オルキスタワーの中枢には、クロイス家が技術の粋を集めて開発した巨大な装置がそびえ立っていた。
 霊子エンジンを搭載し、アストラルコードの解析すら可能とする世界最高峰の演算装置だ。
 そんな関係者以外は立ち入ることの出来ない秘密の区画で、慣れた手つきで装置を操作する幼い少女の姿があった。
 キーアよりも幼い見た目をしたウェーブ掛かった金髪が特徴の彼女の名は、ベル・クラウゼル。
 その正体はIBCの元総裁の娘にして、碧の大樹の事件で死亡したとされるマリアベル・クロイス本人だった。

「そろそろ来る頃だと思っていましたわ」

 来客の気配を察知して、作業の手を休めるベル。
 くるりと椅子を回転させて振り返ったベルの視線の先には、険しい表情をしたエリィの姿があった。
 ベルの態度から、やはり彼女も〝知っていた〟のだとエリィは察する。

「その様子からして〝世界の真実〟を知ったようですわね」
「ええ、リィンから聞いたわ。オルタの記憶について、もっと詳しく聞いておくべきだったと後悔しているところよ……」

 リィンがキリカに見せた世界の真実。それが、どういうものかをエリィもリィンから聞いて知ったのだ。
 とはいえ、後から報されたことに不満がない訳ではないが、確証を得られるまでは話すつもりはなかったと言うリィンの考えも理解できなくはないのだ。
 話だけを聞いたとしても俄には信じられないほどに、衝撃の大きな話だったからだ。

「……ベルはショックじゃなかったの?」
「別に? ある程度は予想していましたし、大地神マイアという前例もありましたから。相手は女神ですのよ?」

 このくらいは想定して然るべきだと、エリィの問いにベルは答える。
 人には不可能な奇跡を体現する存在――それが〝神〟だ。
 仮にこの世界が神によって創造された世界なのだとすれば、マイアに出来たことが同じ女神のエイドスに出来ないとは思えない。
 マイアの力はエレシア大陸全域に及んでいたことが後の調査で判明している。ならばゼムリア大陸全域にエイドスの力が及んでいたとしても不思議な話ではない。この世界が女神の見ている夢だと言っている訳ではないが、神の力によって構築された〝箱庭〟の可能性は高いとベルは以前から考えていたのだ。
 もっとも、この世界が抱える問題はそう単純な話でもないのだが――

「霊脈の枯渇が砂漠化の原因だと思っていたけど、問題はそう単純なことじゃなかった。正直に話して頂戴。この世界はあと何年くらい保ちそうなの?」

 だからこそ、エリィはベルの元を尋ねたのだ。
 この世界が女神の創造した箱庭と言うことは、霊脈の枯渇がもたらしている現象はただの〝砂漠化〟ではないと言うことになる。
 消費するマナの量に対して供給が間に合わず、箱庭を維持するための力が不足していると言うことだ。
 箱庭を維持するための力が失われれば、千二百年前に起きたとされる大崩壊どころの話じゃない。
 キリカが宇宙から見たという光景も、そのことから大凡の想像が付く。
 問題はタイムリミットまで、どの程度の時間が残されているのかと言ったことだった。
 リィンにも正確な時間は分からないと言う話だったが、ベルならこの質問にも答えられるのではないかとエリィは考えたのだ。

「世界の維持に必要なマナの量は見当が付きますから、そこから計算すると導き出される時間は……保って十年と言ったところですわね」

 エリィの予想通り、ベルは世界が消滅するまでの時間を大凡ではあるが把握していた。
 とはいえ、あくまで現在の状況から推察したものなので、確実と言えるものではない。
 マナの供給と消費のバランスが崩れれば、もっと早まる可能性は十分にあるからだ。

「原因は分かっているのでしょ?」
「ええ、緩やかにではありますが大崩壊以降、マナの生成量が減ってきていたことが原因の一つ。そして、もう一つは――」
「マナの消費量が急激に増加した原因……やっぱり導力技術の普及が世界の寿命を早めたのね」

 導力革命によってもたらされた技術革新で便利な世の中となり、驚くほどに人々の生活は向上した。
 いまや導力技術はこの世界の人々にとって、なくてはならない技術となっている。
 しかし、その導力が世界の寿命を縮める要因となっているのだとすれば――

