「フィーが言っていた嫌な予感の正体はこれですか……」
そう言って溜め息を漏らすラクシャの視線の先には、ホテルのフロントで従業員に詰め寄るアーロンの姿があった。
夜中にホテルへやってきてフィーやアルフィンの名前をだしたところで、常識的に取り次いで貰えるはずがない。
知り合いだと主張したところで、ホテル側からすればそれが本当のことかは分からない。
ホテルの利用客の情報を不審な相手に教えないと言うのは、ホテルの対応としては当然であった。
それに、ここは〈黒月〉の息が掛かった九龍グループ傘下のホテルだ。
このまま騒ぎを起こすようなら、黒月の構成員がやってきて取り押さえられることになるだろう。
とはいえ、その程度のことをアーロンが理解していないとは思えない。
なら、そうせざるを得ない事情があるのだと、ラクシャは状況を察する。
「その辺りにしておきなさい。ここで騒ぎを起こせば、どうなるかくらい分かるでしょうに……」
「やっと出て来やがったか」
「……なるほど、そういうことですか」
アーロンのその一言で、彼が何を考えてこんな真似をしたのかをラクシャは察する。
フロントで騒ぎを起こすことで、自分たちを誘い出すのが目的だったのだと――
暁の旅団の関係者でなく〈黒月〉の人間がでてくる可能性もあるが、アーロンはアシェンの幼馴染みと言う話だ。
当然〈黒月〉にも顔馴染みはいるだろうし、まずは関係者に接触するのがアーロンの狙いだったのだろう。
「危険な賭ですね。もう少し賢い方かと思っていましたが、裏の人間を甘く見過ぎでは?」
そうすることでアーロンの思惑通り、何かしらの情報を得られた可能性はある。
しかし逆に何の情報も得られないまま拘束され、密かに始末されていた可能性もあると言うことだ。
アシェンの幼馴染みと言うことですぐに殺されるようなことはないだろうが、それでも〈黒月〉は裏の組織だ。
組織にとって不利益になる存在と判断すれば、容赦なくアーロンを切り捨てるだろう。
そして、暁の旅団も甘い組織ではない。彼等は猟兵だ。敵と見做した相手には一切の容赦がない。
顔見知りだからと言って手加減をしてもらえると思っているのなら、甘い考えとしか言えなかった。
「この街で〈黒月〉に目を付けられたら生きてはいけねえ。アシェンの名前をだしても、アンタたちに関わることだ。黒月の名前に泥を塗ったとなれば、今回ばかりは見逃しちゃくれないだろうな」
「そこまで分かっているのなら、どうして……」
「どうしても譲れねえ理由があるからだ。命を懸けても、確かめたいことがある」
アーロンの真剣な眼差しに、相応の覚悟があっての行動だとラクシャは察する。
もっと賢いやり方もあっただろうが、手段を選べないほど差し迫った事情があるのだと――
「仕方がありませんね。ここで暴れられても面倒ですし、フィーに取り次いであげます」
「……恩に着る」
「ただ、その〝殺気〟だけは抑えなさい。殺されても文句は言えませんよ?」
ラクシャの指摘にハッと我に返った様子を見せ、滲み出る怒りを押し殺すようにアーロンは感情をコントロールするのであった。
◆
「あのバカ――まさか、ホテルに殴り込むなんて!」
随分と慌てた様子で九龍ホテルに駆け込むアシェンの姿があった。
アーロンが〈暁の旅団〉が宿泊しているホテルに押し掛け、騒ぎを起こしているという報告を部下から受けたためだ。
事情は分かっている。ニュースでも取り上げられている路地裏で発見された複数の死体。
その事件に、暁の旅団が関わっているという噂が広まっているためだ。
誰がそんな噂を流したのかは分かっていないが、問題は死亡した者のなかにアーロンの仲間がいると言う点だった。
面倒見が良く仲間想いで親しみやすい性格であることから、不良仲間だけでなく街の人たちにも慕われているのだ。
そんな彼が仲間を殺されて黙っていられるはずがない。
絶対に敵わない相手だと分かっていても、大人しく引き下がるなんて真似は出来ないはずだ。
真相を確かめるために必ず動く。そうと分かっていたのに後手に回ってしまったことをアシェンは後悔していた。
「――上のフロアに向かった!?」
「は、はい。知り合いだからとロズウェル様が連れられて……」
ラクシャがアーロンを上のフロアに連れて行ったとホテルの従業員から話を聞き、アシェンは間に合わなかったことを悟る。
とはいえ、まだ最悪の状況に陥った訳ではないと前向きに考え、護衛と一緒にエレベーターへ乗り込む。
