「キーアのことが心配ですか?」
心ここにあらずと言った感じで落ち着かない様子のエリィに、ティオは声を掛ける。
何を心配しているのか? 容易に察することが出来たからだ。
「……もしかして、顔にでてた?」
「何度も溜め息を漏らしてましたよ。もしかして自分で気付いてなかったのですか?」
まったく自覚がなかった様子のエリィを見て、これは重症だと溜め息を漏らすティオ。
ロイドも過保護だが、エリィもキーアに関しては妙に甘いところがある。
理由は分からなくもないが、
「レンだけでなくアルティナも一緒なのですから心配は要りませんよ。むしろ、私たちがついていったら足手纏いになりかねません」
レンとアルティナ。二人の戦闘力は自分たちが及ぶレベルではないと、ティオは正確に自己評価していた。
エイドロンギアがあれば少しは力になれるだろうが、生憎とエイドロンギアはエプスタイン財団の研究所でオーバーホールを受けているため、今回の旅には持ってきていない。
いや、そもそもの話、ロバーツ主任が上手く誤魔化してくれているとは思うが〈暁の旅団〉に協力していることをティオは財団へ報告していなかった。
そのため、財団の協力を得ることも難しい。
そして、魔導杖一つで力になれるほど自分たちが相手にしている敵が甘くないことをティオはよく理解していた。
だからアリサの提案に従ったのだ。
「一応、この船の責任者なのですから、どっしりと構えておいてください」
「一応って……まあ、私は正式に〈暁の旅団〉のメンバーと言う訳ではないし、アリサさんの代わりなのは否定しないけど……」
エリィが船に残っている理由は簡単だ。
アリサとアルフィンが船から離れる以上、立場的に皆に指示をだせる人物となると限られる。
暁の旅団の正式なメンバーではないとはいえ、エリィは団員の誰もが認めるリィンの恋人の一人だ。
自分の代わりを任せられるのは、エリィしかいないというアリサの判断からだった。
実際、エリィはどちらかと言えば前にでて戦うタイプではなく、後方支援を得意とするタイプの人間だ。
戦闘も得意と言えるほどではなく、ティオの言うようにレンやアルティナにも戦闘力は劣っているという自覚はエリィにもあった。
それだけに心配しているというのは事実だが、力不足を痛感しているのだろう。
とはいえ、
「彼女の代わりが出来ると言うだけで十分凄いですよ。私には無理です」
エリィは政務官だ。彼女の仕事はクロスベルの政策の企画・立案に関わったり、諸外国との交渉にある。
政府内の立場では、リィンと対等な交渉が出来る唯一の人物として〈暁の旅団〉との交渉に不可欠な窓口のように認識されているが、それを抜きにしても現政権を支える重鎮ヘンリー・マクダエルの孫娘でもあることから、次代を担うリーダーの一人として期待を寄せられているというのが実情だ。
実際、既に政府内での彼女の立場は祖父に次ぐナンバー2と言っても差し支えはない。
解放後のクロスベルの政策は主に、エリィの立案した政策を方針として進められているからだ。
実務的な面でもエリィの存在は大きい。先の独立宣言によって帝国・共和国の影響を色濃く受けた政治家の多くが排斥されたというのも理由の一つにあるが、立場を同じくする官僚や政治家からも助言を求められることが多く、政務官という立場に収まらず抱える仕事が多岐に渡っているのが、その証拠だ。
経営者と政治家。立場は違えど、アリサもエリィもティオから見れば十分に非常識な能力の持ち主であった。
そういうティオも専門分野は違えど、科学者としてアリサを凌ぐ才能を秘めていると言う点で二人のことを言えないのだが……。
実際、アリサから頼まれた仕事を彼女はあっさりと終え、シャロンやフランと共に船へと帰還していた。
「それより、これが〈ベイオウルフ号〉を解析して分かったデータです」
「さすがはティオちゃんね」
「フランさんの協力もありましたから難しい作業ではありませんでした」
その成果がエリィの受け取った記録媒体だ。
赤い星座の船〈ベイオウルフ号〉の導力端末から抜き取ったデータ。
本人は謙遜しているが、この僅かな時間で端末のセキュリティを解除し、中身を解析するような真似はアリサにも出来ない。
フランはサポートに徹しただけで、エイオンシステムという感応力を用いた桁外れの演算能力とティオ自身の実力があってこその成果だった。
実際、凄腕のハッカー〈キティ〉を名乗っていたレンを、ヨナと二人掛かりとはいえ追い詰めたこともあるのだ。
