無言で空を見上げるアルフィンの姿を、どこか心配そうに見守るエリゼの姿があった。
 時折、空が光に包まれ、流星のように瞬く光景は美しくもあり、戦闘の激しさを感じさせる。
 ラクシャの指示に従わず距離を取らなければ、戦闘の余波で命を落としていたかもしれない。
 そう確信させるほどの戦いが、アルフィンが祈るように見詰める空の向こうでは繰り広げられていた。

「ここもダメですね。完全に塞がっています」

 距離を取ったと言っても、ここはまだ〝戦場〟だ。
 戦闘の余波を肌で感じ、目視できる時点で安全な場所に退避したとは言えない。
 一刻も早くこの場から退避しなければならないと言うのに、ラクシャたちの退路を断つかのように瓦礫が道を塞いでいた。
 回廊も瓦礫に埋め尽くされ、来た道を戻るという方法は取れない。
 かと言って、ここは城塞の最上階。飛び降りるのは自殺行為と言っていい。

「何をする気ですか?」
「道が無いなら作るしかないだろ」

 瓦礫の前で拳を握り締め、構えを取るシグムントに呆れた様子でラクシャは声を掛ける。
 返ってきた言葉に「やっぱり」と言った様子で、更に大きな溜め息を溢すラクシャ。

「武器もなしに、拳一つで瓦礫をすべて排除するなんて無茶が過ぎます。それに――」

 壁や床には亀裂が走り、脆くなっている状況で瓦礫を破壊するほどの衝撃を起こせば、建物自体が崩れ落ちるかもしれない。
 そうなったら建物の崩落に巻き込まれて、命を落とす危険すらある。
 この場にいる全員を道連れにするつもりですかと問われれば、シグムントも反論することが出来なかった。
 ラクシャの言っていることが間違っていないと分かっているからだ。
 しかし、

「なら、どうするつもりだ?」

 建物の崩壊は近い。何もせずに手をこまねいていても、建物の崩落に巻き込まれて命を落とすことは目に見えていた。
 このまま黙って命を落とすくらいなら、一か八かの手に打って出るのも悪い賭けではない。
 実際、猟兵なんて仕事をしていれば、このくらいの危機的状況は幾度となく経験している。
 だからこそ、シグムントには何が起きようと生き残る自信があるのだろう。
 とはいえ、それでシグムントは助かっても他の者たちはそうもいかない。
 ラクシャも自分の身を優先すれば、助かる可能性はあるだろう。
 しかし、アルフィンとエリゼはそうもいかない。ノエルや親衛隊の三人も厳しいだろう。
 怪我を負っているガレスも自力で助かる可能性は低い。

「仲間を見捨てて自分一人が助かるなんて真似……しませんよね?」
「俺は猟兵だ」
「知っています。だから、あなたはそんな真似をしないと確信しています」

 思っていたことと反対のことを言われ、シグムントは目を丸くして固まる。
 猟兵は金に汚い。自分たちの命が危険に晒されれば、平然と裏切る。
 だからこそ信用ならないと言うのが、猟兵に対する世間一般の評価だからだ。
 そんな猟兵ばかりではないが、一定数そういう猟兵がいることも事実だ。しかし軍人と違って国を守る義務がない以上、報酬分の働きしかしないのは別に間違っている訳じゃない。命を懸けさせたいのであれば相応の報酬を支払えばいいだけの話で、彼等が命を懸けてもいいと思えるだけの報酬を提示できる依頼主の方が少ないというのが現実であった。
 報酬に見合った働きはする。しかし命を危険に晒す仕事をしているからこそ、命の安売りはしない。それが彼等、猟兵の考えなのだろう。
 しかし少なくともリィンなら最後まで諦めたりしない。仲間を見捨てるような真似はしないと、ラクシャは信じていた。
 シャーリィも戦闘狂ではあるが、だからと言って理由もなく仲間を見捨てるような性格はしていない。
 そして、シグムントも一流の猟兵だ。あのシャーリィの父親でもある。

