「エリィの様子がおかしいんだが、何か知らないか?」

 昼食のサンドイッチを持って現れたリィンにエリィのことを尋ねられ、そう言えばと何か思い当たる様子を見せるベル。

「昨日、ここにエリィが来ましたわね。例の件を気にしている様子でしたので、幾つか疑問に答えてあげましたけど」
「……また適当なことを言ったんじゃないだろうな?」
「失礼ですわね。憶測のまじった話ではありますけど、嘘は言っていませんわよ?」

 ベルから昨日エリィとしたやり取りを詳しく聞いてみると、やはり世界の寿命について気にしているようだった。
 この世界が滅びに向かっていることは分かっていたが、砂漠化の進行速度からして少なくとも百年以上は余裕があるものと考えていたのだ。
 しかし、現実には想像しているよりも遥かに深刻な状況だった。
 この世界はマナによって構築された疑似世界で、世界を維持するためには膨大な量のマナが必要になるということが分かったのだ。
 マナとは魔力の源ともなる自然界に満ちたエネルギーの総称で、星の生命エネルギーとでも呼ぶべきものだ。本来は人間が消費したくらいで不足するようなものではないのだが、現在は星から生成されるマナの供給量に対して消費されるマナの量が追い付いていない。それが大陸東部で急速に進む砂漠化の原因となっていた。
 正確には〝砂漠化〟ではなく、この星が持つ〝本来の姿〟に戻りつつあると言うことだ。
 イストリア大森林にある魔女の隠れ里やグレイボーン連峰の地下深くに隠されていた地精の工房のように、異相のずれた亜空間に創造された世界。
 それが、このゼムリア大陸の真相と言う訳だった。

「解決策を尋ねられたので、至宝の力を使うのが一番現実的な方法だと教えてあげましたわ」
「……それでか」

 ベルの話から、朝からエリィの様子がおかしかった理由をリィンは察する。
 至宝の力を使うと言っても、七の至宝は大崩壊の後に失われてしまった。
 現在その存在が確認できるのは、リベールで見つかった〈輝く環(オーリ・オール)〉の名を持つ〝空〟の至宝。
 クロイス家が失われた〈幻の至宝〉を再現しようと、千二百年の妄執の果てに完成された〝零〟の至宝。
 そして、先の戦いでリィンが〝呪い〟ごと吸収した『巨イナル一』と呼ばれる〝鋼〟の至宝の三つだけだ。
 鋼は〝焔〟と〝大地〟の至宝が闘争の果てに混ざり合い生まれた至宝であることを考えると、〝空〟〝幻〟〝焔〟〝大地〟の四つの至宝が現代で確認されていることになる。
 そして、空の至宝についてはリベールの異変の後、結社に回収されて行方知れずとなっていた。
 となると、いま使える至宝はノルンが回収した〈零の至宝〉とリィンが持つ〈鋼の至宝〉の二つだけと言うことになる。
 出来る出来ないで言えば、至宝の力によってマナを生みだし世界を延命することは可能だろう。
 しかし、そのためには解決すべき課題がまだ幾つか残されている。
 いまのところ二つの至宝は、リィンとノルンにしか扱うことが出来ない。
 そのため、リィンとノルンが世界のために犠牲となるのではないか? と、そんなことをエリィは考えているのだろう。
 エリィが心配しているのは恐らく〈幻の至宝〉が辿った末路を知っているからだ。
 とはいえ、

「ノルンはともかく、俺が世界のために率先して犠牲になるようなタイプに見えるか?」
「見えませんわね」

 はっきりとベルに否定されて複雑な表情を見せるも、リィン自身そんなつもりは毛頭なかった。
 他に方法がなければそうした可能性もあるのだろうが、親しい人間や顔見知りだけであればセイレン島に避難させてしまえば危機を脱することは出来る。
 面識もない見ず知らずの人間のために命を懸けようなんて崇高な志を、猟兵のリィンが持っているはずもなかった。

「とはいえ、諦めてはいないのでしょう?」

 世界のために犠牲となるかどうかは別として、この世界のことをリィンは諦めていない。
 そうでなければ、さっさとエタニアへの〝移住計画〟を進めてしまえばいい。
 全員を救うことは無理でも、それで手の届く範囲の人々を助けることくらいは出来るはずだからだ。
 むしろ、最初から全員を助けるつもりがないのであれば、確実な方法と言える。

「出来ることをしているだけだ」
「まあ、そういうことにしておきますわ」

 リィンがそうしない理由が、エリィたちにあるとベルは察していた。
 自分たちだけが助かるような選択を少なくともエリィは取ることが出来ない。
 それが出来るのであれば、クロスベルのためにロイドたちを裏切ってリィンの手を取る必要もなかったからだ。
 恐らくアリサやアルフィンも、何もせずに自分たちの生まれ育った世界を見捨てることなんて出来ないだろう。
 それが分かっているから、リィンも最後まで足掻く覚悟を決めたと言う訳だ。

