「よもや、これほどとはの……」

 想像を超えた〈ゾア=ギルスティン〉の力にローゼリアは驚きを隠せないでいた。
 勿論、最初から敵わないことは分かっていた。
 しかし敵わないまでも、エマとヴィータが儀式を終える時間を稼ぐくらいなら自分一人でも可能だと考えていたのだ。
 だと言うのに、聖獣としての姿を保てないほどにローゼリアは力を大きく消耗していた。
 幼い少女の姿に戻り、身体に残された魔力も残り僅か。
 クロウとオルディーネの協力がなければ、とっくに命を落としていた可能性が高い。
 とはいえ――

「限界が近いのは、蒼の小僧も同じか」

 クロウとオルディーネも限界が近いことは容易に察せられた。
 ゼムリアストーンで作られた装甲には無数の傷とヒビが入り、辛うじてローゼリアからの魔力供給で耐え凌いでいるという状況だ。
 だからと言ってこのまま魔力を供給し続ければ、危険なのはローゼリアも同じであった。
 ローゼリアは聖獣だ。魔力を失えば、肉体がマナで構成された幻獣と同じように存在を保てなくなる。
 既に身体に残された魔力は一割を切っており、死が近付いていることはローゼリア自身が一番よく分かっていた。
 それでも、

「蒼の小僧だけではない。バカ弟子たちが頑張っておると言うのに、この程度のことで音を上げる訳にはいかぬ」

 例え命を落とすことになったとしても、オルディーネへの魔力供給を止めるつもりはなかった。
 命を懸けて戦っているのは、自分だけではないと分かっているからだ。
 それに元を辿れば、この戦いの原因は〝魔女〟と〝地精〟の確執にある。
 魔女と地精の祖先が諍いを起こさなければ、あのようなことを至宝に願わなければ、このようなことにはならなかった。
 この地が呪いに侵されることも、騎神が生まれることもなかった。
 人の悪意が〝イシュメルガ〟を生み、このような悲劇を引き起こしたのだ。
 故に、その責任はローゼリアの名を継ぎ、魔女の長となった自分が取るべきだとローゼリアは考えていた。
 その結果、命を落とすことになったとしても悔いはない。

「身体は嘘を吐かぬな……」

 しかし、心残りはあった。
 この戦いの結果を最後まで見届けられないこと。
 出来ることなら、エマとヴィータの行く末を見守りたかった。
 だが、手足の感覚が失われていくのを感じて、それはもう叶わないとローゼリアは悟る。
 景色が透けて見えるほどに身体の色は薄くなり、存在を保てなくなるのも時間の問題であった。

(ここまで、か……)

 段々と意識が遠のいていく中、ローゼリアが死を覚悟した、その時だった。

「これは……」

 驚きに目を瞠るローゼリア。それもそのはず。
 オルディーネに魔力を供給するために開いていた回路を通じて、魔力が自身に流れ込んできたのだ。
 魔力を供給するために繋いでいた回路から魔力が逆流して自身に流れ込むなど、本来であればありえないことであった。
 だとすれば――

「儀式に成功した? いや、しかしこれは……」

 儀式が成功したと考えるのが自然だ。しかし、逆流するほどの力がオルディーネに注がれていることにローゼリアは疑問を持つ。
 確かにリィンは〝呪い〟の力を御することで、巨イナル一を取り込むことに成功した。
 しかしその結果、巨イナル一と騎神の間にあった回路が閉ざされ、力の供給を受けることが出来なくなってしまったのだ。
 自然界に存在するマナを吸収することで霊力の回復を促すことは出来るが、それにも限界がある。
 騎神を動かすには膨大な霊力が必要で、戦闘で消耗した力を補えるほどではなかった。
 そのため、ローゼリアはオルディーネとの間に回路を開き、自身の魔力を供給することにしたのだ。
 エマとヴィータの儀式が上手くいったとしても、それで巨イナル一とオルディーネの間にある回路が復活したとは考え難い。
 リィンとヴァリマールの間には起動者と騎神という繋がりがあるが、リィンと他の騎神との間には何の繋がりもないからだ。
 だが、オルディーネに注がれている膨大な霊力は、巨イナル一との繋がりが復活したことを示していた。
 そのことから考えられるのは――

「まさか、〝眷属化〟か?」

 リィンと他の騎神との間に回路は存在しないが、ヴァリマールと他の騎神の間には繋がりがある。
 その繋がりを利用することで、地精が行おうとした相克と真逆の儀式を試みたのだとすれば――
 ヴァリマールを通して、巨イナル一の力がオルディーネに注がれていると言うことだ。
 それは即ち、オルディーネがヴァリマールの〝眷属〟となったことを意味していた。
 そしてその力が逆流し、ローゼリアにも注がれていると言うことは――

「この感覚!? 間違いない!」

 先代の使い魔であった頃のことを思い出しながら、悲鳴にも似た声を上げるローゼリア。
 命を永らえた代償にヴァリマールの――いや、リィンの眷属とされたことに気付くのであった。


