東方人街から小舟で十分ほどの距離にある海蝕洞。
煌都を代表する観光名所の一つで、見学ツアーが組まれたりと観光客に人気の場所だ。
しかし、ここ最近は魔獣の数が増え、危険なことから一時的に閉鎖されていた。
近々ギルド主導による魔獣の掃討作戦が計画されていたのが、そんな場所にリィンの姿があった。
ホテルでの騒ぎから二日後。ライ家の提案により、リィンの実力を測るため腕試しが催されることとなったためだ。
表向きは〈黒月〉が手を結ぶに値する相手かを見極めるためとあるが、猟兵と手を結ぶことを快く思えない者たちがいることはリィンも分かっていた。
ましてや、暁の旅団は名前こそ売れているが結成から間もない猟兵団だ。そんなぽっと出の組織と〝対等〟な関係を結ぶなど百年以上の歴史を持ち、共和国の裏社会を支えてきた自負のある〈黒月〉の長老たちからすれば納得の行かない話なのだろう。
大局を見れば必要なことと分かるはずだが、組織としての面子やプライドもある。
こうなることはリィンも予想していたので、特に驚きは無かった。
むしろ、ああだこうだと理屈を捏ねられて厄介事を押しつけられるよりは、単純に力比べで済んだことは幸運だったとさえ思っていた。
もっとも決闘を提案したライ家は〝力比べ〟などで済ませるつもりはなく、本気でリィンを殺すつもりでいるのだろうが――
「リィン・クラウゼルだ。アンタが決闘の相手と言うことでいいのか?」
「そうだ。ライ家の筆頭拳士、ガウラン。お前のような強者とまみえる機会を得られたことを幸運に思うぞ」
そういうタイプかと、ガウランの性格をリィンは察する。
いますぐにでも始めたいと言った様子で、殺気を抑えられない様子が容易に見て取れたからだ。
しかし、隙のない佇まいに荒々しくも完全に制御された闘気を見るに、相応の達人であることは見て取れた。
東方に伝わる三大拳法の一つ、月華流の最強拳士。噂通りの実力なら、剣聖クラスの達人と考えて間違いないだろう。
「お前一人でいいのか? なんなら後ろのお仲間も一緒で構わないぞ?」
「……さすがだな。気付いていたか」
勝敗を見届ける監視が主な役割だろうが、長老会が手のものを忍ばせていることにリィンは気付いていた。
恐らくはライ家の凶手もその中に潜んでいるのだろう。気配は隠している様子だが、敵意までは完全に隠せていなかった。
とはいえ、そのことでリィンはライ家を責めるつもりはなかった。
そもそもリィンは一人で来たが、決闘に参加する人数の取り決めなどは特にしていなかったからだ。
リィンがアシェンから聞いたのは、あくまでライ家から筆頭拳士のガウランがでると言うことだけ。
他に何人助っ人がいたとしても、最初から文句を付けるつもりなどなかった。
「たいした自信だな。それとも、俺を侮っているのか?」
そんなリィンの態度が気に入らなかったのだろう。
敵意を丸出しにして睨み付けてくるガウランに、リィンはやれやれと言った様子で肩をすくめる。
月華最強と噂されるほどの実力。筆頭拳士としてのプライドもあるのだろう。
実際そう言われるだけの実力が彼にはあるのだと分かる。
しかし、
「この程度の戦力でどうにかなると考えているのなら、侮っているのはどっちだろうな?」
侮られていると感じたのは、リィンも同じであった。
ギエン老が〈暁の旅団〉と対等な関係を結ぼうとしたのは、戦争になれば〈黒月〉とて無事では済まないと考えたからだ。
リィン一人でも国家や組織と戦えるだけの力がある。そう思ったからこそ、策を弄して敵に回さない道を選んだ。
しかし、ルウ家に次ぐ力を持つとはいえ、ライ家は〈黒月〉の中の一勢力でしかない。
ギエン老が自分たちと同等以上の力があると認めた相手に、これだけの人数で対処が可能だとライ家は判断したと言うことだ。
「……これは!?」
リィンから放たれる怒気を含んだ殺気に、ガウランも思わず圧倒される。
並の人間であれば殺気をあてられただけで失神し、相応の使い手でも身動きを封じられるほどのプレッシャー。
ガウランほどの使い手であっても、思わず後退りそうになるほどの闘気がリィンの身体から放たれていた。
英雄と呼ばれるほどの達人であっても、決して人の身では届かない限界を超えた怪物。
猟兵の中の王にして、魔王の二つ名を持つ猟兵。
(これが、リィン・クラウゼルか……!)