「誤解のないように言っておきますけど、普通であれば人間が使った程度でマナが不足するような状況にはなりませんわ」

 そうでなければ魔術を使う度にマナは消費され、いずれ世界からマナが消えることになる。
 しかし、魔力の源となるマナは〝星の生命エネルギー〟とでも言うべきものだ。
 自然界にはマナが溢れており、星の寿命が尽きない限りは生成され続ける。
 だが、この世界は大きな欠陥を抱えていた。星から供給されるマナの量が極端に少ないのだ。

「女神が至宝を人に与えた理由も、そのことから大凡の見当はついていますわ」

 星が必要な量のマナを生成することが出来ないなら、外から足りない力を持ってきて補うしかない。
 大地神マイアが言っていたように、一柱の神が創り出される至宝は一つのみ。
 ならば七つの至宝の内の六つは、エイドスが他の世界から持ち込んだものと言うことになる。
 そして、至宝は人の願いを叶える時、願いの強さに応じた量のマナを放出する。
 仮に至宝が消滅することになっても、放出されたマナそのものが消える訳ではない。
 だからこそエイドスは至宝を人間に授けることで、敢えて願いを叶えさせると言った行為に及んだのだとベルは説明する。

「そこが分からないのだけど……どうして、エイドスは自分で至宝を使わなかったの?」
「人ではなく神だから――空の女神と言うくらいですし、恐らくは他の神の力を使うことが出来ないとか、そう言った理由からなのでは?」

 聖獣が女神との盟約に縛られているように、神を縛るルールが存在するのではないかとベルは考えていた。
 その証拠にマイアも絶大な力を持っているが、彼女は世界に縛られていてあの世界から動くことが出来ない。
 恐らくエイドスにも、そういった制約が課されているのだろう。
 神だから何でも出来るのではなく神だからこそ出来ないことがあるのだと考えれば、すべてに説明が付く。

(もっとも、それだけではなさそうですけど……)

 そうは言ったものの結局それだけでは根本的な解決にはならない。
 至宝に人間の願いを叶えさせ続ければ、確かにマナを世界に供給することは可能だ。
 だが、人は欲深い生き物だ。人間に至宝を委ねた結果、七つの至宝は失われてしまった。
 女神が余程のお人好しで人間を疑うことを知らないバカでない限りは、この結果を予想していなかったとは思えない。
 なら、他にも何か理由があったはずだと、ベルは推察する。
 残された手がかりは、リィンの身体に宿る八つ目の至宝。これが、すべての謎に迫る鍵になるとベルは考えていた。

「それで? 世界の真実を知って、エリィはどうしたいのですか?」
「それは……」
「言っておきますけど、世界の寿命を延ばすためにオーブメントを使うのを止めましょうとか世界に訴えたところで無駄ですわよ」

 むしろ、あらぬ疑いをかけられるだけだ。
 それにそんなことしたところで、僅かに終わりの日を引き延ばす程度にしかならない。
 根本的な問題の解決にはならないと、ベルはエリィに現実を突きつける。

「……なら、ベルには何か考えがあるの?」

 世界の崩壊を食い止めるための方法を、リィンがベルと共に探っていることはエリィも知っていた。
 霊脈の枯渇を防ぐ方法を探っているのだと思っていたが、マナの消失による世界の崩壊というシナリオが見えてきた今、始まりの地を押さえたとしても問題が解決するとは思えない。
 せめて至宝が手元にあれば、話は別だが――

「至宝によるマナの供給……まさか、リィンの考えていることって……」
「気が付いたようですわね。少なくともオーブメントの使用を制限するよりは、現実的なプランだと保証しますわ」

 少なくともリィンのもとには、零と鋼の至宝の二つがあることにエリィは気付く。
 そして、どちらも複数の至宝の力を宿しており、神の奇跡を凌ぐ強大な力を秘めている。
 もし至宝の力で本当にマナの供給が可能なのであれば、世界は消滅を免れるかもしれない。
 しかし、

(……それで世界を救えたとして、リィンとノルンはどうなるの?)

