武器だけでなく全身に炎を纏いながら、シャーリィはアリアンロードに肉薄する。
凄まじい熱量に視界が歪み、周囲の温度が際限なく上昇していく。
それはまるで、煉獄の業火。普通の人間であれば、この熱に触れているだけでも体力を奪われていくだろう。
しかし、溶岩の火口に身を置いているかのような熱波に晒されながらも、アリアンロードの額からは汗一つ流れていない。
それは彼女もまた、魔王の力を取り込んだシャーリィと同じく人外の領域に立つ存在であることを示していた。
彼女は生まれ持ち、伝説に語られるような力を持っていた訳ではない。
天賦の才に恵まれたことは確かだ。幼き日より生まれ育ったレグラムの地で武術を学び、その才を遺憾なく発揮してきた。
精兵と謳われた伯爵家の騎士たちも認めるほどの才を持ち、成人を迎えようかという年には既に領地では敵無しとなっていた。
だが、まだその頃の彼女は才能に恵まれていたと言うだけで、人外と呼べるほどの強さを持ち合わせている訳ではなかった。
救国の聖女。彼女がそう呼ばれるようになったのは、獅子戦役と呼ばれる内戦の後だ。
皇位継承権を巡って起きた内戦。鉄騎隊を率い、第三皇子ドライケルス・ライゼ・アルノールと共に戦ったリアンヌと呼ばれた女性は、最後の決戦の地となった帝都ヘイムダルで命を落としたはずだった。
獅子心皇帝と共に激しい内戦を戦い抜き、新たな時代を築いた彼女の功績を讃え、残された人々は死後に彼女のことを『救国の聖女』または『槍の聖女』と呼ぶようになったのだ。
何度も言うが、彼女は武術の才能には恵まれていたものの特別な力を持たない普通の人間だった。
激しい戦いの中で更にその才能を更に開花させ、最後の決戦では理の境地へと至っていたことは確かだ。
人間の中では間違いなく、最強クラスの実力者の一人だっただろう。
しかし、それでも人の身では勝てない≠ニ言われるほどの力があった訳ではない。
彼女をその領域にまで押し上げたのは不死者≠ニなった後、二百五十年の研鑽によるものだった。
リィンやマクバーンのように強大な異能を所持している訳でも、シャーリィのように高位の存在の力を取り込んだ訳でもない。唯一、普通の人と違ったのは、どう言う訳か死んだはずの彼女だけ蘇り、不死者となっていたことくらいだ。
その理由は未だに彼女自身、理解していない。
しかし生き返った後も彼女は研鑽を怠ることなく、人の寿命の数倍の歳月をひたすら武を磨くことに注ぎ込んだ。
結果、彼女は至ったのだ。人の身では決して辿り着けぬ極致。人外の領域へと――
「やっぱり、お姉さん凄いね! いまのシャーリィでも届かないなんて!」
何か特別な力を使っている訳ではない。なのに魔王の力が通用しないことにシャーリィは驚きながらも歓喜する。
普通の人間であれば、近付くだけで体力を奪われるほどの炎がアリアンロードには通じない。
業火の中でも少しも動きが鈍ることなく、シャーリィの攻撃を紙一重で見切っていた。
やはり経験と技量の面では、圧倒的にアリアンロードに分がある。
シャーリィがどうにか互角に戦えているのは、人外の領域にまで引き上げられたパワーとスピードのお陰だった。
リィンの〈鬼の力〉のようなものだ。いまのシャーリィには理から外れた高位の存在の力が流れ込んでいる。
素手で大岩を砕き、地上のどんな獣よりも速く大地を駆けることが今のシャーリィには出来るだろう。
しかし、それでもアリアンロードには届かない。
身体能力では圧倒的にシャーリィの方が勝っているだろう。
だが、常に危険が隣り合わせのこの世界では、武術はより実戦的なものへと進化していた。
魔獣や幻獣と言った人間よりも遥かに力の強い存在に対抗するため、長き研鑽の果てに編み出された技術。
それが、この世界の武術だ。
アリアンロードの槍は、まさにそうした存在を調伏するために生み出された技。
以前の戦いでは魔王に届かなかったが、あれから更に二百五十年の歳月を研鑽に費やしてきた。
魔王の力を使うシャーリィにとっては、ある意味で天敵≠ニも呼べる相手だろう。
しかし――
「これならどう!」
そんなことは戦う前からシャーリィも理解していた。
直感だけで獣のように振る舞うシャーリィの戦い方は、武術を極めたアリアンロードとは相性が悪い。
以前よりも遥かに力を付けたと言っても、いまのままなら結果は以前と同じだろう。
床を蹴り、後ろへ飛び退くようにアリアンロードとの距離を開けるシャーリィ。
そして――
「その技は、もう見ました」
シャーリィの周囲の空間が揺らぎ、そこから無数の武器が現れる。
千の武器を持つ魔神の名で知られる〈緋の騎神〉の能力を用いた攻撃。