リィンの実力を見誤っていたことをガウランも認める。
ガウランは確かに月華最強の拳士だ。組織の中でも一二を争う実力を持つことは間違いない。
しかし、
「人外の怪物と戦うのは初めてか? お前が知らないだけで、このくらい出来る奴は世界にたくさんいる」
ガウランが知らないだけで、世界は広い。
リィンが知る限りでも、いまのリィンと相応の戦いが出来る人間は数人いる。
負けはしないだろうが、全力のオーレリアやヴィクターを相手にするとリィンでも〝覚悟〟が必要だ。
マクバーンに勝ちはしたが、お互いあの時のような全力をだすことは出来ない以上、次に戦えばどうなるかは分からない。
他にもシャーリィと良い勝負をしたシズナやアリアンロードも、決して油断の出来ない相手と考えて良いだろう。
そして恐らくは星杯騎士団の団長アイン・セルナートも、リィンと対等な勝負が出来る実力者の一人だ。
「なるほど……お前なら俺の渇きを癒してくれそうだ」
リィンの言うように、ガウランは圧倒的な強者とまみえたことはない。
強者との戦闘経験が皆無と言う訳ではないが、それはあくまで人の範疇であった。
黒月という組織に所属している以上、誰彼構わずと喧嘩を売るような真似は出来ないことから機会に恵まれなかったのは仕方のないこととも言えるだろう。
だが、それでも彼は幼い頃から強さを貪欲に求め、自身の渇きを満たしてくれるものを求めていた。
戦いの中に身を置いたのも、常に満たされない何かを心の中に感じていたからだ。
だから、この決闘を引き受けた。
そもそも選択肢などなかったのかもしれないが、リィンとの戦いを彼は誰よりも愉しみにしていたのだ。
自分を超えるかもしれない強者との戦い。そのなかでなら埋まらない何かが満たされるかもしれないと考えたからだ。
「少しは怯むかと思ったが、なお戦意を失わないか。これだから戦闘狂は……」
隠れている連中は戦意を失っていると言うのに尚も戦いを求めるガウランに、シャーリィに通じたものをリィンは感じる。
ガウランの実力について、はっきりとしたことは戦ってみないと言えないが――
「……なんのつもりだ?」
腰に提げたブレードライフルを魔法のように消し去ったリィンを見て、ガウランは怪訝な表情を浮かべる。
ユグドラシルの〝倉庫〟に仕舞っただけなのだが、だとしても戦いの前に武器を手放すなど常識的にありえない。
戦意を喪失したと言う訳でないことは、リィンの態度を見れば分かる。
ガウランがリィンの行動を不審に思うのも無理はなかった。
しかし、
「拳士なんだろ? だから、お前にあわせて戦ってやる」
そんなリィンの言葉に目を瞠り、激昂した様子を見せるガウラン。
開始の合図を待つことなくリィンとの間合いを一足で詰めたかと思うと、ガウランは拳を振り抜いていた。
風を切る音と共に伝わってくる振動。自身の放った右拳が、リィンの左手に受け止められたのだとガウランは悟る。
「……ただの挑発と言う訳ではなさそうだな」
「猟兵を甘く見過ぎだ。武器がないからと言って戦えないとでも思ったのか?」
ガウランのように拳法を修めている者は少ないが、武器がないからと言って戦えない猟兵はいない。
幼い頃からリィンもナイフの扱い方から近接格闘術に至るまで、養父に叩き込まれてきたのだ。
どちらかと言えばブレードライフルの扱いに長けていると言うだけで、格闘技が苦手と言う訳ではなかった。
それに――
「この動き――」
拳を受け止めた姿勢から引き込まれるように体勢を崩され、ガウランの表情が驚きに染まる。
螺旋を描きながら相手の力を利用する柔の動き。
東方の武術に通じるものをリィンの動きから感じ取ったからだ。
体勢を崩して投げ飛ばされそうになるも寸前のところで踏ん張り、反撃にでるガウラン。
