「ノーザンブリアだけでなくクロスベルにも同時に侵攻するなんて……」
ブリッジのモニターに映し出された帝国軍の動きを確認しながら、苦悶の表情を浮かべるアルフィン。
リィンとヴァリマールであれば、帝国軍の侵攻を食い止めることは可能だろう。
だが、リィンは一人しかいない。同時に二つの都市を守りきることなど不可能。
だからと言って、どちらか一方を見捨てると言った真似は出来ない。
アルフィンが悩むのも無理はなかった。
その上――
「やはり、そうなりましたか」
「……ミュゼ?」
「ラクウェルの渓谷方面にアルバレア公爵家、ログナー侯爵家、ハイアームズ侯爵家の三家による領邦軍の混成部隊が確認されたそうです。恐らく彼等の狙いは――」
オーレリアから〈ARCUSU〉に送られてきたメールの内容をアルフィンに聞かせるミュゼ。
州境に三家の部隊が展開していると言うことは、彼等の狙いはオルディスと見て間違いないだろう。
しかし、
「アルバレア公爵家はともかく、ログナー候やハイアームズ侯がどうして……」
「政府からの要請だけであれば、はぐらかすことも出来たのでしょうが……」
「勅令、ですか」
「はい。皇帝からの要請であれば無視は出来ませんから。それに恐らくは踏み絵≠フ意味もあるのかと」
ログナー候やハイアームズ候を始めとした大貴族には貴族連合に加担し、内戦を引き起こした過去がある。
だからこそ幾ら中立を表明していても、皇帝の命令には逆らいづらい立場があるのだろう。
それにミュゼは表立って皇家への叛意を示してはいないが、ラマール州のことは公爵家の後継者問題であると言って政府の介入を拒んでいる。バラッド候をカイエン公に据え、傀儡とするつもりだった帝国政府の思惑から大きく外れた行動と言って良い。来るべき戦いに備え、貴族派・革新派の枠組みを超えて帝国軍と領邦軍の戦力を一つに纏めようとしている帝国政府にとって邪魔な存在だ。
力尽くで排除に動いても、なんら不思議な話ではない。
恐らくバラッド候を次期カイエン公に推す者たちの計画なのだろうと推察が出来る。
「オーレリアが守りを固めてるんだから何も問題ないだろ。それに保険≠燉p意しておいたしな」
リィンの言う保険と言うのがなんのことかは分からないが、確かに簡単にオルディスが落とされるようなことはないだろうとアルフィンも納得する。オーレリアは一騎当千の猛者ではあるが、彼女が優れているのは個の力だけではない。彼女が貴族連合の英雄ともてはやされるのは、用兵の巧みさも評価を受けてのことだった。
その上、英雄の片腕と称された猛将、ウォレス・バルディアスも海上要塞には控えているのだ。
この二人が指揮を執るのであれば、数倍の戦力が相手であっても簡単に落とされるようなことはないだろう。
「となると、やはり問題はノーザンブリアとクロスベルの方ですわね」
「クロスベルに関しても問題はない。仮に帝国軍の全戦力を投じたとしても占領することは不可能だ」
「リィン、もしかしてそれって……」
エリィが何かに気付いた様子を見せる。
リィンが自信たっぷりに話す根拠に心当たりがあったからだ。
「ああ、ベルとイオ。それにノルンも協力してくれているからな。いざとなったらスカーレットたちもいるし、セイレン島から応援が直ぐ様かけつける手はずは整っている。むしろ――」
心配すべきは帝国軍の方だろうとリィンは答える。
正直、ベルとイオがやり過ぎないかの方が心配だとリィンは考えていた。
少なくともベルの方は侵略者に対して手心を加えるような性格はしていない。
神機によって消滅させられた嘗てのガレリア要塞のように――
いや、あれ以上の惨劇をもたらす可能性がゼロとは言えなかった。
「……セイレン島ですか? もしかして、それが以前言ってた候補地≠ナすか?」
「ああ、この件が片付いたら招待してやるよ。黒の工房の一件が片付けば、こそこそする必要もなくなるだろうしな」
リィンの回答に腑に落ちないものを感じながらも、楽しみにしています、とミュゼは答える。
セイレン島と言う名前は聞いたことがないが、どこかの無人島という可能性もある。
それに、ありえないと思いつつも一つの可能性がミュゼのなかには浮かび上がっていた。
(エリンの里は実際には森の中ではなく次元を隔てた異界に存在すると言う話ですし……)
魔女の里と同じように、この世界とは異なる次元。
異界と呼ばれる場所に、街を造るつもりなのではないかと考えたのだ。
それならば、聞いたこともない地名についても頷ける。
