ハリアスク郊外の訓練キャンプに剣戟からなる激しい戦闘音が響き渡る。
大人にまじって少年少女と思しき猟兵たちが見守る中で、サラとラヴィの決闘が繰り広げられていた。
素早い動きで左右にフェイントを掛け、サラとの距離を詰めるラヴィ。
入隊から一年に満たない新人とは思えないラヴィの動きに驚きと歓声が上がる。
しかし、
「そこ――!」
「甘いわ」
上手く懐に潜り込むもラヴィの攻撃は空を切り、あっさりとサラに回避されてしまう。
攻撃の隙を突き、ラヴィの背中に回り込むとサラは右手に持った剣を振り下ろす。
だが、それも読んでいたかのように身体を半回転させ、サラの攻撃に刃を合わせるラヴィ。
サラの持っている武器はオーソドックスな片手剣だが、ラヴィが選んだのは二本のダガーだ。
リーチではサラの方が有利だが、機動力と手数の多さではラヴィが勝っていた。
「やるわね。悪くない動きだわ」
「上から目線で――余裕のつもり!?」
巧みに二本のダガーを使いこなし、小柄な身体を生かした動きでサラを相手にラヴィは善戦していた。
フィーを彷彿とさせる動きを見せられて、ラヴィに対する評価を上方修正するサラ。
とても入隊から一年に満たない新人とは思えないスピードと技のキレ。
戦闘力だけなら間違いなく一流クラス。ベテランの猟兵にも匹敵するポテンシャルを秘めていた。
これだけの実力があるのなら、強さに自信を持つのは当然だろう。
先の防衛線で活躍したのも頷ける。そこらの魔獣や猟兵であれば相手にならないはずだ。
しかし、それは相手が〝並〟の相手であれば、という但し書きが付く。
多くの実力者と対峙してきたサラからすれば、ラヴィの動きは〝素直〟過ぎると感じていた。
「ええ、そのくらいのスピードなら――アタシでもだせるもの」
そう口にした次の瞬間、サラの姿がラヴィの視界から消える。
先程までとは打って変わった動きで一気に加速すると、サラは滑り込むようにラヴィの懐に潜り込む。
「しま――」
それは完全にラヴィの意表を突いた動きだった。
しゃがみ込むように姿勢を低くした下から振り上げるような斬撃。
想定外の攻撃に対処が遅れ、ラヴィは右手に装備したダガーを弾き飛ばされる。
残った左手のダガーで応戦しようとするも、
「――カハッ!」
反撃にでるよりも先にサラの強烈な蹴りがラヴィの腹部に決まる。
口から漏れる嗚咽。身体を丸めて受け身の姿勢を取るも、そのままラヴィは地面をバウンドするように弾き飛ばされる。
「その歳でこれだけの動きができるのはたいしたものよ。でも、圧倒的に戦闘経験が足りなさすぎる」
同世代では相手になる者がいないこともあって、これまでは大人とばかり訓練をしていたのだろう。
相手の姿を見失った時、大抵の人間は〝勘〟を頼りに相手の動きを予想する。
そして、この場合の勘と言うのは〝経験〟によるところが大きい。
だから小柄なラヴィは自分よりも大きな相手としか戦ったことがないばかりに、地面すれすれから放たれた攻撃を想定できずに対応が遅れてしまった。
「それにあなた――自分よりも格上の相手と戦った経験が少ないでしょ?」
「くっ……」
導力魔法やオーブメントで身体強化を行えるこの世界で、フィジカルの差は勝敗を分ける決定的な差にはなりえない。
どちらかと言えば、武器を扱う技術と経験値の方が重要な要素だとサラは考えていた。
ラヴィにはその経験が足りていない。武器の扱いは上手いが、それも達人の域に達しているとは言えない。
新人の中では強いのかもしれないが、結局それは井の中の蛙でしかない。何もかもが中途半端と言うことだ。
「嘘だろ……ラヴィ教官が手も足もでないなんて……」
「これが、紫電のバレスタイン……」
少年少女たちから悲痛に満ちた驚きの声が上がる。
帝国との戦争が終わってから、ラヴィは教官として彼等を指導する立場についていた。
それもあって少年猟兵隊に所属する彼等にとって半年で本隊に昇格し、先の防衛線で活躍したラヴィはまさに憧れの存在だったのだろう。
二つ名持ちの猟兵が別格の存在だと言うのは知っていたつもりでも、もしかしたらという期待もあったのかもしれない。