アーロンも仲間を殺されたとはいえ、暁の旅団を相手に戦いを仕掛けても敵わないことは理解しているはずだ。
そもそも、その殺されたという話も噂に尾ひれがついているだけで真実ではない。
リーシャが襲撃されたことは事実だが、彼女は一人として襲ってきた者たちを殺していないからだ。
犯人は淡い水色の髪のダガー使いの男と、ニードルガンと思しき武器を使う謎の女。
正体は分かっていないが噂の出所からして悪意があることから犯人と関係があると考え、黒月の調査が進んでいた。
「何があっても、絶対にこちらからは手をださないように――」
「それはアーロン・ウェイの身に危険が迫っても、ですか?」
「……そうです。暁の旅団との対立は絶対に避けなくてはなりません」
護衛の言葉に一瞬躊躇いを見せるも、アシェンは〈黒月〉の令嬢としての判断を下す。
ここでアーロンを切り捨てることになったとしても、ルウ家の人間として〈暁の旅団〉との関係を壊す訳にはいかないと判断したためだ。
勿論アーロンのことを諦めた訳ではない。彼を止めたい。可能な限り助けたいという感情はアシェンの中にある。
しかし、そのことで組織を危険に晒すことも出来ない。
黒月の存在によって煌都は――共和国の裏社会は秩序が保たれているからだ。
暁の旅団と敵対すれば多大な犠牲を払うことになり、他の組織に付け入る隙を与えることになる。
そうなったら長く保たれてきた秩序と均衡は崩れ、革命が起きた百年前のような混沌とした時代が再び共和国に訪れるだろう。
暁の旅団と良好な関係を築くべきとする祖父の決定は間違っていなかったと、いまのアシェンは考えていた。
火山の噴火と報道されている龍來で起きた事件の詳細を知ってしまったからだ。
災害を引き起こすほどの力だ。十万の軍を壊滅させたという噂も真実なのだと察せられる。
確かに〈黒月〉の組織力は強大だ。しかし、所詮は人の集まりでしかない。
人智の及ばない天災級の怪物と事を構えて、無事に済むとは到底おもえなかった。
しかし自然災害と異なる点を挙げるとすれば、リィン・クラウゼルは人の姿をした天災であり対話が可能という点にあった。
言葉の通じる相手であれば、策を弄することも出来る。そうして〈黒月〉は共和国の裏社会を牛耳るほどに組織を大きくしたのだ。
恐れて遠ざけるのではなく、敵とする前に利害の一致をもって味方としてしまえばいい。
祖父のそうした考えはアシェンにも理解できた。
とはいえ、頭では理解できても納得できるかは別の話なのだが――
「お嬢様――下がってください!」
目的のフロアに到着すると、異変に気付いた護衛が庇うようにアシェンの前へとでる。
その直後、スイートルームのドアを突き破って、何かが床に叩き付けられるように転がった。
それを見たアシェンは目を瞠り、焦った様子で名前を叫ぶ。
「アーロン!」
そう、重厚なドアを突き破り、床に叩き付けられたのはアーロンだった。
全身を強く打ったためか?
肺から息を吐き、起き上がれない様子のアーロンに駆け寄ろうとするアシェンを護衛の男は制止する。
「何を……」
「お嬢様、お願いですから後ろに下がってください。危険です」
先程と同じ言葉を繰り返す護衛をアシェンは不思議に思いながらも、その理由はすぐに察せられた。
破壊された扉の向こうから、銀色の髪の少女が姿を見せたからだ。
妖精の異名を持つ〈暁の旅団〉の隊長格の一人にして、リィン・クラウゼルの義妹。
フィー・クラウゼルだ。
「手加減はしたから生きてるよね?」
「あ、当たり前だ……」
「ん……話が出来るなら、まだまだ元気そうだね」
そう言ってアーロンとの距離を詰めると、目にも留まらぬ速度で〝蹴り〟を放つフィー。
回避も防御もままならないまま、再びアーロンの身体が宙を舞う。
苦悶の表情を浮かべ、口元から血を滲ませながら壁に叩き付けられるアーロン。
その悲惨な光景に耐えきれず、アシェンは再びアーロンの名前を叫ぶ。
「ん……黒月のお嬢様? 幼馴染みって言うのは本当だったんだ」
アシェンに気付き、彼女の反応から二人が幼馴染みだと言う話を思い出すフィー。
とはいえ、
「黒月のお嬢様が心配しているみたいだけど、考えを改める気はある?」
「……ねえな。むしろ、訂正するのはそっちだ」
アシェンの顔を立てて、フィーも折れるつもりは一切なかった。
これが依頼人の関係者なら、多少は配慮もしただろう。
しかし、暁の旅団と黒月の関係は対等だ。
