帝国軍の兵数は凡そ五十万。一方で、ノーザンブリア側は凡そ五万弱。
本来、戦争とは数の多い方が圧倒的に有利なのは言うまでもない。しかも十倍以上の兵力差があれば、普通であれば勝敗は決したようなもの。容易に覆せる数でないことは明らかだ。
ましてや帝国は西ゼムリア大陸で一、二を争う大国であり、その軍事力と経済力は他国の追随を許さないほどだ。
帝国と国力で張り合えるのは、東のカルバード共和国くらいのものだろう。
その共和国も軍事力の面で言えば、これまでの戦争の概念を覆す新兵器――機甲兵の登場により、帝国にリードを許している状況にあった。
謂わば、質・量ともにノーザンブリアのような小さな自治州が対抗できる国ではないのだ。
例え、クロスベルの支援を得たとしても、勝算はゼロに等しかったはずだ。
しかし正午の鐘と同時に始まった戦争は、誰もが予想しなかった展開へと発展していた。
「これだけの兵力差があって互角なんて……いえ、むしろ……」
帝国軍の方が劣勢に立たされていると、正確に状況を分析する女性記者の姿があった。
グレイス・リィン。クロスベルに拠点を置くクロスベルタイムズの記者だ。
以前からリィンの指示でいろいろと裏で動いていた彼女だが、当然のことなら無償で協力していたと言う訳ではない。
彼女が協力の見返りに求めた条件。それが〈暁の旅団〉の独占取材の権利だった。
その権利を行使し、こうして〝特等席〟で戦場にまで同行して取材をする権利を得たと言う訳だ。
船のブリッジには戦場の様子が事細かく、百を超える空間に投影されたモニターに映し出されていた。
それを可能としているのが、この〈星の船〉に搭載されている魔導演算装置と〝ネストール〟の力だった。
「変わった人間よな。妾の姿を見て、驚かぬとは……」
「僕は十分驚いてますけどね。先輩は集中すると、他のことが見えなくなるので……。今回も現地の取材に行くって言うから嫌な予感がして付いてきてみたら、まさか戦場に残って取材を続けることになるなんて……」
「……御主も苦労しておるのだな」
疲れきった表情で愚痴を溢すレインズに、同情するような素振りを見せるネストール。
全身が緑色で人型の昆虫のような見た目からも想像が出来るように、ネストールは人間ではない。
ダーナと同じ〈進化の護人〉の一人であり、嘗ては百万の眷属を率いる蟲の女王であった。
そのため、事情を知らないこちらの世界の人々を驚かさせないように、出来るだけ人前にはでないようにしていたのだ。
実際、セイレン島を訪れたばかりの住人は、ヒドゥラやミノス。それにネストールの姿を見ると大抵の者は驚き、警戒するのが常であった。
島で生活していく内に慣れてはいくのだが、それでも人間と懸け離れた姿をしている彼等にどう接していいか分からず、距離を置く者は少なくなかった。
それだけに自分の姿を見たグレイスやレインズの反応が気になっていたのだろう。
(……人間とは不思議なものじゃ。不合理な種だと思ってはいたが、不合理故に多種多様で面白い)
合理的な考えを持ち、冷たい印象を受けるネストールだが、感情を持たないと言う訳ではない。
それだけにグレイスとレインズの反応は、ネストールにとって好ましいものだったのだろう。
もっとも、人間の中でも変わり者というイメージを二人に抱いたのは言うまでもない。
グレイスと一緒にされたレインズは不本意であろうが――
(当初の予想通り、いまのところ優位に進んでいるようじゃな)
眷属とした昆虫と感覚を共有することで、ネストールは戦場の様子を事細かに把握していた。
空間に投影された映像に流れているのは、ネストールが眷属とした蟲たちの視点だ。
ラクリモサで同朋を失ったが、女王としての〝能力〟まで失われた訳ではない。
これが、ダーナがネストールをこちらの世界へ連れてきた最大の理由だった。
「クロスベルでも一方的だったみたいだし、やっぱり〈暁の旅団〉は凄いわね」
「ええ、想像以上で驚きました。でも……」
グレイスの言葉に同意するように頷いて見せるが、レインズが険しい表情を崩さないのには理由があった。
いまのところ戦況は優勢に進んでいる。
数は圧倒的に帝国軍の方が多いが、個々の力ではノーザンブリアの方が勝っているためだ。
特に〈暁の旅団〉は末端の団員ですら、ギルドのランクに換算してB以上の実力者ばかりが揃っている。
