「間に合わなかったみたいですね」
帝国軍が野営地としていた荒野を離れ、ノーザンブリアへの侵攻を開始したとの報せを受けたアルフィンの口から溜め息が溢れる。
リィンが姿を消してから三週間。いまだに帰還の報せが入っていないためだ。
とはいえ、煌魔城の時も一ヶ月近く連絡の付かない状況が続いたのだ。
無数の世界へと繋がる次元の狭間は、人の想像が及ばないほどに広大だ。
ツァイトが捜索に向かったとはいえ、そう簡単に見つかるとは思えない。
不幸中の幸いは、まだリィンが生きていることだけはノルンの話からも確信できることだ。
普通の人間がそんな空間に放り込まれれば無事では済まないだろうが、リィンは普通≠ナはない。
ある意味で不死者のアリアンロードやバレスタイン大佐よりも、遥かに人間離れした存在と言っていい。
リィンのことをよく知る者であればあるほど、リィンに命の危険が迫るのを想像できないと言うのが正直なところであった。
「はあ……」
また一つ、溜め息が溢れる。
勿論、アルフィンもリィンの無事を疑っていない。
とはいえ、心配なのは変わりが無いし、これから帝国との戦争が始まろうとしているのだ。
リィン抜きでこの危機を脱しなければならないと考えれば、不安に思うのは当然であった。
しかし、
「皇女殿下、我々だけでは不安ですか?」
アルフィンの心を見透かすようにオーレリアは尋ねる。
確かにリィンはいない。しかし〈暁の旅団〉を始め、オルディスで名を馳せた護衛船団〈銀鯨〉の団員たち。
同じくラマール州からやって来た決起軍の兵士たちにクロスベルからも警備隊が駆けつけ、北の猟兵や志願した義勇兵も含めれば総数は四万を超える。
それに――
「上に立つ者が不安を顔にだせば、それは皆にも伝わる。そう言うことですよね?」
エタニアと呼ばれる国からやってきた女王の名代、ダーナ・イクルシア。
彼女が応援に連れてきた兵力は二百ほどだが、何れも不死者という規格外の戦力を保持していた。
さすがにアリアンロードほどの力はないが、それでも伝説とまで謳われた海賊の団員たちだ。
その実力は疑うべくもなく、リィンの眷属となって嘗ての力を取り戻した今なら〈暁の旅団〉の団員にも引けを取らない。
そして、そんな彼等を率いるダーナ自身も凄腕の双剣使いだった。
しかも、導力魔法や魔女の秘術とも異なる異世界の精霊術≠フ使い手だ。戦力にならないはずがない。
とはいえ、アルフィンがリィンに期待する気持ちがダーナにも分からない訳ではなかった。
それほどにリィンの力が圧倒的で、どんな絶望的な状況でも希望を抱かせるほどに強いものだと知っているからだ。
しかし、
「確かに彼≠ネら、一人でもこの状況をどうにかしてしまうかもしれない。でも――」
それが正しいことだと、ダーナには思えなかった。
勿論、リィンの力を借りなければ、今頃ダーナたちの世界は消滅していたかもしれない。
しかし、すべてをリィンに頼ってしまえば、これから先も彼なしでは立ち行かなくなってしまう。
「自分たちの力で乗り越えられることなら、彼の力をあてにするべきではない」
故に、可能な限り自分たちの力で乗り越えるべきだと、ダーナは考えていた。
最初の方こそ〈暁の旅団〉の力を借りはしたが、グリーク海軍との戦いはキャプテン・リードとダーナたちが主導で行い、いまや多島海はエタニアの統制下に入っている。
その後のロムン帝国との交渉もグリゼルダやカーラン卿などロムン出身の協力者の力を借りることで、いまのところ順調に進んでいた。
ロムン帝国にしても現在はアルタゴ公国との戦争中で大軍を動かせるほどの余裕がなく、エタニアと事を構えるほどの余力がないというのも理由の一つにあるのだろう。
それに時を同じくしてロムン帝国からの独立を宣言したセルセタの動きに呼応するように、各地で独立の気運が高まっていることもエタニアに有利な状況を生み出していた。
これらはすべて、ダーナたちがロムン帝国との交渉を有利に進めるため行ったことだ。
もっと積極的にリィンの力を借りていれば、ロムンの首都を陥落させて一方的に交渉をまとめることも可能だっただろう。
しかしそうしなかったのは、たった一人の力に頼り切った国を造らないため――
仮初めの平和ではなく、これから先も自分たちでその平和を守っていける。
そんな未来を見据えてのことだった。
「確かに……ここでリィンさんの力をあてにするのは、彼等にも失礼ですね」
リィン抜きでは戦争に勝てないと言っているようなものだと、アルフィンは自分の非を認める。
それは呼び掛けに応え、この地に集まってくれた全員の力を否定することにも繋がるからだ。
そんななか――
「まあ、この場にいる誰一人として団長には勝てぬのだから皇女殿下の不安も分かるがな」
アルフィンの謝罪で丸く収まりかけていたというのに話を蒸し返すオーレリアに視線が集まる。
「私は負けていませんが?」
「だが、シャーリィには負けたのであろう?」
武人の矜持を刺激されてか?