  ◆


「力が溢れてくる……これなら!」

 嘗て無いほどの力が湧き上がってくるのを感じ、戸惑いながらもクロウは闘志を奮い立たせる。
 これまでは力の消耗を抑えるため〈ゾア=ギルスティン〉の注意を引くことに集中していたが、オルディーネに十分な霊力が供給されているのなら話は別だ。
 消極的な戦い方で溜まった鬱憤を晴らすかのように、勝てないまでも一矢報いる覚悟でクロウは反撃に転じる。
 アルベリヒが言っていたように〝蒼〟は〝金〟や〝銀〟に比べれば、基本的な性能の面で劣るのは確かだ。
 しかし〝蒼〟には〝緋〟のように、他の騎神にはない特殊な力が備わっている。
 それが内なる力を増幅し、一時的にパワーやスピードと言った性能を何倍にも引き上げることが可能なブースト能力だ。
 欠点は霊力の消耗が激しいことと、機体に大きな反動が伴うことだ。
 これまでは霊力が不足しているため、この戦法を取ることが出来なかったが、霊力が満ち足りている今なら――

「このまま終わるなんて格好がつかねえからな。そうだろ――相棒!」

 クロウの呼び掛けに応えるように、内に秘めた霊力を爆発させるオルディーネ。
 青白いマナを纏い、ゾア=ギルスティンとの距離を詰める。
 そして――

「デッドリークロス!」

 左手に装備したダブルセイバーを十字に振るうことで渾身の一撃を放つ。
 生身で放っても並の魔獣なら一撃で屠り、戦車の装甲をも斬り裂くクロウの必殺技だ。
 騎神でその技を放てば、高位の悪魔や幻獣に傷を負わせることも可能だろう。
 ましてや、いまのオルディーネの力は何倍にも増幅されている。
 少なくともこの一撃に限って言えば、リィンとヴァリマールの一撃に迫る破壊力を秘めていた。
 しかし、

「ッ……これでもダメか」

 ゾア=ギルスティンは剣を一振りするだけで、オルディーネの放った渾身の一撃を相殺してしまう。
 分かっていたつもりでも、その圧倒的な力の差に思わず舌打ちがでる。
 目の前の騎神がどういう存在かは、事前にヴィータやローゼリアから説明を受けている。
 ――零の騎神。本来であれば、七の相克によって誕生したであろう究極の一体。
 並行世界からこの世界に何らかの方法で召喚されたと言う話だが、そんなことはクロウにとってどうでもいいことだった。
 巨イナル一の力が使えると言うことは、目の前の敵はリィン――いや、ヴァリマールと同等の力を備えていると言うことだ。

「まさかこんなカタチで、あいつとの力の差を痛感させられるとはな……」

 正直なことを言えば、リィンとの決着をつけることは既に諦めていた。
 力の差があることは分かっているし、何より戦う理由がないと分かっているからだ。
 処刑を待つだけだった帝国解放戦線の仲間を救ってもらった恩こそあれ、リィンに対して恨みなどない。
 しかし同じ騎神の起動者として、ひとりの戦士として、リィンと自分との間にどれだけの力の差があるのか興味はあった。

「敵わないことは分かっている。だけど、試させて貰うぜ。いまの俺が、どこまで食らいつけるかを――」

 シャーリィのようにリィンを超えたい。勝ちたいとまで思っている訳ではない。
 それでも、もう二度と後悔しないように仲間を――大切な人たちを守れる程度には強くなりたい。
 それがクロウが今もオルディーネと共に戦い続けている理由であり、願いでもあったからだ。

「五分保てばいい。オルディーネ、すべての力を解放しろ!」

 自身の闘気と騎神の霊力を連動させることで、オルディーネの力を更に増幅させるクロウ。
 膨大な霊力によって限界以上に引き上げられた力が、戦いで傷ついたオルディーネの全身を軋ませる。
 それでも起動者の想いに応えるため、奥の手の解放するオルディーネ。
 背中のスラスターから溢れ出たマナの光が翼のように広がり、

「うおおおおおおッ!」

 ゾア=ギルスティンに攻撃を仕掛けようと一気に間合いを詰めた、その時だった。
 オルディーネの放った斬撃が宙を切ったのは――

「なッ――」

 こんなにも容易く回避されると思っていなかったのか?
 ゾア=ギルスティンの姿を見失い、驚きの声を漏らすクロウ。
 すぐに反撃に備え、周囲を警戒しながら〈ゾア=ギルスティン〉の姿を捜す。
 しかし、

「気配がしない……?」

 忽然と消えた〈ゾア=ギルスティン〉の気配にクロウは戸惑いを覚えながら、その場に立ち尽くすのだった。


  ◆


「……消えただと?」

 ヴィータを介して、ゾア=ギルスティンが姿を消したと聞かされたリィンは怪訝な表情を見せる。
 ゾア=ギルスティンの力は、実際に戦ったリィンが一番よく理解している。
 クロウとローゼリアでは勝てないどころか、時間を稼ぐのも難しい相手だと言うことが――
 だからこそ、エマとヴィータの話に乗ってヴァリマールに進化を促す儀式を急いだのだ。
 そのことからも逃げたというのは考え難い。

