先に動いたのはゾア=ギルスティンの方だった。
黒い炎を纏った剣を両手で構え、アルグレオンとの距離を詰めるゾア=ギルスティン。
機甲兵や神機が相手であったとしても、熱で溶かしてしまうほどの破壊力がマクバーンの炎にはある。
そんなマクバーンの劫炎に劣らない熱量が、ゾア=ギルスティンの剣に込められていることにアリアンロードは気付く。
まともに受ければ、ゼムリアストーンの装甲を持つ騎神と言えど無事では済まないだろう。
しかし、
「我は鋼、すべてを断ちきる者――」
少しも慌てる様子もなく、アリアンロードは冷静に敵の動きを観察しながら技の構えを取る。
そして静かに、熱く、身体の奥底から闘気を絞り出すように高め、意識を集中していく。
アリアンロードの闘気と騎神の霊力が混ざり合い、アルグレオンのランスがリィンの黄金の炎に似た輝きを放ち始める。
そして、ゾア=ギルスティンが眼前に迫ろうとした、その時。
迎え撃つようにアリアンロードも最大限に高めた力を解放する。
「聖技――グランドクロス!」
リアンヌ・サンドロットを槍の聖女と言わしめた最強の奥義。
本当のことを言えば、シャーリィとの戦いでこの技を放っていれば、アリアンロードは勝つことが出来たのだ。
確かにシャーリィは強い。騎神の力を使いこなすだけでなく、魔王の力も完全に自分のものとしていた。
不死者となる前の彼女なら――リアンヌ・サンドロットであったなら勝てなかっただろう。
しかし、二百五十年の研鑽によって神域にまで高められた彼女の奥義は、回避不能の必殺の一撃へと進化を遂げていた。
誰であっても、仮にリィンでも正面からこの技を打ち破ることは難しいだろう。
「はあああああッ!」
まさに神速。目にも留まらない速度で技を繰り出し、十字に形作られた光をゾア=ギルスティン目掛けて解き放つアリアンロード。
彼女が槍から放った光は、ただの衝撃波ではない。攻撃を受けた相手の動きを束縛し、その後に控える第二撃――
すべてを破壊し、貫く必殺の一撃を、確実に敵へ届かせるためのものだ。
相手の技がどれほどの破壊力を持とうとも、技を繰り出す前に潰してしまえば威力を発揮することはない。
彼女の奥義は後の先を取る。この技の前には、どれほど優れた技であっても無力なはずだった。
(――なッ!?)
完全に動きを封じることが出来ずとも、僅かでも鈍らせることが出来ればアリアンロードの攻撃は先に決まる。
実力の切迫した達人同士の戦いであれば、その僅かな差が勝敗を左右することなるからだ。
しかし、アリアンロードの放った光の中で少しも動きを鈍らせることなくゾア=ギルスティンは剣を振り下ろす。
いや、むしろアリアンロードの目にはゾア=ギルスティンの動きが加速しているかのように映っていた。
普通ならありえないことだが、ゾア=ギルスティンの起動者が八葉一刀流の使い手であるのなら――
(やはり、剣聖クラスの使い手でしたか。それも恐らくは――)
理の域へ至った剣聖クラスの達人。そのなかでも、これまでにアリアンロードが見た中で間違いなく最強の使い手であった。
八葉一刀流は東方剣術の集大成とも言える流派。その技を極めし者は、武の境地に達していると言っても過言ではない。
そして恐らくゾア=ギルスティンの起動者は、自分と同じく〝後の先〟を得意とする使い手であるとアリアンロードは見抜く。
一にして全、全にして一という言葉が示すように、無の境地に達した者は世界と一つになることが出来る。
人はそれを真理、または理の境地と呼び、数多の武人が目標とする武の境地であった。
アリアンロードもその領域に足を踏み入れた武人の一人だが、ゾア=ギルスティンの起動者も恐らくは同じ領域に至っているのだろう。
いや、八葉一刀流の使い手であるのなら、更にその先へ――
無の果て――理の地平を超えて、神の領域へと足を踏み入れていたとしても不思議ではない。
アリアンロードの目の前にいるのは、七の相克の果てに誕生せし究極の騎神。
