後ろ盾を失うことになってもな」
「帝国政府が通商会議への参加要請に応じたのは、クロスベルをふるいにかけるつもりだからでしょうしね」
「それは、お前にも言えることだろ? 念のためオーレリアを残してきたが、この会議の結果次第では連中、ラマール州にも攻め込んでくるぞ?」
「それだけの戦力が今の帝国軍にあるとは思えませんが……」
「帝国軍だけならな」

 帝国軍の総数は八十万ほど。帝都や国境線の防衛なども考慮にいれると、動かせるのはその六割。五十万程度が限界だろう。
 その戦力をクロスベル、ラマール州、ノーザンブリアの三方面に分けるのは悪手でしかない。
 ノーザンブリアであれば十数万の兵力でも落とせるかもしれないが、ラマール州は先の内戦で力を落としているとはいえ、帝国最大の貴族――カイエン公爵家が治める地だ。
 皇家に次ぐ資産を持ち、独自に保有する戦力も他の州と比較して遥かに充実している。
 そこに加えて現在、アルフィンを御旗とすることで中立派の貴族を取り込むことに成功し、三割ほどの貴族がミュゼのもとには集結している。
 総戦力は二十万近くに達するだろう。しかも、それだけの兵力をオーレリアとウォレスの二人が率いているのだ。同数をぶつけたところで勝算は低い。
 本気でラマール州を落とすつもりなら、その倍の戦力。いや、確実に勝利を得ようとすれば、帝国軍の総戦力を動かさなければ難しいだろう。
 クロスベルに対しても同じことは言える。リィン率いる〈暁の旅団〉の戦力は、最低でも大国の一軍に匹敵すると試算されているのだ。
 実際、共和国の侵攻を二体の騎神で食い止めた実績があるだけに、帝国政府としても警戒せざるを得ないのだろう。
 ましてや、過去に帝国は独立を宣言したクロスベルへ侵攻しようとして大きな痛手を被ったことがある。
 あの時のクロスベルと単純に比較できるものではないが、実際にはディーター元大統領が治めていた頃よりも戦力は充実していると言えるだろう。
 だが――

「帝国軍だけで難しいなら領邦軍を動かせばいいだけの話だ」
「アルバレア公爵家はともかくログナー侯やハイアームズ侯が、政府の要請に応じるとは思えませんが……」
「確かに政府の要請には応じないだろうが、皇帝の言葉なら別だろう?」
「……勅命ですか」

 帝国の貴族である以上、皇帝の勅命に逆らうことは難しい。
 そしてログナー侯とハイアームズ侯は、皇帝からの信頼も厚い忠臣として知られている。
 あの二人であれば、皇帝からの勅命に逆らうようなことは決してしないだろう。
 いや、貴族としての責務を誰よりも重んじているからこそ、従わざるを得ないと言った方が正しい。

「お前もその可能性を予想していたからこそアルフィンを味方につけ、アンゼリカにも協力を要請したんだろ?」
「はあ……それも勘≠ナすか?」
「どちらかと言えば、経験則だな」

 リィンの持つ原作知識は内戦の終了までで、その先のことまでは分からない。
 しかし、そこにこの世界で培ってきた経験や知識を合わせれば、ある程度の予想を付けることは出来る。

「バラッド候はラマール州へ攻め込んでくると思うか?」
「はい。大叔父様の性格からして、次期カイエン公になることを諦めたとは思えませんから。それに……」
「貴族の問題は、貴族の手でケリを付けるか」

 ノーザンブリアへの侵攻に否定的なログナー侯やハイアームズ侯でも、そう諭されれば首を横に振ることは難しいだろう。
 先の内戦での負い目が両家にはあるからだ。
 あの時と状況は違うとはいえ、強引な方法でオルディスを占拠し、カイエン公として名乗り上げて兵力を集めるなど――
 ミュゼのやろうとしていることも先代のカイエン公と然程の違いはない。
 とはいえ、ミュゼは公爵家として政府の要請をはぐらかしているが、表立って皇家に対して叛意を示した訳ではない。
 政府が表立って介入してこないのは、現段階ではただの後継者問題でしかないからだ。
 貴族間の問題は貴族で解決するというのが、暗黙の了解としてあるのだろう。

「だが、ログナー候とは中立を約束してるんだろ?」
「はい。公爵家の後継者問題に積極的に介入してくることはないと思います。勅命である以上、兵をださないと言う訳にはいかないでしょうが……」
「指揮を執るのがログナー候でないなら、オルディスが落とされることはないな」
「……それでも、たくさんの人が死にます」
「戦争だからな」

