「あの光は……」
空に立ち上る白い光が、暗く覆われた空を明るく染め上げていく。
負傷者の捜索を妨げていた闇が晴れていく光景を目にしながら、ふとダーナの脳裏に過ったのは――
「リィンさんです! 間違いありません!」
リィン・クラウゼル。暁の旅団の団長にして、ダーナにとって恩人と言える人物だった。
自信満々に胸を張るレイフォンを見て、思わずダーナの口から苦笑が漏れる。
とはいえ、恐らくは間違いないとダーナは確信していた。
この光――太陽と見紛う輝きを放つ強大な霊力には見覚えがあったからだ。
(灰の騎神ヴァリマール……)
黄金の炎を纏った太陽の化身とでも呼ぶべき騎神の姿がダーナの脳裏に過る。
主の不在で眠りについていた騎神が目覚めたと言うことは、起動者が帰還したと言うことだ。
だとすれば、この戦いも終わりが近いとダーナは予想する。
予知と言う訳ではないが、どのような危機的状況であってもリィンなら何とかしてしまう。
そんな確信めいた予感が、ダーナのなかにあったからだ。
それにリィンの力は〈はじまりの大樹〉を創造した女神、大地神マイアが認めるほどだ。
女神を嫌っているリィンからすれば嬉しくはないだろうが、即ちそれは神をも脅かす力を備えていると言うことに他ならない。
リィンの実力をよく知るが故に、神を自称する存在程度にリィンが負けるとはダーナには思えなかった。
実際、巨イナル一を求めていると言うことは、イシュメルガの力は〈女神の至宝〉に劣ると言うことだ。
仮に至宝の力を抜きにしても、リィンが敗れる可能性は限りなく低いとダーナは考える。
とはいえ、
(あれほど戦場に渦巻いていた人々の負の想念が、いまはほとんど感じ取れない。恐らくは……)
イシュメルガが何かしらの方法を用いて、負の想念を吸い上げているのだとダーナは推察する。
しかし、疑問に思うことが一つあった。
ダーナたち〈進化の護人〉が想念と呼ぶ力は、謂わば人の想いや願いの結晶――〝魂〟より出づる力だ。
この戦争を引き起こしたのは負の想念を高め、人々の絶望と闘争心が最高潮に達したところで回収するのが目的であったのだろう。
だが、霊力の不足を補うだけであれば霊脈から霊力を吸い上げ、力を補填した方が早い。
実際、ギリアス・オズボーンはその方法で黄昏や七の相克とは別の方法で、巨神を復活させるという裏技を用いた。
千二百年前に滅びた巨神の片割れを復活させることで、不完全ではあったが巨イナル一の力を呼び覚ますことに成功して見せたのだ。
そのことからも霊脈から霊力を吸い上げる技術を、地精が保有していることは間違いない。
なのに再び戦争を引き起こしてまで、負の想念を集めることに拘った理由。
そこにイシュメルガの狙いがあるのではないかと、ダーナは考える。
(それでも、彼なら……)
どのような思惑があろうと、どんな罠が仕掛けられていようとも――
緋色の予知を変え、滅びの運命から世界を救った〝彼〟なら――
「大丈夫ですよ。リィンさんなら」
本当に心の底から信じているのだろう。
そう言って笑うレイフォンに、ダーナも微笑みを返すのだった。
◆
メルギアの装甲を力任せに引き剥がそうとする青いシュピーゲルの姿があった。
そう、クルトのシュピーゲルだ。
背中に大きな傷を負ったメルギアに乗っているのは彼の父親――
雷神の異名を持つヴァンダール流の総師範、マテウス・ヴァンダールだった。
ユグドラシルによって強化されたシュピーゲルの性能はメルギアを凌駕するが、実力や経験はクルトよりもマテウスの方が勝っている。
しかし、双剣と大剣。得物は違えど、ヴァンダールの剣であることに変わりは無い。
太刀筋や足の運びなど、お互い見知った相手の剣だ。それだけに二人の戦いは、一進一退の攻防を見せていた。
だが、クルトは足止めさえ出来れば良いのに対して、マテウスには時間が残されていなかった。