「やっぱり、エクレールの勝ちか」
「ちょっとは手加減しろよ。大人気ないぞー!」
戸惑いを隠せない少年少女たちに対して、大人の猟兵たちからは拍子抜けと言った感じの野次が飛ぶ。
幾度となく実戦を経験している本隊の猟兵たちからすれば、この結果は当然のものと受け入れているのだろう。
戦闘力だけで言えば、ここにいるほとんどの猟兵よりもラヴィの方が上だ。
しかし戦場を経験しているだけに、二つ名持ちの恐ろしさを彼等は少年少女たちよりもよく知っていた。
戦争は数の多い方が有利だと言うが、この世界では圧倒的な強者が戦場に一人いるだけで戦況が左右されることがある。
凡人が数を揃えたところで束になってかかっても敵わない理不尽な存在というのが、この世には存在するのだ。
一人で十万の帝国軍を壊滅させたリィンと比べればマシかもしれないが、サラも二つ名持ちの猟兵だ。
元A級遊撃士でもある。とてもではないが、新人が敵うような相手じゃないことは勝負をする前から分かりきっていた。
「お前たちも勉強になっただろ。少しばかり腕が立つからって実戦経験の乏しいガキが活躍できるほど猟兵の世界は甘くないんだよ」
「うう……」
少年少女たちに説教をしながらミラを巻き上げる大人の猟兵を見て、サラは眉間にしわを寄せる。
状況から察するに少年少女たちはラヴィに賭けたのだろう。
そして大人たちはサラに賭けて、子供たちからミラを巻き上げたと言う訳だ。
言っていることは正しいが、やっていることは最低であった。
「アンタたちね……いい加減に……」
さすがに見て見ぬ振りも出来ないとサラが猟兵たちを注意しようとした、その時だった。
大きく弾き飛ばされ、地面に転がっていたラヴィが立ち上がったのは――
「まだ……終わってない」
全身土塗れで左手にダガーを構え、ラヴィは真っ直ぐにサラを睨み付ける。
戦意を失っていないことは、その瞳を見れば察することが出来た。
とはいえ、実力の差は明白。無傷のサラに対して、ラヴィは満身創痍と言った様子だ。
誰の目から見ても、ラヴィに勝ち目はない。このまま戦闘を続けても結果は明らかだった。
「根性だけは認めてあげるわ。でも、勇気と蛮勇は違う。勝てないと分かっている相手に挑むのは――」
「私は逃げない!」
サラの言葉を遮るようにラヴィは叫ぶ。
「私はおじいちゃんと違う……。だから何があろうと、どんな相手でも……絶対に……」
何がそこまで彼女を駆り立てるのかは分からない。
最後の気力を振り絞って、サラに挑もうとするが――
(足が……)
足が思うように動かず、フラリと前へ倒れ込む。
そこが限界だったのだろう。
気力が尽き、頭から崩れ落ちるラヴィを見て、サラは大地を蹴る。
しかし、
「え……」
サラよりも先に割って入り、ラヴィの身体を支えた人物がいた。
慌てて足を止め、驚きに満ちた表情を浮かべるサラ。
「おい、あれって……」
「ああ、暁の紋章だ。それじゃあ、まさか……」
猟兵たちも決闘に割って入った人物の正体に気付き、戸惑いの声を上げる。
少し癖のある銀色の髪に、ラヴィとそう変わらない小柄な体型。
暁の旅団を象徴する〝太陽のエンブレム〟が刺繍された黒いジャケット。
そのジャケットを羽織った銀髪の少女となれば、思い当たる人物など一人しかいないからだ。
「サラ、大人気ない」
暁の旅団のメンバーの一人にして、団長リィン・クラウゼルの義妹。
「トドメを刺そうとしてたでしょ?」
「助けようとしてたの!」
「ん……そうなの?」
暁の妖精、フィー・クラウゼル。
それが、少女の名前であった。
◆
「ここは……」
目を開けると最初に飛び込んできた白い天井に困惑しながら、ラヴィはゆっくりと身体を起こす。
そして、状況を把握するために周囲を観察する。
白いシーツに消毒液のにおい。腕や身体に巻かれた包帯に治療の跡。
自分のいる場所が病室だと気付くのに大きな時間は掛からなかった。
「あ、目が覚めた?」
ベッドと部屋の間にある仕切りのカーテンを開け、言葉遣いは少し悪いがラヴィを気遣う様子を見せる少女。
見た目から察するに、まだ日曜学校に通っているくらいの子供。十二、三歳くらいだろうか?