「心配しなくとも協力はしますわ。可愛いエリィの悲しむ顔なんて見たくはありませんし、研究に役立つデータも取れそうですから」

 正直不安になる言葉だが、いますぐベルが裏切る可能性は低いとリィンは考えていた。
 少なくともアルス・マグナの解明が終わるまでは、ベルがリィンの傍から離れることはないだろう。
 彼女にとって最も優先度が高いのは自身の研究だからだ。
 だからこそ、信頼は置けないまでもリィンはベルのことを信用していた。

「〝信用〟はしてるさ」
「なら、その〝信用〟には応えないといけませんわね」

 リィンの回答に納得した様子でベルはクスリと笑みを漏らすと、慣れた手つきで端末を操作する。
 すると空間に投影された三枚の〝地図〟と思しき映像が、リィンの前に現れる。

「解析を頼まれていたデータですわ」

 一枚はゼムリア大陸の地図。もう一枚はエレシア大陸の地図。
 そして、最後の一枚は――

「やっぱり、そういうことかよ」

 リィンにとって馴染みのある〝世界地図〟が、そこに記されているのであった。


  ◆


「何を心配しているのかと思えば、エリィはリィンのことを〝美化〟しすぎよ」

 今朝から元気がないのでエリィの相談に乗ってみれば、話を聞いて呆れるアリサの姿があった。

「リィンは〝猟兵〟よ?」
「でも、彼は約束を守ってくれた。帝国の内戦を終結に導き、クロスベルを解放してノーザンブリアも守った〝英雄〟よ」
「結果的にそうなったと言うだけの話よ」

 エリィの言うように、確かにリィンのしてきたことは〝英雄〟と讃えられる功績かもしれない。
 しかしその一方で魔王と恐れられているように、リィンは多くの命を奪ってきた。
 エリィとの約束を守ってクロスベルの独立に手を貸したのも、ノーザンブリアを守ったのも――
 リィンや〈暁の旅団〉にとって、その方がメリットが大きかったからだ。
 決して善意からの行動ではない。
 勿論、アリサもリィンが私利私欲でしか動かない人間だとは思っていないが――

「赤の他人をメリットなしに助けるほど、リィンはお人好しじゃないわよ?」

 リィンはミラのために戦場を渡り歩く猟兵だ。
 目的のためであれば、敵の命を奪うことに一切の躊躇がない冷酷な一面を持っている。
 そんな人間が世界を救うために、自ら犠牲になるような行動を取るとは思えなかった。

「でも、大切な人たちのためならリィンは自分を省みないところがある。仮に私たちの誰かに危険が迫るようなことがあれば、彼はきっと……」

 エリィが何を心配しているのを察して、アリサは納得した様子を見せる。
 確かにリィンは敵に対しては容赦がないが、身内には甘いところがある。
 世界の崩壊に恋人や団の仲間たちが巻き込まれるようなことになれば、エリィが心配するような行動にでる可能性はゼロではない。
 いや、間違いなくそうなるという〝確信〟がエリィにはあるのだろう。

「もしかして、レンとキーアから夢の話を聞いた?」
「――! アリサも知っていたの?」
「エリィの説得に協力して欲しいって、相談を受けたからね」

 キーアが見たという夢。ただの夢と片付けることの出来ない夢の内容を、エリィもレンとキーアから聞かされたのだろう。
 エリィを説得するのであれば、正直に話した方がいいとアドバイスをしたのはアリサだ。といはいえ、ベルの話を聞く前であればこんな風にエリィが思い詰めることもなかっただろうことを考えると、今回ばかりはタイミングが悪かったとしか言いようがなかった。
 キーアが見たという夢。それは、リィンが皆の前から消えるという内容の夢だった。
 皆の前から去ると言う意味ではなく、文字通りこの世界から消えると言う意味だ。
 それがいつ起きることなのかは分からないが、キーアが見た夢の内容から場所が共和国の首都イーディスであることまでが判明していた。
 だから原因を探るために共和国の学校に通わせて欲しいと、キーアは申し出てきたのだ。
 いまのところ話は保留にしているが、ベルの話とキーアの話がエリィのなかで繋がったのだろう。
 考えすぎとも取れるが、確かに可能性の一つとして考えられなくはない。

「エリィはどうしたいの?」

 エリィが不安に思う気持ちは分かる。アリサだって本音を言えば、リィンを失うのが怖い。
 だから、ただの夢と片付けずにキーアの相談にも真剣に応じたのだ。
 とはいえ、キーアの夢だけでは情報が少なすぎて、現状で打てる手段は限られている。
 そのため、いてもたってもいられなくなって、キーアが共和国への留学を決断した気持ちも理解できる。
 結局のところキーアが留学を決めたように、どうしたいのかを決めるのはエリィ自身だ。

