「ローゼリアさん!? どうしてここに――」
驚くアリサ。
突然、転位の光と共に現れたローゼリアに、フィーやラウラも呆気に取られた表情を見せる。
無理もない。まだ救援を要請した訳ではないのだ。
それに――
「クレアたちは?」
首を傾げるフィー。
本来の手はずであればレンとキーアの無事を確認した後に、ローゼリアと共にクレアたちが救援に駆けつける手はずになっていたのだ。
しかし、ローゼリア以外の姿は見当たらない。クレアたちの姿がなければ疑問に思うのは当然であった。
「妾の手など借りずとも、エマとヴィータが一緒ならば後から追い付いてくるじゃろ。そんなことよりも――御主等、一体なにをするつもりだった?」
「何って、シャーリィに連絡を取ろうと……」
「それじゃ! あの鬼子に相談したら絶対、間違いなく、穏便に済むはずがないじゃろう!?」
「ん……元凶を見つけたら原因を探ることなく、嬉々として斬り掛かるだろうね」
何やら焦った様子で、アリサに詰め寄るローゼリア。
しかし、その心配は分からなくもないとフィーは肯定する。
シャーリィの性格から言って、原因の特定よりも排除を優先することは確実だ。
聖獣に匹敵するほどの存在が相手となれば、むしろ戦闘にならない方が不思議と言っていい。
「……ローゼリア殿。もしかすると、この下にいる存在について何か知っているのでは?」
そんななかローゼリアの態度を不審に思い、ラウラは核心を突いた質問をする。
大方、遠見の魔術を使って盗み聞きしていたのだろうが、慌てて転位で跳んできたと言うことはシャーリィに相談されては困る理由があると言うことだ。
恐らくは火口にいる存在について、何かしらの心当たりがあるのだろう。
「うぐ……それは……」
「……ローゼリアさん? 何を隠しているのか、教えてくれますよね?」
話さなければ問答無用でシャーリィに連絡する。
とばかりに〈ARCUS〉の通話ボタンに指を置きながら、アリサはローゼリアに圧をかけるのだった。
◆
「聖獣クラスじゃなくて、まさか聖獣そのものがいるなんてね」
事情を聞いたアリサはローゼリアが止めるはずだと納得しつつも溜め息を溢す。
まさか地脈を活性化させ、火山を噴火させようとしている存在が聖獣そのものとは考えもしなかったからだ。
「でも、どうして聖獣がこんなところに?」
「……わからぬ。しかし、間違いない。この気配は大地の聖獣≠フものじゃ」
アルグレス――それが、この下にいる聖獣の名前なのだろう。
どこか懐かしむような、それでいて悲しげな表情を覗かせるローゼリア。
ローゼリアの正体は、女神に遣われし〈焔の聖獣〉だ。
同じ女神の聖獣として、何かしら思うところがあるのだろう。
とはいえ――
「それで、どうするの? どっちにせよ、このままって訳にはいかないよね?」
アルグレスを放って置けばアリサが危惧するように火山の噴火に巻き込まれ、この工房はマグマに呑まれることになるだろう。
そうなったらアリサたちは無事でも、工房の占拠という目的を遂げられなくなる。
それにまだ、レンとキーアの安否を確認できていないのだ。そう言う意味でも噴火を止める必要はあるだろう。
仮にアルグレスを殺す≠アとになったとしてもだ。
「ロゼが説得する?」
「可能ならばそうしたいところじゃが、恐らくは無理じゃ……」
フィーの考えを察した上で、ローゼリアは苦しげな表情で答える。
説得が可能であれば、確かにそうしたい。しかし自我≠ェあるのであれば、そもそもこのような真似をアルグレスがするとは思えない。
九百年前に呪い≠フ大半を引き受け、己の存在を聖地ごと深淵に封じた存在。
自らの身を犠牲にして、この世界を救った聖獣――それが、大地の聖獣アルグレスだ。
完全に呪いを封じることには失敗したが、それでもアルグレスがいなければ帝国は――いや、この世界は暗黒の時代から今でも抜け出せずにいただろう。
いや、世界そのものが滅んでいたとしても不思議ではなかった。
いまもアルグレスが呪いの力を封じ込めているからこそ、この程度の影響で済んでいるのだ。
