「悪い予感が当たったみたいね」

 物陰から銃声が響く広間の様子を窺いながら、深々と溜め息を漏らすアリサの姿があった。
 恐らくは要塞の最奥へと繋がる最後の大広間で、二つの猟兵団が激しい戦闘を繰り広げていたからだ。
 特徴的な真紅のプロテクトアーマーを纏った集団の正体は、状況から言って〈赤い星座〉で間違いないだろう。
 問題は、その〈赤い星座〉と激戦を繰り広げている猟兵たちの方だ。
 猟兵団は基本的に一目で敵味方の区別がつけられるように、武装やトレードマークとなる色を統一する傾向がある。
 宮殿を襲ったテロリストやラインフォルトの工場を襲撃した犯人が〈北の猟兵〉と断定されたのも、襲撃者が揃って〝紫〟を基調とする装備を身に付けていたからだ。
 そして〈赤い星座〉と戦闘を繰り広げている集団は、黒を基調とする装備を身に付けていた。
 黒――その色を確認したアリサの脳裏に浮かんだのは、先の内戦でも目にした猟兵団の存在だった。

「戦ってる相手は、ニーズヘッグの連中だね」
「……シャーリィが言うのなら間違い無さそうね」

 ニーズヘッグ――嘗ての〈西風〉や〈赤い星座〉ほど有名な団ではないが、その実績は上位に位置する猟兵団だ。
 団長など幹部級を除けば特別名の売れた実力者は少なく、個々の実力も中位程度と行ったところだが猟兵団としての評価は高い。
 というのも、危険で大きな仕事ばかりを請ける高位の猟兵団と違い、後方兵站の委託業務と言った比較的危険の少ない仕事を請け負うことが多く、猟兵団にしては珍しく手堅い仕事をすることで知られているからだ。
 勿論、表の仕事だけでなく軍需物資の密輸と言った裏の仕事もこなしているが、戦場で命を張るよりは危険が少ない。
 夜逃げの手伝いや魔獣の討伐など、大きな仕事だけでなく小さな仕事も数をこなすことで評判を呼び、実績を積み重ねていく。
 猟兵にしては珍しく堅実なビジネススタイルを確立させたのが彼等、ニーズヘッグだった。
 だと言うのに――

「彼等がニーズヘッグだとするなら妙ですね」
「うん。以前に何度か仕事でやりあったことあるけど〝別人〟みたい」

 リーシャの言葉に同意するかのように頷くシャーリィ。
 彼等がニーズヘッグだとするなら、赤い星座と戦闘で互角に渡り合えるのはおかしいと二人は感じたのだろう。
 先程も言ったように、ニーズヘッグに所属する猟兵たちの個々の実力は中位程度と言ったところだ。
 本来であれば高位の――それも戦闘に特化した〈赤い星座〉の猟兵に敵うはずがない。
 ましてや数で上回っているのなら分かるが、ほぼ互角と言った状況でニーズヘッグに勝ち目などあるはずがなかった。
 しかし、戦いは膠着状態に陥っていた。互いの実力が近くない限りは、こんな状況はありえない。

「この統率された動き。戦術リンクを駆使しているみたいね」
「装備の差ってこと? でも、そのくらいで……」

 最新式とまでは行かずとも、赤い星座にも戦術オーブメントくらいはある。
 恐らく〈赤い星座〉が使っているオーブメントは、ARCUSと同時期に開発された第五世代戦術オーブメントの〈エニグマ〉だろう。
 戦術リンクなど特殊な機能はない代わりに第四世代までに蓄積したデータを反映し、機能性と使い易さを高めた次世代型戦術オーブメントだ。オーブメントの性能で言えば、決して〈ARCUS〉に劣るものではない。
 それに戦術リンクに頼らずとも〈赤い星座〉の練度は高い。
 息の合った統率力と臨機応変に繰り出される連携攻撃は、さすがに最強と名高い猟兵団だけのことはあった。
 仮にニーズヘッグが〈黒の工房〉で作られた装備を身に付けていようと、そのくらいで実力の差を埋められるほど甘くはないとシャーリィは言いたいのだろう。
 しかし、