対等だからこそ、譲る理由にはならないからだ。
「一体なにが……」
どうしてこんなことになったのかと困惑を顕わにするアシェン。
アーロンは確かに喧嘩っ早い性格をしているが、誰彼構わずと喧嘩を売るような人間ではない。
なら、ここまで状況を悪化させた理由が何かあるはずだとアシェンは考える。
(とにかく戦いを止めないと……)
このままでは確実にアーロンは殺される。
最悪の事態がアシェンの頭を過った、その時だった。
「そのくらいにしてもらえるかな?」
よく見知った声がホテルの廊下に響いたのは――
アシェンが声のした方を振り向くと、そこには恰幅の良い一人の男性が立っていた。
ルウ家の次期当主にして、アシェンの父親。
「爸爸!? どうしてここに――」
――ファン・ルウ。それが闖入者の名前だった。
◆
『――噂が事実だったとして敵なら殺されて当然。実力も覚悟もないのに裏に関わったそいつの自己責任だよね?』
バカは死んで当然とフィーに切り捨てられたことが、アーロンが冷静さを欠いた理由だった。
アーロンの気持ちは理解できる一方で、敵なら殺されても仕方がないとするフィーの主張も否定できない。
どのような事情があっても裏の世界に関わると言うことは、そういうことだからだ。
カッとなって剣をフィーに向けたみたいだが、殺されなかっただけマシと言ったところだろう。
しかし、
「戦いを止めたってことは、黒月が〝責任〟を取るってことでいいの?」
そんなアーロンの事情など、フィーからすれば関係のない話だった。
ラクシャが連れてきたと言うこともあって話を聞きはしたが、アーロンのしたことは噂に踊らされ、証拠もなく難癖をつけてきたようなものだ。
顔見知りだから手加減をしたが、本来なら最初の一撃で殺されていてもおかしくなかった。
「……俺は真実を確かめたかっただけだ。黒月は関係ない」
「そういうことらしいけど?」
ここでファンやアシェンがアーロンを見捨てれば、フィーは猟兵の流儀でアーロンを処分しようとするだろう。
アーロンも覚悟を決めている様子だが、猟兵に喧嘩を売って穏便に済ませられるとは思えなかった。
命までは奪われなくとも、手足の一本くらいは覚悟する必要があるだろう。
最悪の場合、もっと酷い結末を迎える可能性だってある。
フィーは猟兵の中では温厚な方だが、それでも団の名前に傷を付けられて黙っていられるほどお人好しではない。
しかし、
「殺すつもりなんて最初からないのに、らしくない演技をしてもバレバレだと思うわよ」
フィーのその態度が演技であることを〝アリサ〟は見抜いていた。
ファン・ルウが止めに入ってすぐ、アリサが後を追うように現場に姿を見せたのだ。
恐らくはアリサが会談していたという相手が、ファンだったのだろう。
「ん……リィンなら、きっとこうするかなと思って」
フィーの話に納得した様子を見せるアリサ。
この場にリィンがいたら、どういう対応をしたかは容易に察せられるからだ。
「そう言うなら交渉はアリサに任せていい? 正直、面倒臭い」
「……それなら最初から面倒事を起こさず、穏便に済ませなさいよ。こうなることが分かってて、煽ったでしょ?」
「本当のことを言っただけ。実力と覚悟が伴っていないのは、そこの問題児も一緒。このまま裏に首を突っ込んで命を落とすよりはマシでしょ?」
最後の言葉がフィーの本音なのだと、アリサは悟る。
仮に噂を否定したところで、犯人が別にいるとしてアーロンは止まらないだろう。
真相を確かめるために、仲間の敵を取るために真犯人を捜そうとするはずだ。
しかし、いまのアーロンの実力では犯人に辿り着いたところで何も出来ずに殺されるだけだ。
なら少し強引でも頭を冷やす意味で、力の差を思い知らせてやった方がいい。
それが、フィーなりの優しさなのだと察することが出来た。
「すまなかったね。手間を掛けさせてしまった」
「……そう思うなら、黒月の〝誠意〟を期待してる」
頭を下げるファンにそう言って、フィーは部屋を後にする。
部屋に残されたアリサは先程から一言も発せずに様子を見守っていたラクシャに視線を向け、
「フィーを止めなかったのは、こうなることを予想していたから?」
「彼からは危ういものを感じたので、少し荒療治が必要かと思いまして」
真の黒幕が誰かを悟るのであった。
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