東方人街から海を隔てた沖合に〈黒龍城砦〉と呼ばれる鉱山町があった。
四十年前に封鎖され、廃棄された場所。煌都に住む人々にとって〝禁忌〟とされている地に〝彼等〟の姿があった。
「感謝してくれてもいいよ。海面を漂っているリィンを、ここまで泳いで運ぶのは大変だったからね」
そう胸を張って話すシズナに、リィンは呆れた様子で溜め息を吐く。
感謝していない訳ではないが、もしもの時の保険としてシズナには〝留守〟を任せていたのだ。
なのに、どうして彼女がここにいるのか?
その理由は――
「ご無事で何よりです」
尋ねずとも察することは出来た。
リィンが訝しげな視線を向ける先には、ニコニコと笑顔を浮かべるミュゼの姿があったからだ。
シズナがここにいる理由。それは間違いなくミュゼの差し金であると、リィンは考える。
いや、状況から察するに――
「この状況を〈黒月〉――いや、ツァオの奴も読んでいたと言う訳か」
「説明の手間が省けて助かります」
ミュゼを焚き付けた人物は別にいるとリィンは読んでいた。
ライ家との決闘の日時や場所を知っていて、ミュゼとコンタクトを取れる人物となると〈黒月〉の関係者に限られる。
そのなかでライ家の企みに気付き、事前に手を打って救援を寄越すような人物となれば更に絞られる。
謀略を仕掛けてきたライ家は論外として、中立的な立場にある他の長老家がリィンを助ける理由はない。
となれば、ルウ家の人間。一番可能性が高いのは、ツァオだと予想したと言う訳だ。
「正直、団長に危険が迫っていると言われても、危機的状況に陥る可能性は低いと思っていましたが……」
ツァオから話を聞いた時は、ミュゼも半信半疑だったことを明かす。
これまで規格外の実力を見せてきたリィンが、ピンチに陥るところなど想像も出来なかったからだ。
海面を漂っているリィンをシズナが見つけた時は、何かの冗談かと疑ったくらいだった。
「一体どのような〝怪物〟と戦われたのですか?」
リィンが追い込まれるほどの相手など想像できないだけに、ミュゼは気になって尋ねる。
怪我は負っていない様子であったが、救助した時のリィンは酷く消耗していたのだ。
かと言って状況的に病院へ連れて行くことも出来ず、ここで一晩明かしたと言うのが事の経緯だった。
「人間だ。俺と違って異能を持たない〝普通〟のな」
信じられないと言った表情を見せるミュゼ。しかし、リィンは嘘を吐いてはいなかった。
カシムは彼自身が言っていたように、特別な力を持たない普通の人間だった。
しかし、数秒先の未来が見えているとしか思えない彼の動きは〝只人〟とは言えないものであった。
それにカシムが使っていた装備は、いままでに見たことがないほど高性能なものばかりだった。
アリアンロードに匹敵する戦闘技術と経験値。マクバーンに迫る身体能力。
あれほどの戦闘力をカシムが発揮できたのは、身に付けていた装備に理由があるとリィンは見抜いていた。
「まあ、その話は後で良いだろう。それよりも――」
シズナとミュゼから少し距離を置くように、焚き火の反対側には一人の男が座っていた。
女性受けする端整な顔立ちに百八十リジュ近い身長。白のジャケットに黒いシャツ。赤いズボンと目立つ格好に、シャーリィと同じ腰元まで届く赤髪を頭の後ろで結った男。何より重心の取れた隙のない佇まないから、相応の使い手であることが見て取れる。
面識はないが、それらの情報からリィンは男の正体に心当たりがあった。
「お前がアーロン・ウェイか。勘違いからホテルに殴り込んで、フィーにボコられたって話の」
「ぐっ……どうしてそれを……」
「アシェンが父親と一緒に、俺のところに頭を下げに来たからな」
一応は〈黒月〉の預かりと言うことで決着した騒動だったが、それだけでは筋が通らないとファンとアシェンは親子揃ってリィンのもとへ謝罪に訪れていた。
喧嘩などよくある話なのでフィーが許したならとリィンは特に気にしていなかったのだが、アーロンを見て「なるほどな」と納得した様子を見せる。
どことなくアッシュに似た雰囲気をアーロンから感じ取ったからだ。
「アシェンが……?」
「ああ、感謝しとけよ。お前がこうして生きているのは巡り逢わせと〝運〟が良かっただけだ」
「――ッ!」
リィンから発せられた殺気に身体を強張らせるアーロン。
金縛りを受けたかのように身動きが取れなくなり、呼吸が止まる。