 誰一人、犠牲をださずに終わらせることなど出来ないと言うことは、ミュゼも理解しているのだろう。
 とはいえ、覚悟を決めているとは言っても、ミュゼはまだ十六の少女だ。
 自分の考えた計画がたくさんの人たちの命を危険に晒し、奪うことになる。
 気丈に振る舞って見せてはいるが、その重みに耐えられるほど彼女は非情に徹することが出来ないのだろう。
 そういうところはアルフィンとよく似ていると、ミュゼを見ていてリィンは思う。

「気に病むなとは言わない。だが、人前では堂々としていろ」
「……普通、そこは優しく慰めるところではないのですか?」
猟兵(オレ)にそんなことを期待するな」

 戦争を生業とする猟兵にとって、この程度のことは何度も経験してきたことだ。
 何も思うところがないと言えば嘘になるが、既にリィンにとっては幼い頃から慣れ親しんだ日常≠フ光景に過ぎない。
 それだけに誰よりもよく分かっているのだろう。結局は自分で乗り越えるしかない問題だと――

「とはいえ、お前だけが罪悪感を覚える必要なんてない。実際に手を下すのは猟兵(オレたち)≠セからな」
「……まったくフォローになっていない気もしますが、少しだけ姫様たちの気持ちが分かった気がします」

 リィンなりに気を遣ってくれているのだろうとは思うが、微妙にフォローになっているのか分からない言葉にミュゼは苦笑を漏らすのだった。


  ◆


「ノエルだけ先に戻らせて、二人で何をしていたのですか?」
「フフッ、気になりますか? ですが姫様の質問でも、こればかりは……」

 ジト目で詰問してくるアルフィンに対して、頬を紅く染めながら答えをはぐらかすミュゼ。
 その反応だけでも、まともに答える気がないのだと察して、アルフィンは深い溜め息を漏らす。

「兄様?」
「誤解だからな。ただ世間話≠していただけだ」
「あれだけ濃厚な時間を一緒に過ごしておきながら、ただの世間話≠セなんて……」
「お前は少し黙ってろ」

 エリゼとの間に割って入り、またもや誤解を招くような発言を繰り返すミュゼを睨み付けるリィン。
 それでも――

(多少は持ち直しみたいだな)

 先程までと比べれば変な気負いも消え、少しはマシになったかとリィンはミュゼの反応を見る。
 厳しいようだが、彼女自身が選んだ道だ。今更、後戻りをすることなど出来ない。
 なら、強くなるしかない。ミュゼ自身が成長するしかないとリィンは考えていた。

「しかし、ヴァレリーもよく似合ってるじゃないか。正直、見違えたな」
「……からかわないでください」

 リィンにドレス姿を褒められると思っていなかったのか、頬を紅く染めて顔をそらすヴァレリー。
 今日のためにミュゼの用意したものだろうが、青を基調としたドレスはヴァレリーの白い肌と銀色の髪によく似合っていた。
 アルフィンやミュゼと並んで立っても、決して見劣りしない。
 これなら各国の代表が集まる席でも、浮くことはないだろうとリィンは思う。

「ヴァレリーだけですか? ちゃんと、わたくしたちのことも見てください」
「ああ、アルフィンやエリゼもよく似合ってるよ」
「なんだか、ついでのように聞こえますが……」
「二人のドレス姿は見慣れているからな。そんな風に聞こえるのは仕方ないと思うが、似合っているというのは本心だ」
「……兄様」

 あっさりとアルフィンとエリゼを宥めるリィンの手腕に、少し離れた場所から見守っていたレイフォンは感心した様子でクルトに話を振る。

「さすがはリィンさん。女性の扱いに手慣れてるわね。クルト坊ちゃんも少し見習った方がいいんじゃない?」
「坊ちゃんはやめてくれと……しかし、あれを真似するのはちょっと……」
「ただでさえ、女の子に大人気なのに大変なことになりそうね」
「他人事だと思って……」

 昔から女性の扱いに苦労していることを知っていながら無茶ぶりをしてくるレイフォンに、クルトは呆れる。
 リィンのように上手くやれたらと思う気もするが、あれを真似られるとは思えないし、真似たいとも思えない。
 複数の女性と上手くやれる自信など、クルトにはないからだ。
 そう言う意味で、男としてリィンには尊敬すら覚えているほどだった。
 そして――

「あなた、いつか刺されますよ?」
「よく言われるが、嘘は何一つ言っていないからな」
「そう言うところを少し改めなさいと注意してるのですが……無駄みたいですね」

 リィンなら実際に刺されたところで死にはしないだろうと、ラクシャは観念した様子で諦めるのだった。



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