以前よりも一度に錬成できる武器の数が増えてはいるが、アリアンロードからすればそれだけ≠セ。
一度見せた技が通用するほど、彼女は甘い相手ではない。
空から降り注ぐ無数の剣と槍を、アリアンロードは大槍を構えることで迎え撃つ。
「――はあッ!」
唸りを上げ、高速に回転する槍の尖端を、空へ向かって突き放つアリアンロード。
まるで台風のような一撃が空から降り注ぐ無数の武器を呑み込み、シャーリィへと迫る。
避けるのではなく攻撃に転じるのは、この場合に至っては正解だった。
幾らシャーリィと言えど、何の代償もなしに何もないところから武器を錬成できる訳ではない。
武器の錬成には霊力が必要で、大気中から十分な量のマナを集められない場所では使うことが出来ない。
そして、この技の最大の欠点が錬成中は無防備になると言うことだった。
そのことが分かっているからこそ、シャーリィも距離を取ったのだろうが相手が悪かった。
アリアンロードは槍での戦いが得意と言うだけで、離れた敵を攻撃する手段がない訳ではない。
シャーリィの炎をものともしなかったのも、常に風≠身に纏っているからだ。
空気の壁を作ることで、シャーリィの放つ熱を遮っていたのだろう。
そして、それは身を守るだけでなく攻撃に使うことも出来る。
自身の錬成した武器諸共、アリアンロードの放った暴風に呑み込まれるシャーリィ。
「確実に捉えたはず……」
タイミングから言って避けられる攻撃ではなかった。
死んではいないだろうが、少なくないダメージを負ったはず。
本来であれば勝利を確信するところだが、険しい表情で自分の空けた天井の穴を見上げるアリアンロード。
余りにあっさり≠ニしすぎている、とアリアンロードの武人としての直感が警笛を鳴らしていたからだ。
その時――
「――ッ!?」
嫌な予感の正体を報せるように、アリアンロードは予期せぬ方角からの攻撃を受けるのだった。
◆
(危ないところでした……)
警戒していなければ、確実に今の一撃で致命傷を負っていた。
そうアリアンロードに思わせるほどの完璧なタイミングでの一撃だった。
寸前のところで大槍を盾にすることで攻撃を受けるも、槍の中央には大きな亀裂が入っていた。
これでは先程と同じ技を放つことは難しい。
「これでもう、その厄介な風≠ヘ起こせないよね?」
「まさか、最初から見抜いて――」
アリアンロードの大槍は〈結社〉の盟主より授かった特別製の武器だ。
外の理で作られており、その能力は持ち主の闘気を吸い上げることで風≠自由に操ることが出来る。
アリアンロード自身は、風をコントロールするような異能を持ち合わせてはいない。
それを可能としているのが、彼女が持つ大槍であることにシャーリィは気付いていたのだろう。
だからこそ敢えて隙を見せて、アリアンロードに槍の力≠使わせた。
守りにではなく攻撃に力を使う瞬間を狙っていたのだ。
「……タイミングは完璧だったはずです。どうやって、直撃を避けたのですか?」
「騎神の腕でガードしただけだけど? 使っちゃダメってルールじゃなかったよね?」
騎神の腕だけを召喚して、ガードしたのだと答えるシャーリィ。
本来、騎神の起動者であっても簡単に出来るような芸当ではないのだが、その戦闘センスの高さに改めてアリアンロードは驚かされる。
確かに騎神を使ってはダメと言うルールは最初に設けなかった。
勝つためには使えるものは何でも使う。猟兵らしい戦い方と言っても良いだろう。
そのことに不平不満を言うつもりはアリアンロードもなかった。
互いに命を懸けた戦いである以上、非難される戦い方ではないからだ。
それよりも――
「盟主より授かったこの槍を破壊するとは……」
シャーリィの直感の鋭さと、彼女が持つ武器の方にアリアンロードは注目する。
武器の仕組みを理解して、そこだけを的確に攻撃で破壊されるとは思っていなかったからだ。
それにアリアンロードの大槍は、ゼムリアストーンの武器でも傷を付けることが難しい。
穂先を砕く程度ならともかく、一度の攻撃で最も硬く守られている中枢を破壊することなど並大抵の武器には不可能と言っていいだろう。
それは即ち――
「この槍と同じ〈外の理〉で作られた武器……いえ、まさかそんなはずが……」
ありえない、と言った表情を浮かべるアリアンロード。
シャーリィが愛用しているチェーンソーライフルは〈黒の工房〉が開発し、猟兵に流した武器で間違いない。
だが研究のためのデータ蒐集が目的で、幾らアルベリヒと言えど〈外の理〉の武器を模倣することは難しいはずだ。
最終的には、彼等の研究の目的はそうした武器≠創造することにあるのだろうが、現状では完成に至っているとは思えない。
――だとすれば、一体?