「お前たちの仲間になった覚えはないがな」
「〝彼〟は違うのですか?」

 確かにシグムントはラクシャたちの仲間ではない。彼に彼女たちを助ける理由がないのは事実だ。
 しかし、ガレスはバルデルの時代から苦楽を共にしてきた古参の猟兵だ。
 シグムントが最も信頼を置く部下にして、戦友とも呼べる人物。
 ラクシャの言うように、簡単に見捨てられる仲間ではない。
 だが、

「副団長……足手纏いになるくらいなら、ここで死んだ方がマシです。俺のことはここに置いて行ってください」

 ガレスはシグムントに自分を置いていくように促す。
 確かに猟兵は団の仲間を血を分けた家族のように大切にする。
 背中を預ける仲間を信頼できないようでは、戦場で生き残れないからだ。
 だからと言って、仲間の足を引っ張って共倒れになるくらいなら死を選ぶ。
 ガレスならそう言うであろうことは、シグムントも分かっていた。
 だからこそ、リスクを承知の上で危険な賭にでようとしたのだろう。

「もう一度聞く、どうするつもりだ?」

 とはいえ、シグムントもここでガレスを失いたい訳ではなかった。
 全員で助かる方法があるのなら、危険な賭にでる理由はない。
 本当に有用だと思えば他人の言葉に耳を傾け、自身のプライドよりも結果を優先する。
 その合理的な考え方は、彼も団を率いてきた超一流の猟兵と言うことなのだろう。

「残念ながら〝私たちだけ〟では、この状況からの脱出は不可能です」

 私たちだけ――そう強調しながら、ラクシャはジャケットの裏に忍ばせたオーブメントを手に取る。
 ――ARCUS(アークス)。ラインフォルトがエプスタイン財団と共同開発した第五世代の戦術オーブメント。
 シグムントが装備しているのは同じく第五世代のエニグマだが、開発された時期とコンセプトの違いから異なる点が一つ存在している。
 基本的な性能に大きな差はないが、エニグマとARCUSの違いを明確とした最大の要因。
 それが、同じARCUSを装備した者同士の感覚を共有することで高度な連携を可能とする〝戦術リンク〟と呼ばれる機能にあった。
 ぼんやりと淡い導力の光を放っていることからも、ラクシャのARCUSは起動していると思っていいだろう。

「その光……噂に聞く〝戦術リンク〟と言う奴か」

 それらの状況からラクシャが何をして、これから何をしようとしているのかをシグムントはすぐに察する。
 この場にいる者の中に、ラクシャと戦術リンクを結んでいるものはいない。
 だとすれば誰と感覚を共有しているのかと、シグムントが考えを巡らせた、その時だった。

「これは……〝転位陣〟」

 足下に現れた転位陣に驚いた様子で声を上げるシグムント。
 不意を突かれた様子で驚いているのは、アルフィンとエリゼ。
 それにノエルたち親衛隊の面々やガレスも同じだった。
 転位が使える組織と言えば、真っ先に頭に浮かぶのが〝結社〟だ。
 裏の世界でも非常に珍しい技術で、現代の技術では再現の不可能な技術の一つとされている。
 結社以外で転位を実用化している組織となると、アーティファクトの回収と管理を担う教会くらいのものだろう。

「なるほど……そういうことか」

 転位の光と共に現れた人影に、シグムントは納得の行った様子を見せる。
 さっきも言ったように転位を使える組織となると、結社や教会くらいしか思い浮かばない。
 しかし、何事にも例外は存在する。
 それが、女神より至宝を託された一族の末裔――
 焔の至宝を授かった魔女の一族であり、大地の至宝を授かった地精であり、そして――

