――時は溯ること数日前。
「……やはり、戦争は避けられませんか」
帝国軍が再びノーザンブリアへ向けて侵攻を開始したとの報せを受け、物憂げな表情を浮かべる女性の姿があった。
見た目は齢六十を超える老婆だが、高貴で気品溢れる佇まいは彼女が只者ではないことを悟らせる。
そう、この女性こそクローゼの祖母にしてリベール王国を治める女王。
第26代国王、アリシア・フォン・アウスレーゼであった。
そして――
「残念ながら……」
城のバルコニーから王都の景色を眺める女王の傍らには、男装の麗人が控えていた。
王国軍・親衛隊の軍服に身を包んだ彼女の名は、ユリア・シュバルツ。
女王直属の王室親衛隊の隊長で、王国軍でも指折りの剣の使い手だ。
「殿下には、お戻り頂けるようにと通信を送ったのですが……」
聞き入れられなかったことが、ユリアの表情を見れば容易に察せられる。
とはいえ、クローゼを送り出した時点で、こうなる予感は彼女のなかにあったのだろう。
幼い頃から教育係兼護衛を務めてきただけに、クローゼの性格はよく知っているからだ。
「あなたには苦労をかけますね」
「いえ……そんなことは決して」
「よいのです。今回の件は、すべてあの子の我が儘≠ェ原因。あなたに責はありません」
女王の言葉から、それがクローゼの望みなのだとユリアは察する。
でなければ誰よりも孫娘のことを気に掛けている女王が、クローゼに責が及ぶようなことを口にするとは思えないからだ。
「次期国王にクローディアを推したのも、すべてあの子の幸せを願ってのことでしたが……」
余計なお節介だったようですね、と女王は苦笑する。
勿論、クローゼを次期女王に推したのは国のためでもある。
クローゼなら立派な女王となり、この国を、民を導いていけると思ったからだ。
しかしクローゼが見ているのは、もっと大きなものなのだろうと女王は思う。
リィンに好意を寄せているのは確かなのだろうが、それだけでユリアを困らせる無責任な子ではないと知っているからだ。
そして、
「それと例の贈り物≠フ件なのですが、博士によるとアーティファクトと同等の機能を有しているのは間違いないそうです」
その予感は間違っていなかったのだと、確信させる出来事があった。
それがクロスベルを経由して『エタニア』と名乗る聞いたこともない国から友好の証≠ニして贈られてきた一台の小さな機械だった。
それはアリサの開発した戦術オーブメントの拡張ユニット〈ユグドラシル〉の機能を限定し、物資の搬送用に開発された小型のオーブメントだった。
手の平サイズでありながらコンテナ二台分の物資を収納できる未知の道具に、女王より解析を依頼されたツァイト中央工房の技術者たちが色めき立ったのは言うまでもない。しかし調べて分かったことと言えば、自分たちの知らない未知の技術が用いられていると言うことくらいで、リベールの技術では模倣は疎か解析すら難しいという現実だけだった。
いや、そもそもの話からして仮に共和国や帝国に持ち込んだとしても、この世界の技術では同じものを製作することは不可能だというのがエプスタイン博士の三高弟の一人、ツァイト中央工房を代表するラッセル博士のだした結論であった。
言ってみれば、それは――
「アーティファクトと同等……アーティファクトではないのですか?」
「それはないとのことです。明らかに最近になって作られたものだと……」
再現不可能と言われたアーティファクトと同等のものの開発に成功したと言うことになる。
しかしラッセル博士の言うように、そんなものを開発できる国など聞いたことがない。
教会ですらアーティファクトの扱い方は理解できても、再現には至っていないのだ。
結局、彼等も遺跡で発掘されたアーティファクトを利用しているに過ぎない。
「大陸の外からやってきたと言うのは、本当なのかもしれませんね」
少なくとも、このゼムリア大陸にそのような未知の技術を有する国は存在しない。
だとすれば、エタニアと言う国が大陸の外に存在すると言われても否定する根拠はなかった。
勿論これだけで信用することは出来ないが、少なくとも彼等が未知の技術を有していることだけは確かだ。
それに――
「クローディアの提案を受けようと思います」
「……よろしいのですか?」
「この件にクロスベルが絡んでいると言うことは、彼が裏で糸を引いているのは間違いないでしょう」
既にクロスベルは戦後を見越して、エタニアとの貿易交渉に入ったとの情報も女王のもとには入ってきていた。
まるで事前に示し合わせていたかのようなクロスベルの動き。
