「どういうことだ!? 何故、これほどの戦力差があって押し切れん!」
帝国軍の指揮官と思しき男の荒々しい声が戦場に響く。
階級章から確認できるのは、彼が大隊の指揮を任されている中佐と言うことだけだ。
領邦軍と違い、能力主義の帝国軍において中佐の地位を任されていると言うことは、地位に見合った能力があることは見て取れる。
そんな彼が驚きと焦りを含んだ声を発するのには理由があった。
「撃つな! 味方に当たるぞ!」
「――遅い」
戦場を駆け抜ける一陣の風。妖精の異名を持つ銀髪の少女。フィー・クラウゼル。
その勇名は〈西風〉の時代から猟兵の世界だけでなく帝国軍の耳にも届いていた。
高位の魔獣と同等以上、危険度AAA以上の評価を受ける高位ランクの猟兵。
一介の兵士が敵うはずもないが、帝国軍の兵士たちが数の優位を保てず翻弄されるのは、その戦い方にあった。
敢えて敵陣の真っ只中に切り込み、同士討ちを恐れて銃の使用を躊躇う敵兵を次々と無力化していく。
その一見すると無謀に思える行動には一切の迷いがなく、一対多数の戦いに慣れた者の動きだった。
だが、幾ら多数との戦いに慣れているとはいえ、戦場でそれを為すには並々ならぬ覚悟と勇気がいる。
「……これが〝妖精〟か」
リィンの活躍に隠れ、余り目立ってはいないが、その実力は紛れもなく本物だと帝国軍は痛感する。
しかし帝国軍にとって警戒すべき厄介な敵は、フィーだけではなかった。
「ぐはッ――」
「狙撃!? 一体どこから――」
背後からフィーを狙おうとしていた帝国軍の兵士が次々と倒れていく。
一撃で頭部を撃ち抜かれ、血の海に沈む仲間の姿を見て、恐怖で足を止める帝国兵。
しかし動きを止めた瞬間、その兵士の頭も銃弾に撃ち抜かれ、物言わぬ骸の仲間となる。
「さすが……リィンが団に誘っただけあるね」
それを為したのが、マヤと父親のジョゼフだとフィーは察する。
距離にして三千アージュ以上は離れているだろうか?
恐らくは街を囲う城壁の上から狙撃したのだと察せられる。
並の狙撃手に出来る芸当ではないが、ジョゼフは並の狙撃手ではない。
帝国軍に在籍していた頃は、二つ名で呼ばれるほどの凄腕の狙撃手だったのだ。
それに――
「はああ――奥義、洸凰剣!」
ラウラの活躍にも目を瞠るものがあった。
まだ皆伝を得ていないとはいえ、既に奥義の伝授は済んでいることからも実力的には達人の域に達している。
一つ懸念があるとすれば、彼女は猟兵ではなく〝アルゼイド〟の人間と言うことだった。
帝国南東部、レグラムの街を治めるアルゼイド家の一人娘。謂わば、貴族の血を引く帝国の人間だ。
同朋に剣を向けられるのか? と言った懸念を周囲が抱くのは当然であった。
実際のところフィーも、この戦争にラウラを無理に参加させるつもりはなかったのだ。
しかし、彼女は戦場に立つことを選んだ。
父親のことも理由にあるのだろうが、アルゼイドの剣は弱き者を守り、道を切り拓くための剣。
今回の一件、どう考えても非は帝国にある。
それに今の帝国を放って置けば、問題はノーザンブリアだけに留まらないだろう。
何れ、大陸全土を巻き込んだ騒乱へと発展していく。ラウラにもそのくらいのことは理解できた。
だからアルゼイドの剣を受け継ぐ者として、自分の信じる〝道〟を歩むことを決めたのだ。
