「随分とあっさり引き下がったね」

 ヨシュアがそう尋ねるのには理由があった。
 クロスベルへ向かう飛行船にエステルとヨシュアの二人は乗船していた。開戦を間近に控え、避難する人々を安全にクロスベルまで護衛するためなのだが、エステルが幻想機動要塞の突入メンバーに参加したそうな素振りを見せていたことに気付いていたからだ。
 実際、ヨシュアも気にならないかと言えば嘘になる。
 ここまで関わった以上、最後まで結果を見届けたいと思うのは自然なことだろう。
 しかし、

遊撃士(あたしたち)≠ヘ猟兵(あいつら)≠ニは違うのよ。他国の戦争に手を貸す訳にはいかないでしょ?」

 エステルの言うように二人は遊撃士だ。
 戦争を生業とする猟兵と違い、遊撃士は中立性を保つために原則として国家権力への不干渉を掲げている。
 どちらか一方に味方をして戦争に加担することなど出来るはずもなく、違反すれば遊撃士資格の剥奪などギルドから重い処分が下る可能性もある。
 例外があるとすれば、今回のように民間人の命が危険に晒される可能性が高い場合についてだけだ。
 戦争から逃れた難民の護衛であれば、政治的に難しいところではあるがギルドの規約にも違反はしない。
 それに二人に依頼された仕事は、ノーザンブリアとクロスベルの政府から正式に依頼されたものだ。
 故に後から咎められるようなこともない。とはいえ、エステルの正確を考えると、こうもあっさりと引き下がるとヨシュアは思っていなかったのだ。
 確かに遊撃士は戦争への参加を禁じられてはいるが、何事にもルールの抜け道は存在する。
 実際、過去にも似たようなことはあったが、その時は割と無茶をして戦争間際の事件に介入したことがあった。

「あの時とは違うんだから……」

 確かにあの時≠ニは違う。
 二人が四年前に関わった『リベールの異変』と呼ばれる事件。
 あれはまだ王国と帝国の戦争が起きる前だったから介入することが許されたのだ。
 仮に戦争が始まっていれば、ギルドの了承を得られなかった可能性は非常に高い。
 どうにか戦争を回避することが出来たから良かったものの最悪の可能性もあっただろう。
 そして、今回は既に事≠ェ始まっている。戦争を回避する手段はなく、いままさに戦端が開かれんとしている状況だ。
 こうなってしまっては、ギルドが介入することは不可能だ。
 それに――

「レンやキーアちゃんのことを放ってはおけないでしょ? それにティータの件もあるし」

 本人には内緒だが、実のところ二人はティータの両親から娘を連れ戻すようにと依頼を受けていた。
 それにそもそも危険を冒してまで帝国へやってきたのは、誘拐されたレンとキーアを救出するためでもあったのだ。
 いろいろとあったが二人は無事に救出され、ティータと共にクロスベル行きの同じ船に乗っている。
 気にならないと言えば嘘になるが、まずは彼女たちの安全を確保するのが先と言うのがエステルのだした結論だった。

「成長したね」

 そんなエステルの話を聞き、どこか感心した様子を見せるヨシュア。
 エステルが客観的に状況を捉え、遊撃士としてどうすべきなのか?
 冷静に考えて行動できていることに感動を覚えたのだろう。

「……どう言う意味よ?」
「いや、別に他意はないんだけど」

 絶対に嘘だと言った表情でヨシュアを睨み付けるエステル。

「それより、もうすぐクロスベルに到着するはずだよ。そろそろレンたちにも声を掛けておいた方がいいんじゃない?」

 誤魔化すように言うヨシュアに呆れながらも、渋々と言った様子で引き下がるエステル。
 これまでの自分の行動を振り返り、考え足らずの無鉄砲だったと言う自覚程度はあるのだろう。
 その無茶にヨシュアを付き合わせてきた身としては、余り深くも追及できないと言う訳だ。

「三人とも、そろそろ降りる支度を――」

 ヨシュアを甲板に残し、特別に用意して貰った船室に戻ると――
 無造作に扉を開け、部屋の中にいるはず≠フ三人に声を掛けるエステル。
 しかし、部屋の中にいるのはティータだけで他の二人の姿が見当たらず、目を丸くする。