アリサがティオに頼ったのはレンからその話を聞いていたというのもあるが、ユグドラシルの開発でも知識を借りていることから彼女の実力をよく知っているからであった。
「それより、そのデータの中身なのですが……」
「え、これって……」
「はい。それを見て貰えれば分かるように通常の方法ではなく、アストラルコードを用いた通信が用いられていたようです」
――アストラルコード。
主に結社の使徒たちが使っている通信技術で、霊子暗号とも呼ばれる技術だ。
通常の方法では傍受は疎か、暗号の解析すら困難。
現代科学において、オーバーテクノロジーと呼ばれる類の技術だった。
ティオとて、何の準備もなしに暗号の解読は不可能。嘗て執行者であったレンも一人では難しいだろう。
実際データの抜き出しには成功したが、暗号の解析についてはまだ終わっていなかった。
「結社が裏にいるってこと?」
「アストラルコードが用いられていたと言うだけで断定するのはどうかと……」
エリィが裏に結社の影があると考えるのは無理もない。
しかし、実際にアストラルコードを利用しているのは結社だけではない。
オルキスタワーにある魔導演算装置にも、アストラルコードを用いたシステムが採用されている。
グレイボーン連峰の地下に存在していた地精の工房の集中端末にも、このアストラルコードが用いられていた。
「地精かもしれませんし、十三工房の何れかである可能性もあります。あと気になると言えば……」
今回の件で、結社も一枚岩でないことが判明した。
十三工房も結社の下部組織と言う訳ではなく、あくまで科学の探求のために相互扶助を目的とした枠組みでしかないと言うことも――
ノバルティスが統括者と言うことになっているが、命令を強制するほどの力関係はないのだろう。
だとすれば、黒の工房の他にも結社とは独自の行動を取っている組織があったとしても不思議な話ではない。
そんななかティオには一つ気になる組織があった。
「マルドゥック社と言う名前に聞き覚えはありませんか?」
「それって、最近急成長を遂げてるオレド州に本社を置く民間軍事会社よね?」
マルドゥック社と言えばオレド州に本社を置く民間軍事会社で、猟兵団とは少し毛色の違う組織だった。
彼等はあくまで民間企業であり、グレーな行いに手を染めることはあっても法を犯すことはない。
ルールの範囲で依頼主の意向に沿った最大限のプランを提示する、と言うのが彼等の信条であり、やり方だった。
そのため、猟兵団と繋がることでイメージが悪くなるのを気にして、リスクを負いたくない企業や政府がマルドゥック社に依頼をするケースが最近になって増えてきていた。
以前、クロスベルにも営業にきたことがあるので、エリィはその名をよく覚えていた。
と言っても、暁の旅団と契約を結ぶ前の話だ。
「まさか、マルドゥック社が〈赤い星座〉と繋がっていると考えているの?」
「断定は出来ません。ですが、ベイオウルフ号に使われている機材に幾つか見覚えがありました。RFでもZCFでもヴェルヌでもない。ましてや財団の規格とも違う。そんなものを用意できる組織は限られていますから……」
もっとも問い詰めたところでシラを切られるだけだとティオには分かっていた。
マルドゥック社は警備などを請け負う軍事会社であると同時に、自分たちで装備や兵器を研究・開発する企業でもある。
そのため、仮に〈赤い星座〉に機材を提供したのがマルドゥック社だとしても、それだけでは証拠として不十分だからだ。
ラインフォルト社製の銃を犯人が使っていたからと言って、ラインフォルトが黒幕と断定できないのと同じ理由だ。
「気に留めておいた方が良さそうね」
「はい。こちらでも少し探ってみます。今回の件が無事に終わってから、になりますが……」
アリサたちの作戦が失敗すれば、世界が滅びるかもしれないのだ。
そうなったらマルドゥック社の件を調べるどころではないと、ティオは言いたいのだろう。
そのことはエリィも理解していた。
まずは目の前の問題を解決するのが先だと――
「――!?」
その時だった。
地響きと共に激しい揺れが船を襲ったのは――
「……ティオちゃん、大丈夫?」
「はい、どうにか……ですが、いまの揺れは一体……」
ここが地上なら地震が起きても不思議ではないが、幻想機動要塞は空に浮かんでいる。
地震でないのだとすれば、飛行船を揺らすほどの激しい揺れは何が原因で起きたのか?
