「レンちゃん!」
姿を見つけるなり勢いよく走り寄ってくるティータを、苦笑いを浮かべながらも優しく受け止めるレン。
こんな場所にティータがいる理由。そして、エステルとヨシュアが一緒の理由を察したのだろう。
「どうやら心配をかけたみたいね。エステルとヨシュアも元気そうで何よりだわ」
「本当にこの子ったら……」
「まあ、心配は要らないだろうとは思っていたけどね」
いつもと変わりないレンの様子に安堵しながらも、呆れた表情を浮かべるエステルとヨシュア。
レンならば大丈夫だろうとは思っていたが、それでもやはり心配はしていたのだ。
でなければ、無理をしてまで帝国へやってきたりはしない。
それだけに誘拐されたとは思えないほどいつも通りの姿を見せられれば、二人の口から溜め息が漏れるのも無理はなかった。
しかも状況から察するに、誰の助けも借りずに自分たちだけで逃げてきたと言うことになる。
とはいえ――
「怪我もないようで良かったわ。余り心配をかけないで頂戴」
「エステル……えっと、ごめんなさい」
心の底から無事を喜ぶエステルを見て、バツの悪そうな表情で謝罪を口にするレン。
珍しく殊勝な態度を見せるレンを見て、苦笑を漏らすエステル。
「うん。ちゃんと反省しているみたいだし、今回は許してあげる」
ジェニス王立学園への入学を勧められたのに辞退し、エステルたちの反対を押し切ってまでレンが情報屋を始めたのは、リィンを気に入ったと言うのも理由の一つにあるのだろうが、クロスベルには彼女の本当の両親と血の繋がった弟がいるからだとエステルとヨシュアは知っていた。
元執行者と言っても、環境が彼女をそうさせただけで基本的にレンは家族思いの優しい女の子だ。
だからこそ、家族や親友に心配をかけたという自覚は彼女にもあるのだろう。
「これで情報屋なんて辞めて、大人しくリベールへ帰ってくれると嬉しいんだけど……」
「それとこれとは話が別よ。エステルがしつこくレンに学園への入学を勧めるのは、情報屋どうこうよりも団長さんのことが気に入らないからでしょ?」
「ぐっ……あ、あたしはレンの将来を思って……」
「今更、学園で学ぶことなんて何もないわよ。そういうエステルだって学園に通ってないじゃない」
十六歳の誕生日を迎えるなり、すぐに遊撃士の道を志したエステルはレンの言うように学園へ通っていない。
一応、七曜教会が主催している日曜学校にはエステルも通っていたのだが、お世辞にも成績優秀とは言えなかったからだ。
頭で考えるよりも身体を動かすことの方が得意で、実の姉のように慕っているシェラザードや父親の影響もあって遊撃士に憧れていたこともエステルが進学の道を選ばず、十六歳の誕生日を待って遊撃士の世界へ飛び込んだ理由として大きいだろう。それだけに、レンのことをとやかく言えない自覚はエステルにもあった。
実際、父親にもレンのことを相談したのだが、お前が言うかと言った顔で笑いながら「本人の好きにさせてやれ」と言われてしまったのだ。
「でも、私も本音を言えば、レンちゃんと学園に通いたかったかな……」
「ティータ……」
エステルには強く反論できても、ティータには弱い反応を見せるレン。
ティータが一緒に学園へ通うことを楽しみにしていたと言うのを聞いているので、若干の負い目があるのだろう。
勿論、勉強だけが学園に通う理由じゃないと言うことは、レンにも分かっている。
ティータのように友達と学び、共に遊び、青春を謳歌するのも学園生活の主旨だと言うことは――
それでも――
「ごめんなさい。でも、どうしてもやらないといけないことがあるのよ」
レンはクロスベルに残ることを決めた。それは、この先に待ち受けているであろう最悪の未来を予見したからだ。
今回の事件など比較にならない。この世界はじまって以来の危機が訪れるとレンは考えていた。
そして、その事件の中心にいるのがリィンであるとも確信していた。
だからこそ、クロスベルを――大切な人たちを守るためにレンはリィンに協力することを決めたのだ。
何の確証もない荒唐無稽な話だが、ティータならきっと信じてくれるだろう。でも、そんな話をすれば、彼女まで学園への入学を諦めてしまう。