アリアンロードが困惑するのも当然であった。
実際シャーリィ自身、説明できるほどの答えを持ち合わせている訳ではない。
しかし、
「〈赤い顎〉を見てくれた博士曰く、自分がやったのは力が上手く流れるようにバランスを整えただけらしいよ。多少の損傷なら勝手に自己修復するらしくて、ゼムリアストーンがこのように変化するとは面白いみたいなこと言ってたかな?」
拙いシャーリィの説明からも、何が起きたのかを大凡察するアリアンロード。
騎神の力。いや、正確には〈紅き終焉の魔王〉の力がゼムリアストーンに反応し、性質を変化させたのだと――
海や川の近くなら蒼曜石が、砂漠に近い場所なら紅耀石が、山岳地帯の鉱山なら琥曜石や金曜石が発掘される確率が高いと言ったように、マナには環境の影響を受けて変質する特性がある。ならば、マナの結晶とも呼べるゼムリアストーンにも同じような特性があると考えるのは不思議な話ではない。
魔王の力――外の理の力が干渉することで、赤い顎に用いられたゼムリアストーンの性質を変化させたのだとアリアンロードは考えたのだ。
「……本当に驚かせてくれますね」
間違いなく彼女はリィンと同類だと認めるアリアンロード。
自分のやったことを理解はしていないのだろうが、女神の理に支配されるこの世界においてシャーリィのやったことは常識の埒外にあると言っていい。
単純そうに思えて、誰もが試そうとしなかったこと。
いや、考えることすら本来であれば躊躇われるようなことを、彼女は自然と行なったと言うことになる。
それは既にこの世界の――女神の干渉を受けていないと言うこと。
シャーリィの存在自体が世界の理から外れかけていることを意味していた。
切っ掛けは間違いなくリィンだろう。
その影響を色濃く受けているのがシャーリィであり、暁の旅団の関係者と考えていい。
盟主が計画の中断を指示し、リィンのことを気に掛ける理由がよく分かるとアリアンロードは笑みを漏らす。
これは盟主にさえも、予測の出来なかった事態と考えて間違いないからだ。
(盟主の思い描いた結果とは違うのかもしれませんが……)
それでもいい、と盟主は判断したのだろうとアリアンロードは考える。
この世界の未来はリィンたちに託し、本来の役割に立ち返ることを心に決めたのだと――
だからこそ、計画の中断を指示した。
従わない者がでることも承知の上で。
(いえ、私も彼等≠フことは言えませんか……)
盟主の意向に従わず、私情に走っているのは自分も同じだとアリアンロードは苦笑する。
それさえも盟主は許すのだろうが、義に反している自覚はアリアンロードも持っていた。
だが、それでも成し遂げたいことが、自分の目で確認したいことがあったのだ。
元々、盟主に忠誠を捧げ、使徒の一人となったのもそれ≠ェ理由と言っていいからだ。
「それで、どうする? 続きやる?」
全身に闘気を漲らせながら、アリアンロードの意思を確認するシャーリィ。
問答無用で斬り掛からないのは、この先の戦いの結果がシャーリィには見えているのだろう。
しかし、それはアリアンロードも同じであった。
「……いえ、私の負けです。あなたもダメージを負っているようですが、このまま続けても先に力尽きるのは私の方でしょう」
素直に自身の敗北を認めるアリアンロード。
風の護りがなくとも、シャーリィの放つ炎に抵抗する手段がない訳ではない。
しかし、じわじわと体力を奪われていくことに変わりがない以上、状況が不利であることは否めない。
先程の攻撃でシャーリィもダメージを負っている様子だが、それを加味しても勝利を得るのは難しいとアリアンロードは判断したのだ。
それに――
「死合いが目的なら、そのような確認を取らずとも問答無用で攻撃を仕掛ければいいだけのことです」
「殺す気でやってたのは間違いないけどね」
「それは、こちらも同じこと。あなたは強い。いまの私よりも……そこは胸を張っていいでしょう」
シャーリィの目的が自分を殺すことではないことにアリアンロードは気付いていた。
それはアリアンロードも同じだが、だからと言って手を抜いて戦ったと言う訳ではない。
互いに相手を殺すつもりで全力をだしていた。その上で、負けを認めたのだ。
シャーリィ・オルランドは強い。間違いなく、いまの自分よりも上だと――
「その言い方だと、次に戦ったら自分が勝つみたいに聞こえるけど?」
「同じ手がまた通用するとは思わないことです。それに――」
自分の弱さ≠知ることが出来た。
それは即ち、まだまだ上がある。強くなれると言うことだ。
「あなたもそうなのでしょう? まだ自分の強さ≠ノ納得していないという顔をしています」
「まあね。これでも、まだリィンには届かないと思うし」
「……なるほど。次にまみえる時は厳しい戦いになると思っていましたが、それほどに成長していますか」
リィンの成長を自分のことのように喜ぶアリアンロード。
いま戦えば、恐らく自分はリィンに勝てないだろうと彼女は予想していたのだ。
そのことが確信できて嬉しかったのだろう。
これなら安心して託す≠アとが出来ると――
「私の知るすべて≠話しましょう」
ここへやって来た目的。
シャーリィたちを試した@摎Rを説明しようとアリアンロードが口を開いた、その直後だった。
建物全体が震えるほどの大きな揺れが二人を襲ったのは――
そう、それは――
「この揺れは、まさか……!」
長き眠りについていた火山の活動を告げる合図だった。
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