「マリアベル・クロイス。やっぱり生きてやがったか」

 幻の至宝を女神より託されし錬金術師の末裔にして、最後の錬金術師。
 クロイス家のマリアベル・クロイス改め、ベル・クラウゼルであった。


  ◆


「いつから、わたくしが〝仕込んで〟いることに気付いていたのですか?」

 登場するなりシグムントを無視して、ラクシャに問い掛けるベル。
 彼女にとってもラクシャが〈ARCUS〉に施した細工に気付くことは想定外だったのだ。

「最初から疑っていました。シャーリィを煽って私を連れて来させたのも、こちらの状況を把握するのが目的だったのでしょう? こうなることが分かっていて。恐らくは介入の〝タイミング〟を図るために――」

 ほぼ満点と言えるラクシャの回答に驚きながらも、感心した様子を見せるベル。
 確かにベルはラクシャを利用した。ARCUSのシステムの穴を突き、彼女を通して監視するシステムを構築したのだ。
 戦術リンクに用いられている技術は、起動者と騎神のリンクシステムが元となっている。
 感覚の共有とは、即ち魂の共鳴に他ならない。そして感応力の研究において、ベルの右に出るものはいなかった。
 当然だ。感応力の研究は魔導杖を開発したエプスタイン財団が最先端を担っていると思われているが、実際には違う。
 ホムンクルスの研究も、感応力の研究も元々はクロイス家が行っていたもので、あの忌まわしき事件を起こした教団も利用されていたに過ぎないからだ。
 異世界の知識と技術を学んだベルからすれば、ARCUSのシステムに介入して監視用のプログラムを潜ませるくらい造作もないことだった。

「でも、そのお陰で助かりました。こうして助けを呼べた訳ですから」
「リィンさんが、あなたを団に誘った理由がようやく分かった気がしますわ」

 怒るでもなく助かったというラクシャの言葉の裏を読み、くすりと笑みを漏らすベル。
 遠回しに貸し一つだと言われれば、このまま見捨てるという選択肢はないからだ。
 それにどのみち、アルフィンとエリゼを殺す訳にはいかない事情がベルにもあった。
 知っていて見捨てたとなれば、確実にリィンの怒りを買うことになる。
 ベルが自身の研究のためにリィンを利用しているように、リィンも利用価値があるからベルを生かしているに過ぎない。
 団にとって害になると判断されれば、いつでも切り捨てられる可能性はベルの方にもあると言うことだ。

「ついでに、あなたたちも助けて差し上げますわ」
「……どう言う風の吹き回しだ」
「彼女たちを庇ってくれた礼とでも思っていてくださいな」

 攻撃の余波からラクシャたちを庇い、戦斧を失った時のことを言っているのだとシグムントも気付く。
 だとすれば、その時から既にベルは状況を把握していたと言うことだ。
 そのことから、いざとなれば自分が助けに入るつもりでいたのだと察せられる。
 なら礼と言ってはいるが、何か裏があると考えるのが自然だった。
 とはいえ、

(……いまガレスを失う訳にはいかないか)

 どんな狙いがあるにせよ、ガレスを失うよりはマシだとシグムントは考える。
 これから闘神の名を継いだランディの下で〈赤い星座〉は生まれ変わる。
 新たな一歩を踏み出そうと言う時に、ガレスを失うのは団にとって大きな痛手だ。
 可能であれば仲間を死なせなくないという思いは、シグムントもラクシャたちと同じだった。

「異論はないようですわね。では早速、転位の準備を――」
「待ってください!」

 転位陣を起動しようとしたところでアルフィンの声に制止され、動きを止めるベル。
 どういうつもりなのかと溜め息を漏らしながらアルフィンに視線をやり、

「その表情、まだ〝諦めて〟いないのですね」

 何を考えているのかを察した様子で、尋ねるように言葉を返す。
 セドリックのことだ。ベルならば、セドリックを元に戻す方法を知っているのではないかと考えたのだろう。
 実際セドリックがどういう状況にあるのかを、ベルはこの場にいる誰よりも正確に理解していた。
 リィンの代わりに贄とされた少年。いまのセドリックは〈黒の聖女〉の集めた呪いの力を増幅するシステムの一部にされている。
 自身がドライケルスの生まれ変わりだと信じ込まされていたルーファス・アルバレアのように、霊脈よりコピーしたオルトロスの人格を彼に上書きしたのも、彼の身体に流れるアルノールの血を効率良く利用するためであったのだと――
 しかし、

