「……俺は負けたのか」

 仰向けに空を見上げながら、自身の敗北を悟るガウラン。
 僅かな時間とはいえ、戦いの最中に意識を手放した時点で死んだものと同じだ。
 ましてや、いまのガウランには戦闘を継続できるほどの体力は残されていなかった。
 最後に放った一撃は、文字通り全闘気を集中させて放った捨て身の一撃だったからだ。
 これまでガウランが放った技の中でも最高と呼べる一撃。それが通用しなかった時点で、勝ち目が残されているはずもなかった。
 しかし、一つだけ疑問が残る。

「俺の攻撃の方が僅かではあるが速かったはずだ。最後の技は一体……」

 タイミングは完璧だった。
 リィンの猛攻に耐えながら、僅かな隙を狙って放った渾身の一撃。
 間違いなく自身の技の方が先に届くはずという確信がガウランにはあったのだ。
 しかし、結果は逆だった。ガウランの技は届くことなく、リィンの技の前に敗れ去った。

「五ノ型、残月。八葉一刀流の抜刀術で、所謂カウンター技だ」

 本来は刀で使用する技だが、リィンはそれを無手に応用することでガウランの技に対抗した。
 そのことからトドメの一撃に見えたタメの動作は、残月の構えであったことをガウランは悟る。
 最初からカウンターを狙っていたと言うことだ。

「なるほど……俺は最初から最後まで手の平の上で踊らされていたと言うことか」

 技の熟練度と言う点では、ガウランの方がリィンよりも上だったのは間違いない。しかし戦術の面で、リィンの方がガウランを凌駕していた。幼い頃から戦場を渡り歩き、数多の強敵との戦いを経てきたリィンの方が実戦の経験値で上回っていたと言うことだ。
 死線を潜り抜けてきた数が違う。それはガウラン自身も感じていることだった。

「一つ尋ねたい。お前から見て、俺はどうだった? 俺は……弱いのか?」
「普通に強かったよ。うちの団でもやっていける程度には――」

 リィンの口振りから〈暁の旅団〉には、自分よりも実力が上の強者が複数いることをガウランは察する。
 上には上がいる。それは当然分かっていたはずなのに月華最強などと呼ばれ、自惚れていたのかもしれないと――
 世界の広さを知るべきだった。それが敗因だとガウランは悟る。

「完敗だ」

 素直に負けを認めるガウラン。
 これほどの差を見せられて、敗北を認められないほど彼は愚かではなかった。
 ライ家での立場は悪くなるだろうが、そんなことはガウランにとってどうでもいいことだった。
 がむしゃらに強さを追い求めた結果、筆頭拳士という立場を得たが、それは彼が求めたものではなかったからだ。
 幼い頃から感じていた餓え。満たされない何かを埋めるために、ガウランは自身の強さに執着した。
 戦いの中でなら、この渇きを癒してくれる相手が見つかるかもしれないと、そう考えたからだ。

「それで〝満足〟できたのか?」
「……分からん」

 リィンとの戦いの中で充足感を得られたものの敗北してガウランの中に残ったのは〝空虚〟だった。
 確かに餓えは満たされた。しかし、心の中に残る空白は未だに埋まる気配がない。
 ライ家に拾われ、育てられはしたもののガウランには幼い頃の記憶がなかった。
 自身の出生に興味がある訳ではない。だが、この心の空虚は失った記憶の中に原因があるのではないかと今になれば思う。
 しかし、

「いまとなっては、どうでもいいことだ」

 空虚を埋めるために更なる力を求め、敗北した。
 自身が最強だと思っていた力は〈黒月〉という小さな世界の中のことに過ぎず、世界は広いことを知った。
 この世界には、まだ見ぬ強者がたくさんいる。それが分かっただけでも、ガウランにとって大きな収穫であった。
 だからこそ、

「俺は今よりも強くなる。今度こそ最強の拳士に相応しい力を手にして見せる。その時は挑戦を受けてくれるか?」

 新たな目標に向かって、自らを鍛え直すことをガウランは決意する。
 圧倒的なまでの力の差を見せつけられて尚、絶望することなく更なる強さを追い求めるガウランの姿にリィンは苦笑する。
 暁の旅団でやっていけると言ったが、恐らく今のガウランの実力ではフィーにも勝てないだろう。
 月華流の奥伝に至っているとあって〝理〟の領域には踏み込んでいる様子だが、あくまで彼の強さは人の範疇でしかないからだ。
 彼は武道家だが、だからこそ人間の肉体で人の理解を超える強さを得ることは至難の業と言って良かった。
 自分がどれほど難しく険しい道を歩もうとしているのか、ガウランには自覚がないのだろう。

