そっと瞼を開け、飛び込んできた光景に目を瞠るクローゼ。
先程まで通商会議が開かれていた会場の壁や天井は吹き飛び、部屋には白い煙が充満していた。
床にも巨大な穴が空き、一階まで続く大きな吹き抜けが出来てしまっている。
しかし、彼女が驚いたのはそこではない。
建物はこれだけの被害を受けていながら、自分の身には怪我どころか土埃一つ付いていなかったからだ。
「……これは?」
ふと、目の前に見えない壁のようなものがあることに気付くクローゼ。
そして周囲を見渡し、他の皆の周りにも四角く切り抜かれたような結界が張られていることに気付く。
「お怪我はありませんか?」
「あなたは確か以前カレイジャスに乗っていた。七耀教会の……」
「ロジーヌと言います。疑問はあるかと思いますが、いまは避難を優先してください。ライサンダー卿の結界で支えていますが、ここもいつ崩れておかしくはありませんので」
隣からかけられた声にクローゼが振り向くと、そこには修道服を着たロジーヌの姿があった。
七耀教会の人間だと分かって、この結界は彼女の仲間が張ったものだと認識するクローゼ。
これだけの結界を張れる人物となると限られる。
それにロジーヌが口にしたライサンダー卿と言う名前から、クローゼの頭に一つの可能性が浮かぶ。
(星杯騎士団の守護騎士……)
聖痕の力を持つ守護騎士であれば、このような結界を張れても不思議ではない。そう考えたのだろう。
実際、クローゼは以前とある事件で星杯騎士団に所属する守護騎士と従騎士に出会っていた。
その時の経験や状況から察するに、ロジーヌも恐らくは守護騎士に仕える従騎士なのだと察しが付く。
以前リベールを訪れた際には詳しく話を聞くことは出来なかったが、大凡の事情を察するクローゼ。
恐らく彼女は教会がリィンにつけた監視役なのだろうと――
「どうかされましたか?」
「いえ、状況は理解しました。ですが避難の誘導くらいは手伝わせてください」
避難を促したところで逆に手伝いを申し入れられて、目を丸くして驚くロジーヌ。
本当なら自分の身を優先して、さっさと避難をして欲しいというのがロジーヌの本音ではあるが――
(そういうことですか)
クローゼの考えに気付き、納得した様子で笑みを浮かべる。
自分たちの正体や、この件にリィンが関与していることを察したのだと思ったからだ。
とはいえ、館内は混乱していてレミフェリアの兵士たちも外≠フ対処で精一杯の状況。
人手が足りてないのは事実だけにクローゼの申し出は、ロジーヌにとっても悪い話ではなかった。
「……はい。よろしくお願いします」
問答をしている時間も惜しいことから、ロジーヌはクローゼの提案を受ける。
それに、この混乱も長くは続かないという確信があったからだ。
崩れ落ちた天井から見える空を見上げながら、むしろ心配なのは――
(このままここにいたら戦闘の余波に巻き込まれそうですしね)
この場にいる自分たちの方だと考えるのだった。
◆
「どうやら〈匣使い〉の異名は伊達じゃないみたいだな」
「ちょっと複雑ではありますが、いまは素直に受け取っておきましょう」
以前リィンにあっさりと結界を破られたことを、まだ少し根に持っているのだろう。
微妙に不満そうな表情を浮かべるトマスに苦笑しながら、リィンは半壊した建物の上から地上に横たわる敵を見下ろす。
――リヴァイアサン。黒のアルベリヒが魔煌機兵の最終進化形態と呼んだ機体だ。
「倒したのですか?」
リィンの一撃はリヴァイアサンの装甲を捉えた。
全力とまではいかずとも、鬼の力を解放して放った一撃だ。その一撃は鋼鉄すら両断する。
実際、衝撃の余波でリヴァイアサンの巨体はバランスを崩し、地上へと落下を余儀なくされた。
ドラッケンなど並の機甲兵であれば、その一撃で行動不能に陥っていただろう。
しかし、
「いや、ダメージはほとんど受けてないみたいだな」
ゆっくりとした動きで立ち上がるリヴァイアサンを眺めながら、リィンはトマスの疑問に答える。
手応えはあった。しかし見えない壁のようなものに阻まれて、本体に攻撃は届いていなかった。
恐らくは――
「リアクティブアーマーですか」
戦車の砲弾ですら防げるという物理障壁。指揮官などが乗る一部の機甲兵に実装されている装備だ。
恐らくはそれと同様のものが地精の開発した魔煌機兵にも搭載されているのだろうとトマスは推察する。
「それだけじゃないみたいだがな」
「あれは、まさか……耐呪装甲?」
リヴァイアサンの装甲に薄らと浮かぶ赤い紋様。
それが霊力や魔力を帯びた攻撃に特化した耐呪装甲だと当たりを付けるリィンとトマス。
実のところ騎神の装甲も高い耐呪性能を備えていた。
ただ、ゼムリアストーンなど霊力と親和性の高い素材が必要なため、機甲兵への搭載は技術的・コスト的にも難しいと考えられていたのだ。
