帝国軍がクロスベルへの侵攻を開始した頃、グレイボーン連峰の地下千アージュにある〈黒の工房〉の拠点では――
 大気を震わせるような衝撃と共に、まるで戦場にいるかのような激しい戦闘音が鳴り響いていた。
 その音の発生源となっているのが――

「開幕の一撃で我が仮面を破壊するとは、見事です。随分と腕を上げたみたいですね」
「お姉さんこそ、前より攻撃が鋭くなってるんじゃない?」

 愛用の武器〈赤い顎〉を振り回すシャーリィと、銀色の騎士鎧を身に纏った金髪の女性にあった。
 アリアンロード。鋼の聖女の名で知られる〈結社〉の使徒の一人だ。
 結社最強の使徒と呼ばれるだけあって、この世界で最強クラスの実力者と言っていい。
 王者の法を解放し、精霊化したリィンとも互角の戦いを繰り広げたほどの猛者だ。
 リィンに一度も勝てたことのないシャーリィからすれば、圧倒的に格上の実力者。
 実際、以前クロスベルに潜入した際に一度戦っているが、その時は時間を稼ぐことで精一杯だった。
 しかし、

「壁や天井が崩れて……」
「おい! 洒落になってねえぞ!?」
「二人とも、こちらへ! 近くにいては危険です!」

 互いに一歩も譲らず、互角の戦いを繰り広げていた。
 その余波で建物が軋み、パラパラと崩れ落ちる天井から逃げるようにユウナ、アッシュ、ティオの三人は距離を取る。
 当初はシャーリィに加勢することを考えていたアッシュですら、早々に戦闘への介入を諦めていた。
 明らかに常人がついていけるレベルの戦いではなかったからだ。
 いや、達人クラスの実力者であっても、この戦いについていけるかと言うと厳しいと考える。

「くそッ! なんて化け物どもだ!?」
「同感です。でも逆に言えば、いまがチャンスです」

 見た限りでは、アリアンロードとシャーリィの実力は伯仲している。
 幾ら結社最強の使徒と言えど、周囲に気を配る余裕はないだろう。
 なら、いまのうちに目的を果たすべきだとティオは主張する。
 というのも、ティオにはずっと気になっていたことが一つあった。

 道中の人形兵器を排除したのは、アリアンロードで間違いないだろう。
 しかし、彼女はこんな場所で何をしていたのかと――
 黒の工房は嘗て十三工房の一角だったと言う話だが、状況から推察しても彼女がアルベリヒの仲間とは考え難い。
 となれば、アリサたちと同じように何かしらの目的があって、工房に潜入したと考えるのが自然だ。
 恐らくは――

「奥の扉の向こうに何かありそうですね……」

 研究所の奥にアリアンロードの目的に繋がる何かがあるのだとティオは推察する。
 その証拠にアリアンロードは戦闘の余波が奥の部屋へと影響を及ぼさないように、距離を取って戦っている様子が見て取れる。
 しかし、

「確かに、この奥に何かありそうだな。だが……」
「誰かいるわね」

 アッシュとユウナは奥の部屋から何者かの気配を感じ取っていた。
 状況から考えると、この奥にはアリアンロードの仲間がいると考えるのが自然だ。

「……二人とも、よく気付きましたね?」

 ユウナとアッシュに言われて気付き、ティオは驚きの声を上げる。
 ティオは魔導杖のテスターに選ばれただけあって、非常に高い感応力を有している。
 そのため武術の達人と言う訳ではないが、直感の鋭さには自信があった。
 そんな自分よりも早く、二人が第三者の気配に気付いたことに驚きを隠せなかったのだろう。

「まあ……魔獣の徘徊する迷宮に放り込まれて、自然と出来るようになったというか……」
「あのメイド。冗談抜きで手加減抜きだったからな……。下手したら死んでてもおかしくねえよ」

 魔女の里での修行の日々を思い出しながら、遠い目をするユウナとアッシュ。
 凶悪な魔獣の徘徊する迷宮に放り込まれ、挙げ句にはシャロンの仕掛けたトラップまで満載という極悪な試練を課されたのだ。
 むしろ、よく生きて修行を終えることが出来たものだと、二人して自分のことながら感心しているくらいだった。
 どんな状況でも敵の気配を感じ取ることが出来なければ、いま二人はこの場にいなかっただろう。
 戦闘能力はともかく危険を察知する能力に限って言えば、以前とは比べ物にならないくらい上昇していた。