だからこそ、レンは誰にも自分の考えを明かしたことがなかった。
そして恐らく、これからも本心を明かすことはないだろうと思う。
リィンが少し自分たち≠ニ似ているとレンが思うのが、そういうところだ。
嘗て楽園に囚われていた自分を救いだし、手を差し伸べてくれたもう一人の家族≠ノ――
「レンちゃん……もしかして団長さんのこと……」
「エステルが深読みすると面倒臭いから、変な勘ぐりはやめて頂戴」
ティータが妙な誤解をしそうになったので、先手を打って釘を刺すレン。
リィンのことは気に掛けているし、好感も持っている。とはいえ、恋愛感情があるかどうかは別だ。
正直に言うと、自分でもよく分からないというのがレンの本音だった。
ただ、幼い日の憧れをリィンに重ねているだけなのかもしれないと考えることがある。
第一、仮にリィンにそういう感情を抱いたとしても相手にされないだろうという確信があった。
アルフィンやエリゼに迫られても、まったくなびく様子を見せていないのだ。
(十八歳以上でないと相手にしないみたいなことを言ってたみたいだし、レンは完全に射程圏外よね)
そのことに若干思うところがない訳ではないが、自分がまだ子供だという自覚はレンにもあった。
子供扱いされていると言う訳ではないのだが、身体的な問題はどうしようもない。
(でも、レンだって後三年もすれば……)
きっとリィン好みの大人のレディへ成長するはずだとレンは考える。
時間が解決する問題とはいえ、年相応の悩みは彼女も抱えているのだ。
「レンちゃん、やっぱり……」
「誤解だから。ただ、ちょっと不満というか……ああ、もう、この話はこれでお終い! いまはそんなことしてる場合じゃないでしょ?」
これ以上この話を続けると面倒臭いことになりそうだと感じたレンは、さっさと話を打ち切る。
とはいえ、ティータもレンの相談に乗れるほど恋愛経験豊富と言う訳ではない。
彼女も片思いの最中で、悩みを抱えている身だからだ。
「なんだか微妙に気になる話をされてる気がするんだけど……」
「エステル、話を蒸し返さない。実際、それどころじゃないのは確かだしね」
非常事態だと言うのに、緊張感のない様子を見せるリベール組。
そんな彼女たちを見て、キーアは何処か懐かしそうな笑みを浮かべる。
ロイドたち――特務支援課の皆と過した日々が頭を過ったからだ。
「キーア? どうかしたの?」
「ううん。ただ、本当に仲が良いなって見てただけ。私も皆に会いたくなってきちゃった。帰ったらエリィをギューッと抱きしめてあげようかな」
「抱きしめてもらうんじゃなくて、あげるなのね……」
確かにエリィは喜びそうだが、キーアに末恐ろしいものを感じるレン。
計算半分、天然半分と言った感じで自然とそれをやれるのがキーアの怖いところだと察してのことだった。
誰よりも魔性の女としての資質があるのはキーアなのかもしれない。
そんなバカなことを考えていると――
「うーん、キーアちゃんは本当に良い子ね。代わりにあたしが抱きしめて――」
「エステル。長くなるから、その辺りで――これは!?」
再びレンたちを地震が襲う。
先程までよりも更に大きな揺れ、何か物に捕まっていないとバランスを崩すほどの地震だ。
床に屈み、身を寄せ合って揺れが静まるのを耐えるエステルたち。
「どうやら収まったみたいね。みんな、大丈夫?」
揺れが収まったことを確認して、皆の無事を確認するエステル。
幸いなことに怪我人がいないことを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
ヨシュアの言うように、状況はかなり切迫していた。
地震の頻度、規模ともに段々と大きくなってきている。
これは――
「もう余り時間が残されていないみたいね。驚かずに聞いて頂戴。恐らく、この地震は――」
「レグナートやツァイトと同じ女神が遣わした聖獣――土の聖獣が地脈を乱しているのが原因でしょ?」
「そうそう……って、なんで知ってるのよ!?」
とっておきの情報を披露しようとしたところでレンに先を越され、驚きの声を上げるエステル。
