「これが戦争……」
街を囲う城壁から呆然とした表情で戦場を眺めるヴァレリーの姿があった。
青いドレスの上から大公家の紋章が掘られた胸当てを身に付け、腰には白い銃剣を携えているが彼女は猟兵ではない。幼い頃からノーザンブリアで育ったと言っても全員が猟兵になると言う訳ではなく、彼女の場合は特に大公家縁の者と言うことで忌避され、人目を忍んで生活をしていた過去がある。
当然、戦場に立つのはこれが初めての経験だ。
それだけに呑まれるのは無理もないと、大佐は考える。
そう考えた大佐はヴァレリーを戦場から遠ざけようとするが――
「やはり、住民と一緒に安全な場所へ避難した方が……」
「ここにいます。いさせてください」
ヴァレリーはそんな大佐の言葉を拒絶する。
肩を震わせるその姿を見れば、無理をしているのは誰にでも察せられる。
しかし、戦場を見詰めるヴァレリーの表情は真剣そのものだった。
「どんな理由を口にしたところで、バルムント大公が民を捨てて逃げたのは事実です。なのに私まで安全な場所へ逃げれば、ノーザンブリアの人々をまた〝裏切る〟ことになってしまう」
それだけは絶対に出来ないと、ヴァレリーは覚悟を口にする。
「それに、この地の人々にバルムント大公がしたことを……本当に私が知らないとお思いですか?」
ノーザンブリアの議会が住民の不満を自分たちに向けさせないために、ヴァレリーの家族を利用したのは確かだ。
しかしヴァレリーの家族は誰一人として、政府のやり方に異議を唱えることはなかった。
悪魔の一族と蔑まれるのは無理もないと、自分たちの境遇を受け入れていたからだ。
処刑されず生かされているのも、それが自分たちに科せられた贖罪だと――
ノーザンブリアのために必要なことだと、考えていたからだ。
しかし、そんなヴァレリーの両親も、自分たちを囮にして娘を逃がした。
ノーザンブリアの終わりが近付いていることを察していたのかもしれない。
だからせめて娘だけでもと、ヴァレリーの両親が見せた最後の親心だったのだろう。
「バルムント旧大公が亡くなったのは六年前。公式には病死とありますが、実際には血塗れで倒れているところを発見されたそうです。そして、バレスタイン大佐……あなたが娘を庇い、戦場で亡くなったとされているのも六年前。これは偶然ですか?」
ノーザンブリアに深い縁を持つ者が、二人も揃って同じ年に亡くなっている。
そんな偶然があるはずがない。
ヴァレリーは六年前に、このノーザンブリアで何があったのか?
幾つかの推察をまじえながら、一つの答えに行き着いていた。
――ノーザンブリアの重鎮であったバレスタイン大佐の訃報を聞き、バルムント旧大公がノーザンブリアに私兵を差し向けようとした。
という推測に。
それならば、バルムント旧大公が〝ノーザンブリアとの国境近く〟で倒れていた事実にも説明が付く。
恐らくは何者かに計画の内容を察知され、計画を実行に移す前に旧大公は命を奪われたのだろう。
人知れず大公を暗殺し、事件が起こる前に片を付けた人物。
それがバレスタイン大佐だと、ヴァレリーは考えたのだ。
「……話したのはレミフェリアの首相か?」
「いえ、バルトロメウス大公は確かなことは何も教えてくれませんでした。大公の残した手記や、当時の状況から推察しただけです。確信を得るために、少しだけ友人の知恵を借りましたが……」
「なるほど……〝あの男〟も警戒していた彼女であれば、僅かな手掛かりから真相に辿り着くのも当然か」
誰と明言していないにも関わらず、ミュゼがヴァレリーに力を貸したのだとバレスタイン大佐は察する。
あれから六年が経過している。ほとんど証拠など残っていなかったはずだ。
なのに僅かな情報から真相にまで辿り着く頭脳。
一を聞いて十を知る。そんな真似が出来る人物など限られている。
「……やはり事実なのですね」
「否定はしない」
詳しく語るつもりはないと言った様子だが、バレスタイン大佐の様子からも推察が正しかったことをヴァレリーは確信する。
亡命を受け入れ、自分たちの庇護下にあったバルムント大公がノーザンブリアの襲撃を計画し、殺されたと明るみになれば、レミフェリアの国家としての信用問題にも繋がる。だから人知れず病死と言うことにして、真相を闇に葬ったのだ。
バルムント大公の残した私財をヴァレリーに託したのは、バルトロメウス大公なりの誠意なのだろう。
だから――
「同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、ノーザンブリアの人々に覚悟を示すためにも――」
この戦争を見届ける義務が自分にはあると、ヴァレリーは語るのだった。
◆
バルムント大公にも過ちはあった。
しかし、クーデターを引き起こした自分たちも正しかったのかと自問することがある。
仕えるべき主君に刃を向けるなど、軍人として許されることではないからだ。
それに――
(彼女がもう少し早く生まれていれば、違った未来もあったのかもしれない)
最期まで大公家に忠誠を誓い、立ち塞がった旧友も自身の手で殺めた。
だから、なのかもしれない。
大公女として目の前に現れたヴァレリーに、ノーザンブリアの未来を託してみようと考えたのは――
