「共和国との交渉は無事に纏まったわ。それよりも――」
これはどういうこと? と首を傾げるエリィ。
彼女が困惑するのも無理はない。交渉の結果をリィンに伝えようとデアフリンガー号に顔をだしてみれば、シャーリィとカードゲームで勝負をしているシズナの姿があったからだ。
「九戦五勝で、私の勝ち越しだね。少しは雪辱を果たせたかな?」
「勝ち逃げは狡いんじゃない? 次、シャーリィが勝てば勝率は並ぶよね?」
「そこまで言うなら次も勝って今度こそ引導を渡させてもらうよ」
二人が遊んでいるのは『ヴァンテージマスターズ』と呼ばれているカードゲームのようだが、どうしてこうなっているのかがエリィには分からない。
リィンが気絶したシズナを連れてきたことは知っているが、彼女は捕虜となっていたはずだ。
昨晩、殺し合いをしていた相手と仲良くテーブルを囲んでカードゲームをしているのは理解しがたいのだろう。
「身代金の件は一応、決着がついたからな」
「……どういうこと?」
身代金という不穏な言葉を耳にして、怪訝な表情でリィンに説明を求めるエリィ。
どう説明したものかとリィンが考えていると――
「身体で払ってもらうことにしたそうよ」
リィンの代わりに食堂車のカウンターの裏から顔を覗かせたアリサが答える。
棘のあるアリサの説明にエリィから厳しい視線が向けられていることに気付き、リィンは誤解を解こうする。
「報酬分の仕事をしてもらうことで話がついたと言うだけのことだ。契約期間は一年。シャーリィと互角の戦力が加わったと考えればいい」
なるほど……とリィンの説明に納得しつつも、どこか不安そうな表情を滲ませるエリィ。
よくリィンが言っているように、猟兵の世界は昨日の敵が今日も敵とは限らない。
戦場で殺し合いをした相手であったとしても、雇い主が替われば次の仕事では肩を並べて戦うこともある。
猟兵とはそういうものだと頭では理解していても、まだリィンのようには割り切れないのだろう。
「……信用できるの?」
だから、そんな言葉がエリィの口からでることも当然だとリィンは考えていた。
猟兵であったとしても、完璧に割り切れる奴の方が少ない。
仲間を殺されたり傷つけられれば、相手に怒りや憎しみを抱くことは人間であれば当然の感情だからだ。
とはいえ、昨晩の戦いは少しヒートアップしただけで、互いに相手を殺すつもりで戦った訳ではない。
切っ掛けを作ったのはシズナだがシャーリィにも悪いところがなかった訳ではないので、リィンもシズナの提案を受け入れたのだ。
それに〝保険〟もある。
「剣士にとって一番大切なものを人質に取ってあるからな。裏切るような真似はしないだろう」
「酷いなあ……そんなことしなくても、口にした約束は守るよ」
「信用されたいなら結果で示せ。それが、猟兵だろう?」
「そう言われると、ぐうの音もでないんだけど……」
こういう奴だと視線を合わせながら肩をすくめるリィンを見て、エリィは納得した様子で苦笑を漏らす。
歴戦の強者だけが持つ雰囲気と、少女のようなあどけなさが同居した不思議な女性。
危険な人物という評価に変わりは無いが、ようするにシャーリィと同類なのだと察したからだ。
よく言えば、天真爛漫。強くなることに貪欲で、裏表のない性格をしているのだろう。
「それより、私が捕らえられたことには気付いているだろうからクロガネたちにも説明しないと」
「斑鳩の侍衆か」
「うん。クロガネは〈斑鳩〉のなかでも古株でね。私の世話役みたいな感じだから」
シャーリィで言うところのガレスのような存在かと、シズナの話にリィンは納得する。
それだけでクロガネという人物の苦労が察せられるのだから、やはりシズナはどこかシャーリィに似ているとリィンは思う。
「そのことなのだけど、アリオスさんが黒衣の集団と一戦を交えたそうよ」
「たぶん、それがクロガネたちだね。邪魔が入らないように、風の剣聖の足止めを頼んだから」
こいつの所為かと、皆の視線がシズナに集まる。
しかし、さすがは斑鳩の精鋭と言ったところか? 腐ってもアリオスは剣聖の異名を持つ〝元〟A級の遊撃士だ。
S級の誘いも受けていたという噂がある剣聖クラスの達人を足止め出来る猟兵など、そういるものではない。
シズナと同レベルの達人がそう何人もいるとは思えないが、それでも最強の名に恥じない猟兵団だと言うことは察せられた。
それだけに互いに猟兵である以上は戦場でまみえることはあるだろうが、積極的に敵に回したい相手ではないとリィンは斑鳩の厄介さを再確認する。