「普通ならね。でも――」

 魔煌機兵という前例がある。
 それに実力以上の戦闘力を発揮する方法が他にない訳ではないのだ。
 ――グノーシス。嘗て、ゼムリア大陸を震撼させる事件を引き起こした教団が開発したとされる麻薬。
 限界を超えた力を得られる代わりに服用を誤ると理性を失い、人ではなくなるという悪魔の薬だ。
 先の帝国の内戦でもその存在が確認され、密かに研究が続けられていたことが判明している。
 実のところアリサは、このグノーシスの研究成果の一部が魔煌機兵に利用されているのではないかと疑っていた。
 どちらも大人しい性格の人物が好戦的な性格に変わったりと、精神に作用する効果が似通っているためだ。
 ニーズヘッグが装備している〈ARCUS〉にも同様の細工がされているのだとすれば、実力以上の戦闘力を発揮できている理由にも説明が付く。

「……理性は失っていないようですが、確かに彼等からは薄らと瘴気の気配を感じます」

 アリサの言うように、嫌な気配がするとリーシャも同意する。
 操られているのかまでは分からないが、普通の状態でないことだけは確かだと――
 実際そうでもなければ、赤い星座が苦戦を強いられるとは思えない。
 何かしらのトリックがあることだけは間違いないだろう。
 問題は、この戦いに介入すべきかどうかだ。
 味方をするなら〈赤い星座〉の方と言うことになるが、下手をすれば両方を敵に回す危険もある。
 理想はこのまま共倒れになってくれることだが、もうしばらく様子を見守るべきかとアリサが考えを巡らせていた、その時。

「このままじゃ埒が明かないし、突破口はシャーリィが開くね」
「ちょ――」

 制止する間もなく飛び出して行ったシャーリィに、アリサは呆気に取られるのであった。 


  ◆


「ああ、もう! いつもいつも! あの子は何考えてるのよ!?」

 アリサが激昂するのは無理もない。
 銃弾が飛び交う戦場に、たった一人で突撃するなど無謀と言っていい。
 シャーリィが強くても、数は圧倒的に相手の方が多いのだ。
 それに素人が相手ではない。アリサが躊躇したのは、それが理由だった。
 実戦経験豊富な猟兵を相手に、アルフィンたちを守りながら突破するのは難しいと考えたからだ。

「こうなったら、せめて〈赤い星座〉が敵に回らないことを祈るしかないわね……」

 元々〈赤い星座〉とはダメ元で交渉するつもりだったことから、他に手は無いとアリサは決断する。
 シャーリィの姿を見れば、赤い星座も行き成り攻撃を仕掛けてくると言うことはないだろうと予想してのことでもあった。
 しかし、

「危ない! 頭を下げてください!」

 シャーリィに目掛けて放ったと思われる銃弾の一部が、アリサたちの隠れている場所を掠める。
 撃ったのがニーズヘッグの猟兵なら理解できるが、そのなかには〈赤い星座〉も混ざっていた。

「なんで撃ってくるのよ!? シャーリィは仲間でしょ!?」
「元、です。戦場で出会ったら、知り合いが相手でも油断をするな。場合によっては家族が相手でも本気で殺し合うのが、猟兵のルールですから。まあ、猟兵に限った話ではないですけど……」
「なんで、そんなに殺伐としてるのよ!? というか、確認する前に撃ったら敵味方を判断する間もないじゃない!?」

 リーシャの言うように『家族であっても戦場でまみえれば容赦はしない』とは、リィンもよく言っていることだ。
 それは別に猟兵に限らず、戦場や裏の社会では当たり前のことだろう。
 それでも確認を取る前に攻撃してくるのはどうかとアリサは思う。
 一方で、

「味方のフリをして近付いてくる敵もいますから。それに私たちが追い掛けてくるのは彼等も承知の上でしょうから――」

 むしろ、対応としては自然だとリーシャは考えていた。
 赤い星座の目的はまだはっきりとしないが、攻撃してきたと言うことは〈暁の旅団〉が邪魔になると判断したのだろう。
 そもそも最初から交渉するつもりがあるなら、こんな抜け駆けみたいな真似をする必要もないからだ。
 しかし、それは――

「交渉する余地がないってこと?」

 最初から交渉する余地などないと言うことになる。
 地精だけでも厄介なのに、大陸最強クラスの猟兵団の相手もしないといけないとなると頭の痛い話だった。
 心の底から困った様子で、げんなりとした表情をアリサが浮かべるのも無理はない。