その結果、貴族とての義務を放棄し、祖国に剣を向けることになるのだとしても――
「その剣――アルゼイドの者か!? 何故、帝国に剣を向ける!」
「ならば、逆に問う。貴殿たちは何故、皇女殿下に剣を向ける?」
「――!?」
事前の宣戦布告なしに行われた奇襲紛いのクロスベルへの侵攻。
そして、この戦争でノーザンブリアの側に立ち、兵を率いているのがアルフィンだと帝国軍の兵士たちは気付いているのだろう。
だからこそ、心の奥底に彼等も迷いを抱えていた。
そして、そんな彼等の迷いをラウラも察していた。
剣を交えれば、彼等が本気でこの戦争を望んでいないことくらい察せられるからだ。
敢えて理由を挙げるとすれば、軍人だから――その一言で終わるのだろう。
上が決めたことである以上、納得していなくとも命令に従うしかない。
帝国の治安と秩序を預かる者として、勝手な行動は許されない。それが軍に与えられた責務だからだ。
「答えずともいい。貴殿らの葛藤は察せられるつもりだ。だが、軍人として戦場に立つ覚悟を決めたのであれば――」
殺される覚悟は出来ているはずだ、とラウラは帝国軍の兵士たちに剣を向ける。
この戦争に心の底から納得していないのは、自分も同じだとラウラは感じていた。
だが、それでも剣を取ることを、戦場に立つことを選んだのだ。
数百、数千の命を自身の手で奪うことになろうとも、為すべきことを為すために――
それがラウラの選んだ道だった。
「どうやら、己が為すべき道を見つけたようだな」
そんなラウラの前に大剣を携えた一人の男が現れる。
ヴィクター・S・アルゼイド。光の剣匠の異名を持つ帝国最強の剣士の一人。
そして、彼こそ――
「……父上」
ラウラの剣の師にして、血を分けた父親だった。
覚悟を決めていたとはいえ、ヴィクターを前にしてラウラの顔に緊張が走る。
戦場でまみえたからこそ分かる圧倒的な強者の気配。
稽古では分からない本当のヴィクターの力を感じ取ったが故だった。
「出来れば、お前には平和な世で生きて欲しかったが……これもアルゼイドの宿業か」
「いえ、それは違います」
「……何?」
「アルゼイドの剣は弱き者を助け、道を切り拓くもの。そう教えてくれたのは父上ではありませんか?」
だから自分は選び、戦場に立つ覚悟を決めたのだとラウラは話す。
それをアルゼイドの宿業と呼ぶのであれば、そうなのかもしれない。
しかし、
「私は、私の信じるもののために剣を取りました。そこに過去の歴史や聖女は関係ない」
この戦争を獅子戦役の再来と呼ぶ者もいるだろう。
しかしラウラが剣を取ったのは、もっとシンプルな理由だった。
助けを求めている者がいて、困っている友人がいた。
ただ、仲間の力になりたいと、そう思っただけだ。
「なるほど……それが、お前の選んだ道と言うことか」
どこか嬉しそうに笑みを浮かべながら、ヴィクターは剣を構える。
以前のラウラは猟兵を毛嫌いしていた。
ミラのために戦場を渡り歩き、命を軽んじる彼等の行いが理解できなかったからだ。
しかし、それは勝手な思い込みで猟兵にも守るべきものが、彼等の流儀があるのだとラウラは知った。
立場が違えば、事情は異なる。
重要なのは貴族だとか、猟兵だとか、そういうことなのではないのだと――
なんのために剣を振るうのか?