灰色にくすんだ銀色の髪に、猫のように愛嬌のある表情が特徴的な少女であった。
「……誰?」
訝しみながらも状況を把握するため、ラヴィは少女に名前を尋ねる。
「アタシはキサラだ。そして、ここは病院。アンタ一昨日ここに運ばれてきて、ずっと眠ってたんだぜ?」
「……私よりも若いように見えるけど、ここの看護師なの?」
「そんな訳ないだろ。母さんがここに入院してて……世話になってる人にアンタのことを見ててくれって頼まれたんだよ」
世話になっている人というのが誰のことかは分からないが、キサラにとって恩のある相手だというのは察することが出来た。
様子を見守るだけとはいえ、見ず知らずの相手の看病をするなど余程のお人好しか、他に断り難い理由でもなければありえないからだ。
となれば――
「それって、病院の関係者?」
「いや、違う。アンタも知ってる〝猟兵〟だ」
母が世話になっていると言う話から医療関係者だとラヴィは考えたのだろう。
しかし、キサラの答えは違っていた。
猟兵――という言葉を聞いて、ラヴィの頭に真っ先に浮かんだのはサラだった。
完膚なきまでの敗北。そもそも勝負にすらなっていなかった。
二つ名持ちの猟兵が別格の存在だというのは知っていたが、ここまで差があるとは思っていなかったのだ。
それだけに悔しく、自分の弱さが憎い。
「何があったのかは知らないけど、アンタも猟兵なんだろ?」
「そうだけど……」
「なら、まずは生きてることを喜べよ。死んじまったら、喜ぶことも悲しむことも出来なくなるんだからさ」
自分よりも年下の少女に諭され、驚いた様子を見せるもラヴィは考えさせられる。
確かに少女の言うとおりだと納得させられたからだ。
サラに負けたことは悔しいし、自分の力の無さを情けなく思う気持ちはある。
しかし、キサラの言うとおり生きている。まだ〝次〟があると言うことだ。
「強くなりたい。ううん……いまよりも強くなって、今度こそ負けない」
ラヴィの表情から陰りが消えたのを見て、キサラの表情からも自然と笑みが溢れる。
四ヶ月前のキサラもラヴィと同じように心に余裕がもてなくて、荒んでいた時期があったからだ。
あの人たちと出会わなければ、いまも同じように一人で抱え込んで孤立していたかもしれない。
だから昔の自分と同じような表情をするラヴィを見て、他人事のように思えなかったのだろう。
「目を覚ましたらアンタを案内してくれって頼まれてるんだけど、どうする?」
「それって、さっき言ってた猟兵?」
「ああ、まだ辛いならもう少し寝ててもいいけど……」
「いえ、行くわ。案内して」
即答するラヴィに切り替えの早い奴と苦笑しながらも、キサラはラヴィを〝恩人〟の元へと案内するのだった。
◆
「それじゃあ、アンタがノーザンブリアにきた目的って……」
「ん……団員の補充。正確には、まだ〝顔〟の売れていない潜入任務に適した人材の確保が目的」
フィーがノーザンブリアにやってきた理由を聞き、深々と溜め息を漏らすサラ。
だとすれば、訓練キャンプでフィーと出会ったのも偶然ではないと悟ったからだ。
テーブルの上に置かれた書類には、候補と思しき猟兵の資料が並んでいた。
そのなかにラヴィアン・ウィンスレットの名前もある。
興味が無さそうにしていて、目星を付けていたのだろう。
とはいえ、
「確かにそういう人材も必要よね」
フィーの言うことも理解できた。
暁の旅団は良くも悪くも名前が売れているが、それだけに各国の警戒も強い。
密かに情報を集めようにも、顔と名前が既に売れてしまっている団員ではそれも難しい。
だからこそ、実戦経験に乏しい〝新人〟に目を付けたのだと察することが出来る。