彼の狙いはミュゼやアルフィン。それにノーザンブリアの領主となったヴァレリーを捕らえることにあったからだ。
最小限の犠牲で戦争を終わらせるには、それしか手がないと苦慮した結果だ。
恐らくマテウスとヴィクターは、地精の――イシュメルガの狙いに気が付いていたのだろう。
彼等の狙いがノーザンブリアを攻め落とすことではなく、戦争での犠牲者を増やすことにあるのだと言うことに――
ギリアスの死によって決議が見送られていた国家総動員法なんてものを持ちだして、〝訓練も受けていない素人〟を徴兵したことからもそれは明らかだ。
確かに十万の軍を壊滅させた相手に対して、無作為に仕掛けるのは愚策と言っていい。
正規軍の損耗を抑えるため、敵の戦力を見極める必要があるのはマテウスも理解していた。
しかし幾ら属州の民だからと言って、捨て駒にするなど許される行為ではない。
だからこそ、マテウスはミュゼたちの身柄を押さえることで、ノーザンブリアを攻める理由を無くそうとしたのだ。
しかし、リィン抜きでも彼等は強かった。
数で劣っていても士気は高く、個々の能力は帝国が誇る正規軍の兵士を凌駕するほどだった。
特に〈暁の旅団〉と〈エタニア〉を名乗る謎の国家の力は、マテウスの想像を遥かに超えるレベルであった。
正面からぶつかれば、帝国軍が総力を結集したとしても無事では済まないと感じるほどに――
そして、もう一つ。マテウスとヴィクターには大きな誤算があった。
イシュメルガが望んでいるのは戦争での犠牲で、直接手を下すことはないと見ていたのだ。
しかしクルトとの戦いに決着を付けるため、マテウスが奥義を放とうとした、その直後――
戦場に黒い雷が降り注いだ。
結果はこの有様だ。
あのまま奥義を放っていれば、倒れていたのはクルトの方だっただろう。
しかしマテウスは咄嗟の判断で、奥義をクルトにではなく空から降り注ぐ雷へと向けたのだ。
その所為でカウンターを狙っていたクルトの一撃を、まともに受けたと言う訳だった。
「――父上!」
ようやく装甲を引き剥がし、クルトは操縦席で横たわるマテウスに呼び掛ける。
まだ息はあるようだが、重傷であることは見て取れる。
額から血を流し、爆発によって飛び散った破片がマテウスの身体を突き刺していた。
このまま放って置けば、出血多量で死に至ることは容易に想像できる。
「なんで通信が繋がらないんだ!」
すぐに街まで連れて行って治療したいが、迂闊に動かせば命に関わる状態であると言うことはクルトにも察せられた。
だから通信で助けを呼ぼうとするも応答がなく、焦りだけが募っていく。
「このままでは父上が……」
最悪の可能性がクルトの頭を過った、その時だった。
「クルト! 気をしっかりと保ちなさい!」
その場にオリエが現れたのは――
オリエ・ヴァンダール。マテウスの後妻にしてクルトの母親だ。
「母上……」
「まだ戦いは終わっていないのですよ? ヴァンダールの男子が戦場で取り乱すなど、あなたの覚悟はその程度だったのですか?」
厳しい母の言葉に、ハッと我に返るクルト。
ヴァンダール家の本来の役目は、皇家の守護にある。
アルノールの血を引くアルフィンとミュゼを守ることは、ヴァンダール家の者として当然の使命。
一度は諦めた夢を、叶えられなかった約束を果たすため、クルトは剣を取った。
父を――マテウスを止めると誓ったのはクルト自身であった。
「オリエの言うとおりだ……お前は為すべきことを為しただけだ。胸を張れ、クルト」
「父上!? よかった。意識が戻って……」
マテウスの意識が戻ったことを喜ぶクルトだったが、様子がおかしいことに気付く。
マテウスの目に光が点っていないことに気付いたのだ。
「父上、もしかして目が……」
「気に病むな。少々、血を流しすぎただけだ……この程度……」
それが、ただの強がりであることは誰の目にも明らかだった。