そんなローゼリアの話を聞き、何かに気付いた様子で不安げな表情を浮かべるアリサ。
「待って。それじゃあ、この下にいる聖獣を殺せば……」
「塞き止めていた呪いが一気に溢れ、帝国全土――いや、この世界は瘴気に満たされることになるじゃろう。九百年前と同じようにな……」
それは即ち、暗黒の時代が再び訪れる未来を示唆していた。
呪いによって発生した瘴気は、人々の心にも大きな影響を及ぼす。
本来であれば小さなすれ違いで済むようなことでも、大きな衝突へと発展していく。
その先に待ち受けるのは、憎悪と血に塗れた戦争の時代だ。
国が滅び、文明が崩壊するまで、その戦争は終わることなく続くだろう。
「もしかして、地精の長の狙いって……」
アルグレスを殺させることが目的なのではないかと、フィーはアルベリヒの狙いを察する。
それならば、ずっと感じていた違和感の正体にも納得が行くと感じたからだ。
「我等、聖獣は不死の存在。じゃが、滅する方法がない訳ではない。この世界の摂理から外れた存在であれば、我等を傷つけることは可能じゃ」
ただの騎神であれば、聖獣を殺すことなど出来ない。
ゼムリアストーンの武器では、聖獣の身体を傷つけることが出来ないからだ。
全身がゼムリアストーンで出来た騎神にとって聖獣は、そう言う意味で相性の悪い相手と言っても良いだろう。
しかし、至宝すら消滅させる力を持ったリィンの〈灰〉と、魔王の力を宿す〈緋〉は例外と言っていい。
紅き終焉の魔王とは、この世界の外より召喚されし――異界の魔王とも呼べる存在だ。
即ち、この世界の摂理≠ゥら外れた存在。その力は異質で、女神の加護とは真逆に位置する力を持つ。
魔王の力を宿す〈緋の騎神〉であれば、聖獣を傷つけることは不可能ではない。
「だからこそ、本来は至宝を見守るだけの存在だった妾たちも、九百年前のあの時は人間たちに力を貸したのじゃ」
そんなローゼリアの話を聞いて、ああそれでと納得した様子を見せるアリサ。
ずっと腑に落ちないと思っていた点が、ようやく合点が行ったからだ。
聖獣とは、女神が人間たちに与えし至宝を見守る存在。どのような最後を至宝が迎えようと、基本的に彼等は人の世に干渉したりはしない。しかし、大地の聖獣と焔の聖獣は人間に味方し、嘗て帝都を支配した暗黒竜とも共に戦った過去がある。
そのことをアリサは、ずっと不思議に感じていたのだ。
だが、自分たちを殺せる存在に脅威を感じ、人間たちに力を貸したと言うのであれば納得が行く。
仮に人間たちが敗れれば、自分たちも無事では済まないからだ。
「……誤解があるようじゃが、自分たちの命惜しさに人間たちに力を貸した訳ではないからの?」
しかし、ローゼリアはアリサの考えを察し、否定する。
ツァイトが以前リィンたちに説明したように、この世界に存在する聖獣は現し身≠ノ過ぎない。
死んだところで、この世界での現し身≠失うだけに過ぎず、基本的には不滅の存在と言って良いだろう。
だからこそ、死を恐れている訳ではない。なのに彼等が人間たちに手を貸したのは、人間たちのためと言うよりはこの世界≠守るためだ。
至宝の行く末を見守るという務めを果たすためにも、世界を滅ぼされては困る。
「まだ妾もアルグレスも、女神より与えられし使命を終えた訳ではない。焔と大地の至宝は消滅した訳ではないからの」
二つの至宝が融合し、一つの存在になったとはいえ、消滅した訳ではない。
そして、この世界に至宝が存在する限りは、聖獣もまた役目を終えることはない。
女神との約束を守るためにも、あの時は人間たちに力を貸したのだとローゼリアは説明する。
「でも、その結果も踏まえての観察じゃないの?」
「そういう考え方もあるじゃろう。実際、他の聖獣なら、それで世界が滅ぶのであれば仕方なしと考える者もおるやもしれぬ。だが、妾は違う」
フィーの疑問はもっともだと認めつつも、自分は他の聖獣とは違うとローゼリアは答える。
女神より使命を与えられし聖獣と言っても、すべての聖獣が同じ考えを持つとは限らない。
人間と同じだ。人それぞれ、物の考え方や捉え方が違うように聖獣にもそれぞれの考えがある。