リィンやフィーとの出会いで、ラウラはそれを学んだのだ。
出会いは最悪だったが、良い仲間を得たのだとヴィクターは娘の成長を喜ぶ。
しかし、
「ならば、証明してみせよ。その剣で、自らの意志を――」
力無き言葉は無力。
剣士であるのなら剣で語るのが道理と、ヴィクターは娘に剣を向ける。
膨れ上がる闘気に父親の本気を感じ取ったラウラもまた、嘗てないほどの闘気を練り上げていく。
「距離を取れ! 巻き込まれるぞ」
状況を察した指揮官の声が響く。
次の瞬間、大気を震わせるような震動と共に、父と娘の衝突する轟音が鳴り響くのだった。
◆
「……とんでもない親子だな」
スコープ越しにラウラとヴィクターの戦いを眺めながら、ジョゼフは溜め息を吐く。
帝国の双璧を為すアルゼイドのことはジョゼフも人並みには知っていたが、実際に見るのと聞くのとでは違う。
ここまで人間離れした凄まじいものだとは思ってもいなかったのだろう。
だが、暁の旅団にも負けず劣らず化け物のような達人が名を連ねている。
実際、戦場のあちらこちらで帝国軍を圧倒している味方の姿が確認できた。
「味方ならこの上なく心強いが、敵に回したくはねえな……」
古巣の兵士たちに同情するような素振りを見せるジョゼフ。
しかし言葉とは裏腹にジョゼフは狙いを定め、その引き金を無慈悲に引き続ける。
一人、また一人と帝国軍の兵士がスコープの向こうで倒れていくのを確認しながら――
しかし、そんな彼にも心配事の一つや二つくらいはあった。
「マヤ、銃口がぶれてるぞ。心を落ち着けろ」
その一つと言うのが、娘のマヤのことだ。
年齢から見れば、腕は立つ。狙撃手としての才能は自分以上だろうとジョゼフは感じていた。
しかし人の命を奪うことに慣れてなく、実戦の経験が乏しい。
実際、何度か狙撃しただけで呼吸が乱れ、この有様だ。
「殺しに慣れろとは言わない。だが、スナイパーに必要なのは〝冷静〟さだ」
僅かな動揺も許されない。
この戦場で誰よりも冷静でいなければならない。
それが、狙撃手の心得だとジョゼフは語る。
「暁の旅団に入ると決めたのは、お前自身のはずだ。ならば、覚悟を決めろ」
それが出来ないのであれば戦場を去れ、と娘に告げる。
突き放すような言葉だが、いまのままなら味方に誤射をしかねない。
それは背中を任せてくれた仲間の信頼を裏切ることに他ならない。
狙撃手が一番やってはいけないことだと、ジョゼフは考えていた。
だからこそ、娘であろうとも厳しく接する。
いや、マヤの才能を認めているからこそ、厳しくするべきだと考えたのだろう。
「言われなくても、そのくらい分かってる」
反抗するような態度を見せながらも父親の助言に従い、呼吸を整えるマヤ。
他の誰でもない。猟兵になると決めたのは自分だと、マヤ自身も理解しているのだろう。
そもそも〝銃〟は玩具ではない。人殺しの道具だ。
いずれ、戦場にでることは――自身の手で多くの命を奪うことは分かっていたはずだ。
「ふう……もう、大丈夫」
自らを見つめ直し、マヤは再び銃を構える。
人の命を奪うことに抵抗がないと言えば、嘘になる。
しかし、それ以上に団の仲間を守りたいと言う気持ちの方が圧倒的に強い。
故に心を凍らせ、ライフルと一体化するように精神を研ぎ澄ましていく。
そして――
自らの決意と覚悟を乗せて、マヤは引き金を引くのだった。
◆
帝国軍にも優れた戦士はいる。
しかし通常こうした戦争で、軍を預かる指揮官が前にでることはない。
個の武力に頼るよりも、兵器の質と量で攻めるのが常道とされているからだ。
だが、相手は――暁の旅団はその常識を覆し、帝国軍の意表を突いてきた。
自らの実力に自信があり、個々の力に優れた猟兵ならではの発想と言ったところだろう。
「見事だ。しかし……」
それも長くは続くまい、とマテウスは呟く。
マテウス・ヴァンダール。雷神の異名を持つ、帝国最強の剣士の一人。
そしてヴィクターとの違いが用兵の巧みさにあった。
長く帝国の守護を担ってきた一族の当主だけに、数多の戦場をマテウスは見てきた。
そのなかには今回のように個々の実力に優れ、数の不利をものともしない活躍を見せた敵もいたが、結局は帝国の勝利に終わった。
幾ら個の実力が優れていようと、体力や闘気は無尽蔵ではない。何れ限界がくる。