「はっきりと断言します。彼を元に戻す方法はありません。不死者となった彼を助けることは、わたくしには〝無理〟ですわ」

 自分には無理だ。どうすることも出来ないと、はっきりとアルフィンに告げるベル。
 セドリックがどういう状況にあるのか分かっていても、それを解決できるかは別の話だった。
 態と自分が殺される状況を作ることで、セドリックはオルトロスに奪われた身体を取り戻すことに成功した。
 その上で自身が〝贄〟とされ、イシュメルガの計画に利用されていると分かった上で、不死者としての消滅を望んだのだろう。

「わたくしには……ということは、もしかしてリィンさんなら!」

 アルフィンの言うように、ベルには無理でもリィンなら呪いを祓うことが出来る。
 しかし仮にリィンがセドリックの呪いを浄化できたとしても、元に戻すのは不可能だとベルは考えていた。

「確かにリィンさんなら可能かもしれませんが、仮に呪いが浄化できても彼の自我が戻る可能性はほとんどありませんわ」

 数十万の人々の後悔と嘆き。自分たちを戦場に送りだし、死に追いやった者たちへの怒り。
 そんな負の感情が入り交じった力を取り込めば、まともな精神状態を保てるはずがない。
 黒の巫女の覚醒と共に流れ込んできた膨大な量の〝呪い〟がセドリックの自我を呑み込み、暴走させたのだ。
 もはやセドリックの精神は崩壊し、自我は残っていないと見るべきだろう。
 魔王の呪いによって暴走した嘗てのオロトロスのように――

「もう、助ける手段はない……と言うことですか?」
「残念ながら諦めてもらうしかありませんわね」

 ベルでも、リィンでもどうしようもない。
 非情な現実を突きつけられて、絶望するアルフィン。
 そんなアルフィンの肩を抱いてベルを睨み付けるも、どうしようもないことはエリゼも理解していた。
 あるのは後悔だけ。こうなることが分かっていたのに、アルフィンが作戦に参加することを止めなかった自分に怒りが募る。

「まだです」

 しかし、そんななか声を上げる者がいた。ノエルだ。
 内容の真偽を確かめる術がない以上、ベルの言葉を信じるしかない。
 それでも、アルフィンの弟を取り戻したい。助けたいという思いは嫌と言うほど理解できる。
 ノエルも仮に妹のフランが同じような状況に陥れば、命を懸けてでも助けようとする確信があるからだ。
 だからこそ、アルフィンに諦めて欲しくないとノエルは願い、ベルに詰め寄る。

「呪いを解く方法があるのならやるべきです」
「呪いを解いても自我が戻る可能性はほとんどないと言ったはずですわよ?」
「ほとんど、と言うことは可能性はゼロじゃないと言うことですよね?」
「限りなくゼロに近いと言う意味ですわ。奇跡でも起きない限りは――」

 そこまで言いかけて、ベルは口にしかけた言葉を呑み込む。
 奇跡というのは起きないからこそ奇跡と呼ぶのだが、この世界にはその奇跡を可能とする力が存在する。
 〈七の至宝(セプト=テリオン)〉――女神が人々に託した奇跡の力。
 ありとあらゆる願いを叶え、数々の奇跡を起こしてきた至宝の力を用いれば、或いは――

「いいでしょう。そこまで言うのであれば、一度だけ協力して差し上げますわ。ただし、失敗すれば命を落とすかもしれない。その覚悟がありますか?」

 至宝の力を借りられたとしても、奇跡を起こすのは容易なことではない。
 結局どれだけ巨大な力があろうと、それを扱い、奇跡を起こすのは人の〝想い〟だからだ。
 命を懸けるだけの想いがなければ、成功する見込みは薄い。
 そう考えて問い掛けたベルの質問に――

「はい」

 僅かな希望を見出したアルフィンは、少しの迷いもなく答えるのだった。



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