それに戦車や機甲兵を一撃で破壊できるほどのアーツを行使できる者は限られている。
兵器と兵器。人間同士の戦争に用いるのであれば、不要な装備と言えるだろう。
なのに、そんなものをコスト度外視でリヴァイアサンに搭載してきたと言うことは――
「随分と警戒されているみたいですね」
明らかにリィンを想定した兵器だと察することが出来る。
二人は知らないことだが、実際このリヴァイアサンは本来歴史に登場するものよりも強力な改造が施されていた。
その分、数は用意できなかったみたいだが、リィンへの対抗策の一つとして開発を優先したのだろう。
「警戒? ああ、なるほど……」
しかし、リィンの反応は違っていた。
トマスが何を考えているのかを察した上で、アルベリヒの勘違い≠ノ気付いたからだ。
確かに以前のリィンなら苦戦を強いられた相手だったかもしれない。
鬼の力が通じない以上、残された手は〈王者の法〉を使うしかないが――
あの技は何度も連続して使えるようなものではなく、身体への反動も大きいからだ。
なら、アルベリヒのことだ。力を温存するためにヴァリマールを召喚するはずだと考えたのだろう。
(態々、相手の思惑に乗ってやる意味はないな)
だが、この程度の相手に騎神は必要ないとリィンは考える。
「離れてろ。巻き込まれて灰≠ノなりたくなかったらな」
黒と白の相反する光が螺旋を描き、リィンの身体を包み込んだかと思うと、黄金の炎が立ち上る。
ベルが新たに『精霊化』と名付けた異能。
これまで〈王者の法〉を発動するのに必要としていた触媒も、現在のリィンは必要としない。
そして――
「自慢の耐呪装甲も、この力の前には無意味≠セ」
黄金の剣より放たれた断罪の炎がリヴァイアサンを呑み込み、塵一つ残さずこの世から消滅させるのだった。
◆
「ここで一体なにが……」
「黒のアルベリヒを名乗る人物から襲撃を受けました。ノエル、親衛隊の皆さんと連絡は取れますか?」
「あ、はい。そのことなのですが――」
部屋の半ばから崩れ落ちた会議室を呆然と眺めていたところでアルフィンに声をかけられ、慌てて質問に答えるノエル。
ノエルの話によると街に結社の人形兵器と思しきものが現れ、この公爵館も攻撃を受けているとの話だった。
その対応で席を外していると巨大な爆発音を聞きつけ、慌てて会議室に駆けつけたのだと説明する。
「申し訳ありません。総督の身を危険に晒してしまい……」
「リィンさんが一緒でしたから、その辺りは何も心配ありません。あなたもそう思って、外の対処を優先したのでしょう?」
「……彼の実力は認めていますから」
ノエルらしい回答にアルフィンは苦笑する。
いろいろと納得していないところはあるのだろうが、実力を認めているというのは本当のことだろう。
認めているからこそ、いまのクロスベルには彼等が必要だということも理解している。
それが自分たちの力の無さを物語っているようで、複雑な心境もあるのだろう。
「まあ、私たちを爆発から守ってくださったのは別の方のようですが」
「え?」
「はあ……この子ったら、また……」
事実ではあるが、敢えて微妙な言い方でノエルの反応を窺うミュゼにアルフィンは呆れる。
リィンのことだ。最初からトマスが隠れていることに気付いていたか、事前に協力を取り付けていたのだろうとアルフィンは察していた。
でなければ、エリィがこの場にいるのに見捨てるような真似をリィンがするとは思えないからだ。
「冗談です。いまの話は忘れてください。とはいえ、人形兵器ですか……やはり地精は結社と繋がっていたと考えるべきでしょうか?」
「まだ、なんとも言えません。黒の工房は十三工房に所属していたとの話ですから、人形兵器を量産する技術を持っていてもおかしくはありませんから」
ミュゼの口にした疑問に対して、エリィは自身の考えを告げる。
確かにアガートラムやクラウ=ソラスのことを考えれば、黒の工房にも人形兵器の量産は可能だろう。
人形兵器が襲撃に使われたからと言って、それだけで結社が地精と繋がっているとは断言できない。
それにエリィがそう考えるのは、リィンから結社との間には相互不干渉を結んでいるとの話を聞いているからだ。
「エリィさんがそう仰るのでしたら、少なくとも結社の総意ではなさそうですね」
結社との間で結ばれた密約のことは知らないはずだが、何かに気付いている様子を見せるミュゼ。
実際、彼女のことだ。薄々とではあるが、リィンがどの勢力と繋がっているかは気付いているのだろう。
その上でリィンを利用しようと言うのだから、彼女もなかなかに強かな人物だとエリィはミュゼを評価する。
「レイフォンさん、ノエルと一緒に外の応援に行って貰えますか?」