 ただの可能性に過ぎないが、一抹の不安がエリィの脳裏を過るのであった。


  ◆


 ――ノーザンブリア自治州、解放広場。
 大勢の人で賑わう市場から少し離れると、巨大なモニュメントがそびえ立つ場所があった。
 革命の成功を讃えた記念碑。そこには革命で命を落とした英雄たちの名前が刻まれていた。

「ブラドの孫娘と決闘をしたそうだな」

 背後からかけられた声に、サラは溜め息を漏らしながら振り返る。
 最初から気配は察していたが、敢えて気付かないフリをしていたのだ。
 とはいえ、声を掛けられたからには無視する訳にもいかず、面倒臭そうにサラは返事をする。

「それが、あなたと何の関係がある訳? ローガン」

 サラに声をかけた青い髪の男の名は、ローガン・ムガート。
 北の猟兵は主に穏健派と急進派の二つに派閥が分かれており、彼は急進派の中心人物と目される男だ。
 そして、嘗てはその急進派を纏めていた英雄――ブラド・ウィンスレットの片腕とされていた人物でもあった。
 自信家で野心的。そして、その自信に見合った実力もある。
 バレスタイン大佐が現れなければ、彼が〈北の猟兵〉を率いて議会を占拠していただろう。
 血の気の多い若い猟兵たちからは強い支持を得ているようだが、サラはこの男のことが好きになれなかった。

「少し興味を持っただけだ。自分の父親を殺した男の孫娘と決闘をした心境にな」
「……パパは生きているわ」
「不死者だったか? 確かにバレスタインは戻った。しかし、奴は一度死んだ。殺されたんだ。それは、お前も知っているはずだ」

 ローガンの言うようにバレスタイン大佐が戦場で命を落としたことはサラも知っている。
 他の誰でもない。父親の死を戦場で看取ったのは、サラ自身だったのだから――
 しかし、

「パパを殺したのはニーズヘッグの猟兵よ。アンタが知らないはずがないでしょ?」

 バレスタイン大佐はサラを庇って死んだ。
 そしてバレスタイン大佐の命を奪った銃弾は、確かにニーズヘッグの猟兵によるものだった。
 なのに〈北の猟兵〉の内部においては、バレスタイン大佐を殺したのは英雄ブラドと言う話になっていた。
 それは〈北の雷帝〉の異名を持つ三人目の英雄、グラーク・グロマッシュがそういう風に仕向けたからだ。
 そのことを急進派の中心人物にして、ブラドの片腕であった男が知らないはずがない。

「そうだ。バレスタインを撃ったのはガキだった。ブラドは嵌められたんだ。あの〝老害〟にな」

 仮にもバレスタイン大佐亡き後、北の猟兵を纏めてきた英雄を老害と呼ぶローガンにサラは呆れる。
 確かにローガンの言っていることは、すべてが間違いとは言えない。
 グラークがバレスタイン大佐殺害の罪をブラドに着せ、ノーザンブリアから追放したことは間違いないからだ。
 しかし本当にそれが真実なら、バレスタイン大佐がグラークを放置している理由が分からない。
 バレスタイン大佐がノーザンブリアへと戻った時、あっさりとグラークは身を引き、団の指揮を大佐へと譲ったと言う。
 大佐を殺し、野心のためにブラドを追放したような人間が、果たして自らの地位を簡単に手放すだろうか?
 あれから大佐とも落ち着いて話が出来ていないが、きっと何か事情があるはずだとサラは考えていた。

「アンタが昔のことをどう思っていようとアタシには関係ないわ」
「関係ならある。お前はバレスタインの娘だ」
「英雄の娘だから、親の後を継いで〈北の猟兵〉を率いろとでも言うつもり? そんなこと、あの人も望んでいないわ」
「なら、どうして猟兵に戻った」

 バレスタイン大佐が自分と同じ道をサラが進むことに反対していたのは、ローガンも知っていた。
 だからこそサラのことを裏切り者と誹る者もいる中で、ローガンは目立って反対をしなかったのだ。
 サラが遊撃士のままであったなら、ローガンもこんなことを口にはしなかっただろう。
 しかし、サラは戻ってきた。再び猟兵となり、暁の旅団の看板を背負って――

