ガレリア要塞の跡に作られた前線基地を離れ、双龍橋へと引き上げて行く部隊を見守る赤毛の男の姿があった。
帝国第四機甲師団を率いる将軍にして、赤毛のクレイグの異名を持つ猛将――オーラフ・クレイグ中将だ。
「よろしかったのですか? 中将」
何か考えごとに耽っている様子で静かに佇むクレイグ中将に、確認を取るようにナイトハルト中佐は尋ねる。
最初から余り乗り気ではなかったとはいえ、このまま何も成果を上げずに撤退すれば政府は黙っていないと考えたからだ。
「何、お前たちに迷惑を掛けるつもりはない。すべての責は儂が負うつもりだ」
「そういうことを心配しているのではないのですが……」
厳しくも部下思いのクレイグ中将のことだ。そう言うであろうことはナイトハルトにも分かっていた。
どのような処分を下されようとも、大人しく従う覚悟を決めているのだろう。
しかし、中将の考えも分からなくはない。このまま無理に攻めたところで悪戯に被害を大きくするだけだ。
至宝のバックアップを受けていたとはいえ、ガレリア要塞を一撃のもとに消滅し、第五機甲師団を壊滅させた結社の神機をああも容易く破壊せしめたのだ。
あの巨大な竜をどうにかしないことには、クロスベルへの侵攻は難しいだろう。それにクロスベルを守るように展開された結界のこともある。
正直、一師団でどうにかなるような相手ではない。本気で彼等と戦争をするつもりなら、帝国の総力を挙げる必要がある。
最低でも大国に準じる戦力を保有した一つの勢力として、慎重に接するべき相手だとナイトハルト中佐は〈暁の旅団〉を評価していた。
「――中佐。この後、クロスベルはどう動くと思う?」
「事の経緯はどうあれ、先に手を出したのはこちらです。大義名分を得た以上、恐らくは帝国からの独立を宣言するでしょう」
併合から半年余り。早すぎると言う声もあるだろうが、そもそも彼等は最初から帝国に従うつもりなどなかった。
恐らくは帝国への併合を決めたのも、ただの時間稼ぎ。
その間に大国の脅威に対抗できるだけの力を身に付けることが、彼等の狙いだったのだろう。
帝国政府もそのことは最初から分かっていた。だからこそ、クロスベルが更に力を付ける前に叩く作戦へでたのだろう。
だが、暁の旅団の力は帝国の想定を遙かに超えていた。
「しかし、それでは一年前と同じだ。政府も黙ってはいないだろう」
クレイグ中将の言うとおり、それで終わりとはいかないだろう。
帝国にも面子がある。このまま大人しくクロスベルの独立を許すことなどありえないだろう。
いま第四機工師団が退いたところで、再び政府はクロスベルへ向けて軍を差し向けることは確実だ。
しかし、そうと分かっていながらクレイグ中将は撤退を指示した。
だとすれば――
「中将は他の狙いがあると?」
ただ独立を宣言するのではなく他に思惑があるのではないかと、そうクレイグ中将は考えているのだとナイトハルト中佐は察する。
しかし、独立以外の線で考えられる可能性があるとすれば――
「まさか、共和国に……」
帝国から共和国に乗り換えるつもりなのでは、とナイトハルト中佐は考える。
確かに共和国の後ろ盾を得ると言う方法がない訳ではない。
実際、クロスベルを欲しているのは帝国だけでなく共和国も同じなのだ。
それでも――
「仮に共和国の庇護を得たところで、いまの帝国は止まらんだろう。いや、むしろ大義名分を得たとばかりに共和国へ宣戦布告をするやもしれんな」
いまの帝国政府がどこかおかしいことはナイトハルト中佐も感じていた。
だからこそクレイグ中将の言葉を、ただの冗談と聞き流すことは出来なかった。
難しい表情を浮かべるナイトハルト中佐を見て、クレイグ中将は苦笑を漏らしつつも話を続ける。
「だからこそ、第三の道を彼等は進むつもりなのではないかと儂は考えている」
「第三の道? それは一体……」
「そこまでは儂にも分からんよ。もしかしたら帝国や共和国に匹敵――いや、凌駕する大国の後ろ盾を既に得ているのやもしれんぞ」
「まさか、そんな国が存在するなんて話は聞いたことがありません」
余りに突拍子もない話に、呆れた表情を見せるナイトハルト中佐。
帝国や共和国に匹敵するほどの大国など、この大陸には存在しない。
もし仮に帝国ですら把握していない国が存在するとすれば、それは大陸の外≠フ国と言うことになる。
しかし、それを確かめる術はない。別大陸の存在を確かめようと外洋へと進出した船もあるが、目的地に辿り着けた船は一隻として存在しないからだ。
科学的に説明の付く話ではない。しかし海の先を目指しても、同じ海域から抜け出すことが出来ないと言った不思議な現象が確認されているのだ。
海が駄目ならばと、今度は飛行船を使って空を進んだところで結果は同じ。
この大陸は外界と完全に隔離された状態にある。そのことが近代になって少しずつ分かってきていた。
しかし、そのことを不思議に感じる者は少ない。正確には当然のことと受け入れ、疑問を持つことすら出来ない者が大半だ。