自分は負けていないと口を挟むアリアンロードに、オーレリアは挑発するような言葉を返す。
確かにアリアンロードは一度リィンと戦い、引き分けている。
しかし、シャーリィに敗れたことを考えると、次もリィンと戦って負けないと言う保証はない。
普通に考えれば、いまのリィンの力はアリアンロードを凌駕すると考えた方が正しいだろう。
そのことはアリアンロードも自覚があるのか、反論する様子を見せないが――
「マスターになんてことを!?」
「はいはい、あなたまで挑発に乗らない。アイネスも見てないで止めて頂戴」
「やれやれ……」
代わりにオーレリアの挑発に乗る者がいた。
アリアンロード率いる鉄機隊の隊長、デュバリィだ。
敬愛する主を貶められて激昂するデュバリィを嗜めるエンネア。
そんな今にも剣を抜きそうなデュバリィを抑えるために、アイネスも駆り出される。
「貴殿も挑発に乗ってくれてよかったのだがな……」
「……やはり、そういう思惑でしたか」
やはり自分を挑発するためかと、オーレリアの行動の意図を察するアリアンロード。
オーレリアが自分との決闘を望んでいることに、アリアンロードは気付いていたからだ。
「この一件が片付けば、あらためて場を設けても構いません」
「ククッ、そうこなくてはな」
故に、この戦争が片付いた後ならと言う条件で、アリアンロードは譲歩を見せる。
断ったところで、オーレリアが諦めるとは思えなかったからだ。
それにアリアンロード自身、オーレリアの力が気になっているというのは本音にあった。
リィンやシャーリィとも違う――純粋に剣の腕のみを磨き続け、理の域へと至った達人。
得物は違えど、自分と同じ領域に彼女は立っていると感じ取ったからだ。
「嫌いじゃねえが、こっちの世界の連中はこんなのばかりなのか?」
「誰を頭に思い浮かべて言っているのかは理解できるけど、ああいう人たちは極一部だと思うよ……たぶん」
シャーリィのことを頭に思い浮かべながら妙な誤解を口にするキャプテン・リードに、ダーナは自信のないツッコミを入れるのだった。
◆
同時刻、カレイジャス二番艦〈アウロラ〉の食堂では――
「それじゃあ、そろそろ行ってくるね。そっちも頑張って」
「その前に一つ良いですか?」
食事を終えると席を立ち、ダーナたちのもとへ向かおうとするフィーを引き留めるラクシャの姿があった。
まさか、引き留められると思っていなかったのか?
フィーは首を傾げながら、ラクシャの言葉を待つ。
「どうして、断ったのですか?」
フィーが幻想機動要塞への突入部隊に選ばれながらも断ったことをラクシャは知っていた。
そして、自分の代わりにラクシャを指名したことも――
どちらの方が危険かというのは議論するつもりはないが、どうしてそんな真似をしたのか?
