「まだ頭がズキズキしますわ……」
「自業自得です。少しは反省してください」

 机に突っ伏すアルフィンに、水の入ったコップを手渡しながらエリゼは呆れた様子で反省を促す。
 リィンを酔わせてなし崩し的に関係を持とうとした結果がこれだった。
 策士策に溺れるとは、まさにこのことだ。エリゼが自動自得と呆れるのも無理はない。

「そう言えば、ミュゼの姿がありませんけど……」

 さすがに分が悪いと思ってか、部屋を見渡しながら話題を逸らすようにミュゼのことを尋ねるアルフィン。
 一緒に酔い潰れて同じ部屋で寝ていたはずのミュゼの姿が見当たらず首を傾げるアルフィンに、溜め息を吐きながらもエリゼは答える。

「もう荷物をまとめて先に駅へ向かいました」
「荷物? 駅?」

 龍來には一週間滞在する予定となっていたはずだ。
 昨日着いたばかりだと言うのに、エリゼの言っていることが分からずアルフィンは困惑した様子を見せる。
 どう説明したものかと悩みながらも、昨晩起きたことを順を追ってエリゼは説明する。

「――これが、昨晩起きたことの顛末です。ニュースでは火山の噴火と報道されているようですが、エリィさんの話によると山道は軍によって封鎖されているそうです。調査のため、龍來への行き来もしばらく制限されるそうなので、私たちも日程を繰り上げて煌都へ向かうことになりました」
「なるほど……共和国の立場を考えれば、真相は伏せておきたいところでしょうね」

 エリゼの話を聞いて大凡の事情を察すると、アルフィンは納得した様子で頷く。
 事件を起こしたのは東西で最強と称される猟兵団だ。辺境に配備されている戦力だけでは手に余る相手だ。
 軍や警察で対処が可能であれば話は別だが、それが出来ないのであれば真相を伝えたところで不安を煽るだけだろう。
 人的被害がでていないのであれば、恐らく帝国政府でも事件の公表は控える。
 これだけの規模の戦闘はそうあるものではないが、猟兵団同士の小競り合いは頻繁に行われているからだ。
 そのすべてに対応するのは現実的ではない。高位の猟兵団が相手となれば尚更だ。
 それに――

(私たちの来訪に合わせて高位の猟兵団が〝偶然〟龍來を訪れたなんてあるとは思えませんし、他にも理由がありそうですね)

 軍が情報を伏せたのには別の理由があると、アルフィンは推察する。
 偶発的に戦闘が発生したと考えるよりは、仕組まれた事件だと考える方が自然だからだ。
 斑鳩が龍來にいる理由。そこに共和国の政府か軍が絡んでいる可能性は高いと考えて良いだろう。
 とはいえ、エリィが共和国と交渉を行ったのであれば、アルフィンも話を蒸し返すつもりはなかった。
 いま共和国と揉めても何一つ得することがないからだ。むしろ、デメリットの方が大きいとさえ言える。
 ただ一つ、気になることがあるとすれば――

(リィンさんが連れて帰ったという捕虜。これも〝偶然〟であればよいのですが……)

 シズナのことが気掛かりではあった。
 態と捕虜になったとは思えないが、偶然と片付けるには状況が出来すぎている気がしてならなかったからだ。

(一応、注意しておいた方が良さそうですね)

 リィンがその可能性に気付いていないとは思えないが、アルフィンは警戒を促すことを決めるのだった。


  ◆


「よろしかったのですか?」
「何がだ?」
「彼女――〝白銀の剣聖〟のことです」

 ミュゼが何を心配しているのかを察して、リィンは肩をすくめる。
 ようするにシズナが〈暁の旅団〉に潜り込むために一芝居を打った可能性を疑っていると言う訳だ。
 とはいえ、シャーリィとの戦闘から捕虜になるまでの一連の流れが演技とは思えない。
 どちらかと言えば、思わぬチャンスが巡ってきたから流れに乗ったと言う方が正しいだろう。

「間違いなく〝裏〟があるだろうな」

 末端の団員ならいざ知らず、シズナは斑鳩の副長だ。
 ああは言ったが、彼女を解放するためなら身代金の支払いを渋ったりはしないだろう。
 なのにシズナは仲間に相談することもなく、身代金分の働きをすると言って期限付きで〈暁の旅団〉に協力する道を選んだ。
 まるで最初からそうすることを決めていたかのように、だ。
 共和国軍がシズナの身柄を求めなかったのも、こうなることを想定していたのだとすれば納得が行く。

「では、どうして?」
「こそこそと監視を続けられるよりはマシだろ?」
「……ですが、危険なのでは?」

 ミュゼが何を危惧しているのかは分かる。シズナの実力は本物だ。
 仮に彼女の目的が〝暗殺〟や〝破壊工作〟であった場合、止められる者は〈暁の旅団〉の団員でも限られる。
 リィンやシャーリィ。ここにはいないアリアンロードやオーレリアくらいの実力がなければ難しいだろう。
 フィーやクロウも腕が立つとはいえ、まだその領域の達人に届くほどではないからだ。