無理もない。この世界には科学で説明の付かない現象が数多く確認されており、実際に多くの人々は女神の存在を信じているのだ。
だからこそ、逆にそうした不思議な現象も女神の実在を裏付ける証拠として扱われていた。
もし仮に本当に大陸の外の国が存在するとなれば、それはこれまでの常識を覆す大きなニュースとなるだろう。
「中将は、まさか本気でそのようなことを?」
「さてな。しかし、最初にそのことに気付いたのは儂ではない。エリオットだ」
「……御子息が?」
「どこで何をしているかと思えば、先日クロスベルから手紙が届いてな」
エリオットからの手紙にそのことが書かれていたと、クレイグ中将は語る。
もしかしたら、この戦争が起きることをエリオットは予見していたのかもしれない。
クロスベルで何かに気付き、父親の身を案じて手紙を送ったのだろう。
実際この世界において、エリオットはリィンやフィーのいないVII組をまとめてきた実績がある。
本来の歴史よりも多くのことを経験し、学び、誰よりも成長しているのは彼とも言える。
だからこそ常識に囚われず、そのような可能性へ考えを至らせることが出来たのだろう。
「……中将、嬉しそうですね」
「子供の成長を喜ばない親はいないだろう。それはそうと中佐、うちの娘とは上手くいっているのかね?」
「ええ、まあ……中将、顔が怖いのですが……」
子供の成長を喜ばない親はいない。
そして娘の幸せを願わない親もいないと言うことを、ナイトハルト中佐は心の底から痛感するのであった。
◆
「張り合いがありませんわね。もっと抵抗してくれたら、いろいろと実験が出来ましたのに」
撤退していく第四機工師団をモニター越しに眺めながら、退屈そうに溜め息を溢すベル。
帝国軍が諦めないようなら、他にも試しておきたいと考えていた作戦があったのだろう。
敵に対して慈悲を掛けるような性格をしていないことから仮にクロスベルへの侵攻を続けていれば、今頃は壊滅的な被害を受けていた可能性は高い。
不利を悟るなり被害を最小限に抑えるために即座に撤退を指示する辺り、さすがは赤毛のクレイグと言ったところだ。
とはいえ、ベルからすればつまらない′級ハであった。
いまからでもイオに追撃を命じて、帝国軍に空からブレスでもお見舞いしてやろうかとも考えるが――
「……御子息に感謝するのですわね」
エリオットのことが頭を過り、ベルは考えを改める。
実のところベルはエリオットが〈暁の旅団〉の秘密に近付きつつあることに気付いていた。
勿論、父親に宛てた手紙の内容についても把握していたのだ。
しかし、その上で敢えて彼を泳がせた。この世界のエリオットに興味を持ったからだ。
「エリオット・クレイグ。思わぬ拾いものかもしれませんわね」
本来の歴史がどのようなものだったかは、さすがのベルでも知る術はない。
しかし、至宝によって歪められた時の流れへ介入するためにリィンの魂が呼ばれたように、世界には修正力が存在する。
大きく本来の歴史から外れてしまっても、最終的には辻褄が合うように因果律を修正する力だ。
リィンのいないVII組。その中心となる人物としてエリオットが選ばれたのは、そういう意味で必然だったのだろう。
エリオット・クレイグ。彼は、この世界における特異点になっているとベルは見立てていた。
それは即ちエリオットの行動を観察すれば、この世界が本来歩むはずだった歴史を推察できると言うことだ。
「彼のお陰でいろいろと見えてきましたし、結社の盟主にも一度お目に掛りたいですわね」
そうすれば、きっと楽しい答え合わせが出来るとベルは笑みを漏らす。
世界の真理に辿り着くこと。それは錬金術師であれば、誰もが求めることだ。ベルとて例外ではない。
いや、千二百年に及ぶ妄執の果て、クロイス家の知識と記憶を受け継ぐ彼女だからこそ誰よりも知識の探求には貪欲であった。
リィンに協力しているのも、自らの研究のためと言っていい。
「とはいえ、リィンさんの機嫌を損ねる訳にはいきませんし」
少しは自重しませんと、戒めるようにベルは自分へ言い聞かせる。
確かに知識は欲している。しかし、それでリィンとの関係が崩れてしまっては意味がない。
エリオットも興味深い観察対象だが、リィンほどではない。
彼女が求める答えに辿り着ける可能性があるのは、リィンを置いて他にいないからだ。
ベルが望むのは、大いなる秘法――アルス・マグナ。錬金術における最終到達点だ。
リィンのアルス・マグナは、まだ完全≠ニは言い難い。しかし、それでも手の届く位置にいることは確かだ。
それだけにリィンとの協力関係を維持することは、彼女にとって何よりも優先すべきことだった。
しかし、
「無駄な知識などありませんし、得られるのであれば回収しておきたいですわね」
知識を求めるのは、錬金術師の性だとベルは考える。
まだ蒐集していない知識を得られるのであれば、利用しない手はない。