自身の手で殺めた旧友との約束を叶えられるのは、これが最後の機会だと思ったからだ。
(だが、我々はようやく仕えるべき主を得た)
バルムント大公への憎しみを忘れずに抱き続けたのも、結局のところは過去への逃避に他ならない。
それが復興の妨げになっていることにも、薄々ではあるが皆が気付いていた。
しかし、どうすることも出来なかったのだ。
人間は弱い生き物だ。誰もが心を強く持てる訳ではない。
自らの過ちを認め、失敗を糧に変えて前へ進むことの出来る人間の方が圧倒的に少ない。
一向に豊かにならない生活。復興の兆しを見せない街並み。
そうした環境に置かれている内に、いつしか心まで貧しくなってしまったのだろう。
だからこそ、切っ掛けが必要だとバレスタイン大佐は考えていた。
現実と向き合い過去と決別する意味でも、ヴァレリーの存在はノーザンブリアの人々にとって大きな刺激となったことは間違いない。
そしてそれは〈北の猟兵〉にも言えることだった。
「暁の旅団に遅れるな! 我々もでるぞ!」
バレスタイン大佐の呼び掛けに応え、猟兵たちは戦場へと赴く。
それに小さな肩を震わせながらも気丈に振る舞い、自分たちの後ろに立ち続けるヴァレリーの姿を見て、奮い立たない者はこの場に一人としていない。
「帝国に〈北の猟兵〉の意地と底力を見せてやれ!」
大公家に対する憎しみや過去の妄執など、もはや彼等の中には存在しなかった。
故郷を――生まれ育った街を守りたいという思いは、誰もが同じだからだ。
数で圧倒的に勝る帝国軍に少しも臆することなく、立ち向かって行く猟兵たち。
北の大地を舞台にした最後の戦いが幕を開けようとしていた。
◆
「若頭」
名を呼ばれ、部下の報告に耳をやるガルシア。
ここはクロスベルの歓楽街にある高級クラブ、ノイエブラン。
クロスベル最大の裏組織〈ルバーチェ商会〉が拠点としている店の一つだ。
「到着したか。なら、手はずどおり丁重にもてなしてやれ。大事な〝労働力〟だからな」
ノーザンブリアからの避難民を乗せた飛行船が空港に到着したとの報せを受け、部下に指示をだすガルシア。
ただで食事を与え、助けてくれるほど彼等はお人好しではない。
街を造るには資材だけでなく、たくさんの人手が必要だ。
そのため、セイレン島の開発を進める彼等にとって、ノーザンブリアの避難民は貴重な労働力だった。
もっとも満足な食事を取ることもさえ難しいノーザンブリアの状況を考えると、彼等にも悪い話ではなかった。
「労働力ね。以前から食糧や資材を大量に買い集めていたみたいだし、例の国と関係があるのかしら?」
ガルシアと部下のやり取りを耳にして、正面から堂々とした様子で尋ねる少女。
群青のチャイナドレスに身を包んだ彼女の名は、アシェン・ルウ。歳の頃は十五。
ツァオの同行者と言えば、その正体にも察しが付く。
「お察しの通りだ」
「……誤魔化さないのね」
「一から説明する気はないが、何れ分かることだ。団長もバレたらバレたで構わないと言っていたしな」
予想と違った反応が返ってきて、少し不満げな表情を浮かべるアシェン。
そんな彼女の反応を見れば、年相応の少女に見えなくない。
しかし彼女は共和国最大のシンジケート〈黒月〉の長老会の一角を担うルウ家の息女だった。
謂わば、共和国の裏社会を牛耳る組織の〝お姫様〟と言う訳だ。
「団長……暁の旅団の団長、新たな猟兵王……リィン・クラウゼル」
微妙に複雑な表情を浮かべながら、リィンの名を口にするアシェン。
黒月にとってルバーチェ商会との商談は、何を置いても優先すべき重要な位置付けとなっていた。
その背景にあるのは〈暁の旅団〉の存在が大きい。
なかでも団長のリィン・クラウゼルは桁外れの実力者。
それこそ一人で一軍を退けるほどの化け物だと噂されている。
幾ら〈黒月〉の令嬢と言っても、まだ十五の小娘に過ぎない彼女が怖じ気づくのも無理はない。
そう、ガルシアは考えたのだが――
「天性の女誑し……」
「ん?」
雲行きが怪しくなってきたのを感じる。
「私は絶対に認めないから……」
「……なんのことだ?」
意味不明なことを呟くアシェンに、訝しげな視線を向けるガルシア。
肩を小刻みに震わせているが、怖じ気づいたと言うよりは怒っているようにも見える。
商談の席にツァオが彼女を連れてきたのが、半刻ほど前のことだ。
ルウ家の息女ともなれば、交渉相手としての格は十分。ツァオが補佐に付き、彼女を表にだすことでこの商談を何よりも重視していると、黒月なりの誠意を示そうとしたのだろうとガルシアは考えていた。
実際、アシェンはツァオと比べれば足りないところは多いが、商談の相手として不足のない人物だった。
年齢から考えれば十分過ぎる――いや、まさに麒麟児と呼んでも過言ではないだろう。
それだけにアシェンの反応に疑問を持つが、
「爷爷の決めたことでも、私は絶対に〝お見合い〟なんてしないんだから!」
ツァオの持ってきた〝厄介事〟の正体を悟り、ガルシアは深々と溜め息を溢すのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m