「レンとキーアちゃんは?」
「それが……」

 微妙に言い難そうな表情で、エステルの疑問に答えるティータ。
 そして――

「ぬわんですってええぇぇぇ!」

 ティータから説明を受けた直後、エステルの怒声が艦内に響くのであった。


  ◆


「ティータには悪いことしたわね」

 残してきたティータには嫌な役割を押しつけてしまったと申し訳なさそうに話すレンの姿があった。
 とはいえ、本気で反省しているかと言えば、怪しいところだとアリサは思う。
 まだレンとの付き合いは一年に満たないが、彼女の性格はよく知っているつもりだからだ。
 大方ティータの性格につけ込んで、面倒事を押しつけたと言うのが正しいだろうと見ていた。

「今更、ついてくることに反対するつもりはないけど、どうやって二人の目を誤魔化したの?」

 こうなることを予見してか?
 逃げられないようにと、エステルが見張っていたのを知っているのでアリサは疑問に思ったのだろう。
 少なくとも船に乗るところまでは一緒だったはずだ。アリサも見送っているので、そこは間違いない。
 どんな魔法を使ったのかと気になるのは当然だった。

「キーア。あれを見せてあげて」
「うん」

 レンに促され、何やら両手を胸の前で合わせ、祈るようなポーズを取るキーア。
 すると、周囲の景色が一変する。
 先程まで〈アウロラ〉の格納庫にいたはずなのに、いつの間にか見慣れた景色に変わっていた。

「ここはクロスベル郊外の教会? 転位術……いえ、これは……」

 転位の術が発動した気配はしなかった。
 となれば、目の前の景色は本物ではなく幻≠ネのだとアリサは察する。

「ご明察。この力を使って、エステルの目を誤魔化したのよ。さすがにヨシュアを欺くのは難しそうだったから、大人しく船室までは同行せざるを得なかったのだけど」

 ようは船の中でエステルに幻を見せて、その隙に抜け出したと言うことなのだろう。
 確かにこれなら、エステルの監視の目を欺けたことにも納得が行く。
 しかし、

「それって、幻の至宝の力よね?」

 キーアは至宝の力を失ったはずだ。
 キーアの中にあった〈霊の至宝〉はノルンが取り込んで、自身の力と同化させたとアリサは聞いていた。
 失ったはずの力をどうして使えるのかと、アリサは疑問に思う。

「えっと……正確には私の力じゃなくて、ノルンから貸して≠烽轤チてるの」

 自分の力ではなくノルンから借りている。
 その言葉の意味を考え、どこか納得した様子を見せるアリサ。

(そう言えば、リィンも前に同じような経験をしたことがあると言っていたわね)

 本来なら使えるはずのない七葉の剣技。それをリィンは不完全ではあるが再現して見せた。
 あれも理屈から言えば、並行世界に渡ることでもう一人の自分≠ニの同調が起きた結果と言える。
 恐らくは〈ARCUS〉が鍵になったのではないかと、アリサは自分なりの推論を立てていた。
 戦術リンクにも用いられている同調機能。
 これにはティオ・プラトーの研究でも用いられた感応力が深く関係しているからだ。
 普通は他人に自身の能力を貸し与えるなんてことは出来ないが、別世界の人間とはいえノルンとキーアは元は同じ人間だ。
 しかも先程言ったようにノルンのなかにある力には、この世界のキーアの力も混じっている。
 能力の貸し借りなんて、ありえないことが出来たとしても不思議な話ではない。

「それってノルンの許可があれば、これまでどおりに至宝≠フ力が使えるってことよね?」

 正直に言うとレンはともかくキーアが作戦に参加することには反対だったのが、これなら十分な戦力になるとアリサは考える。
 勿論、積極的に戦闘に参加させるつもりはないが、自分の身を自分で守れるに越したことはないのだ。
 条件付きとはいえ、至宝の力が使えるのなら危険は随分と減ったと思っていいだろう。

「以前のようには無理だけどね。使える力も限定的なものばかりだから……」

 キーアはそう言うが、それでも破格な能力であることに変わりは無い。
 このことをレンは知っていたから、キーアが作戦に参加することに反対しなかったのだろう。
 だとすれば――