自身の頭目掛けて放たれたガウランの裏拳を、リィンは再び弧を描くような動きで今度は右拳で弾く。
目にも留まらぬ早業で拳や蹴りを放ち、リィンとガウランは一進一退の攻防を見せる。
「貴様――その技をどこで学んだ!」
拳を交えるたびにガウランの表情が驚きと困惑に染まっていく。
リィンの使っている技は軍用格闘術でも我流の喧嘩殺法でもない。間違いなく東方にルーツを持つ格闘術だったからだ。
しかし、月華流とは異なる古流の拳法。ガウランの脳裏に一つの流派が頭を過る。
もし想像が当たっているのだとすれば――
「八葉一刀流……」
剣聖の通り名から剣術ばかりが目を引く流派だが、実のところ八葉の技には格闘術も存在する。
それが八葉一刀流・八の型〈無手〉――
何故それをリィンが使えるのか分からないが、ガウランの想像は当たっていた。
「よく知ってるな。この型は余り知られていないと思ったんだが――」
「以前、一度だけ目にしたことがあるだけだ」
なるほど、そういうこともあるかとリィンはガウランの話に納得した様子を見せる。
八葉一刀流の開祖ユン・カーファイは東方出身の武芸家だ。
月華流と親交があったとしても不思議な話ではない。
「質問に答えろ! まさか〈剣仙〉の弟子なのか?」
だとすれば、リィンは世に知られていない〈剣聖〉の一人と言うことになる。
そして、それはリィンの非常識なまでの強さの理由にも繋がると、ガウランは考えたのだろう。
猟兵を弟子に取ったと言う話は聞いたことがないが、ありえない話ではない。
それほどユン老師は神出鬼没で放浪癖があり、大陸の至るところで目撃例があるからだ。
表に出て来ない裏弟子がいたとしても不思議ではないと、ガウランが思い至るのも無理のない話だった。
しかし、
「違う。俺は〝知っているだけ〟で直接教えてもらった訳じゃないからな」
リィンはそんなガウランの考えを否定する。
見よう見まねで体得できるような技ではない。
それだけに信じられないと言った表情を見せるガウランだが、目の前の男が尋常ではないことを思い出す。
「信じがたい話ではあるが、貴様が口にすると冗談には聞こえんな」
まさか格闘での戦いになるとは思っていなかったが、これなら相手に不足はないとガウランは笑みを見せる。
リィンが格上なのは分かっている。それでも自分の土俵で譲るほど、ガウランは甘くなかった。
「はああああああああ――ッ!」
雄叫びと共に内なる力を呼び覚まし、黄金の闘気を纏うガウラン。
後先を考えない闘気による身体強化。恐らくはウォークライのようなものだとリィンは察する。
月華流最強の名は伊達ではない。噂以上だと評価したところで――
「なら、こっちも〝本気〟で相手してやる」
髪は白く瞳は赤く染まり、リィンも〝鬼の力〟を解放するのだった。
◆
(さすがにやるな。思っていたよりも数段強い……)
ガウランの実力を見定めながら戦っているが、リィンにもそれほど余裕がある訳ではなかった。
本気で相手をすると言ったものの〝全力〟をだしている訳ではないからだ。
シャーリィとシズナの戦いに介入するために〈王者の法〉を使ったが、制御に失敗したのはオルタから奪った剣だけが原因ではないとリィンは気付いていた。
巨イナル一を取り込み、オルタと同化したことで基本的な能力が向上しただけでなく、異能も成長していると感じているからだ。
実際、鬼の力も以前と比較して引き出せる力が強くなっているとリィンは感じていた。
となれば、必然的に〈王者の法〉も強力になっていると考えるのが自然だ。
(以前のように力を使いこなすには、俺自身が成長するしかない)
だからこそ、同化したことで得たオルタの知識と技術を吸収する必要があるとリィンは考えていた。
猟兵のリィン・クラウゼルではなく、剣聖のリィン・シュヴァルツァーが体得した技術。