隊長格に至っては、全員が二つ名を持つ超一流の猟兵。一般の兵士が敵うような相手ではない。
そもそも、この世界の達人とは文字通り一騎当千の実力を有する猛者ばかりだ。
銃弾や大砲を弾き、近代兵器を凌駕する一撃を放つ〝人の枠を超えた化け物〟に常識が通用するはずもない。
しかし――
(さすがに敵の数が多すぎるの)
戦況は優位に進んでいるとは言っても、全体から見れば帝国軍の損耗は一割にも満たない。
数千の兵を殺したところで、帝国には五十万もの兵が控えているのだ。
一方でノーザンブリアは現在、全戦力で応戦している状況だ。
予備の兵力など存在するはずもなく、時間が経てば劣勢に陥ることは明白だった。
レインズの懸念は無理もない。その点はネストールも同意するのだが、
「海からも敵の船団か。エレフセリア号……あの男が動いたようじゃの」
それは〝人間〟が相手であれば、という条件が付く。
ロムン帝国も当初は数で圧倒できるものと考えていたに違いない。しかし数で圧倒的に劣るエタニアに敗れ、今後の戦略の練り直しが必要となるほどにロムンは急激に国力を衰退させていた。戦力の建て直しには少なくとも数年は要するだろう。
そうなったのは〈暁の旅団〉の助けがあったというのも理由にあるが、原因は他にもある。
ネストールたち〈進化の護人〉たちと、リィンの眷属となることで新たな生を受けた海賊たち。
世の理から外れた人外の存在が、戦争の勝利に大きく貢献していた。
◆
ノーザンブリアの街の西側には海が広がっている。
嘗ては、この海を渡ってジュライとも貿易を行っていたのだ。
その海路に帝国軍の艦隊の姿があった。
数は凡そ三十。最新の導力エンジンを搭載した鋼鉄の船だ。
恐らくは陸と海。両方からノーザンブリアの街へ攻め込む作戦を立てていたのだろう。
しかし、
「なんで急に霧が……」
「前方に味方の船! このままでは衝突します!」
帝国の船は突如現れた濃霧に視界を遮られ、海上で進路を見失っていた。
どう言う訳か、レーダーで現在位置や船の反応を探ることも出来ず、味方の船と衝突する事故まで起きる始末。
これでは前へ進むことは疎か、引き返すことすらままならない。
何が起きているのか理解できないまま、恐怖で身を強張らせる帝国軍の前に一隻の船が現れる。
「なんだ。あの船は……」
艦隊の指揮官と思しき帝国兵の震える声が艦橋に響く。
彼等が驚き、声を震わせるのも無理はない。
帝国軍に配備された最新式の船とは比べるまでもない古い船。
突如、青白い光を放つ帆船が目の前に現れたのだ。
「ゆ、幽霊船!?」
「まさか、そんなはずが――」
幽霊船としか思えない外見の船を前にして、兵士たちは慌て戸惑う。
そんなはずがないと思いながらも、ここがノーザンブリアの海域であることを思い出し、身が竦む帝国兵たち。
塩の杭が引き起こした災厄は帝国の人間に限らず、このゼムリア大陸の人間であれば誰もが知る事件だ。
ノーザンブリア全国民の三分の一の命を奪った――まさに大災厄と呼ぶに相応しい事件。
そのため、この海域にはあの事件で命を落とした人々の幽霊がでるという噂が船乗りたちの間で囁かれていた。
よくある噂程度に思っていたが、実際に目の前に幽霊船が現れたとなると違う。
しかも――
「た、大変です! 艦長!」
「なんだ! 何が起きている?!」
「が、骸骨が……武装したアンデットが無数に……突如、艦内に現れました!」
「な、なにぃぃぃ!?」
剣や槍などと言った武器を手に持った骸骨が現れれば、もはや疑うべくもない。
人間相手であれば、確かに彼等は強い。
これだけの艦隊だ。共和国が相手であっても遅れは取らないだろう。
しかし相手がアンデットでは、人間相手の常識は通用しない。
相手が人間であれば銃弾一発、ナイフ一本で殺すことは可能だ。
しかし、アンデットには魔力や霊力が伴わない攻撃は通用しない。
せめて闘気を武器に纏わせることが出来れば話は別だが、そんな真似が出来るのは一流の使い手だけだ。
ただの一般兵にそれだけの技量を持った人間がいるはずもなく、大半の者は逃げ惑うしかないのが現実だった。
「ククッ、面白いように混乱してやがるな」
そんな帝国兵の逃げ惑う様子を、幽霊船の甲板から愉快そうに眺める一人の男の姿があった。