「もっと使命に忠実かと思っていたけど、意外とアバウトなのね」
「やり方は一任されておるからの。過度な干渉は禁じられておるが、妾たちにも感情はある」
ローゼリアは正確には二代目≠ナあって、女神より使命を与えられし焔の聖獣は既に消滅している。
千二百年前にとある災厄を鎮めるため、魔女の長と一つの存在となったのが最初の焔の聖獣≠セ。
いまのローゼリアは、その聖獣と一つになった長の使い魔であった存在。
九百年前に先代の長が何者かによって殺され、そんな彼女の使命と記憶を受け継いだのが今のローゼリアだった。
だからと言うのもあるのだろう。彼女は他の聖獣と比べても人に近く、人間らしい考え方や感情を持つ。
「それに――」
ローゼリアが聖獣としての使命を天秤にかけても、人間たちに手を貸す理由。それはアルグレスのことも関係していた。
真実はローゼリアにも分からない。しかし、先代の魔女の長は自分の死を予見していた節がある。
自分の身に何かあれば水鏡のもとを訪れるようにと、ローゼリアに遺言を託していたのが何よりの証だ。
そして先日リィンたちと確認した水鏡の記憶から、ローゼリアは先代の長がイシュメルガ≠フ存在に気付いていたのではないかと考えていた。
仮にイシュメルガの存在に気付いていたのだとすれば、先代の長が何を為そうとしていたかの想像は付く。
再び暗黒竜のような存在が現れないように、その元凶であるイシュメルガを封じようとしたのではないかと――
しかし、返り討ちにあって先代の長は殺されてしまった。
だからこそ次善の策として、アルグレスはイシュメルガの企みを阻止するため、自らの身体を贄とすることで呪い≠封じたのではないかとローゼリアは考えていた。
そう考えると、地精がその後に魔女との交流を絶ち、姿を消した理由にも説明が付く。
アルグレスによって封じられた呪い。それは謂わば、巨イナル一の力そのものと言っていい。
巨イナル一の力を自分のものにしようと考えていたイシュメルガからすれば、望まぬ結果だったに違いない。
故に地精に命じてアルグレスを殺す機会を窺っていたのだと考えれば、この状況にも説明が付くからだ。
「聖獣を殺せる手段。もしくは殺せる相手を探していたと言うことね。あれ? でも、焔の聖獣と一つになった先代の長は殺されたのよね?」
ローゼリアの話を聞き、疑問に思ったことを口にするアリサ。
ローゼリアの推察が正しければ、先代の長はイシュメルガに殺されたと言うことになる。
それは即ち、聖獣を殺す手段をイシュメルガは持っていると言うことだ。
ならば、さっさとアルグレスを自分たちの手で殺せばいいだけのはず。
どうして、そのような回りくどい方法を取るのかと疑問に思ったのだろう。
「あくまで推測に過ぎぬが、先代の長は人間と融合することで聖獣でありながら半分は人間であった。それが、弱点となったのやもしれぬ」
女神の摂理が支配するこの世界において、聖獣は不滅に近い存在と言って良いだろう。
しかし聖獣は殺せなくても、魔女の長としての彼女は別だ。
人と一つになることで生まれた弱点。
それが死に繋がった可能性は高いとローゼリアは答える。
「それじゃあ、ローゼリアさんも?」
「否定は出来ぬ。妾も元は先代の使い魔であった存在じゃ。純粋な聖獣とは言えぬからな」
寿命で死ぬようなことはないが、それでも不滅かと聞かれるとローゼリアは首を横に振る。
使命や記憶と一緒に聖獣としての力も受け継いではいるが、やはり他の聖獣と比べれば力は劣るという自覚はあるからだ。
実際、他の聖獣と違って今のローゼリアは現し身と言う訳ではなく、完全に独立した存在になっていると言って良いだろう。
死ねば、二度と復活することなど出来ない。その点では人間と変わりがない。
「なるほど。ようするに、この下にいる大地の聖獣を殺すと敵の思う壺ってことね」
「そういうことじゃな。それにアルグレスには聞きたいことがある。出来れば、助けたいとも思っておるのじゃが……」
それがどれほど困難なことを言っているのか、ローゼリアにも自覚はあるのだろう。
アルグレスを助けると言うことは、巨イナル一の呪いから解き放つと言うことだ。