神の領域へと足を踏み入れた騎神と、その起動者なのだから――
だとすれば、いまからゾア=ギルスティンが放とうとしている一太刀は恐らく〝八葉〟の集大成とも言える絶技。
(少しでも手を抜けば押し負ける。ならば――)
対抗するには文字通り自身のすべてを懸ける必要があると、アリアンロードは瞬時に決断する。
自身に残された闘気や騎神の霊力だけでなく命すらも燃やし、そのすべてをランスへと込めるアリアンロード。
後先を考えない一撃。しかし、そうしなければ間違いなく敗れるのは自分の方だという確信が彼女の中にはあった。
なら、迷う必要などない。一瞬にすべてを懸ける覚悟で、アリアンロードもまた最高の一撃を放つ。
「極技――グランドクロス!」
己が最強の技を更に昇華し、神速を超えた一撃を放つアリアンロード。
彗星の如き一撃が迫る中、ゾア=ギルスティンも渾身の一撃を繰り出す。
八葉の秘奥義にして、すべての型の集大成とも言える究極の一太刀。
――無仭剣。
二つの究極の奥義が幻想機動要塞の上空で衝突し、花火のような閃光を夜空に瞬かせるのであった。
◆
同じ頃、灰と緋の戦いも人智を越えた領域へと突入していた。
テスタロッサの放った集束砲の直撃を受けたかのように思われたヴァリマールだったが、次の瞬間――
「もらった!」
光を斬り裂くようにテスタロッサとの間合いを詰め、逆に反撃へ打って出たのだ。
身を捻ることで辛うじて直撃は避けたが、アロンダイトに左腕を斬り裂かれ、地面に落下するテスタロッサ。
そのまま仰向けに空を見上げる様子から、虚を突いたはずの一撃を正面から無効化され、驚いている様子が見て取れる。
「はじめて感情を見せたな。驚くのも無理はない。以前のヴァリマールなら危なかった」
そう話すリィンとヴァリマールの背には、守護騎士の聖痕のような紋章が浮かんでいた。
七耀の盾――いや、いまは〝七耀の鎧〟とでも呼ぶべきか?
ありとあらゆる術を分解し、マナへと還元することで無効化する究極の盾。
以前は片腕に集中するのが精一杯だった防御膜が、騎神を包み込むように展開されていた。
物理耐性はないとはいえ、マナで構築された攻撃であれば、すべてを無効化する究極の障壁。
それが全身を覆っているのだとすれば、至宝の力を得た神機の空間障壁にも匹敵する力と言っていい。
その防御力を確かめるようにテスタロッサは再び無数の武器を錬成し、それをヴァリマールに目掛けて放つ。
押し寄せる無数の武器を前にして、避けるでも防御するでもなく無防備に立ち尽くすヴァリマール。
「無駄だ」
しかしヴァリマールに到達するや否や、テスタロッサの放った武器は光の粒子となって消滅する。
無理もない。テスタロッサの召喚した武器は、マナによって構成された模造品だ。
よく出来てはいるが、アロンダイトのように実体のある武器ではない。
リィンのスヴェルはマナで構成された攻撃であれば、どんなものでも触れただけで分解することが出来る。
それは即ち、いまのヴァリマールに〝千の武器〟は通用しないことを意味していた。
相性で言えば、テスタロッサにとってヴァリマールは最悪の相手と言って間違いないだろう。
「さて、お得意の技を封じられて、次はどうでる? 何もなければ――」
今度こそ終わりだ、と口にすると、リィンはアロンダイトに炎を纏わせる。
黄金に輝く炎。リィンが持つ技の中でも、最強の威力を誇る戦技――レーヴァティンだ。
その気になれば、この要塞ごと緋の騎神を消滅させることも可能な破壊力を持つ技。
放てばテスタロッサに取り憑いたイシュメルガだけでなく、シャーリィやセドリックも巻き込むことになるだろう。
しかし、グングニルが通用しなかった以上、他に手はない。
レーヴァティンであれば、同じように千の武器で相殺することは不可能。
依り代となる器を失えば、仮に消滅を免れたとしてもイシュメルガが次の行動を起こす可能性は高い。