フィーの真意を確かめておきたかったのだ。
「私は猟兵だからね。ラクシャはまだ慣れ≠トないでしょ?」
「それは……」
なんのことをフィーが言っているのか、察せられないラクシャではなかった。
戦争が起きれば、多くの人間が死ぬことになる。戦場にでれば、たくさんの人間を殺すことになる。
それが当たり前であり、フィーはそうした世界で生まれ育ってきた。
しかし、ラクシャは違う。
「戦場で相手をするのは、キルゴールみたいな悪人だけじゃない」
殺さなければ殺される。一瞬の躊躇いが致命的な結果に繋がりかねないのが戦場だ。
ダーナも甘いところはあるが、絶望的な経験をしてきたこともあって人の死には慣れている。
グリーク海軍との戦争の話を聞いている限りでは、必要とあれば敵の命を奪うことを躊躇ったりはしないだろう。
しかし、ラクシャにその覚悟があるかと言うと、フィーはまだ難しいと見ていた。
「復讐の手伝いも断ったんだよね?」
「そのことが今の話と、どのような関係が……」
「答えて」
「思うところがないと言えば嘘になりますが、そんなことは望んでいませんから……」
ロズウェル家が領地を失ったのは他家の貴族の計略が絡んでいたことが分かっている。
思うところがまったくないと言えば、嘘になるだろう。
しかし、だからと言って復讐したいかと言えば、いまのラクシャにそんな気持ちはない。
領主の役目を放棄した自身の父親にも問題があったと考えているからだ。
兄が他家の貴族に嵌められて失脚したことは事実だが、一度失った領民の信頼を取り戻すのは難しい。
ロズウェル家が貴族の地位を追われるのは、遅いか早いかの差でしかなかったとラクシャは考えていた。
「……あなたなら、どうしましたか?」
自分の決断が間違っていたとは、ラクシャも思っていない。
しかし今このタイミングで、そんな話をすると言うことは、フィーには別の考えがあると言うことだ。
だからこそ一度、フィーの考えを聞いておきたいと思ったのだ。
リィンがどうしてあのような提案をしてきたのか?
そこから、その理由も察せられるのではないかと考えたからだ。
「殺すよ」
そんなラクシャの問いに、寸分の迷いもなく答えるフィー。
ゾクリと背筋が凍るような殺気をフィーから感じ取り、ラクシャの表情が強張る。
まさか、このような反応が返ってくるとは想像を超えていたのだろう。
「私の家族に手をだしたら報復≠キる。相手が誰であってもね」
◆
「ラウラ、行くよ」
食堂を後にすると、廊下の陰に隠れていたラウラに声を掛けるフィー。
早足でかけていくフィーの後を、慌ててラウラは追い掛ける。
「フィー。よかったのか? あのような言い方をして……」
「嘘は言ってない」
確かに嘘は言ってないだろうが他にも言いようがあるだろうと、ラウラは溜め息を溢す。
あの答え方では、要らぬ誤解を生みかねないと考えたからだ。
「兄上は彼女を団に誘っているのだろう?」
「それはそれ、これはこれ。いまのラクシャじゃ、団に入っても上手くやっていけると思えないから」
しかし、そんなラウラの考えを見越して、フィーは自分の考えを話す。
ラクシャのことは嫌いじゃないが、猟兵としてやっていけるかと言う話になると別だとフィーは考えていた。
基本的に猟兵になるような人間は、暗い過去を背負っている者が多い。
ラクシャも家族の件だけを見れば素質は十分にありそうだが、考えが甘過ぎる。
自分を捨てた父親を憎みきれず、家族が離散する原因を作った貴族を恨むことすらしない。
優しさは美徳だが、行き過ぎた優しさは自分自身を傷つけ、仲間を危険に晒すことになる。
エステルがリィンと反りが合わないように、いつかラクシャもリィンと考えが合わず、対立する日が来るかも知れない。
最悪の場合、本人にその気はなくとも団を裏切る可能性だってある。その点をフィーは心配していた。
「もしかして、自分に当て嵌めて感情移入した?」
ラウラも団に誘われているが、迷っているのをフィーは知っていた。
出会った頃よりはマシになったとはいえ、ラウラのなかにも甘さが残っていると知っているからだ。
「敵のなかに〈光の剣匠〉がいるそうだけど、戦える?」
父親に向かって、本気で剣を向けられるのかとフィーは尋ねる。
殺さずに終わらせるという甘い考えなら、ラウラは命を落とすことになるからだ。
「無理そうなら残ってもいいよ」
ラウラが戦場にでずとも、結果は変わらないとフィーは考えていた。
光の剣匠と戦いたいと思っている者は、ラウラの他にも大勢いる。
オーレリアなど、その筆頭と言って良いだろう。
シャーリィも幻想機動要塞の突入部隊に選ばれていなければ、嬉々として仕掛けていたに違いない。
「……覚悟は出来ている」
腰に下げた剣の柄を握り締めながら、真剣な表情でフィーの問いに答えるラウラ。
父親と命のやり取りをするかもしれないという現実に葛藤はあるのだろうが、フィーと共に戦場へでると決めた時からラウラのなかで覚悟は決まっていた。
とはいえ、実際のところは本人にしか分からない。直前になって躊躇う可能性もある。
しかし、
「ん……なら、これ以上は何も聞かない」
あとはラウラの問題だとばかりに、フィーは話を打ち切るのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m