「……大変な目に遭ったみたいですね」
「お陰で鍛えられましたけどね。それより――」
「先を急いだ方が良さそうだな」

 同情の目を向けてくるティオに対して、ユウナとアッシュは先を急ぐことを提案する。
 この場にいても役に立ちそうにないし、そもそも戦闘の余波で自分たちの身が危険だと感じ取ったからだ。
 この先に危険がないとは言い切れないが、少なくとも奥へ進んだ方が安全だろうとティオは二人の言葉に頷くのであった。


  ◆


「ウォーミングアップはこのくらいで十分かな?」

 ユウナたちが研究所の奥へと向かったことを確認して、更に力を解放するシャーリィ。
 濃密に練られた闘気が熱を帯び、炎となってシャーリィの身体を包み込む。
 身に纏う闘気の量だけで言えば、鬼の力を解放したリィンを凌ぐほどだ。
 これにはアリアンロードも目を瞠る。

「まさか、まだこれほどの力を隠していたとは……これまで全力をださなかったのは、彼女たちを気遣ってのことですか?」
「それを言うなら、お互い様じゃない?」

 ユウナたちが奥の部屋に気付き、離れるのを待っていたのはアリアンロードも同じだとシャーリィは見抜いていた。
 いや、恐らくは最初から研究所の奥へと彼女たちを誘導することが、アリアンロードの狙いの一つだったのだろう。
 足止めをされたのは、むしろ自分の方だとシャーリィはアリアンロードの狙いを読む。
 もっとも、敵の狙いが分かったからと言って、戦いを止めるつもりはなかった。
 アリアンロードとの再戦。それを誰よりも望んでいたのは、彼女自身だからだ。

「こちらの狙いを読みますか。やはり、侮れませんね。ですが、そうと分かっていて、なお挑みますか」
「こんな機会、次はいつ巡ってくるか分からないしね。それにお姉さんに勝てないようじゃ、リィンに勝つことなんて出来ないしね」
「……まるで、彼の方が私よりも上だと確信しているかのようですね」
「うん。以前はどうだったか分からないけど、いまはリィンの方が強いと思う」

 いまではリィンの方が上だと言われて怒るでもなく、どこか納得した様子で笑みを溢すアリアンロード。
 シャーリィの言葉が、ただの挑発とは思えなかったからだ。
 それにリィンの成長速度には目を瞠るものがある。以前戦った時には既に互角に近い実力を備えていたことを考えると、シャーリィの話も嘘とは言い切れないと考えたのだろう。
 結社最強などと言われているがアリアンロード自身、最強を名乗ったことは一度としてないからだ。

「なんか、嬉しそうだね。もっと悔しそうな顔をするか、怒るかと思ってたんだけど……」
「嬉しそう? いえ、そうですね。私は今、喜びを覚えているのかもしれません」

 シャーリィに言われて、ようやく自分が笑っていることに気付くアリアンロード。
 武人として悔しいと言う思いが、まったくないかと言えば嘘になる。
 しかし、それ以上にリィンの成長を嬉しく思う自分がいることに彼女は気付く。
 その理由もなんとなくではあるが分かっていた。
 剣を交えるよりも遥か以前から、リィンのことは気に掛けていたからだ。

「またライバルが増えたかと思ったけど、なんか違うぽいね。どっちかというと……」

 リィンの話をする時、家族に向けるような目をしていると、シャーリィはアリアンロードを見て話す。
 ただの直感ではあるが、シャーリィの感想はある意味で的を射ていた。
 想像もしていなかったことを言い当てられたことで、少し驚いた表情を見せるアリアンロード。
 しかし、

「なるほど……時は移ろえど、歴史は繰り返すと言うことですか」
「なんのこと?」
「嘗ての知り合いに似ていると思っただけです。いまは、その話はいいでしょう」

 シャーリィに旧い戦友の面影を重ね、懐かしむように苦笑を漏らすアリアンロード。
 リィンの下に彼女のような人間が集うのは、ある意味で歴史の必然なのだろうと考える。
 だからこそ、何を言ったところでシャーリィが簡単に引き下がらないことも理解できる。
 とはいえ、

「決着をつけることに依存はありません。ですが、簡単に踏み越えられるとは思わないことです」

 リィンに負けず劣らず、シャーリィの成長にも目を瞠るものがある。
 以前と比較しても格段に実力を付け、自身に迫るほどの強者に成長していることをアリアンロードも認めていた。
 しかし、アリアンロードにも負けられない理由。そして、武人としての意地と誇りがある。
 シャーリィは勿論のこと、まだリィンにも勝ちを譲るつもりはなかった。

「しかと、その目と身体に刻みなさい。二百五十年の研鑽で辿り着きし、武の至境を――」

 人の身に収まるはずもない強大な闘気がアリアンロードの身から溢れ出す。
 まさに人外の力。これこそが理の果てに、彼女が辿り着いた武の頂きなのだろう。
 どのような達人であっても、人の身である限りは今の彼女に勝つことは難しい。
 しかし、