最後の切り札を切った以上、イシュメルガの取れる選択はそう多くはないからだ。
『待ってください! リィンさん!』
そんなリィンの考えと同じ考えが頭を過ったのだろう。
レーヴァティンを放とうとするリィンに待ったをかけたのは、アルフィンの声だった。
まだ逃げてなかったのかと呆れた様子でリィンは溜め息を吐く。
そして――
「ベル、お前も一緒なんだろ?」
『あら? よく分かりましたわね』
「ARCUSを使った通信ならまだしも、念話を使って騎神に直接声を届けるなんて真似。エマたち以外に出来る人物なんて限られてるだろ」
一発で、それがベルの仕業であることをリィンは見抜く。
コクピット内に響いた声が〈ARCUS〉の通信機能を用いたものではなく、魔術によるものだと気付いたからだ。
エマたちは〈精霊の道〉を開くので忙しく、アルフィンの〝我が儘〟に付き合うのは難しいはずだ。
なら、こんな酔狂な真似をするのはベル以外にいないとカマを掛けたのだろう。実際それは当たっていた。
それにアルフィンが止めた理由についても、リィンには察しが付いていた。
「セドリックのことなら諦めろ」
『あら? シャーリィのことは良いのですか?』
「あいつも猟兵だ。運が良ければ生き残るかもしれないし、例え戦場で死んだとしても覚悟の上だろう」
意地の悪い質問を返してくるベルに、リィンは淡々とした口調で答える。
何とも思っていないと言えば嘘になるが、シャーリィは猟兵だ。
戦いに身を投じることが、どういうことかは彼女自身が一番よく分かっている。仮に命を落としたとしても覚悟の上だろう。
それにセドリックもまだ成人していないと言っても、帝国の皇帝であることに変わりは無い。
何も知らない一般人ではなく、操られていたのだとしても責任を負うべき立場にある者だ。
助けられるのであれば助けたいとは思っていても、犠牲を払ってまでそれを為そうという考えはリィンにはなかった。
『助ける方法があるとすれば?』
アルフィンが止めに入った理由を、そのベルの一言でリィンは察する。
この女狐がアルフィンを甘い言葉で唆し、希望を抱かせたのだと――
(少なくとも根拠のない〝嘘〟を口にするような奴じゃないか)
しかし、すぐにバレるような嘘を吐くような女ではない。
仮に嘘だと発覚すれば、立場が悪くなるのはベルも分かっているはずだ。
だとすれば、本当に助ける方法を知っていると考えるのが自然だろう。
問題は何を企んでいるのかだが――
(そんな時間もないか)
片腕を失った〈緋の騎神〉を見下ろしながら、リィンは一先ずベルへの追及を諦める。
聞いたところで素直に答えるはずもなく、無駄にしている時間はないと分かっているからだ。
レーヴァティンを警戒して動けずにいるようだが、弱っていても油断の出来る相手ではない。
まだ何か奥の手を隠し持っていても不思議ではないと、リィンは考えていた。
ならば――
「話せ。話はそれからだ」
イシュメルガの想定を崩す意味でも、ベルの話に乗るのは悪い手ではない。
そう考えたリィンは、ベルに作戦の内容を尋ねるのであった。
◆
「腕を一本、持って行かれましたか……」
酷く傷つき、満身創痍と言った様子で上空に佇むアルグレオンの姿があった。
ランスを装備している右腕はどうにか無事だが片翼と片腕を失い、装甲の隙間からマナの粒子のようなものが漏れ出ている。
こうして浮いているだけでも奇跡で、アルグレオンには戦えるだけの力が既に残されていなかった。
ヴァリマールとの――リィンとの繋がりがなければ、とっくに消滅していたはずだ。
徐々に消費した霊力は回復しつつあるが、再び戦えるまでに回復するには数日の時間が必要だろう。
しかし、
「……やはり、あれを受けても〝その程度〟のダメージしか負っていませんか」
既に戦える状態にないアルグレオンに対して、ゾア=ギルスティンが受けたダメージは微々たるものだった。
武人としての――起動者の技量に大きな差はなかった。