「それでは、ノーザンブリアの援護を優先すると?」
「ああ、いまの俺とヴァリマールなら師団クラスが相手でも壊滅させるのは難しくないしな」
「出来ることなら壊滅は回避して欲しいのですが……」
リィンなら確かに難しくはないだろうと思う一方で、出来ることなら被害は最小限に抑えて欲しいと訴えるアルフィン。
帝国軍が戦力を落とせば、共和国との間にある軍事バランスが大きく崩れることになる。
多少は仕方がないと思う側面もあるが、それでも帝国の皇女として他国に蹂躙される祖国を見たくはないのだろう。
それで真っ先に被害を受けることになるのは、無力な一般人だと分かっているからだ。
「心配するなとは言わないが、どさくさに紛れて共和国軍が帝国の領土まで侵攻してくることはないから安心しろ」
「それはどういう……リィンさん、まさか……」
まさかと言った表情で、何かに気付いた様子を見せるアルフィン。
通商会議の席で、ロックスミスがリィンの援護に回るような素振りを見せていたことを思い出したのだろう。
あの時は偶然かと思っていたが、裏で共和国と何かしらの取り引きをしていたのだとすれば――
共和国が帝国の提案に同意し、リィンを会議の席に招いたのにも納得が行く。
「次期大統領選が厳しい状況だと聞いて、お互いにメリットがある提案をしただけだ。俺にノルドの領有権を決める権利はないが、それ以上の侵攻をしないのであれば〈暁の旅団〉は介入しないと約束を交わしている」
それは即ち、ノルドの領有権を共和国に明け渡すと言っているも同じであった。
この戦争で帝国軍が戦力を落とすようなことになれば、共和国の侵攻からノルド高原を守りきるだけの力はない。
リィンたちが介入しないと言うのであれば、ノルドは名実共に共和国の実効支配下に置かれることになるだろう。
共和国が今以上に侵攻してこないのは、暁の旅団を警戒しているからというのも理由の一つにあるからだ。
「ですが、それでノルドの民は――ガイウスさんたちは納得するのですか?」
「土地を管理する支配者が変わるだけだ。そもそも現状が続くようなら、どのみちガイウスたちはいつまで経っても故郷の地を踏むことは出来ないだろう?」
リィンの言っていることは事実だけに、何も言えなくなるアルフィン。
ノルド高原の領有権を巡る問題はクロスベルと同様に半世紀以上もの間、共和国との間で揉め続けてきた。
その影響を色濃く受けてきたのは、高原で暮らす人々であることは言うまでもない。
ガイウスたちにとって重要なのは、どちらの国の管理下にあるかという問題ではない。
一番大切なのは、安心して暮らせる環境にあるかどうかだ。
「それに高原の民の扱いについては、共和国の方が同情的だ。帝国じゃ蛮族扱いされてる訳だしな」
「それは一部の貴族が……」
「帝国の総意じゃないと言ったところで、差別を受けている事実は変わらないだろ」
表立って差別的な発言をしなくても、部族出身と言うだけで下に見ている者は少なからずいる。
実際、ウォレスも蛮族上がりと揶揄され、差別的な扱いを受けてきた実情があった。
一方で共和国には大小様々な部族が暮らしており、移民が多いことから少数民族に対しての偏見は少ない。
勿論、まったく迫害や対立がない訳ではないが、帝国よりは幾分かマシと言えるだろう。
「はあ……共和国が約束を守るとは限りませんよ?」
「だろうな。だが、少なくともあの狸親父≠ェ大統領の間は大丈夫だろ」
「それって大統領がかわれば、どうなるか分からないと言ってません?」
「まあ、その時はその時だろ。無事に再選することを祈るんだな」
共和国が約束を守るとは限らないと話すアルフィンに、少なくともロックスミスであれば大丈夫だと答えるリィン。
逆に言えば、次の大統領選挙でロックスミスが再選しなかった場合、共和国がどうでるかは分からないと言うことだ。
そして、ロックスミス大統領の再選は難しい状況にあると言う話はアルフィンの耳にも届いていた。
ノルド高原における領土問題を解決したとしても、厳しい選挙になることは間違いないだろう。
「兄様、レミフェリア政府から通信が入っています」
そんななか船にレミフェリア政府からの通信が入っていることを報せるエリゼ。
恐らくは各国から問い合わせがきているのだろうと推察できる。
オリヴァルトや捕らえているノーザンブリアの議員の引き渡しを要求される可能性もある。
しかし、
「噂をすれば、だな。繋いでくれ」
何か考えがあるのか?