正規の軍人を相手にするよりも、そう言った戦い慣れた猟兵の方が敵に回すと厄介だと知っているからだ。
「そう言う訳だから、せめてオーブメントは返して欲しいんだけど」
「それは構わないが……その最新型の強化スーツといい、お前が使っていたのは共和国で開発された〈RAMDA〉だろ? 隠す気があるのか?」
どちらも猟兵と言えど、簡単に手に入るような代物ではない。
RAMDAと言えば、共和国で開発されたばかりのステルス機能を持つオーブメントだ。
同じステルス機能を持つ〈ユグドラシル〉があるためリィンたちには不要の代物だが、RAMDAが最新鋭の技術が詰め込まれた第五世代のオーブメントであることに変わりは無い。性能も〈ARCUS〉に見劣りする訳ではなく、まだ共和国軍でも〈ハーキュリーズ〉のような精鋭部隊にしか出回っていないような代物だ。
軍用品の横流しというのはよくある話だが、軍でも余り数が出回っていない最新式のオーブメントを入手するのは金を積んだところで難しい。それこそ、軍の上層部との繋がりがなければ、まず不可能だろう。
実際あの〈赤い星座〉でさえ、第五世代の初期に作られた〈ENIGMA〉を使っていたくらいだった。
そこに加えてシズナが身に付けているのは、服の下に身に付けられるほど軽量化された防刃・防弾性能を備えた最新式の強化スーツだ。アルティナやオライオンシリーズの姉妹たちが身に付けているラバースーツに近いもので、同様の技術で作られたものと見て間違いないだろう。
そのことから、まず一介の猟兵団が手に入れられるようなものではなかった。
「そこは聞かないでくれると助かるんだけど……」
「そういう〝約束〟だしな。深く詮索するつもりはないさ。ただ、お前たちにそんなものを渡して相手は本気で〝繋がり〟を隠すつもりがあるのかと思ってな」
「その辺りの思惑は分からないけど、私たちも〝これ〟に関しては装備品の提供を条件にテスト運用をお願いされただけだしね」
一切答えないという選択肢があるにも関わらず会話に応じたのは、シズナなりの誠意なのだとリィンは受け取る。
恐らくはこれが、シズナが口にだせる精一杯の情報なのだろう。
猟兵団に装備の試験運用を任せるというのは、割と良く聞く話ではある。
そう言う意味では筋が通っているように思えるが、軍との繋がりを否定する材料には残念ながらならない。
むしろ余程信頼している相手でもなければ、情報が流出するリスクを冒してまで猟兵に装備を提供するようなことはないからだ。
とはいえ、
「いろいろと詮索されたくないのは〝俺たち〟も同じだしな。そこを深く追求するつもりはないさ」
他所の団の事情にまで首を突っ込むつもりはリィンにはなかった。
こんな仕事をしていれば、話せない秘密の一つや二つは誰しもあるものだからだ。
少なくとも本気で事を構えるまでは、互いの事情に深く踏み込むつもりはない。
それが猟兵の世界――いや、裏社会における暗黙の了解であった。
◆
嘗ては〈黒の工房〉と呼ばれていた地精の本拠地。
現在は〈狭間の工房〉と名付けられた秘密の工房に銀髪の少女の姿があった。、
フード付きの強化スーツに身を包んだ彼女の名は――アルティナ・オライオン。
黒兎のコードネームを持つ〈暁の旅団〉のメンバーの一人だ。
そして――
「記憶を失っていた時は何も感じなかったのに、この場所を〝懐かしい〟と思うなんて不思議なものですね」
巨大なシリンダーが林立するこの部屋こそ、彼女が〝造られた〟研究所だった。
狭間の工房は大きく分けて、三系統の研究所に分かれている。
その一つがホムンクルスの研究を主に行っていたこの研究所と言う訳だ。
とはいえ、最近までアルティナは研究所での記憶を失っていた。
最低限の知識だけをインストールされ、工房の秘密を守るために記憶は初期化されていたためだ。
薄らと朧気に頭に浮かぶことはあったが、はっきりとここでの記憶を取り戻せたのは〝剣〟に取り込まれた時だった。
並行世界の自分の魂と同化することで、失っていたはずの記憶を完全に取り戻すことが出来たのだ。
だから、いまならはっきりと分かる。自分はここで造られ、そして――
「あれ? アーちゃん?」
彼女――ミリアム・オライオンと、ここで出会っていたのだと。
製造番号は一つ違い。並行世界のアルティナが『お姉ちゃん』と呼んでいた相手。
リィンを庇って命を落とし〝剣〟となったアルティナを気遣い、最後の別れの時まで後悔し続けたのが彼女だった。