ましてや兵士の数だけでなく、戦車や魔煌機兵など兵器の質と量でも帝国軍が圧倒的に勝っているのだ。
局地的な勝利を収めることが出来ても、戦略的に見れば帝国軍の優位は覆らないからだ。
だが、
「この戦い、あの男が姿を現す前に決着をつける必要がある」
このままなら帝国の勝利は揺るがない。その考えに間違いはない。
しかし、時間が残されていないのは帝国も同じだとマテウスは考えていた。
リィンが一人で十万の軍を壊滅させたという話を信じていない者は多いが、マテウスは違った。
御前試合で見せたリィンの実力が、彼の持つ力のすべてではないと見抜いていたからだ。
リィンが戦場に姿を見せれば、状況が覆る可能性はゼロではない。
それに騎神の存在もある。教会からもたらされた情報では先の戦いで消耗して動かせないとのことだが、それを鵜呑みにするほどマテウスは愚かではなかった。
確かに今のところ騎神の姿はないが、状況が厳しくなれば相手も無理を押してでも騎神を投入してくる可能性は十分に考えられる。
そうなれば仮に勝利できたとしても、帝国の受ける被害は甚大なものとなるだろう。
故に――
「本隊を叩く」
この戦い、早期に決着をつける必要があるとマテウスは考えた。
ヴィクターを囮にすることで、少数精鋭での敵本隊への奇襲。
エレボニア帝国の皇女にしてクロスベルの総統、アルフィン皇女。
前カイエン公の姪にして、次のカイエン公に〝最も近い〟と目されるミルディーヌ公女。
そして、バルトロメウス大公の後継者を名乗るノーザンブリアの代表、ヴァレリー大公女。
この三名の身柄を確保できれば、帝国の勝利は決まったも同然だ。
犠牲を〝最小限〟に抑え、戦争を終結させることも不可能ではないだろう。
「しかし、さすが雷神の異名を持つ閣下だ」
「ああ、このような方法で敵の意表を突くとは……」
先の戦いで出来た大地の裂け目に、六機の〝魔煌機兵〟が身を隠すようにノーザンブリアの街を目指して移動していた。
マテウス・ヴァンダールの駆る紅玉の指揮官機メルギアと、彼によって選ばれた少数精鋭の兵士が操るゾルゲだ。
可能な限り動きを察知されないために六機のみだが、それでもマテウスには勝算があった。
それだけ自分の腕に自信を持っていると言うことでもあるが、この危険な任務に付き従ってくれた部下たちを信頼しているからだ。
「そろそろだな」
ノーザンブリアの街へ近付いたことを確認し、ゆっくりと浮上する六機の魔煌機兵。
試作段階ではあるが、機甲兵用に開発された飛行ブースター。
まだ長い時間、空を飛ぶことは難しいが、崖を上り下りする程度なら問題ない。
そう、問題ないはずだった。
『ぐわッ――』
先に浮上していた一機が何らかの攻撃を受け、背中のブースターを破壊されて崖下に落ちていく。
『な、何が――』
「落ち着け! 一機がやられただけだ!」
予期せぬ状況に動揺する部下を通信越しに諫め、先行するマテウス。
そして、
「甘い!」
飛び出した瞬間に自身へ向けて放たれた斬撃をかわし、地上に着地する。
そこで目にしたのは、黄金の装甲を纏った機甲兵――シュピーゲルの姿だった。
すぐにその特徴的なカラーの機体が、誰のものかをマテウスは察する。
「……オーレリアか」
「フフッ、さすがは我が師の一人。この程度の不意打ちでは落とせませぬか」
オーレリア・ルグィン。黄金の羅刹の異名を持つ貴族連合の元英雄。
そして今は――
「なるほど、軍を辞めて猟兵に身を落としたのであったな。その機体は、嘗ての古巣から取り寄せたか」
「これは上官おもいの嘗ての部下が用意してくれたもの。師とて、なかなか面白い〝玩具〟をお持ちではありませんか?」
魔煌機兵を玩具と言ってのけるあたり、オーレリアらしいとマテウスは苦笑する。
彼女らしい皮肉だと受け取ったからだ。
このような兵器に頼ること自体、無粋であることはマテウスも承知していた。
しかし、これは〝決闘〟ではなく〝戦争〟だ。
マテウスの後を追い、先程落とした一機を除く四機の魔煌機兵もオーレリアの前に立ち塞がる。
「卑怯とは言うまい」
「無論。歴史は勝者が作るもの。勝たねば、意味はありませんから」
ならば問答は無用とばかりに五機の魔煌機兵がオーレリアに襲い掛かり、戦いの幕が開くのであった。
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