「安心しろ。いざと言う時は俺がどうにかするさ。それよりも、他に話があったんじゃないのか?」

 もしもの時はシズナの相手を自分がするつもりでリィンは覚悟を決めていた。
 とはいえ、その可能性は限りなく低いとも考えていた。
 はっきり言って、シズナは〝暗殺〟や〝潜入〟に向いている性格とは言えない。
 本気でそれを実行に移すなら、もっと適任がいるはずだからだ。
 なら、シズナでなければダメな理由があったと考える方が自然だ。

(恐らく、狙いは〝俺〟だろうな)

 シズナの狙い。それは自分である可能性が高いとリィンは考えていた。
 なら、シズナの性格から考えても無関係な者を巻き込んだりするとは考え難い。
 少なくとも〝剣聖〟の名に恥じない実力と誇りを持っていることは、先のやり取りからも察せられたからだ。
 それにシズナに何かしらの思惑があるように、リィンにも打算があった。
 それが何かは別の話として――

「アルフィンに酒を飲ませて、自分も酔ったふりをして機会を窺ってたんだろう?」

 まずはこちらから片付けるのが先だとばかりに、リィンはミュゼに詰め寄る。
 昨晩、ミュゼが酔ったふりをして狸寝入りしていたことに気付いていたからだ。
 恐らくアルフィンの飲み物をアルコールの入ったものとすり替え、自分は飲まなかったのだろう。
 疑われないように少量口にしたのかもしれないが、それでも泥酔するほど口にはしていないはずだ。

「……いつから気付いていたのですが?」
「確信を得たのは、遂さっきだ。泥酔するほど飲んだ割には顔色も悪くないし、酒のにおいがしなかったからな」

 これがサラなら酒の臭いを全身に纏わせて、朝から青白い顔を浮かべているのが想像できる。
 酒を飲み慣れている人間ですらそうなのに、ミュゼは未成年だ。
 貴族なら少しくらいは嗜んだことがあるのかもしれないが、それでも酔うほど口にしたことはないはず。
 アルコールへの耐性が強い人間はいるが、それでも泥酔するほど飲んで酒の臭いが少しもしないというのはおかしい。

「やはり、騙せませんか……」
「大人を舐めすぎだ。というか、エリゼも恐らく気付いているはずだ」
「知っています。旅館をでるときに注意されましたから……」

 事情があると察してアルフィンには黙っていてくれると約束してくれたが、旅館をでる前にミュゼはエリゼから注意を受けていた。
 アルフィンの場合、半分は自業自得のようなものだが、それでもミュゼのしたことは許されることではない。
 小言程度で済んだのは、むしろ恩情と言えるだろう。
 とはいえ、

「そこまでしたからには、アルフィンには聞かせられない話があるんだろう?」
「……はい。帝国のことで、ご相談したいことがあります」

 やはりそっちの話かと、ミュゼがこんな手段にでた事情をリィンは察する。
 アルフィンの耳に入れられない話となると、帝国絡みの話しか思いつかなかったからだ。
 それも恐らくは〝悪い方〟の相談だと察しが付く。

「大方、また内戦が起きようとしているとか、そんなところだろう? となると、オーレリアを呼び戻したのは、そっちが本命か?」
「はい。未然に防ぐことが出来れば、それに越したことはありませんから」

 ミュゼがこんな遠回りな方法を取った理由を察し、リィンの口から溜め息が溢れる。
 恐らくはオーレリアでも難しいほどに状況は芳しくないのだろう。
 そうなると、ログナー候も一枚噛んでいる可能性が高いとリィンは考える。
 アンゼリカとジョルジュの件だけでは、デアフリンガー号を無償で貸し出した理由としては弱いからだ。
 しかし、あのオーレリアが貴族派の残党程度に手こずるとは思えない。
 ノーザンブリアでの敗戦に加えバラッド候の失脚によって、いまや貴族派の勢力は虫の息と言った状況にあるからだ。
 だとすれば――

「相手は〝平民〟か?」

 リィンの問いにミュゼは無言で頷く。以前から兆候はあったのだ。
 先の内戦で家族や恋人と別れを告げた人たちは少なくない。そして今回のノーザンブリアとの戦争でも三十万人という死者がでた。
 犠牲者の大半はジュライから徴兵された人々とはいえ、帝国の臣民も少なからず含まれていたのだ。
 まだ戦争に勝っていれば、そうした人々の怒りの矛先を他へ向けることも出来ただろう。
 しかし帝国は負け、ノーザンブリアとジュライに対して多額の賠償金を支払うことになってしまった。
 その結果、皇家の信頼は失墜し、貴族制度や国に対する不満が一気に噴出したと言う訳だ。

(こうなると、アルフィンが継承権を放棄したことも影響しているんだろうな)