それが出来るのであれば、とっくにアルベリヒもやっているはず。
穢れた聖獣を元に戻す手段など、ローゼリアにも想像すらつかなかった。
唯一、可能性があるとすれば――
「御主等の団長がいれば、どうにかなるやもしれぬが……」
リィンならば、もしかしてという考えが頭を過る。
一時的にとはいえ、リィンの放った黄金の炎は帝国の呪いを弱体化させることに成功したのだ。
それは即ち、巨イナル一の呪いにもリィンの力は有効と言うことだ。
実際、鬼の力を呪いの影響を受けることなく使いこなせているのも、それが理由だろう。
呪いを〈王者の法〉で打ち消し、力の部分だけを引き出しているのだ。
同じことをアルグレスにやれば、もしかしたら呪いだけを消し去ることが可能かもしれない。
「確かにリィンなら可能かもしれないけど……」
いまからリィンに連絡を取ったところで、とてもではないが間に合わないだろうとアリサは考える。
転位は便利な力ではあるが、万能と言う訳ではない。
長距離の転位には相応の霊力が必要となるし、精霊の道を使用するにも条件がある。
そもそも、この工房には結界が張り巡らされていて、通常の方法では転位で行き来することも難しいのだ。
ローゼリアとて一人では、ここまで精霊の道を開くことは出来なかっただろう。
ヴィータやエマ。それにエリンの里の魔女たちと、ベルの協力があったからこそ出来たことだ。
同じことをリィンにやれと言っても無理だろうし、いまから迎えに行っていたのでは間に合わない。
「……工房は諦めるしかなさそうね」
あとでベルに何と言われるか分からないが、それでも敵の思惑に乗るよりはマシだとアリサは判断する。
アルグレスを殺してしまえば、まず間違いなくよくないことが起きるのは確実だ。
何よりローゼリアの話を聞いてしまった後では、アルグレスを殺すのは躊躇われる。
いま、こうして世界が無事なのは、アルグレスのお陰とも考えられるからだ。
「では、ここを脱出した後に兄上に連絡を?」
「それしかないでしょうね。悔しいけど、この件はリィンに頼らざるを得ないわ」
作戦を任された以上、出来ることならリィンの手を借りることなく自分たちの手で解決したいという思いがある。
とはいえ、出来ないことで意地を張るほどアリサは愚かではなかった。
取り返しのつかない事態を招いてしまうよりは、素直に助けを求めた方がマシだと考える。
「そろそろ他の誰かが二人を見つけてる頃だろうし、一旦連絡を取って……」
「どうかしたの? アリサ」
「……さっきの地震って、シャーリィも当然気付いているわよね?」
「結構、大きな地震だったしね。あ……」
シャーリィの直感の鋭さを思い出し、嫌な予感を覚えるアリサとフィー。
そもそも相談などしなくとも、シャーリィなら自分で原因に辿り付きそうな予感すらあるからだ。
だとすれば――
「念のため、先にシャーリィに釘を刺した方がよくない?」
手後れになる前にシャーリィに釘を刺した方がいいとフィーはアリサに告げる。
シャーリィの性格を考えると、獲物を前にして躊躇するとは思えない。
それが手応えのある強い敵であれば尚更だ。
呪いに侵された黒き聖獣。まさに絶好の獲物と言って良いだろう。
「そう思って、いま連絡してるんだけど……ああ、もう! なんで通信にでないのよ!?」
「なんじゃと!? まさか、あの鬼子――早く、どうにかして連絡を取るのじゃ!」
「ああもう! それならパパッと魔法でシャーリィの居場所を探って、念話か何かで止めてくれたらいいでしょ!?」
「魔術を何だと思っておるのじゃ!? そんな都合の良い魔術があれば苦労はせんわ!」
「……魔女の長と言う割には、たいしたことないわね」
「なんじゃと!?」
「なによ!?」
通信にでないシャーリィに苛立つアリサに、なんとかしろと詰め寄るローゼリア。
そして遂には、子供のような喧嘩を始めてしまう二人。
そんな二人を見守りながら、フィーとラウラの頭には最悪の事態が過るのであった。
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