このまま放って置けば目だけでなく、命まで失うかもしれない。
こうして意識を保ち、話が出来ているだけでも不思議なのだ。
常人であれば、喋ることすらままならないほどの重傷をマテウスは負っていた。
「まったく……」
こんな時まで痩せ我慢をするマテウスに、呆れた様子を見せるオリエ。
とはいえ、オリエもマテウスのことが心配でなかった訳ではない。
ヴァンダールの者として、雷神マテウス・ヴァンダールの妻として――
もしもの時の覚悟は出来ていたと言うだけの話だ。
オリエ自身、風御前の異名を持ち、嘗てはマテウスと共に戦場を駆けたことがあるのだ。
戦場の厳しさと過酷さ。そして、大切な人を失う寂しさと悲しみは幾度となく経験していた。
「クルト、あなたは街へ向かって救護の手配を。この人のことは私が診ていますから」
「……分かりました。よろしくお願いします」
オリエに頭を下げ、傷ついた機甲兵を操作して街へと向かうクルト。
そんなクルトのシュピーゲルを見送ると、オリエは再び意識を失ったマテウスの傍に寄り添うのであった。
◆
「オリエ殿は間に合ったようだな。それに――」
空を覆っていた闇が地上より立ち上る光によって晴れていくのを目にして、リィンが帰還したのだとオーレリアは悟る。
そんな彼女が乗る金色のシュピーゲルの周りには、手足を両断されたゾルゲの残骸が横たわっていた。
数にして三機。オーレリアに挑み敗北したマテウスの部下たちの機体だ。
操縦者は辛うじて生きてはいるようだが、いまは意識を失っていた。
怪我や疲労が原因と言うよりは、限界以上に酷使された肉体が限界を迎えたのだろうとオーレリアは考える。
そう、この兵士たちを始め、帝国軍の兵士たちはどこか〝普通〟ではなかった。
冷静さを欠き、目的を見失い、途中からは正常な判断能力を失っていたようにも思える。
これが一般人なら分かるが、彼等は帝国軍の中でも精鋭と噂される第一機甲師団の兵士たちだ。
戦場の空気に呑まれたとも考え難い。
だとすれば――
「この者たちの症状……例の薬によく似ていた」
先の内戦の記憶がオーレリアの頭に過る。
例の薬――グノーシスを服用した被験者に、兵士たちの症状が似ていると感じたからだ。
「このことに師たちが気付いていないはずがない、か」
だとすれば、マテウスやヴィクターの一連の行動にも説明が付くとオーレリアは考える。
恐らくは戦争を止める術がないと分かっていて、犠牲を最小限に食い止めるために自ら軍に身を置いたのだと――
イシュメルガの狙いが戦争による被害を拡大させ、より多くの兵士の命を奪うことにあると言うことにも気付いていたのだろう。
「本音を言えば、この手で決着をつけたいが……」
爵位を失い貴族でなくなったとはいえ、帝国で生まれ育ったことに変わりはない。
オーレリアとて、昔を懐かしく思う気持ちや故郷を憂う気持ちはある。
だからこそ、自分の生まれ育った国を好き放題荒らされて、不快に思わないはずがなかった。
いますぐにでも飛んで行き、自身の手で決着を付けたいと言う思いはある。
しかし、
「怒りを覚えているのは、我等が団長殿も同じか」
光が立ち上る方角に、これまで感じたことがないほどの強大な気配をオーレリアは感じ取っていた。
額から汗がこぼれ落ち、思わず身が竦むほどの圧倒的な強者の気配。
先の御前試合で見せた力など、リィンの力の一端でしかなかったのだと思い知らされる。
それだけにイシュメルガに対して、リィンが本気で怒っていることが察せられた。
「今回は譲ろう。だから、私たちに見せてくれ」
暁の旅団・団長、リィン・クラウゼルの真価を――
新たな時代の訪れを感じながら、オーレリアは剣を極めた先に目指すべき〝頂き〟を見据えるのだった。
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