だからこそ、黒の工房の拠点を有効活用する案をリィンに提示したのだ。
九百年もの歳月をかけて、地精が蒐集してきた知識と技術。
そこにはクロイス家が長年の研究で生み出したホムンクルスの技術も含まれている。
ならば、その使用料に利子を付けて、彼等の施設ごと研究資料を根こそぎ貰ってしまおうと考えた訳だ。
「アリサさんたち、上手くやってくれていると良いのですけど……」
クロスベル一帯を覆っている結界にはノルンの力が使われているが、その制御にはオルキスタワーの演算装置が使用されている。
この演算装置はクロイス家の魔導技術が使われていることもあって、いまのところベル以外には使いこなすことが出来ない。
そのため、クロスベルを離れることが出来ず、工房の件はアリサたちに任せたのだ。
「まあ、この程度は乗り越えて貰わないと、先が思いやられますしね」
足を引っ張るくらいなら、ここで脱落してくれた方が助かるとベルは考える。
だから敢えて、地精の長が罠を仕掛けているであろうことを黙っていたのだ。
「そう、思うでしょ? 銅のゲオルグさん」
「……本当に怖い人だ」
ベルに尋ねられ、物陰から姿を見せる恰幅の良い男。
虫も殺さない温厚な顔付きからは想像も付かないほど、鋭い視線をベルに向ける。
男の名はゲオルグ。またの名を――
「では、そろそろ商談≠ノ移りましょうか。実りのある話が聞けることを期待していますわ」
ジョルジュ・ノーム。
トワやアンゼリカ。クロウの友人にして、シュミット博士が腕を認めた弟子の一人。
いまは技術者としての知見を広げるため、大陸各地の工房を巡る旅にでているはずの青年だった。
◆
「あれ? もしかして驚いてない?」
腑に落ちないと言った表情で、首を傾げるミリアム。
無理もない。素直に自分の知っていることを話したと言うのに――
レンとキーアの反応はミリアムの予想に反して、あっさりとしたものだったからだ。
「ある程度、予想はしていたもの。確信したのは、遂さっきだけどね」
内通者がいることは分かっていたとレンはミリアムの疑問に答える。
暁の旅団やリィンの活躍については、実際のところ関係者以外では詳しく知る者は少ないのだ。
しかしリィンの話からも、アルベリヒはリィンのことをかなり詳しく調査している様子だった。
最初はギリアスから話を聞いていたのかとも考えたが、カレイジャス襲撃の件。OZシリーズを囮にして混乱のどさくさにレンとキーアをさらった手腕は見事だが、誰にも気付かれずに二人を誘拐するなど船の構造に詳しくなければ出来ないことだ。
そこから導かれる答えは一つしかない。
カレイジャスの構造に詳しく、リィンのことをよく知る人物が地精と繋がっていると言うことだ。
候補は何人かいるが、そのなかでレンが特に怪しいと考えていた人物――それがジョルジュだった。
ただ確信がなかったので、これまで誰にも言わなかったのだ。
それに――
「キーアも気付いていたみたいだしね」
レンが確信へと至れた最大の理由は、キーアが同じ答えに行き着いたことも理由の一つにあった。
零の巫女であった頃の能力の名残なのだろう。キーアの直感は、予知に近いレベルで当たる。
一方でレンは得られた情報を統合し、様々な角度から解析することで答えを導くのを得意としていた。
キーアの直感と、レンの推理が同じ答えを示したのだ。ならばもう、それは答え合わせをするまでもない。
「情報局が警戒するはずだよね……」
レンとキーアのことは帝国情報局も当然掴んでおり、要注意人物としてマークされていた。
しかし、それも二人の能力を目の当たりにすると、無理もないとミリアムは考える。
「それで? ジョルジュ・ノームから何か聞いてないの?」
「それが詳しいことは何も聞かされてないんだよね。上からジョルジュを紹介されて、命令に従ってただけで……」
「使えないわね。ただ命令に従うだけなら、サルにだって出来るわよ」
「ぐっ……」
レンの辛辣な言葉に反論できず、唸るしかないミリアム。
組織に身を置く以上、上からの命令は絶対だ。
命じられれば、その通りに動くしかない。
しかし、生まれが特殊とはいえ、ミリアムにも良心はある。
今回の件、取り返しのつかない悪事に加担したという自覚はあるのだろう。
「まあ、いいわ。大方の予想はついているから」
「え、それって……」
どう言う意味なのかとミリアムがレンに尋ねようとした、その時だった。
二度目の大きな地震が三人を襲ったのは――
「今度の揺れは、かなり大きいわね。地震の間隔と揺れの大きさからして、保って後十分くらいと言ったところかしら?」
「うん、急いだ方がよさそう。この道を真っ直ぐ進めば、皆と合流できるはずだよ」
「なんで、そんなことが……驚くだけ無駄か」
レンとキーアの会話を聞き、もう驚くのも疲れたと言った表情でミリアムは深い溜め息を溢すのだった。
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