「本当のところ救助を待たなくても、いつでも逃げられたんじゃない?」

 こんな力が使えるのであれば、逃げようと思えばいつでも逃げられたはずだ。
 いや、そもそもの話、態と捕まったのではないかとアリサは疑っていた。
 レンなら多少の危険を冒してもチャンスがあれば敵の懐に潜り込むくらいのことはやりかねないと考えたからだ。

「念話も含めて通信が妨害されていたのは知ってるでしょ? 外との連絡は取れなかったのだから、それは無理よ」
「それは工房内の話でしょ?」

 視線を逸らすレンの反応から、やっぱりと言った様子で溜め息を漏らすアリサ。
 レンの実力はよく知っているだけに、実のところそんな予感はあったのだ。
 幾ら状況的に不利だったとはいえ、大人しく捕まるはずがないと思っていた。
 不運なのは何の説明もなく巻き込まれてしまったキーアの方だろう。

「ごめんなさい。危険な目に遭わせてしまって」
「えっと……私も同意したことだから……」

 そう思い謝罪するアリサだったが、自分も同罪だとレンを庇うキーアを見て、苦笑が漏れる。
 開戦間近だというのにピリピリとした重い空気が薄れ、和やかな雰囲気が艦内に広がっていくのを感じ取ったからだ。
 これがキーアの持つ魅力。至宝に頼らない彼女の力なのだろう。
 エリィが危険な作戦だと分かっていて、キーアの同行に反対しなかった理由にも納得が行く。
 守られる立場ではなく、彼女も特務支援課≠フ仲間だと言うことだ。

「どうやら始まったみたいね」

 その直後、艦内に響くアラート。
 それが戦闘態勢に移行した合図だとアリサは気付く。
 ――そう、戦争が始まったのだ。


  ◆


「こうして対峙して見ると、すげえ数だな」
「怖じ気づいたの?」

 敵の数に圧倒されたかのように感想を漏らすヴァルカンを煽るスカーレット。
 アルフィンたちの前で大見得を切ったからには、しっかりとしろと言いたいのだろう。

「んな訳ねえだろ。数だけ揃えれば、俺たちに勝てると思ってるなら大間違いだ」
「寄せ集めという意味では、私たちも似たり寄ったりではあるけどね」

 確かに帝国軍はジュライなどから兵を集め、取り敢えずの数を揃えたと言った様子だ。
 碌に訓練も演習も行っていないことを考えれば、まともに連携が取れるとは思えない。
 そう言う意味でヴァルカンの言うように、烏合の衆と言えるだろう。
 しかし寄せ集めの集団と言う意味では、ノーザンブリア側も大きな差はなかった。
 違いがあるとすれば質の差だが、それも圧倒的に勝っていると言う訳ではない。
 帝国軍にも〈光の剣匠〉や〈雷神〉と言った最強クラスの猛者が確認されているのだ。
 普通に戦えば、騎神抜きでは勝算はゼロに等しいだろう。
 そう、普通に戦えばと言う但し書きは付くが――

「光の剣匠は私たちがもらうね」
「……そう言うと思ったけど、やれるの?」

 ラウラに視線をやりながら、フィーにそう尋ねるスカーレット。
 戦場で躊躇えば、命を落とすのは自分たちの方だ。
 本気で父親と殺し合う覚悟はあるのかと考えたのだろう。

「ん……問題ない」
「なら、好きになさい」

 フィーが問題ないと言うのであれば、これ以上スカーレットはとやかく言うつもりはなかった。
 何かあれば一番危険なのは、ラウラと行動を共にするフィーなのだ。
 フィーがラウラを信じると言うのであれば、その言葉を信じるしかない。

「聖女さんだけでなく、アンタたちの力もあてにしていいのよね?」
「……マスターが戦場に立つのであれば、共にあるのが〈鉄機隊(わたくしたち)〉ですわ」

 デュバリィの言葉に納得した様子で頷くスカーレット。
 金のため、栄誉のため、国のため、家族のため――
 戦う理由なんて人それぞれだ。
 綺麗事を並べられるよりは、はっきりと言ってくれた方が信用できる。

「来るぞ」

 帝国軍が動き出したのを確認して、ヴァルカンが作戦開始の合図を送る。
 与えられた役割を果たすため、一斉に動き出す〈暁の旅団〉の団員たち。
 その後を追うように――

「いくよ、ラウラ」
「……心得た」

 フィーとラウラも自分たちの為すべきことを果たすべく戦場へ向かうのだった。



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