連絡する手間が省けたと、リィンはニヤリと笑みを浮かべるのであった。
◆
同じ頃、ローゼリアたちの力を借り、黒の工房の本拠地へと転位したアリサたちはと言うと――
「一体、何がどうなってるのよ……」
予想だにしなかった事態に困惑していた。
というのも――
「こっちのルートも、もぬけの殻。人どころか、鼠一匹いないね」
「同じく。しかし、人形兵器の姿すらないと言うのは……」
探索を終えて戻ってきたフィーとラウラが腑に落ちないと言った表情でアリサに報告する。
三人が首を傾げるのも無理はない。気合いを入れて潜入したと言うのに一度も敵と遭遇することなく、グレイボーン連峰の地下千アージュにある大地の裂け目。その分厚い岩盤に四方を覆われた縦穴に巨大なシャフトがそびえ立つ、各施設とを繋ぐ工房の中枢まで何事もなく侵入できてしまったからだ。
この様子では、恐らく他のルートの探索を行っている別働隊も同じ状況にあると考えて良いだろう。
「こっちの動きを悟って、逃げたとか?」
「……それにしたって、設備がそのままというのは変よ」
拠点を破棄するのであれば、普通は施設を使えなくするはずだとアリサは答える。
しかし機材などが破壊された様子もなく、端末に保存されたデータが消された形跡もない。
敵の狙いが読めず、アリサが困惑しているのは実はそれも大きな理由にあった。
「見られて困るような情報は、ここには残されていないと判断したのでは?」
「データを精査してみないとなんとも言えないけど、OZシリーズのデータとか、研究資料はそのままなのよね……」
これだけでも技術者にとって千金の価値があると、アリサはラウラの疑問に答える。
地精にとっては当たり前の技術で価値観が違うと言ってしまえば、それまでなのかもしれないが――
「敢えて貴重な情報を残すことで、こちらを撹乱するのが狙いって可能性は?」
「ないとは言い切れないわね。少なくとも私たちの目的の一つは、地精の持つ研究資料を確保することにある訳だし」
フィーの言う線もありえなくないと認めつつも、それでも腑に落ちない様子を見せるアリサ。
彼女自身が優秀な技術者でもあるからだろう。
貴重な研究資料をそのままの状態で施設を破棄するというのは、常識的に考えて納得できないのだ。
「……ラウラ? どうかしたの?」
「何かが近付いてくる。人の気配ではない。これは……」
「導力の駆動音。それも、かなり大きいね。機甲兵? ううん、これって……」
アリサを庇うようにラウラが周囲を警戒する中、床に耳を当てて気配の正体を探るフィー。
そして――
「来るよ」
腰に下げた双銃剣を抜き、フィーが構えを取った瞬間、大きな影が三人の前に現れる。
火口まで続く巨大な縦穴の下から飛び出してきたのは、一体の魔煌機兵だった。
それも、かなりの大きさだ。ゴライアスに匹敵する巨体と言って良いだろう。
ポカンと呆気に取られた表情で、魔煌機兵を見上げるアリサ。
そう、それは――
「……って、何よ。これ!?」
リヴァイアサン。
リィンに倒された魔煌機兵の最終進化形態であった。
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