状況から考えても、クロスベル政府はエタニアの存在を知っていたと考えるのが自然だろう。
だとすれば、今回の件の背後にリィンがいる可能性は相当に高いとアリシア女王は考える。
恐らくクローゼも薄々とそのことに気が付いていたのだろう。
だからこそ自身の立場を脅かしてまで、リィンと行動を共にする道を選んだ。
リィンの近くにいることが、結局はリベールの未来に繋がると考えたからだ。
「帝国が黙っているとは思えませんが……」
「話に乗らなくても同じことです。我が国が抱える問題はクロスベルと共通する部分が多いですから……」
リベールはクロスベルと同様、エレボニア帝国とカルバード共和国という二つの大国に挟まれた国だ。
そのため、何かと両国のいざこざに巻き込まれ、仲裁を担ってきた国でもあった。
百日戦役も元を辿れば、この両国の対立が原因の一端を担っていると言ってもいい。
どちらの国につくのかと難しい選択を迫られてきた歴史があるだけに、ある意味でクロスベル以上に際どい立場に置かれている。
だからこそ、リベールに話を持ってきたのだろうとアリシア女王は見ていた。
そして、そのことはクローゼも気が付いているはずだ。
その上で、この話に乗るべきだと判断したのだろう。
「ですが、教会はどうされますか?」
ユリアの言うように一つ憂慮すべき問題があるとすれば、それは教会との関係だった。
七耀教会は各国の政治に不干渉の立場を表明してはいるが、影響力をまったく持たないと言う訳ではない。
実際、教会と各国との間には、教会の役割にも直結する盟約が結ばれていた。
そのなかでも最たるものは、アーティファクトの扱いに関するものだ。
教会はアーティファクトの回収に協力するように各国へ呼び掛けを行っている。機能を失っていないアーティファクトは危険な代物で、適切に管理できるのは教会だけだというのが彼等の主張だからだ。
しかし、仮にエタニアがアーティファクトを模倣できる技術力を有しているとすれば話は変わってくる。
自分たちの領分を侵された教会がどういう行動にでるか?
その対応次第では、エタニアにつくことで帝国と共和国だけでなく教会までも敵に回す可能性があると言うことだ。
とはいえ――
「この国にも選択の時が迫っているのかもしれません」
一度、動き出した歯車は止められない。それは帝国とノーザンブリアの戦争からも明らかだ。
この国の平和を願い、常に中立的な立場を取ってきたが、本当にそれが正しかったのかと女王は自問する。
戦争を終わらせるためにハーメルの真実を隠すことに同意したと言う点では、自身も帝国の皇帝と何ら変わらないのではないか?
そんな風に考えることがあるからだ。
あの時そうしなければ、この国を守れなかったかもしれない。
しかし、何も選ばなかった結果があの戦争を引き起こしたのだとすれば――
再び、この国は戦火に見舞われることになるだろう。
奇跡は二度と起きない。だからこそ、
「あの子には私のように後悔して欲しくはない。だから会ってみようかと思います」
「会う? それはエタニアの特使にですか?」
ユリアの問いに首を横に振るアリシア女王。
クロスベルと同様に貿易交渉を進めるのであれば、エタニアの特使を招く必要がある。
ユリアもそのつもりだっただけに女王の真意が読めず、怪訝な表情を浮かべるが――
「クローディアに連絡を取り、伝えてください。リベールの女王アリシア・フォン・アウスレーゼが、エタニアの女王との会談を望んでいると」
次の瞬間、驚きに変わるのであった。
◆
クロスベルから補給物資を運んできた部隊と共に、エリィがノーザンブリアへやってきたのは昨夜のことだった。
そして開戦を間近に控え、慌ただしく準備が進められる中――
内密に話があると相談されたアリサは、エリィの相談を受けていたのだが、
「クロスベルでリベールの女王とエタニアの女王が会談?」
聞かされた内容に目を丸くする。
まさか、そんな話がもう進められているとは思ってもいなかったためだ。
こちらの世界にダーナがやってきて数日。
幾らなんでもリベールの動きが早すぎると感じたのだろう。
しかし、
「クローゼ……クローディア殿下が直接リベールに働き掛けたみたい」
「ああ……そういうこと」
その疑問もエリィの話を聞き、合点が行く。
普段アルフィンと接しているだけに、クローゼの企てと聞いて腑に落ちるものがあったのだろう。
「お姫様って、みんなそうなの? それともリィンの影響なのかしら?」