――自分が身代わりになればよかった。
そう言っていたように、もしかしたらミリアムが身代わりとなって命を落とす未来もあったのかもしれない。
根源たる虚無の剣となる素養と条件は、アルティナとミリアム。どちらも持ち合わせていたからだ。
しかし、もう一人の自分はそのことを後悔していなかったことをアルティナは知っている。
ミリアムがアルティナのことを大切に思っていたように、アルティナも心の中ではミリアムのことを慕っていたからだ。
「温泉に行ったんじゃなかったの?」
「他にやりたいことがあったので断りました。それに馬に蹴られたくはありませんから」
「あー……なんとなく言いたいことは分かるかも」
温泉に行かなかった理由をアルティナの説明から、なんとなく察した様子を見せるミリアム。
そういう経験がないのでよく分からないが、リィンを取り巻く女性関係の噂はミリアムの耳にも入ってきていたからだ。
別に帝国の情報局に所属していたからと言う理由ではなく、それだけ噂になっていると言うことだった。
「ここでの生活には慣れましたか?」
「え、うん。もしかして、心配で様子を見に来てくれたの?」
ミリアムがここにいる理由だが、地精の本拠地でレンやキーアと共に保護された彼女はアルスターの人々と共に魔女の隠れ里に身を寄せていたのだが、戦争が終わって地精の一件にも片が付いたことで今後の身の振り方を迫られることとなった。
しかし帝国軍に今更戻ったところで彼女の居場所はなく、下手に生きていることが分かれば地精の協力者として裁かれる未来しか見えない。それにクレアやレクターのいない情報局に未練はなく危険を冒してまで戻る意味もないことから、同じ時期にアリサから声を掛けられていたジョルジュに誘われて、この〈狭間の工房〉で働くことになったと言う訳だった。
ほとぼりが冷めるまでは身を隠す必要もあったため、都合が良かったと言うのも理由の一つにあるのだろう。
他に理由を挙げるとすれば、アルティナや姉妹たちのことが心配だったと言うのがミリアムがここで働くことを決めた理由としてあった。
アルベリヒの指示だったとはいえ、姉妹たちを利用してレンとキーアを誘拐した一件をまだ気にしているのだろう。
「違います」
「……だよね」
それだけに、アルティナに嫌われることをしたという自覚はミリアムの中にもあるのだろう。
はっきりと否定されて納得しつつも、どこか悲しそうな表情で肩を落とす。
「それじゃあ、工房長……じゃない。フランツおじさんに用事とか? それなら呼んでくるけど」
嫌われていることは分かっている。それでもアルティナの役に立ちたい。
出来ることなら仲直りしたいという気持ちが、ミリアムのなかにはあるのだろう。
諦めずに話し掛けてくるミリアムに、アルティナの口からは溜め息が溢れる。
本音を言えば、別にミリアムのことを嫌っている訳ではない。
ならば好きなのかと問われると、分からないというのが正直なところだった。
並行世界のアルティナはミリアムを慕っていたようだが、こちらの世界ではそれほどの接点がないからだ。
とはいえ、
「違います。今日はあなたに用があって来ました」
「……え?」
接点がなかったのであれば、これから〝関係〟を築いていけばいい。
これまでアルティナは命令に従って動くだけで、自分から何かを為そうとしたことがなかった。
だから――
「話したいこと聞きたいことがあります。少し、話をしませんか?」
切っ掛けはもう一人の自分の心残りだが、アルティナ自身いまの自分を変えたいと思っていた。
ただ与えられるだけの関係ではなく、胸を張ってリィンの前に立てるように――
まずは最初の一歩を踏み出そうと、そう心に誓ったのだ。
「うん、うん! たくさん話そう! なんでも聞いてくれていいから!」
思ってもいなかったアルティナからの誘いに、心の底から喜ぶミリアム。
切っ掛けがなんであれ、アルティナの方から歩み寄ってくれたことが嬉しいのだろう。
そんなミリアムの反応に戸惑いを覚えながらも、勇気を振り絞ってアルティナは応える。
もう一人の自分が願いながらも叶えることの出来なかった夢。
――いつか〝あの人〟にも、こんな風に笑って欲しい。
そんな願いを込めながら、アルティナはぎこちなくもゆっくりと最初の一歩を踏み出すのであった。
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