「……いいね。本当にいいよ。お姉さん」

 アリアンロードの放つ闘気に臆するどころか、心の底から愉しそうな笑みを浮かべるシャーリィ。
 人外と言う意味では、シャーリィもとっくに人の枠から外れた存在へと昇華していた。

「でも、その領域≠ノいるのが自分だけとは思わないでよね!」
「その力……やはり、あなたは……」

 人の身から大きく外れた力。
 シャーリィの身から溢れ出す紅蓮の瘴気をアリアンロードは肌に感じ取る。
 嘗て、人間だった頃の彼女にトドメを刺した存在――紅き終焉の魔王。
 その魔王の力を身に宿すシャーリィは、アリアンロードにとって因縁の宿敵と言っていい。
 二百五十年前との違いは、魔王の狂気に呑まれることなく力のみを完全に制御していることだ。
 これは偽帝オルトロスにも出来なかった偉業。いまのシャーリィは魔王の力を完全に支配下においていた。

「いいでしょう。二百五十年の因縁に決着をつけるとしましょう」

 これは自らに課された試練でもある、とアリアンロードもまた覚悟≠決める。
 それはシャーリィを自身を殺しうる……対等な敵と認めた証でもあった。


  ◆


「待っていましたわ。随分と遅い到着ですわね」
「……やはり、あなたたちでしたか」

 研究所の奥で待ち受けていた人物を前に、自身の予想が正しかったことを確認するティオ。
 アリアンロードと同じ騎士鎧に身を包んだ三人の乙女。
 デュバリィ、アイネス、エンネア。鉄機隊に所属する女騎士たちだ。
 その実力は結社の戦闘部隊のなかでも最強≠ニ噂されるほど。
 しかし、その一方で彼女たちが忠誠を誓うのはアリアンロードのみで盟主に従っている訳ではない。
 それだけにアリアンロードがいる時点で、彼女たちの登場は予想しやすかったのだろう。

「はッ……今時、中世の鎧に盾とか、随分とイカした格好をしてるじゃねえか」
「油断をしないでください。彼女たちは結社の執行者とも対等に渡り合える実力者です」
「……それって、シャロンさんと同じ?」
「純粋な戦闘能力だけで言えば、彼女以上かと……」

 ティオの説明に驚き、緊張した面持ちを見せるアッシュとユウナ。
 シャロンの実力をよく知るが故に、彼女クラスの実力者が三人も目の前にいるという事実に驚きを隠せなかったのだろう。
 いまはティオが仲間にいると言っても、彼女はどちらかと言うと研究者寄りで戦闘が得意と言う訳でもない。
 数の上では同じと言っても、戦力差は明らか。だからと言って、シャーリィに助けを求めることも難しい。
 アリアンロードの相手で精一杯であることは、実力で劣るユウナたちにも察せられるからだ。

「何を考えているのかは察せられますが、ここであなた方と争うつもりはありませんわ」
「……どういうつもりですか?」
「そのままの意味ですわ。周りをよく観察すれば、わたくしたちの言っていることが理解できるでしょう。少なくとも、あなたなら――」

 訝しげな表情を浮かべながらも、デュバリの言うように周囲をよく観察するティオ。
 特に目を引くようなものは見当たらないが――

「まさか、ここにあるのは……」

 ティオの反応は違っていた。
 人間の子供が入るほどの大きさの規則的に並べられたシリンダー。
 その円筒形の装置から中央の巨大な装置へと伸びるチューブのようなもの。
 ティオの頭に幼い頃の記憶がよぎる。

「ティオ先輩!?」

 突然、頭痛を堪えるように膝をつくティオを見て、慌てて傍に駆け寄るユウナ。
 そして、デュバリィたちを睨み付ける。

「言っておきますが、わたくしは何もしていませんわよ? 文句があるなら、この趣味の悪い装置を作った連中に言うべきでしょうね」
「ユウナさん……彼女の言うとおりです。怒りを向ける相手が違います」
「ティオ先輩?」

 額に汗を滲ませながらも、いまにもデュバリィに掴みかかろうとするユウナを制止するティオ。
 怒りを向ける相手が違う。それはデュバリィが口にした言葉の意味を正しく理解したが故の言葉だった。
 この部屋の光景に見覚えがあるのは当然だ。
 嘗て、ティオも教団≠ノ拉致され、同じような光景を目にしたことがあるのだから――

「そこにあるのは恐らくホムンクルスの製造装置。ここはOZシリーズが生まれた場所です」



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