キャプテン・リード。この幽霊船――エレフセリア号の船長だ。
「さてと、そろそろ俺も参加させてもらうとするか。骨のある奴も何人か混じっているみたいだしな」
大半の帝国兵は逃げ惑うしかない様子だが、なかにはアンデットと互角以上に戦えている兵士もいた。
闘気を武器に纏わせ戦っている様子からも、かなりの使い手であることが察せられる。
帝国軍の兵士の中には、ヴァンダールやアルゼイドの剣を学んだ者も少なくない。
その両方を取り入れた百式軍刀術と呼ばれる剣術も存在するくらいだ。
全体から見ると数は少ないが、油断の出来ない相手であることは間違いない。
とはいえ、
「さすがに〝うちの大将〟ほど非常識な奴はいねえみてえだな」
リィンと比べれば、そこそこでしかないとキャプテン・リードは帝国兵の力量を評価する。
実際、軍艦には〈光の剣匠〉や〈雷神〉に匹敵するような使い手は乗っていなかった。
それもそのはず。海上から街を威嚇するのが目的であって、達人クラスの使い手は必要なかったからだ。
暁の旅団に対抗するため、腕の立つ者の多くは地上から攻める部隊に配置されていた。
死人と言えど無敵と言う訳ではないが、キャプテン・リードとその仲間たちは伝説と謳われた海賊たちだ。
そこそこ腕が立つ程度の相手に後れを取るはずもない。
故に、自信に満ちた表情で――
「お前等には何の恨みもないが、大将には大恩があるんでな」
悪いが死んでくれ、と海賊らしい冷酷な笑みを浮かべるのであった。
◆
同じ頃、戦場でも帝国軍にとって予期せぬ出来事が起きていた。
数で有利を保っていたはずが、突如現れたノーザンブリアの援軍によって更なる劣勢に追い込まれたのだ。
その援軍と言うのが――
「アンデットが現れただと! しかも公国軍の鎧を纏った!?」
旧ノーザンブリア公国の鎧に身を包んだ騎士のアンデットたちだった。
その数は一万。五十万を超す帝国軍と比べればたいした数ではないが、相手はアンデットだ。
疲れを知らず、普通の武器ではダメージを与えることすらままならない厄介な魔物。
そんな魔物が一万も現れたとなれば、帝国軍に動揺が走るのも無理はない。
その上、そのアンデットたちは騎士の外見に恥じない実力を有していた。
「上手くいったみたいだね」
アンデットの軍勢が帝国兵を呑み込む光景を前にして、ダーナは作戦の成功を確信する。
現世を彷徨う死者の魂を呼び寄せ、仮初めの肉体を与える力。
これが、キャプテン・リード。いや、正確にはエレフセリア号がリィンの眷属となること得た能力だった。
そして呼び寄せた魂とは、この地に眠るノーザンブリアの騎士たちだ。
帝国軍に眠りを妨げられ、故郷を荒らされ、怒っている様子が騎士たちの活躍からも察せられる。
「これがエタニアの力……理法ですか」
「私は少し手助けしただけで、正確にはキャプテン・リードさんたちの力なのだけど」
ミュゼの勘違いを正そうとするも、巫女の力を使って多少の手伝いはしたので間違いでもないかとダーナは思う。
「これで、もう少し時間が稼げそうだね」
「……勝てるとは言わないのですね」
「さすがに戦力差が大きすぎるしね」
五分の勝負に持ち込むことすら難しいと、ダーナはミュゼの問いに答える。
実際ミュゼも勝てると思って指揮を執っていないのは明白だ。
これまでにミュゼの立てた策は時間稼ぎを主とするもので、勝つための作戦ではなかった。
ミュゼ自身、いまのままではこの戦争に勝てると考えていないのだろう。
「でも、勝てなくとも負けない戦いは出来る」
「……さすがですね」
ダーナが自分の考えを察しているのだと気づき、ミュゼは素直に賞賛する。
騎神は動かせず、リィンもいない状況では確かに勝ち目は薄い。
しかし戦争を終わらせる方法は、何も敵軍を全滅させることだけではない。
勝てずとも負けなければよいのだ。
そのための時間稼ぎ。
いまは帝国の侵攻を一秒でも長く食い止めることが必要だった。
だからこそ――
「それじゃあ、私も行くね」
この戦いがノーザンブリアの行く末を決めるのと同時に、エタニアの未来へと繋がる。
二度と〝悲しい結末〟を迎えないためにも――
ダーナは双剣を携え、自らも戦場へ赴くのであった。
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