まあ、エステルたちがその情報を得ることが出来たのは、ティータの手柄なのだが――
「こっちにはキーアがいるのよ? それに……」
「ん? ボク?」
「……これはおまけ≠セから余り気にしなくていいわ」
「ちょっと! 扱いが酷くない!?」
やっと声が掛かったと思ったらレンから酷い扱いを受け、抗議の声を上げるミリアム。
とはいえ、情報源と言う意味では、余り役に立っていないのも事実だった。
ミリアム自身も今の状況をよく理解していないからだ。
「話には聞いてたけど、キーアちゃんってチートよね……」
「そう? 私よりもノルンの方が凄いと思うけど」
「ああ、アイツのところにいるって噂の……キーアちゃん、そっくりの女の子のことよね?」
「まあ、うん……エステルは会ったことがないんだっけ?」
「残念ながらね。キーアちゃんそっくりの美少女なら、一度ギューッと抱きしめさせて欲しいんだけど……」
だからエステルの前には出て来ないんじゃと考える一同。
とはいえ、ノルンと直接会ったことがある者は少ない。暁の旅団の団員でさえ、彼女の行動を把握していないのだ。
神出鬼没なことからノルンを見た日は幸運に恵まれると、座敷童のような扱いも受けているくらいだった。
「また話が脱線しかけてるわよ。本当にもう……」
これだからエステルは、と呆れるレン。
とはいえ、それがエステルの良さでもあると分かっていた。
彼女がいると周りが明るくなる。どれだけ絶望的な状況でも、頑張れると言う気持ちになれるのだ。
それはエステルの強味であり、ヨシュアや自分が救われた理由だとレンは考えていた。
とはいえ――
「これ以上、話が脱線しても困るからエステルは黙ってて」
「レンが冷たい……」
いまはエステルの相手をしている余裕はないと、冷たくあしらうレン。
嫌いになった訳ではないが、実際それだけ彼女も余裕がないのだろう。
この状況。リィンがいれば話は別だが、
「団長さんはきてないのよね?」
「うん。レミフェリアで開催される通商会議へ招かれたらしくてね」
「このタイミングで? それって……」
「罠だろうね。あとは彼を帝国から引き離したかったんじゃないかと」
ヨシュアの話を聞き、やはり自分の予想が正しかったことを確信するレン。
リィンが帝国を離れていると言うことは、この状況は仕組まれたものだと言うことだ。
となれば、アルベリヒの狙いには幾つかの仮説が立てられる。
やはり一番可能性が高いのは〈暁の旅団〉の戦力を削ぐことだろう。
レンやキーアを囮にしてアリサたちを誘き寄せ、この工房ごと息の根を止めると言うことだ。
しかし、
「問題は敵の狙いね。正直、殺すよりは人質にした方が利用価値は高いと思うし」
「それは僕も疑問に思っていた。話を聞いている限りでは、地精の狙いは彼の命ではないとの話だし……」
アルベリヒの狙いは、次元の狭間に封じられた巨イナル一とも呼ばれる鋼の至宝を現世に復活させることだ。
だからこそ巨イナル一と繋がり、その力を引き出すことの出来るリィンを仲間に引き入れようとした。
なのに〈暁の旅団〉のメンバーに手をだせば、リィンの怒りを買うことになる。
協力を得られないのであれば殺してしまえというのは、余りに考え方が安直すぎる。
「でも、それっておかしくない? どう考えても罠に嵌めて工房諸共アタシたちを消そうとしてるようにしか思えないんだけど……」
エステルの言うように状況は確かにそうだ。
このままだと彼女たちは火山の噴火に巻き込まれて、この工房と運命を共にすることになるだろう。
だが、それはエステルたちがこのまま工房に留まれば、という条件の下での話だ。
「助けにきたってことは、脱出のためのルートも確保してあるんでしょ?」
レンの問いに首を縦に振ることで答えるエステルとヨシュア。
実際、このまま彼女たちが逃げてしまえば、地精の思惑は大きく外れることになる。
一人も道連れに出来ず、工房だけを失うという最悪の結果も考えられるのだ。
なら、そうさせないための戦力くらいは配置すべきだが、実際はもぬけの殻に近い状況。
これでは、どうぞ逃げてくださいと言っているようにしか思えない。