「いまは難しいでしょうが、状況次第だと思います」
「……どういうこと?」
「猟兵はどんな仕事もミラで請け負いますが、逆に言えば報酬に見合わない仕事はしません」

 死んでも依頼を達成すると言った使命感は、そもそも猟兵にはない。
 赤い星座のような高位の猟兵団であっても、それは同じだ。
 全滅するリスクを冒してまで、戦闘を継続することはないだろう。
 むしろ経験豊富な高位の猟兵だからこそ、引き際は理解しているはずだとリーシャは話す。

「……それって、撤退を考える状況にまで〈赤い星座〉を追い詰めろって言ってるようなものじゃない?」

 しかもニーズヘッグの相手をして、だ。
 リーシャも自分が無茶なことを言っているという自覚はあるが、他に手はないと考えていた。
 自分たちが有利な状況で、道を譲ってくれるような甘い相手ではないと分かっているからだ。

「アリサさん、わたくしたちのこと気にしなくて大丈夫です。自分たちの身くらいは守れます」

 このくらいは覚悟の上だと、アルフィンはアリサとリーシャの会話に割って入る。
 自分やエリゼの身を案じて、思い切った行動にアリサがでられないことに気付いていたからだ。
 とはいえ、命の危険があることは最初から分かっていたことだ。
 それを承知で作戦への参加を願いでた以上、特別扱いを受けるつもりはアルフィンにはなかった。

「ラクシャさん、あなたもわたしくしたちのことは良いので、作戦に全力を注いでください」
「……気付いておられたのですね」

 密かにラクシャが自分の周囲に気を配っていることに、アルフィンは気付いていたのだろう。
 他にもノエルを始め、作戦に参加したメンバーの多くが、いざという時に自分の盾になれるように配置されることにアルフィンは気付いていた。
 こんな風に気を遣われているのも、自分が帝国の皇女であるからだと言うことも理解している。
 それでも――

「理解されているのなら、そもそも船で待っていて欲しかったのですが……」
「それが最善だと言うのは理解しています。ですが、この場に来られなかったお兄様の分まで、どうしてもセドリックのことだけは……」

 頭では何が最善かを理解していても、どうしても譲れないものがある。
 その気持ちはアリサにも理解できた。同じことはアリサ自身にも言えるからだ。
 弓の腕は一流だと言ってもアリサは本来、荒事は得意な方ではない。
 シャーリィは勿論のことリーシャの足下にも及ばない程度の戦闘力しか自分にないことは、アリサ自身が一番よく理解していた。
 本当なら作戦の立案だけに専念して、こんな風に実戦にでないのが最善だと言うことも――
 それでも突入メンバーに志願したのは、アルベリヒとの決着を自分自身の手でつけたかったからだ。
 いや、それは正確ではないとアリサは思う。
 知らないところで、自分の見ていないところで、再び父親を失うのが怖かったからだと――
 まだ心の何処かで僅かな可能性に縋り、奇跡を願っている自分がいることにアリサは気付いていた。
 それはきっと、アルフィンも同じなのだろう。

「……作戦を変更するわ。ラクシャ、シャーリィの援護をお願いできる?」
「構いませんが、よろしいのですか?」
「姫殿下の護衛は、エリゼさんとノエルさんの部隊にお願いするわ。任せても大丈夫ですよね?」
「はい。私は姫様の従者ですし……」
「元より、それが私たちの役目ですから」

 エリゼとノエル。それに数名の親衛隊員が、アリサの言葉に真剣な表情で頷く。
 文字通り、いざと言う時は命を賭してアルフィンを守る覚悟を彼女たちは決めているのだろう。
 ノエルは軍人だが、エリゼも男爵家の娘だ。
 二百五十年前と違い現在では兵役の義務はないが、帝国貴族の多くは士官学校を経て、軍へと志願する者が多い。
 そして帝都のお嬢様学校に進んだとはいえ、エリゼにも帝国貴族の血が流れている。
 アルフィンの友人としてだけでなく貴族として、もしもの時の覚悟は決めているのだろう。
 それでも――