北の猟兵を選んだのは全盛期に比べれば規模が縮小されたと言っても、まだ数千人からなる多くの団員を抱えていることに変わりは無い。
そのなかには帝国や共和国でも把握していない逸材が埋もれている可能性は低くないと考えたのだろう。
実際ラヴィの他にも候補となる逸材をフィーは何人も見つけていた。
しかし、いまになってそうした人材の確保を急ぐ理由がサラは気になる。
各国の近況を知ると言う意味では、ルバーチェ商会やアルカンシェルからも少なくない情報を得ているはずだからだ。
「東方の温泉に行くことになってね。共和国の目が自分たちに向いている間に、首都イーディスの様子を探っておきたいって――」
「温泉ですって!?」
「……そこに食いつくんだ」
ある意味で予想できたサラの反応に、フィーの口からは溜め息が溢れる。
とはいえ、
「サラには大公女の護衛って仕事があるでしょ? いまノーザンブリアを離れる訳にはいかないんじゃないの?」
「……そうだったわ。来月にはジュライで、経済連携協定の交渉が行われる予定だし……」
温泉へ行ける余裕など、いまのサラにはなかった。
明るい兆しが見えてきたとはいえ、ノーザンブリアの実情が厳しいことに変わりは無い。
そして、それは先の戦争で多くの死者をだしたジュライも同様であった。
そこで政府間での協議が進められており、経済連携協定が結ばれる運びとなったのだ。
クロスベルを中心とした新たな経済圏の確立。
既にリベールなども参加に前向きで、サラもヴァレリーと共に各地の催しに参加していた。
「お土産に東方のお酒を買ってくるから」
お土産を買ってくるとフィーに言われて、渋々と言った様子ではあるが納得するサラ。
それに『故郷のために出来ることをしたい』とリィンに頭を下げ、ノーザンブリアに残ることを決めたのはサラ自身だ。
北方地域での仕事を任せてもらっただけに、途中で放り出すことも出来ない。
護衛と言うのは表向きの仕事で、革命の英雄と〈暁の旅団〉がヴァレリーの後ろ盾についていると周知させるのが主な目的だからだ。
バレスタイン大佐が〈北の猟兵〉を率い、腐敗した議会を粛清したことで風通しは良くなったが、それでもヴァレリーが大公女を名乗って政府の重責を担っていることに少なからず反発はある。バルムント大公がこの国の人々にしたことを考えれば遠縁とはいえ、大公家縁の者が政治の中枢を担うことに抵抗があるのも頷ける話だからだ。
先の戦争で〈北の猟兵〉を率いノーザンブリアを帝国の侵略から守った実績があるとはいえ、まだそれだけでは不十分なのだろう。
いまのところ〈革命の英雄〉と呼ばれる〝二人〟がヴァレリーの支持を表明することで、表立った反発は抑えられている。
しかし対外的な部分も考えると、暁の旅団の後ろ盾があるのとないのとではヴァレリーの立場も大きく変わってくる。
本当の意味でヴァレリーがノーザンブリアの代表と認められるには、まだまだ時間が必要と言うことだ。
「ん……きたみたい」
扉をノックする音に対して、どうぞと返事をするフィー。
すると、
「言われていたとおり、案内してきました」
「ん……ご苦労様」
扉を開けて、キサラが姿を見せる。
その畏まった口調からも、緊張している様子が見て取れる。
そんなキサラの後ろから戸惑いを隠せない表情で、顔を覗かせたのはラヴィだった。
キサラに案内された場所にサラだけでなく、フィーまでいるとは思っていなかったのだろう。
そんな彼女にフィーは――
「ラヴィアン・ウィンスレット。私たちの〝家族〟にならない?」
開口一番、リィンを真似るかのように勧誘を試みるのだった。
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