「この世界のことは諦めて、すべてを捨ててエタニアへの移住を考えた方がいいのかもしれないって、そんな考えが頭を過るのよ。リィンを失うくらいなら……私は……」

 思い詰めた表情のエリィを見て、アリサの口からは溜め息が溢れる。
 エリィの言っていることはアリサも考えなかった訳じゃない。
 いや、本当に打つ手がない時の最後の手段として、異世界への移住は真剣に考えていた。
 そのためにセイレン島の開発を進めている他、セルセタのように帝国からの独立を考えている国や街の支援を行っているのだ。
 しかし、まさかエリィの口からこんな言葉がでるとはアリサも思ってはいなかった。
 これまでクロスベルのために、エリィがどれほどの献身を捧げてきたかを知っているからだ。
 特務支援課の嘗ての仲間たちとも距離を置き、目的のためなら警察に手を回してロイドを遠ざけたくらいだ。

(これは重症ね……)

 エリィがこんな風に自分を追い詰めるようになってしまった原因にアリサは心当たりがあった。
 リィンと出会うことで理想だけではなく現実を見るようになったとはいえ、彼女は真面目過ぎるのだ。
 いや、現実と向きあうようになったからこそ、一人で抱え込んでしまってそれが重荷となっていたのだろう。
 嘗ての仲間に対する罪悪感のようなものもあったのかもしれない。
 とはいえ、

「エリィも温泉に行くのよね?」
「……そのことなのだけど、長期間クロスベルを離れるのは難しそうなの。ジュライやノーザンブリアのことも、まだ片付いていないでしょう?」

 一番の問題はエリィが請け負っている仕事量にあるとアリサは考えていた。
 良くも悪くも頼られすぎているのだ。
 長年クロスベルで政治家を務め、市長や議長の経験もあるヘンリー・マクダエル氏の孫娘にして、リィンと面と向かって話のできる人物と言う意味でエリィがクロスベル政府にとって重要な立ち位置にいることは分かっている。それでも、エリィ一人にクロスベルの政治家たちは重責を負わせ過ぎだと以前からアリサは感じていた。
 現在エリィの祖父が代行しており、空席となっている〝市長〟にエリィを推す声もあると噂されている。
 実際、市民からの支持も厚く、投票が行われればエリィが選ばれることは間違いない。
 しかし、どれだけ優秀だと言っても彼女はまだ二十一歳だ。リィンやアリサよりも一つ上でしかない。
 五十万人という市民の生活を守る責任がクロスベルの政治家にはあるが、エリィが担っている役割の重要性や期待の大きさを考えれば、それが重荷にならないはずがなかった。

「却下よ。今後どうするかを決めるのはエリィだけど、最低一ヶ月は休んで貰うわ」
「え……」
「政府には療養が必要ということで、私とリィンの名前で休暇届をだしておくわ。さすがに無視は出来ないでしょ」
「ちょっとアリサ、そんなことを急に言われても……」

 急に仕事を休めるはずがないと反論しようとするも、アリサに睨まれてエリィは押し黙る。
 ここ最近、根を詰めて働き過ぎだという自覚は、エリィ自身もあったのだろう。
 特にエタニアとの同盟やクロスベルを中心とした新たな経済圏の確立は、今後を左右する意味で重要な政策となっていた。
 ゼムリア大陸におけるクロスベルの立ち位置を決めるもので、エリィに寄せられていた期待も大きかったのだ。
 同盟に参加する国が増えれば〈暁の旅団〉に依存せずとも、クロスベルの独立を保てる可能性が見えてくるからだ。
 暁の旅団に依存している今の関係が、よくないと考えている政治家も少なくないのだろう。
 なら、尚のことエリィに頼るのではなく自分たちの力で成し遂げるべきだとアリサは考えていた。
 正直、ジュライやノーザンブリアを巻き込み、エタニアとの同盟の道筋を作ったというだけでもエリィの功績は大きい。
 エリィは市長や議長ではない。一政務官でしかないのだ。ここから先はクロスベルの政治家たちの仕事だろう。

「悪いけど、拒否権はないわ。エリィがこの街のことをどれだけ大切に思っているかは知っているつもりよ。でも、私たちにとって優先度が高いのはクロスベルではなくあなたなのよ」

 クロスベル政府がエリィを重要人物と見ているように、アリサたちにとってもこの街よりエリィの方が優先度が高いのだ。
 リィンの性格から言って、エリィとクロスベルのどちらを優先するかと言えば答えは決まりきっている。

「過労で倒れてその原因がクロスベル政府にあると知ったら、リィンは容赦なくこの街を切り捨てるわよ?」

 そうなっていいの?
 と、アリサに問われると、エリィも反論の言葉を失うのであった。



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