ティオが疑問を抱くのは当然であった。
そして――
『大変です!』
ティオの疑問に答えるかのように、二人のいる作戦室に通信が入る。
それはブリッジで応急修理を終えたばかりの船の動作確認を行っていたフランからの通信だった。
慌てた様子のフランが落ち着くのを待って、エリィは何があったのかを尋ねる。
すると――
『騎神です! 二体の騎神が外郭を破壊して、要塞内に侵入しました!』
「騎神? それって、まさか……」
フランの説明と共に、作戦室のスクリーンに船のカメラが捉えた映像が映し出される。
そこにはフランの言うように二体の騎神がもつれ合うように外郭を破壊し、要塞内で戦闘を繰り広げる姿が映し出されていた。
白亜の騎神には見覚えがないが、
「リィン!」
もう一体の炎を纏った灰色の騎神には当然見覚えがあった。
灰の騎神、ヴァリマールだ。
リィンが帰還したのだと察し、エリィは最愛の人の名を叫ぶ。
しかし、すぐに自分たちが危険な状況に置かれていることを理解する。
「まずいわ。リィンが本気で戦ったら、この要塞も長くは保たない」
リィンがヴァリマールと共に現れたことを頼もしく思うと同時に、その危険性もエリィはよく理解していた。
強力すぎるが故に味方にも被害を及ぼしかねないほど、リィンとヴァリマールの力は強大だ。
それこそ、一撃で都市を壊滅させるほどの力を秘めているのだ。
小さな島ほどある巨大な要塞と言えど、リィンが本気で力を解放すれば長くは保たないだろう。
「すぐにでも船は動かせそう?」
『すみません。まだ確認作業が終わっていなくて……』
「残りは私の方でやります。フランさんは出航の準備を進めてください」
『あ、はい。わかりました』
ティオが作業を引き継いでくれると聞いて、フランは並行して出航の準備を始める。
艦内にけたたましく警報が鳴り響く中、エリィとティオも行動を開始するのだった。
◆
「このアラートは……」
元々トマスに〈暁の旅団〉の監視役を命じられたと言うことも理由にあるが、教会としても事の顛末は把握しておく必要があることから無理を言って船に乗せてもらった手前、食事の配給や怪我人の救護など自分に出来ることをロジーヌは船のクルーにまじって手伝っていた。
そんなロジーヌの耳にも、ブリッジよりだされた非常事態を告げる警報が響く。
先程の揺れといい尋常ではない何かが起きていると察し、まずは状況を把握するのが先だと考え、ブリッジに向かおうとするが――
「――ぅ!?」
立ち眩みを覚え、フラフラとロジーヌは壁に手を突く。
脳裏に浮かぶノイズ。
覚えのない出来事。見たことのない景色が、まるで走馬灯のようにロジーヌの頭に思い浮かぶ。
しかしキーアやノルンならまだしも、自分にこのような能力はなかったはずだとロジーヌは頭を振る。
「いまのは一体……」
理由は分からないが、頭に浮かんだ光景は確かにゼムリア大陸の歴史だとロジーヌは確信する。
ロジーヌが知らない歴史。知るはずのない過去と未来。
それは当然だ。
彼女が見た光景はゼムリア大陸の歴史ではあるが、この世界の歴史ではない。
そして、最後に見た――
「あの騎神は……」
激しい戦いの末に胸を剣で貫かれた騎神と、最後に立っていたもう一体の騎神。
まるで、この世の終わりのような絶叫を上げ、世界が黒く塗り潰されていく光景が頭から離れず――
「……リィンさん」
ふとリィンの顔が頭に浮かび、ロジーヌは胸が締め付けられるような不安を覚えるのであった。
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