「挑戦ならいつでも受けてやる。だが、そんなに強くなりたいなら、うちの団に入らないか?」

 やる気は買うが黒月にいる限り今のガウランでは何年修行しようが、その領域に到達することは難しいとリィンは感じていた。
 人の身で限界を超えるには文字通り人をやめるか、圧倒的な強者との死闘の中で〝殻〟を破るしかない。
 しかし黒月に身を置く限り、そんな機会に恵まれることはほとんどないと言って良いだろう。
 この共和国において黒月は絶対的な強者だ。それ故に黒月と本気で事を構えようとする組織はいない。
 精々が小競り合い程度で、ここ数十年はガウランが求めるような戦いは起きていないからだ。
 ましてや人外の超越者など、どこにでもいるものではなかった。しかし、暁の旅団は違う。
 マフィアにとっての日常が政治と謀略にあるのなら、猟兵にとっての日常は戦場にある。
 このまま黒月の下にいるよりは、暁の旅団に身を置く方が戦いに事欠かない日常を送ることが出来るだろう。
 それに圧倒的な強者が〈暁の旅団〉には複数在籍している。そうした強者と腕を磨く機会など望んで得られるものではない。
 ガウランにとって黒月にいることよりも、暁の旅団に所属することの方がメリットが多いと考えての提案だった。

「なるほど……確かに悪くない提案だ」

 ガウランもリィンの提案が自身にとって魅力的なものであることは理解していた。
 ぬるま湯に浸かっていると言われても仕方がないほどに、いまの黒月は〝腐りかけて〟いる。
 今回のライ家の対応がまさにそうだ。相手の力量を見誤り、現実が見えていない愚かな選択。
 自分たちが絶対的な強者であるという自信とプライドが、彼等の目を曇らせているのだろう。
 黒月が誇る百年の歴史の重みはガウランとて理解しているつもりだが、自分たちが食われる側に回る可能性を今の黒月は考えていない。
 長い停滞が彼等の危機感を薄れさせてしまったのだと、ガウランは感じていた。

「お前の反応を見るに、ライ家に忠誠を誓っている訳でも未練があるようにも見えないしな」
「……否定はしない。俺を拾い育ててくれた義理は感じているが、ライ家はただそれだけの場所だ。それに――」

 恩なら十分に返したと、ガウランは考えていた。
 今回の決闘を引き受けたこともそうだが、ガウランが月華流の筆頭拳士となることでライ家が享受した恩恵は少なくないからだ。
 少なくとも育ててもらった義理は果たしたと、ガウランは考えていた。
 リィンの言うようにライ家に未練はない。同じことは黒月にも言えることだ。
 しかし、

「俺を引き抜けば、ライ家との関係は致命的なものとなる。お前にメリットがあるとは思えないのだが?」

 腐ってもライ家は八家ある長老会の次席だ。
 組織内での発言力はルウ家に次いで強く、今回の決闘が仕組まれたのもライ家の強い要望によるものであった。
 となれば、今後の黒月との関係を見越すのであれば、ライ家の存在を無視することは出来ないだろう。
 だと言うのにガウランを引き抜けば、ライ家が反発することは避けられない。
 黒月との関係構築を模索するリィンにとって、メリットのある話とは到底おもえなかった。

「その点は気にするな。ここでどう対応しようが、結果は同じだろうしな」
「何? どう言う意味……」

 リィンに言葉の意味を尋ねようとした、その時。ガウランも〝何か〟に気付く。
 空気に伝わって微かに聞こえてくる駆動音。
 それが〝飛行船〟ものだと察するのに時間はそう掛からなかった。

「上か!」

 ガウランが空を見上げると、太陽の光が差し込む天井の隙間から飛行船と思しき船体の一部が目に入る。
 全長百アージュを超える巨大な飛行船。これまでの飛行船には見られない先鋭的なフォルム。
 いままで目にしたことのない飛行船だが、船体に刻まれたマークには見覚えがあった。

「あの印はまさか……」

 マルドゥック総合警備保障――通称MK社。その最新鋭艦だとガウランは気付く。
 そしてリィンも船を見上げ、何かに気付いた様子を見せるのだった。


  ◆


「まさか、こんなことになるなんて!」

 慌てた様子で車に乗り込み、駅へと向かうアシェンの姿があった。
 彼女が焦っている理由。それは――

「この煌都で大統領が襲撃されるだなんて前代未聞よ……」

 サミュエル・ロックスミス大統領が何者かの襲撃を受けたという報告が上がってきたのが今朝のことだった。
 煌都で起きた出来事だけに、黒月としても見過ごせる問題ではない。
 ましてや、その犯人が――

