リィンとオルタの激闘の裏で、ノーザンブリアの街から二十セルジュほど離れた場所でも激しい戦闘が繰り広げられていた。
大半はジュライ方面へと進路を取ったとはいえ、ノーザンブリアや帝国にも少なくないグールの群れが向かっていたからだ。
ノーザンブリアに迫るグールの数は凡そ五万。
帝国との戦争は戦力差を考えれば、快勝と言えるものだった。
しかし、それでも二割近い兵力を失い、多くの負傷者を抱える彼等からすれば決して少ない数とは言えない。
いま戦いに参加できるのは半数に満たないだろう。
だからと言って負傷者を見捨てて逃げる訳にもいかず、街を守るためにも彼等は退く訳にはいかなかった。
「空が燃えてる」
グールの侵攻を食い止めるべく無数の銃声が響く中、赤く染まる夜空を見上げる少女の姿があった。
まだ朝日が昇るには早いと言うのに、暁に染まる空はどこか幻想的でもある。
「おい! 何をぼーっとしてやがる!? 死にたいのか!」
そんな中、怒声が飛ぶ。
団のトレードカラーともなっている紫色のプロテクトアーマーを見れば、すぐに分かる。
少女と同じ猟兵団に所属する仲間の声だった。
――北の猟兵。西ゼムリア大陸において最大の規模を誇る猟兵団だ。
二つ名持ちの猟兵は少ないが数を生かした組織的な戦い方を得意としており、帝国との戦争においても敵部隊の撹乱から負傷者の救助。統率の取れた動きで防衛戦を築くなど、幅広い活躍を見せていた。
とはいえ、
「死にたくなければ、銃を構えろ」
もっとも被害が大きかったのは彼等とも言えるだろう。
それもそのはずだ。ノーザンブリアは彼等にとって、生まれ育った故郷とも言える街だ。
暁の旅団やクロスベルの助力には感謝しているが、彼等にも自分たちがこれまでノーザンブリアを守ってきたという自負がある。
汚い仕事にも手を染め、多くの同朋の最期を見届けてきたのも、すべて故郷のことを思えばこそだ。
自分たちの守ってきた街が蹂躙されようとしているのに、外からやってきた人間に運命を委ねることなど出来るはずもなかった。
それに――
「仲間の死を無駄にするな!」
自分たちの力で守った街を、グールの群れに蹂躙される姿は見たくないのだろう。
「言われなくても分かってる。ただ……」
仲間の言葉に反論しながら銃口をグールの群れに向ける少女。
ただ……そのあとに口にしようとした言葉を、少女は紡ぐことなく反芻する。
男は目の前の敵に意識を集中していて話など聞いてはいないだろうし、本心では少女も自分の過ちを認めているからだ。
どんな理由があるにせよ、戦闘中に他へ意識を向けていたことは事実だ。
なら何を口にしたところで、それは言い訳にしかならない。
出来ることがあるとすれば――
「猟兵らしく〝結果〟で示すだけ」
それしか、汚名をそそぐ術はないと――
英雄の孫と呼ばれる少女は、ライフルの引き金に指を掛けるのであった。
◆
同じ頃、ジュライ方面の渓谷でも無数の銃声と爆音が鳴り響いていた。
ヴァルカンの率いる〈暁の旅団〉の部隊が、ジュライへ向かうグールの群れの足止めを行っているためだ。
ジュライに危機は伝わっているはずだが、住民の避難には時間が掛かる。
そこでジュライへと通じる渓谷に防衛線を敷くことで、グールの侵攻を食い止めようと計画したのだが――
「……わかっちゃいたが、ちょっとばかし多すぎるな」
街道を埋め尽くすグールの群れを崖上から見下ろしながら、ヴァルカンは愚痴を溢すように弱音を口にする。
いつも強気な彼にしては珍しいが、それだけ戦力差が圧倒的すぎた。
暁の旅団は少数精鋭の猟兵団だ。しかし帝国解放戦線のメンバーを吸収したとはいえ、その大半は後方任務に従事していた非戦闘員ばかり。ヴァルカンが戦闘訓練を行ってはいるが、僅か一年足らずで一人前の猟兵に育つはずもない。少数精鋭と言えば聞こえはいいが、実際に戦闘で役に立てる団員が少ないというのが実情であった。