まるでリィンが悪い影響を与えているみたいな言い方をするアリサに苦笑するエリィ。
アルフィンやクローゼが箱入りのお嬢様ならその可能性も否定できないが、あの二人の場合は生来のものだろうとエリィは思っていた。
逆に言えば、そんな彼女たちだからこそ、リィンに惹かれたのだと――
アリサに自覚があるのかは分からないが、自分もその内の一人だとエリィは考えていた。
「でも、そんな重要な話……私にしてよかったの?」
「あなただから事前に話しておきたかったのよ」
「……どういうこと?」
どうしてそんな重要な話を自分にするのか理解できず、首を傾げるアリサ。
経営に関することなら相談に乗れるが、ことは政治の問題だ。
自分の出番はないと思っていたのだろう。
しかし、
「リベールが興味を持ったのは、エタニアの技術でしょ?」
リベールの女王が一人で会談にやってくるとは思えない。
エタニアの技術に興味を持ったのだとすれば、恐らくは技術者も同行させるはずだ。
しかし、エリィは科学者ではなく政治家だ。多少の疑問になら答えられるが、専門的な知識は浅い。
ましてやエタニアの技術に直接触れ、学んだことのある人物などクロスベルの関係者にはいない。
話を聞き、ユグドラシルの開発者として意見を求められているのだとアリサは察するが、
「でも、私も答えられることは限られているわよ? 完全に理解しているとは言い難いし、ユグドラシルについても今のところ外にだすつもりはないから」
だから、ユグドラシルの機能を限定したものを敢えて用意したのだ。
エタニアの技術を他国に開示しようという考えは、リィンは勿論のことアリサにもないからだ。
勿論、当面の間は、という但し書きはつくが――
「それでいいわ。エタニアや、あなたたちの目的は商売なのでしょう?」
技術供与は難しくともエタニアとの貿易が開始されれば、異世界の珍しい品物を求めて大陸中の商人がクロスベルへと集まるはずだ。
それだけでクロスベルに益はある。
それにクロスベルが求めているのは、あくまで独立の確保だ。
エタニアとの関係構築は、帝国や共和国への牽制にも繋がる。
いまのところクロスベルが得られるメリットの方が大きいとエリィは考えていた。
「教会を敵に回すことになるかもしれないデメリットはあるけど」
「それはどうかしら? 教会も一枚岩ではないと今回のことではっきりとした分、交渉の余地は残されていると思うわ」
少なくとも七耀教会すべてが敵に回ることにはならないだろうとエリィは話す。
そもそもの話、アーティファクトの件や法国にあると噂される〈始まりの地〉のオリジナルについても多くの教会関係者は何も知らされていないのだ。
それに教会内部にも派閥は存在する。
同じ神を崇めていても所属する勢力によって主義主張が異なる現状がノーザンブリアの件で浮き彫りとなった。
なら、つけ込む余地は幾らでもある。
「上手く立ち回れば、教会を内部から切り崩せるかもしれないわ」
「……リィンに一番毒されてるのって、エリィじゃないかって最近おもうことがあるわ」
さらりと怖いことを口にするエリィに、若干呆れた視線を向けるアリサ。
明らかに出会った頃と比べて、考え方が腹黒くなっている様子が見て取れるからだ。
敵に対して容赦のないあたりは、リィンの影響を強く受けているようにも見える。
「私はただ、自分の大切なものを守りたいだけよ」
二度と、手放さないために――
例え自分の手を汚すことになったとしても、大切なものを守るために可能な限りの手を尽くす。
それがリィンと行動を共にするようになってから、エリィが学んだ一番大切なことだった。
「とはいえ、まずはこの戦争を終わらせるのが先ね」
「同意するわ。こんなバカげた戦争……早く終わらせないと」
すべてはこの戦いを終わらせてから、と話すエリィに同意するアリサ。
しかし、どこか思い詰めた表情を浮かべるアリサを見て、やっぱりと言った顔でエリィは溜め息を漏らす。
アリサが突入部隊のメンバーに志願したのは、別の理由があることを察していたからだ。
実のところアリサの様子が気になって、補給物資を運ぶ部隊に無理を言って同行したというのが真相だった。
事情を知るだけに止めるつもりないが、
「言い忘れていたけど、私も突入部隊のメンバーに志願したわ。一緒に頑張りましょう」
「え?」
いまのアリサを一人にはしておけない。
せめてリィンが戻るまでは彼女の傍にいることを、エリィは心に誓うのだった。
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