 内戦を終結に導いた実績があるアルフィンは、帝国の人々にとって聖女と讃えられるほどに大きな存在だった。
 実際、帝国の中には未だにリィンを英雄視する人々も少なくはないのだ。ノーザンブリアで十万の帝国軍を殲滅したと言っても、その大半は貴族派の勢力だったことも理由にあるのだろう。
 その二人が帝国ではなくノーザンブリアの側に付き、戦争を終わらせたという事実は重い。
 国民の目から見て、どちらに非があるのかと考えた時、やはり真っ先に頭に浮かぶのは戦争の舵を切った政府への不満と貴族に対する憎しみであったのだろう。
 ただの内戦ではない。国民の手による〝革命〟が帝国で起きようとしていると言うことだ。

「どのくらいの〝猶予〟があるんだ?」
「……保って二年だと思います。陛下は可能な限り血を流さない方向で、事を収めようとされているようですが……」

 無理だな、と言うのがミュゼの話を聞いたリィンの率直な感想だった。
 もはや国に対する信頼は失墜していると思っていい。
 戦争を引き起こした貴族たちを処分すれば解決するという問題ではない。
 最低でも貴族制度を廃止しなければ、国民の怒りは収まらないだろう。

「ミュゼはどう考えているんだ?」
「貴族制度の廃止はやむなしでしょうね。ですが、時期尚早だとも考えています」

 革命を否定する訳ではないが、急速な変化がもたらすものは国民が求めているような〝自由〟だけではない。
 ノーザンブリアを見れば分かるように革命によって為政者を追い出したとしても、国を建て直せるかどうかの話は別だからだ。
 貴族制度を廃止して新たな政府を興したところで、いまよりも状況が良くなる保証はない。
 帝国ほどの大国ともなれば、尚更だ。混乱が収まるまでには長い歳月が必要となるだろう。

「それで、俺にどうして欲しいんだ?」

 相談と言うからには何かして欲しいことがあるのだと、リィンは察する。
 正直に言うと嫌な予感しかしないのだが――

「お願いは二つあります。一つは〈帝国解放戦線〉を騙る組織の対処に力を貸して頂きたいのです」
「おい、まさか……」
「お察しのとおり〈暁の旅団〉との関係をにおわせながら、政府に不満を持つ人々を集めている過激な集団です」

 関係はありませんよねとミュゼに尋ねられれば、当然リィンは首を縦に振るしかなかった。
 いつかはそういう連中がでてくるとは思っていたが、こんな風に利用されると怒りを通り超して呆れる。
 裏の世界に身を置く者であれば、それがどれほど恐ろしい結果を招くかを知らない者はいないからだ。

「分かった。そっちは、こちらで〝対処〟する」

 当然、放って置くことなど出来るはずもない。
 リィンからすれば知らないところで濡れ衣を着せられているようなものだからだ。
 甘い対応を取れば、同じように〈暁の旅団〉の名前を利用するバカが出て来ないとも限らない。
 そうならないようにするために、徹底的に叩き潰す必要があるとリィンは考えていた。

「それと、もう一つ。疑いを晴らすためにも協力して頂きたいことがあるのですが……」

 瞳を潤ませながらお願いしてくるミュゼに、リィンの口からは何度目か分からない溜め息が溢れる。
 暁の旅団が無関係であると分かっていて、こんな風にお願いしてくる時点で脅迫と変わらないからだ。
 本当に良い性格をしていると、リィンはミュゼを評価する。

「このあと訪問予定のラングポートで、会談の予定を入れています。その会談にリィン団長も同行して欲しいのです」
「嫌な予感しかしないんだが、会談の相手ってまさか……」
「はい。お察しの通り、サミュエル・ロックスミス大統領です」

 ミュゼの話を聞いて、このタイミングで相談をしてきた理由をリィンは察する。
 大統領との会談予定が思いつきで入れられるはずがない。
 となれば、旅行の前から準備を進めていたと考えるのが自然だ。
 リィンが断り難い状況を作ることが、ミュゼの旅の目的だったのだろう。

「最初からそのつもりで温泉旅行の話に乗ったのか。……とことん巻き込む気だな?」
「アフターフォローだと思って頂ければ助かります。それにリィン団長にとっても悪い話ではないと思いますが?」

 降参と言った様子で両手を挙げ、リィンは観念した様子を見せる。
 帝国の今の状況はリィンに責任の一端がないとは言えないし、確かに〝悪い話〟ではないからだ。
 キリカに世界の真相を打ち明けた時から、ロックスミス大統領とは一度会って話をしたいとリィンは考えていた。
 それに温泉の誘いに乗ったのも、密かに〈黒月〉の長老と接触する目的があったからだ。

「今回は話に乗ってやるが、これ以上は報酬を貰うからな? それと、アルフィンに謝っておけよ」

 そういう返しをされるとは思っていなかったのか?
 アルフィンのことを話題にされて苦笑しつつも、ミュゼは「はい」と素直に応じるのだった。 



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