その戦闘に長けた一部の団員の力が突出しているため、団の創設からまだ日が浅いのに最強の猟兵団の一角に数えられているのだが、それでも戦闘員の数や練度と言った組織力の低さが課題となっていることは間違いない。今回のように数がものを言う戦いにおいて、彼等は適任とは言えなかった。
特に防衛戦が厄介で、守る面積が広くなるほどそれなりの人数が必要だ。
だからこそ、移動の範囲が限定される渓谷を足止めの場所に選んだ訳だが、それでも完全に食い止められるものではない。
ましてや死を恐れない不死者の軍勢となれば尚更だ。
半数も抑えられれば上々と言ったところだが、今回ばかりはそれで納得する訳にもいかなかった。
街を守るために戦おうにも、いまのジュライにはグールの進行を食い止めるだけの戦力はないからだ。
先の戦争で成人男性の多くが徴兵されてしまい、街に残っているのは女子供や年寄りが大半だ。
となれば、せめて避難が完了するまでの時間を稼ぐ必要があった。
「あっちは問題なさそうだな。となれば……」
一騎当千の活躍を見せるオーレリアや、連携を駆使して戦うレイフォンたちの部隊を横目にヴァルカンも行動を開始する。
渓谷を抜けようとするグールの集団に、機甲兵の部隊で挟撃を仕掛けるヴァルカン。
これも作戦の内だが、これだけでグールの侵攻を食い止められるとは彼も思っていなかった。
だからこそ、
「あとで嬢ちゃんに叱られそうだが、仕方ねえ」
最後の最後まで使うまいと思っていた奥の手を切る決意を固める。
通信で仲間にグールの足止めを指示しつつ、自身は群れの中心へと向かうヴァルカン。
機甲兵に乗っているとはいえ、万を超えるグールの群れの中心に飛び込むなど自殺行為でしかない。
機甲兵一機で数万のグールを相手に出来ないことくらいはヴァルカンも分かっていた。
「お前等には同情の余地がある。だがな――」
自身の愛機――ヘクトル弐式の制御ユニットに〈ユグドラシル〉を連結するヴァルカン。
そして迫るグールの群れを槍斧で薙ぎ払いながら〝闘気〟を高めていく。
青白いオーラを纏い、獅子奮迅の活躍を見せるヘクトルの姿は〝騎神〟を連想させるようだった。
「俺は猟兵だ。戦場で敵にかける情けなんて持ち合わせていねえんだよ!」
しかし、僅か一分足らずで動力機関が臨界に達し、機体から煙が上がる。
アリサからはまだテストも終わっていないから、絶対に使わないようにと言及されていた機能を使ったのだ。
機体が耐えられないことくらいは、ヴァルカンも分かっていた。その上で、奥の手を切ったのだ。
「くたばりやがれ、死に損ないども!」
高熱に晒されるコクピットの中で、ヴァルカンは覚悟の笑みを浮かべるのだった。
◆
「いまの大きな音は……」
「渓谷の方みたいだね」
アルティナの傀儡によく似た人形兵器に抱えられるように空を移動しながら、西の空を眺めるキーアとジョルジュの姿があった。
遠く離れていても感じ取れるほどの爆発音。かなり大きな爆発が起きたことは察することが出来た。
しかし、爆音が響いているのは渓谷方面だけではない。
ノーザンブリアの方角からも、無数の銃声と爆発が響いている光景が見て取れた。
様々な場所で激しい戦闘が繰り広げられていることが想像できる。
「ここにいては危険だ。ノーザンブリアへ向かおう。そこならキミの仲間に保護してもらえるはずだ」
「……うん」
この後のことを考えながら、ジョルジュはキーアに避難を促す。
キーアをミュゼたちに預けたら、再び自分は戦場へ戻るつもりでいることは間違いない。
そして、そんなジョルジュの考えは当然キーアも察していた。
(もっと私に力があれば……)
仕方がないと言うことはキーアも理解している。
至宝の力を失ったキーアは少し特殊な力を持っていると言うだけで、他は普通の子供と大差がないからだ。
レンやアルティナのように戦う力を持ち合わせていない。