「噂の出所を探らせないと……このままじゃ大変なことになる」

 リィン・クラウゼルだという噂が裏社会で流れていた。
 とはいえ、そんなことをリィンがするメリットはないし、何より彼は海蝕洞で決闘の最中のはずだ。
 ヴァンが重傷を負った事件と酷似していることから、噂を流した犯人は同じである可能性が高いとアシェンは考えていた。
 そして恐らく、大統領が襲撃を受けた事件にも関係していることは間違いない。

「アシェンお嬢様、到着しました」
「急いで彼等にこのことを相談しないと――」

 駅に到着すると車を降り、急いでデアフリンガー号が停車しているホームに向かうアシェン。
 まだ表沙汰にはなっていないが、大統領が襲撃されたとなると共和国政府も黙ってはいない。
 ましてや市民の耳に入れば、先のクロスベル侵攻作戦で大切な人を失った人々は〈暁の旅団〉に対する憎悪を再燃させることだろう。
 その先に待っているのは、クロスベルとの戦争だ。
 それだけは絶対に避けなくてはならないと言うのが、アシェンの考えだった。
 しかも、この煌都で大統領が襲われたというのが問題を厄介にしていた。
 黒月のお膝元でもある街で、大統領が襲撃を受けたのだ。
 ましてや襲撃事件の犯人とされるリィンと秘密裏に会談を行い、黒月と〈暁の旅団〉は同盟を結ぼうとしていた経緯がある。
 この国の情報局がその情報を掴んでいないはずもなく〈黒月〉にも捜査の手が及びかねない状況にあった。
 そうなれば、ルウ家に責が及ぶ可能性が高い。
 ここぞとばかりにライ家などは、リィンと関係を結ぼうとしていたルウ家を叱責してくるだろう。

(ライ家……いえ、まさか……)

 頭に過った考えをアシェンは振り払おうとする。
 幾らライ家がルウ家を蹴落とし、長老会筆頭の座を狙っていたとしても組織を危険に晒す真似をするとは思えなかったからだ。
 しかし、

「……アシェンお嬢様、お下がり下さい」

 アシェンを守るように前へでる護衛の男たち。
 ホームに到着したところで、アシェンの中の疑念が確信へと傾く。
 デアフリンガー号を包囲するように、ホームには黒月の構成員が配置されていたからだ。
 そして、その者たちがルウ家の者ではなくライ家の配下だとアシェンは察する。
 余りに速い対応。出来すぎていると言った状況に、怒りの声を上げるアシェン。

「あなたたち、こんなことをしてタダで済むと思っているの!?」

 彼等は〈暁の旅団〉を甘く見ている。リィン・クラウゼルという男の怖さを何一つ分かっていない。
 この包囲網だって彼等がその気になれば、まったく意味のないものだということをアシェンは理解していた。
 だから祖父が、父が組織のためにとやってきたことを、すべて水泡に帰するかもしれない彼等の行動に憤る。

「何も理解していないのは、あなたですよ。申し訳ありませんが、お嬢様には我々と一緒に来て頂きます」
「くっ……お嬢様、お逃げください!」

 男たちが近付いてくるのを見て、祖父や父に対する人質とするつもりだとアシェンはすぐに気付く。
 護衛の男たちがアシェンを庇うように前にでるも、多勢に無勢の状況。
 後ろの階段からも足音が聞こえ、それがライ家の増援であることを察するのに時間は掛からなかった。
 最初から自分を捕らえるつもりで罠を張っていたのだと、アシェンはライ家の狙いを察する。

「私はアシェン・ルウよ! あなたたちの思うようにはさせない!」

 危機的状況でも諦めず戦う覚悟を決め、懐に忍ばせていた呪符を構えるアシェン。
 しかし、そんな時だった。

「え?」

 何かに弾き飛ばされるようにライ家の男たちが宙を舞ったのは――
 同時に後ろの階段からも、男たちの悲鳴のようなものが聞こえくる。
 そして、

「ん……殲滅完了」

 何が起きているのか分からず呆然と立ち尽くすアシェンの耳に見知った声が響く。
 アシェンの危機を救った人物の名は、フィー・クラウゼル。
 妖精の二つ名を持つ〈暁の旅団〉の部隊長にして、

「大丈夫だった?」

 リィンの義妹であった。



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