八葉一刀流。その技を模倣し習得することで、更なる自身の成長に繋げようと考えたのだ。
しかし動きを模倣するだけなら難しくないが、完全に自分のものにするとなるとリィンと言えど簡単にはいかない。
武術の深奥はそれほど甘いものではないからだ。だから、ガウランを相手に苦戦を強いることになっていた。
「どうした! さっきまでの威勢は!」
最初こそ驚かされたもののリィンの動きに慣れたガウランは有利に戦いを進めていた。
オルタの知識があると言っても、リィンの技は付け焼き刃でしかない。
再現できているのも、よくて六割と言ったところだ。
それを身体能力の差でカバーしている現状では、苦戦を強いられるのも無理はなかった。
並の相手ならそれでもどうにかなるだろうが、ガウランは月華最強の名に相応しい実力を有していた。
いや、噂以上と言っていい実力にリィンも正直驚かされているというのが本音だった。
「正直、想定以上の強さだ。ここまでやるとは思っていなかっただけに驚かされた」
「なら、武器を使ったらどうだ? 拳を交えて分かったが、その技はお前の戦い方にあっていない」
「……だろうな」
ガウランに言われるまでもなく、猟兵の戦い方に慣れている自分に八葉の技があっていないことはリィンも分かっていた。
だからと言って、考え方を変えるつもりはなかった。
確かにガウランの言うとおりなのかもしれないが、使えるものは何でも使うのが猟兵のスタイルでもあるからだ。
何も完全に模倣する必要はない。自身の技に応用できる部分だけを学び、利用すればいいだけの話だ。
「だが、お陰でようやく慣れてきた」
「なっ――」
急に変わったリィンの動きに対応が遅れ、ガウランに一瞬の隙が生まれる。
それは八葉の体術ではなくリィンが幼少期より養父から教わった格闘術。
北の猟兵も使う軍用格闘術をルーツとした我流の技だが、リィンにとって幾千幾万と繰り返してきた身体に染みついた動きだ。
そこに八葉の技から学んだ〝螺旋〟の動きを加え、他の誰でもない自分だけの技へと昇華していく。
「ぐはッ――」
リィンの放った回し蹴りが、ガウランの身体を捉える。
はじめて強烈な一撃をもらい、大きく後ろに弾き飛ばされるガウラン。
咄嗟に両手でガードしたものの両手に痺れを覚え、先程まで優勢だったガウランの顔が険しさを増す。
休息を与えまいと距離を詰め、畳み掛けるように追撃を仕掛けるリィン。
「いままで手を抜いていたのか――」
違う、とリィンの猛攻を防ぎながらガウランは悟る。
信じられないようなスピードで、戦いの中で成長しているのだと――
最初は不慣れだった戦闘スタイルもぎこちなさが薄れ、徐々に洗練されたものへと変わっていく。
「正真正銘の怪物か。だが、侮るなよ!」
確かに驚異的な成長速度だが、負けるつもりはガウランもなかった。
武道家としての意地があるのもそうだが、武術とは簡単に極められるものではないと知っているからだ。
だからこそリィンは自身の技に八葉の技術を取り入れる方法を考えたのだろうが、それも一朝一夕に叶うことではない。
(必ず隙が生じるはずだ。どれほどの怪物であろうと、この僅かな時間で極められるほど武術の真髄は甘くない)
一瞬の隙も逃すまいとガウランはリィンの猛攻を凌ぎながらチャンスを窺う。
数十秒の攻防が何時間にも感じられる時の中で、その瞬間が訪れる。
リィンが渾身の一撃を放とうと闘気を拳に収束させた瞬間を狙って、反撃の構えを取るガウラン。
そして――
「これで終わりだ!」
「舐めるなああああ!」
放たれる両者の技。
拳が交錯する刹那の光の中、短くも長い戦いが幕を閉じるのであった。
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