「レン。もしかして、地精の思惑に気付いているのかい?」
「確証はないけどね。恐らく、ここは――」
◆
「なるほど……そういうことだったのね」
オルディーネの腕に抱えられながら地底へと進む中で、何かに気付いた様子を見せるヴィータ。
それは隣にいるローゼリアも同じだった。
「これは、ちょっとまずいかもしれんな」
「ええ。逃げたところで……そもそも大陸の何処に逃げても無駄ね」
『おい、二人して何を言ってやがる?』
意味深な会話をする二人を訝しみ、説明を求めるクロウ。
最高峰の力を持つ魔女が二人揃って不吉な言葉を口にすれば、気になるのは当然であった。
「この下にあるのは儀式のための祭壇よ。いえ、この工房自体が既に異界化している」
「異界の主は、アルグレス。鋼の呪いを一身に受け、自らを始まりの地へと封じた女神より遣われし聖獣じゃ」
『おい、それって……』
「異界化を解くには、アルグレスを討滅するしかない。そして、この異界化を止めることが出来なければ……」
この工房だけに留まらず異界は帝国全土を浸食することになると、ヴィータとローゼリアは答える。
いや、恐らくその影響は帝国だけに留まらないだろうとも――
大陸全土が鋼の呪いに侵されることとなる。
その先に待ち受けているのは、帝国の血に塗れた歴史が物語っているように破滅的な未来しかない。
「半年前の事件を覚えてるわよね?」
『忘れるはずがないだろ。おい、まさか……』
「そのまさかよ。九百年前、暗黒竜によって精神を支配された人々や、二百五十年前の吸血鬼事件。そして半年前のグノーシスを摂取した人たちと同じように、好戦的な性格へと変貌したり最悪のケースだと異形化する人たちまで出て来るでしょうね」
これまでのように限定的な効果ではなく、より強く呪いの影響を受けることになるとヴィータは予想していた。
というのも、アルグレスが始まりの地に自身を封じていたからこそ、呪いの力は最小限に抑えられていたのだ。
しかしその封印が解かれ、ここより発生した異界に世界が呑まれることになれば、これまでよりも遥かに強い呪いの影響を人々は受けることになる。
性格が好戦的になる程度であれば、まだマシだろう。
最悪、グノーシスを服用した人々のように異形の存在へと変貌する者が現れる可能性は高い。
実際それと似たような事件は、過去に幾度となく起きているのだ。
「そして恐らくは、そのことに妾たちが気付くことも計算の内なのじゃろう。どのような行動にでるかも……」
当然このまま放って逃げるなどと言った真似が出来るはずもない。どうにかして異界の浸食を止める必要がある。
最悪の場合、アルグレスを殺すことになったとしても、止められなければ世界が終わるかもしれないのだ。
『でも、シャーリィが先に行ってるんだろ? アイツなら……』
アルグレスを殺せるんじゃないかとクロウが言おうとしたところで、ローゼリアは首を横に振る。
「無理じゃ。騎神では聖獣を殺せぬ。正確にはゼムリアストーンの武器では、聖獣に傷を負わせることが出来ぬのじゃ」
勿論、例外はあるがと話すローゼリア。
例外と言うのは、リィンとヴァリマールのことだ。
巨神を滅ぼしたあの力≠ナあれば、女神の聖獣を消し去ることは可能だろう。
しかし、そのリィンはここにはいない。となれば、取れる手立ては限られる。
「婆様、まさか……」
「騎神では聖獣を殺せぬ。しかし、妾であれば……」
アルグレスを殺せるかもしれない。
それが無理でもアルグレスが過去にやったように呪いを引き受けることで、呪いの浸食を一時的に抑え込むことが可能かもしれないとローゼリアは考えていた。
しかしそんな真似をすれば、ローゼリアがどうなるかなど考えるまでもない。
『あなたなら、きっとそう言うだろうと思っていました。ロゼ』
「この声は、まさか――」
懐かしい声に気付き、ローゼリアは声を上げる。
地底に響く声と共に、オルディーネの前に現れた一体の騎神。
それは――
「リアンヌ!」
銀の騎神――アルグレオンであった。
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