「他にも大きな力が衝突しているのを感じるが、この気配はシャーリィと……」
「この禍々しい気配には覚えがあります。恐らくは、イシュメルガでしょう」

 リィンと同じようにアリアンロードも少し離れた場所で、二つの大きな力が衝突するのを感じ取っていた。
 片方はリィンの言うようにシャーリィと〈緋の騎神〉のもので間違いないだろう。問題はもう一つの気配だった。
 アリアンロードが言うのであれば、シャーリィと対峙しているもう一つの気配の正体はイシュメルガで間違いないのだろう。
 しかし、そうすると疑問が残る。

「気になっていたんだが、本当にイシュメルガと〈ゾア=ギルスティン〉は繋がっているのか?」
「それは……」

 リィンの疑問に戸惑いながらも、複雑な表情を滲ませるエマ。
 ヴィータも同じような反応をしていることからも、恐らくは二人も勘付いていたのだろう。
 イシュメルガがセドリックをリィンに代わる新たな贄に選んだことは分かっている。
 黒の巫女と言うのも、恐らくはリィンの胸に埋め込まれたギリアスの心臓――黒の聖杯の代わりを果たさせるために用意したのだろう。
 だが、そんな回りくどい手段を取る理由が見当たらない。
 ゾア=ギルスティンの力を取り込めば、イシュメルガの目的は叶うからだ。

 結社の力を借り、ゾア=ギルスティンをこの世界に呼び寄せたのは地精――アルベリヒで間違いない。
 しかし、ゾア=ギルスティンの召喚に成功したのなら、そもそもイシュメルガの望みが叶っていないのはおかしい。
 ゾア=ギルスティンは巨イナル一の力を宿した究極にして唯一の騎神。
 そしてイシュメルガの目的とは、巨イナル一の力を取り込むことだ。
 ゾア=ギルスティンさえ手に入れば、戦争を引き起こし死者の魂を集める必要も、儀式に必要な〝贄〟を用意する必要はないからだ。
 なら、そうした理由があるはずだとリィンは考えていた。

「まだイシュメルガは〈ゾア=ギルスティン〉との融合を果たしていない。一度破綻した計画を修正し、黄昏を引き起こそうとしているのは〈ゾア=ギルスティン〉と一つになるため、相克を引き起こすのが目的ではないかと、リィンさんはそう考えているのですね?」
「そのとおりだ。だが、逆もありえるんじゃないかと思って」

 エマの言うようにイシュメルガが〈ゾア=ギルスティン〉と一つになるために、このような回りくどい方法を取っているのだとすれば納得が行く。しかし、イシュメルガが〈ゾア=ギルスティン〉を取り込もうとしているのであれば、その逆もありえるのではないかとリィンは考えていた。
 そもそも地精が行おうとしていた相克とは、勝者が敗者を糧とすることで成立する儀式だ。
 いまのイシュメルガに〈ゾア=ギルスティン〉を倒せるだけの力があるとは思えないからだ。

「俺の命を狙ったのも、いまのままでは〈ゾア=ギルスティン〉に勝てないと分かっているから一か八かを狙ったのかもしれない。まあ、本末転倒だと思うけど」

 リィンとヴァリマールを倒せるのであれば、そもそも〈ゾア=ギルスティン〉を呼ぶ必要はなかった。
 なのに〈ゾア=ギルスティン〉を吸収するために、リィンの命を狙うのは本末転倒と言っていい。

「だとしても、ゾア=ギルスティンを呼び出すための〝依り代〟は必要だったはずよ」

 マクバーンの事例からも分かるように、異なる次元からやってきた〝高位の存在〟がこの世界で存在を保つには依り代が必要だ。
 それも誰でもどんなものでもいいと言う訳ではない。呼び出すものとの縁が深く、関係の近いものほど成功率は上がる。
 そのため、ゾア=ギルスティンの召喚には〝騎神〟が依り代として用いられたと考えるのが自然だった。
 だからヴィータはイシュメルガが自分の器――黒の騎神を用いたものと考えていたのだ。
 そして恐らく、この推測は外れていないはずだ。だとすれば――

「イシュメルガの正体は、騎神に芽生えた自我が悪意をもった存在。謂わば、精神生命体です」
「だとすれば、完全な融合を果たす前に器だけが乗っ取られたって訳か」

 アリアンロードの話からイシュメルガがどういう状況にあるのかを推察し、リィンは答えを導き出す。
 いまのイシュメルガは依り代を――自らの精神を宿す器を失っていると言うことだ。
 だが、そんな状況でも〈巨イナル一〉を手に入れることを諦めたとは思えない。
 ゾア=ギルスティンとの融合を果たすため、再び相克を起こすのが目的なら騎神が必要なはずだ。
 自らの精神を宿す新たな〝寄生先〟を探している可能性が高い。

「まさか、イシュメルガの真の狙いは――」
「ああ、シャーリィが危ない」

 イシュメルガの狙いに気付いたエマに、リィンはシャーリィに危険が迫っていることを告げるのだった。



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