「無茶をするなとは言わないわ。でも、勝手に死ぬのは許さないから。……生きて帰るわよ」

 全員で生きて帰る。
 それが最優先だとするアリサの言葉に、全員が一斉に頷くのだった。


  ◆


「どうかしたの?」

 通路の中央で急に立ち止まったかと思うと、天井を見上げるキーアに首を傾げながら尋ねるレン。

「上層で、大きな戦いが始まったみたい」
「アリサたちが〈赤い星座〉に追い付いたのかしら?」
「うん。それだけじゃ、ないみたいだけど……」

 十や二十ではきかない――百を超える想念が衝突するのを、キーアは感じ取っていた。
 命を懸けた戦いが始まったのだと言うことは察せられるが、さすがのキーアも離れた場所の状況を正確に把握するのは難しい。
 これがノルンなら可能かもしれないが、いまのキーアにはそれほどの力は残されていなかった。
 とはいえ、レンでも察知できない距離の気配を感じ取れる時点で、十分に凄いと言えるのだが――

「まあ、あっちはシャーリィもいるんだし、心配するだけ無駄よ」

 不安げな表情を浮かべるキーアに、任せておいて大丈夫だとレンは話す。
 正直な話、相手が高位の猟兵団であろうと百やそこらで、いまのシャーリィの相手が務まるとレンは思っていなかった。
 シャーリィは『彼女の槍の前では一軍ですら引かざるを得ないだろう』と噂される結社最強の使徒に勝ったのだ。
 千や万にも届かない数の敵に後れを取るとは思えない。
 それに多勢に無勢の状況は、緋の騎神の起動者となったシャーリィにはハンデとならない。
 むしろ――

「ピンチなのは、レンたちの方よね」

 敵の気配を察知して、レンは愛用の大鎌を構える。
 闇のなから現れる異形の群れ。
 その姿に、レンとキーアの二人は見覚えがあった。

「魔人……やっぱり、この先に地精の工房があるみたいね」

 魔人――グノーシスの服用によって異形と化した人々の成れの果て。
 恐らくは実験に使われた帝国軍の兵士たちだろうとレンは推察する。
 要塞内のどこかにあるであろう地精の研究施設。
 それを探索し、場所を突き止めるのがレンとキーアにアリサが与えた任務だった。
 そして――

「フラガラッハ」

 傀儡に指示をだし、二人に迫る魔人を容赦なく切り刻む少女がいた。
 アルティナ・オライオン。黒兎の二つ名を持つ人造人間の少女だ。

「レンの出番はなさそうね」

 圧倒的な戦闘力で道を切り拓くアルティナを見て、手を貸す必要はないと判断し、レンは構えを解く。

「凄いね」
「当然よ。あれも、お爺さんが製作に関わっているのだから」

 アルティナの傀儡の活躍を、まるで自分のことのように自慢するレンを見て、キーアは苦笑する。
 アルティナの相棒フラガラッハの製作には、レンが昔世話になった人形工房のマイスターが関わっていた。
 ヨルグ・ローゼンベルク。十三工房の一角であるローゼンベルク工房の工房長にして、数少ないレンが心を許す人物の一人だ。
 パテル=マテルの魂を継ぐアルター・エゴと同時期に作られたこともあって、レンはフラガラッハのことを自身の半身の姉妹のように思っていた。
 珍しく年相応の表情見せ、自慢気に語るのはそのためだ。

「片付きました」
「ご苦労様。疲れてるなら、ここでお茶でもしていく?」
「……結構です。先を急ぎましょう」

 とはいえ、必要以上に馴れ合う気はないと言った様子で、アルティナはレンに対して冷たい反応を見せる。
 別にレンのことを嫌っていると言う訳ではなく、

「まだ、この前のこと気にしてるのかな?」
「レンたちは気にしてないと言ったところで、こればかりはね」

 自分たちが誘拐された責任の一端を今も感じているのだと言うことに、レンとキーアは気付いていた。
 とはいえ、気にしてないと二人が言ったところで、アルティナ自身が納得しなければ意味がない。
 アリサがアルティナを二人に同行させたのは、それも理由にあるのだろう。

「この戦いが終わったら団長さんにお強請りして、盛大なお茶会を開きましょう」

 そしたらきっと仲良くなれるわと微笑むレンに、うんと頷きながらキーアも笑みを返す。
 この先に〝地獄〟が待ち受けているとも知らず――
 三人の少女は深層に続く階段へと、足を踏み入れるのだった。



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