自分が我が儘を言って残ったところで、何の役にも立てないことはキーア自身が一番よく分かっていた。
それでも、皆の役に立ちたい。自分に出来ることは何かないのかと、キーアはずっと考え続けていた。
(ノルンみたいな力があれば……)
ふと、そんな考えがキーアの頭に過った時だった。
グールから逃げる時にも使った幻を見せる力は、ノルンから貸し与えられたものだ。
至宝の力の一端を、いまのキーアは使うことが出来る。零の巫女ではなくなったと言うのにだ。
それは、ノルンがもう一人のキーアだから――
この世界と別の運命を辿り、デミウルゴスへと進化したキーアだからと言うのが理由としてある。
元が同じ人間だからこそ、限定的ではあるが戦術リンクのように〝同調〟が可能なのだ。
しかしそれは生まれが特殊だから、人間離れした高い感応力を持っているからだとキーアは考えていた。
もし、その前提が間違っているのだとしたら?
(同調が可能なら、どうして私とノルンの間には同化現象が起きないの?)
違う。起きないのではなく、ノルンが起きないように抑えているのだ。
そして、その理由は容易に察することが出来た。
この世界のロイドやエリィを悲しませないためだと――
同じキーアと言っても、ロイドたちの知るキーアはこの世界で生まれ育った彼女なのだ。
それが突然、目の前からいなくなってしまえば、きっと彼等は悲しむに違いにない。
いや、もしかしたら――
(そっか、ノルンは怖いんだね)
ロイドたちに嫌われることをノルンは恐れているのだと、キーアは気付く。
だから至宝ごとキーアを吸収するような真似をしなかった。出来なかったのだ。
その気持ちはキーアにも察することが出来た。
キーアにとって、ロイドやエリィたちは大切な家族だ。
そんな家族に嫌われるかもしれないと思うと、寂しさと悲しみで胸が張り裂けそうになる。
「行き先を変えてもらってもいい?」
「突然、何を……」
ノーザンブリアへ進路を取ろうとしたところでキーアから行き先の変更を提案され、ジョルジュは戸惑いを見せる。
レンたちの元へ引き返そうとしているのではないかと考えたからだろう。
勿論ジョルジュも要塞に残してきたレンたちのことは気になっている。
しかし、レンと違って戦う術を持たないキーアを命の危険が伴う場所へ連れて行くことなど出来るはずもなかった。
「違うよ。レンのところへ戻ろうって言ってるんじゃない」
キーアは首を横に振りながら、そんなジョルジュの考えを否定する。
キーアとて、いまの自分が戻ったところで役に立たないことは理解しているからだ。
むしろ、足手纏いになる可能性の方が高いと――
「なら、一体どこに……?」
キーアが無茶を言わなかったことに安堵するが、ここが危険であることに変わりは無い。
キーアが自分が戻っても役に立てないことを理解しているように、ジョルジュも力不足を痛感しているのだ。
アルベリヒのように傀儡を所持していると言っても、あくまでそれは護身用のものだ。人間相手ならまだしも騎神と戦えるほどのものではない。
レンからキーアを安全な場所へ連れて行って欲しいと言われた時、ジョルジュが素直に応じたのは自分ではこの先の戦いについて行けないと悟ったからでもあった。
キーアは見た目こそ幼いが、その考え方や頭の回転の良さは大人以上と言っていい。
自分の置かれている状況を理解しているはずの彼女が、何を為そうとしているのかとジョルジュは気になる。
「あっちに連れて行って欲しいの」
そう言って、西の空に沈みかけている月を指さすキーア。
そこに何があるのかと怪訝な表情を浮かべるジョルジュの疑問に、
「あっちで〝もう一人の私〟が待っているから」
どこか覚悟を決めた表情で、そう答えるのだった。
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