「私が遊撃士になったのは、少しでも血に汚れていないミラを故郷に送るためだった。でも、結局そのやり方では故郷を――ノーザンブリアを救うことは出来なかった」

 議会の腐敗はサラが想像している以上に進んでいた。
 サラが故郷のためにと送金したミラも、多くが議会の懐に入っていたことが判明している。
 国民が寒さと飢えに苦しんでいる中で、酒と観劇に浸る一部の特権階級がノーザンブリアを食い物としていたのだ。
 バレスタイン大佐が議会に見切りを付け、粛清という強引な手段にでたのも〝膿〟を出し切る必要があると考えたからだ。
 恐らくはそうして罪を被ることで、最後は帝国との戦いで命を落とす覚悟だったのだろう。
 まさに英雄らしい行動だと思う一方で、サラは自分のやってきたことが正しいと胸を張って言えなくなっていた。
 遊撃士としての活動が間違っていたとは思わない。しかし、それは本当に自分にしか出来なかったことなのかと問われると、素直に頷くことが出来ない。遊撃士にしか出来ないことがあるように、猟兵にも猟兵にしか出来ないことがあるのだと、今回の一件で学んだからだ。
 そして、それはリィンも同じだった。
 恐怖や憎しみを向けられることを覚悟した上で、リィンは自分にしか出来ないことを為そうとしている。

「だから、ギルドを辞めて猟兵に戻ったのか。だが、それは〈暁の旅団〉でなければ出来ないことなのか?」
「ええ、いまの〈北の猟兵〉では無理だと思うわ」

 ローガンの問いに対して、はっきりとサラは答える。
 彼の言いたいことは分かる。しかし、北の猟兵だけではノーザンブリアを守れなかったことも事実なのだ。
 ローガンは野心家ではあるが確かな実力もあり、北の猟兵のなかでも一目置かれる存在なのは間違いない。
 しかし――

「話は終わった?」
「――ッ!?」

 突然割って入った声に驚き、ローガンは振り返りながら腰に提げたブレードに手を掛ける。
 しかし、ローガンがブレードを抜くよりも早く、音もなく忍び寄った影がダガーをローガンの首元に突きつけていた。

「そこそこやるみたいだけど、まだまだかな。昔のサラくらい?」
「否定しにくい例えをするわね。評価は的確だけど……」

 確かに遊撃士であった頃のサラとローガンでは、実力に大きな差はなかった。
 しかし、この三ヶ月。サラも無為に時間を過ごしていた訳ではない。
 暁の旅団の特訓に参加し、フィーやシャーリィとの模擬戦闘も積極的に行ってきたのだ。
 それでも二人には遠く及ばないのだが、以前と比較にならないくらいには実力を付けていた。
 理の域に達した超一流の達人には及ばないものの、いまなら人を超えた領域に片足は突っ込んでいる自信がある。
 実際、ローガンが直前まで気が付かなかったフィーの気配に、サラは気付いていたのだ。

「妖精……猟兵王の妹か。まさか、これほどとはな」

 いまのサラよりも劣っていると言っても、ローガンも名の知れた実力者だ。
 相手の実力が分からないほど無能ではない。
 いまの一瞬で、どう足掻いても自分ではフィーに敵わないことを悟ったのだろう。

「なるほど……お前のような化け物が複数いるとなると、紫電の選択も間違いとは言えないか」

 強さだけが理由ではないのだが、ローガンが納得しているようなのでサラは敢えて否定せずに口を噤む。
 正直、ローガンのことは余り相手にしたくないというのが本音だったからだ。
 悪人ではないと思うのだが、こういう皮肉たっぷりの自信に満ちた男がサラは苦手だった。
 フィーと同じクラウゼルの名を持つ誰かさんの顔が頭を過るからだ。

「ん……こいつ、ちょっと失礼」
「ほら、行くわよ。これ以上やったら弱い者イジメになるでしょ」
「待て――誰が弱い者イジメだ! おい、待てと言っているだろ! サラ・バレスタイン!」

 後ろで喚くローガンを無視して、サラは不満そうなフィーを引き摺ってその場を後にする。
 サラが〈暁の旅団〉に入った理由を一つ挙げるのであれば、それは――

(リィンに誘われて、思わずドキッとしたからなんて言える訳ないのよね……)

 リィンに誘われたからと言うのがあるのだが、それを口に出来るはずもないのであった。



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