しかし、騎神が持つ力。機体の性能に技術だけでは覆せないほどの差があったのだ。
「巨イナル一。侮っていたつもりはありませんが……」
倒すことは敵わずとも一矢報いることくらいは出来る自信が、アリアンロードにはあったのだろう。
しかし僅かな傷は確認できるが、大きく損傷している様子は見て取れない。
圧倒的な存在感も健在。少しも力が衰えている様子もない。
敗北を認めざるを得ないほど、両者の間には明確な差があった。
「もはや、私とアルグレオンに抗う力はありません。ですが――」
立っているのがやっとだとしても引き下がるつもりはないと言う意思を、アリアンロードはゾア=ギルスティンに示す。
どうしてトドメを刺さなかったのかは分からないが生きている限りは、リィンのもとへゾア=ギルスティンを行かせるつもりはなかった。
それが、この戦いに臨む時に覚悟した決意でもあるからだ。
そんなアリアンロードの覚悟を感じ取ってか? ゾア=ギルスティンは再び剣を構える。
「そう、それでよいのです」
先程のように炎を纏った一撃ではないが、それがいまの自分を殺すのに十分な破壊力を秘めていることにアリアンロードは気付きながら迎撃の構えを取る。
立っているだけでもやっとの状態で、まともに武器を振るえるかも分からない。
それでも、一分一秒でも長くゾア=ギルスティンの注意を引くためにアリアンロードは最後の一滴まで力を振り絞る。
勝ち目のない戦いであることは最初から分かっていた。
しかし、この日のために自分は命を長らえてきたのだという確信がアリアンロードのなかにはあった。
イシュメルガを討つため、リィンの助けとなるために――
そのためなら、
(これが最後の一撃になるはず。それでも私は――)
迫るゾア=ギルスティンの姿を視界に捉え、命を燃やすアリアンロード。
騎神と起動者の心が一つとなり、まるでアリアンロードの姿が重なり合うかのようにアルグレオンが金色の光を放つ。
機体が軋む音を耳にしながらも痛みに耐え、アリアンロードが渾身の一撃を放とうとした、その時だった。
全身から力が抜け落ちるかのような感覚に襲われたのは――
「な……」
そして気付けば、アリアンロードの身体は宙に投げ出され――
ゾア=ギルスティンの一太刀を浴び、マナの粒子と共に消えていく相棒の姿が彼女の眼には映っていた。
「どうして……何故、こんなことを……アルグレオン!」
光となって消えていく相棒の名を叫びながら、アリアンロードは地上へと落ちていく。
二百五十年の歳月を共に生き、喜びも悲しみもすべてを分かち合った相棒。
最期まで運命を共にするはずだった相棒が自分を残し、消えていく様をアリアンロードは嘆き、必死に手を伸ばそうとする。
「ああ……」
言葉にならない声がアリアンロードの口から漏れる。
最後の瞬間まで外すことはないと思っていた心の仮面が、身に付けた鎧と共にガラスのように音を立てて剥がれ落ちていく。
愛する人を失い、友人を家族を仲間を先に亡くし、たった一人で時の流れから取り残された少女。
リアンヌ・サンドロットという少女が必死に耐え、守ろうとしていた鉄の仮面が――
『まったく手の掛かる娘じゃ』
自分を支えてきたものが音を立てて崩れていく感覚に襲われる中、そんな彼女の耳に懐かしい声が響く。
二百五十年前にも聞いた覚えのある台詞。
そう、自分は一人ではないと――
まだ昔の自分を知ってくれている〝親友〟がいると、希望を抱かせてくれる声が――
「ロゼ……」
若き日のリアンヌを騎神の元へと導き、仲間として共に戦った魔女。
緋の異名を持つ魔女は月明かりの下、金色の髪をなびかせながら当時と変わりない姿で現れ――
「気付くのが遅すぎじゃ。このバカ娘が」
叱り付けながらも、傷ついた旧友の身体を優しく受け止めるのであった。
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