「構いませんけど、姫様の護衛はいいんですか?」
「ラクシャさんがいらっしゃいますし、他の護衛の方々も一緒ですから。それにリィンさんに良いところを見せるチャンスでは?」
「うーん……まあ、そういうことなら」
最初は渋った様子を見せるも、リィンに力を示すチャンスだと言われると考える素振りを見せ――
チラリとラクシャの方を見て、アルフィンの提案を了承するレイフォン。
「そういうことなら、クルトさんもお願い出来ますか?」
「ミルディーヌ様!? ですが自分には――」
「傍に控えるだけが護衛の仕事ではありませんよ? 例えば、あなたのお兄様――ミュラー中佐のように」
兄のことを引き合いにだされ、表情が変わるクルト。
兄のミュラーはクルトにとって憧れの存在で、理想とする剣士の一人と言っていい。
オリヴァルトとミュラーの関係に憧れ、あんな風になりたい。そう思って、これまで剣の腕を磨き続けてきたのだ。
それだけに、ミュゼの言うことにも一理あると考えたのだろう。
「ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンの名において命じます。我が騎士クルト、ヴァンダールの剣士の力を存分に示しなさい」
「イエス・ユア・ハイネス!」
深々と臣下の礼を取り、クルトはレイフォンやノエルと共に戦場へ向かって走り去る。
その後ろ姿を、にこにこと晴れやかな笑顔で見送るミュゼを見て――
「乗せるのが上手いというか……お兄さん同様、これからクルトさんも苦労しそうですわね」
「姫様も人のことは言えませんけどね」
やれやれと言った様子で溜め息を吐くアルフィンに、エリゼの鋭い突っ込みが入るのであった。
◆
「何を驚いてるんだ? 俺に障壁≠竍結界≠フ類は無意味なことは、お前も知ってるはずだろ」
「いえ、それはそうなのですが……」
余りの破壊力に呆然とするトマス。
熱で溶かされたと言うよりは炎に触れたものが存在そのものを焼かれ、消滅したかのように見えたからだ。
その認識は間違っているとは言えない。炎に触れたものを分解し、灰へとかえす。
防御不可能な一撃。それがリィンのレーヴァティンの力だからだ。
それに――
「……身体はなんともないのですか?」
「まったくな。なんなら試してみるか?」
余裕のあるリィンを見て、自分たちの認識が大きく誤っていたことに気付くトマス。
リィンは確かに強い。しかし、強大な力にはデメリットがあるものだ。
そのため先の内戦で得た情報からリィンの異能は身体への負担が大きく、連続して使えるものではないとトマスは判断していた。
だから仮にリィンと敵対することになっても、犠牲を考慮に入れなければ対処することは可能だと考えていたのだ。
だが、反動をものともしないほどにリィンが力を使いこなしているのだとすれば、その前提が覆ることになる。
「……いえ、結構です。ですが、今頃になってどうして?」
力を隠しておくことも出来たはずだ。
ヴァリマールを召喚すれば、奥の手を使わずともリィンならリヴァイアサンを倒すことが出来ただろう。
だが、そうしなかったと言うことは、敢えて勘違いを正そうとしたと言うことになる。
力を誇示すれば、更に警戒を強めることになるとリィンが理解していないと思えない。
だとすれば、何か他に狙いがあるはずだとトマスは考えたのだろう。
「猟兵は舐められたら終わりだからな。鬱陶しいハエは寄せ付けないに限るだろ?」
僧兵庁のことを言っているのだと、トマスはリィンの考えを察する。
しかし、嘘は言っていないのだろうが本心も語っていないと判断した。
確かにリィンはあのギリアス・オズボーンの血を継いではいるが、彼ほどの野心家ではない。
無為に世界を混乱に陥れるうような真似をするとは思えなかったからだ。
「まあ、いいでしょう。騎士団の方針は変わりません。あなた方と対立する気はありませんから」
「そう祈ってるよ。俺も金にならないことは出来るだけしたくしな」
◆
『実力を見誤ったか……過小評価が過ぎたようだ』
こうも容易く自慢の兵器が倒されるとは思ってもいなかったのだろう。
灰の騎神の力を再確認するつもりだっただけに、これはアルベリヒにとって大きな誤算だった。
それに出来ることなら会場にいる者には全員、死んでいてもらいたかったのだろう。
リィンを殺せるとは思っていなくとも、それ以外の者が死ねば、アルベリヒにとっては都合が良かったからだ。
『まあ、いい。リィン・クラウゼルの力は確認できた。それに既に計画は動き始めている』
誰にも計画を止めることなど出来ないと自信に満ちた声で呟き、アルベリヒは傀儡と共に公都から姿を消すのだった。
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