フィーと対峙した時と同じか、それ以上の何かをリィンに感じ――
「ぷは――!」
死を予感した直後に放たれていた殺気が止んだ。
大きく息を吐き出し、百アージュを全力疾走した後のように乱れた呼吸を整えるアーロン。
その様子を見守っていたミュゼの口からは溜め息が溢れる。
「余り驚かせないでください。彼はここまで案内役を務めてくれたのですから……」
「ちょっと試しただけだ。本気ではなかったとはいえ、フィーを相手に立ち向かえる胆力はたいしたものだしな」
それでも、やり過ぎだと言った表情でミュゼはリィンを睨み付ける。
しかし逆に言えば、それだけアーロンに興味を持ったと言うことなのだと察せられた。
どうでも良い相手なら、こんな真似をしないと分かってるからだ。
無謀とも言えるが、仲間のためにフィーに立ち向かった度胸は認めているのだろう。
「取り敢えず、何があったのかを聞かせてくれるか?」
この話はここまでと話題を変え、リィンは自分が寝ている間に何があったのかをミュゼに尋ねるのだった。
◆
「そうか、デアフリンガー号は無事に煌都を脱出したか」
「はい。とはいえ、今頃は首都イーディスの手前で軍と睨み合いになっていると思いますが……」
ミュゼの説明を聞き、だろうなとリィンは状況を察して答える。
煌都から鉄道を使ってクロスベル方面へ脱出するには、首都イーディスを経由する必要がある。
しかし大統領襲撃の容疑がリィンにかけられている以上、易々と見逃してはくれないだろう。
ミュゼの言うように首都の手前で足止めを食らっている可能性は容易に想像できた。
とはいえ、共和国軍とてバカではない。
投降を促すことくらいはするだろうが、戦闘は可能な限り避けようとするはずだ。
少なくとも各地から戦力を呼び寄せ、準備が整うまでは睨み合いが続くことが予想される。
「まあ、そっちはシャーリィたちが一緒なら大丈夫だろう。一応、クロウもいることだしな」
「〝一応〟は彼が可哀想だと思いますが、私もそれほど心配はしていません」
リィンの言うように、ミュゼもデアフリンガー号のことはそれほど心配していなかった。
一体で戦況を左右するほど騎神の力は強大だ。一方で共和国軍は数こそ多いが、その主力の大半は戦車や飛空艇だ。
従来の兵器では、どれだけ数を揃えようと騎神を倒すことは出来ない。
ましてや、いざとなれば〝転位〟を使って逃げるという手段も残されている。
少なくともアルフィンたちを逃がすくらいの時間は稼げるはずだと、ミュゼは考えていた。
「問題はリーシャの方か」
「……はい。正直、彼女がここまでのことをするとは想定外でした」
今朝ミュゼの〈ARCUS〉にツァオから通信が入り、ライ家の人間が殺されたと聞かされたのだ。
その数は二十八名。長老会の会合で新都にいた当主は難を逃れたそうだが、東方人街の屋敷にいた者は全員が斬殺されていたと言う話だった。
それも手口から見て、銀の仕業である可能性が濃厚だと伝えてきたのだ。
「ライ家の跡取りも死体で見つかったと言う話だったな」
「はい。それで、こちらにも警戒するようにと……」
ライ家の長老が凶手を送り込んでくる可能性があると、ツァオはミュゼに伝えてきていた。
先に仕掛けてきたのはライ家だが、跡取りを殺されたとあっては退けない状況と言ったところだろう。
しかし、
「思い詰めていたみたいだしな。自分の手でケジメをつけるつもりなんだろう」
リーシャがそのような行動にでたことを、リィンは特に気にしていなかった。
「アイツは優しすぎるからな」
「優しい……ですか?」
二十八名を斬殺した伝説の凶手を優しいと表現するリィンに違和感を覚えるミュゼ。
しかし、リィンは以前リーシャに暗殺稼業に向いていないと言ったことがあるが、あの考えは今も変わっていなかった。
「実力は確かにある。だけど、アイツは仕事に感情を持ち込みすぎる」
リーシャは責任感が強く優しすぎるのだ。
だからこそ、必要以上に一人で背負い込もうとする悪い癖がある。
大方、ヴァンが重傷を負ったのは自分の責任だと考えているのだろう。
だから、自身の手でケジメをつけることを選んだ。自分に出来るやり方で――
「では、彼女を団に誘ったのは……」
「伸び代はあるし、実力もある。だけど、暗殺者には向いていないと思った」
あのまま〈銀〉として裏の仕事を続けていれば、彼女は間違いなく命を落としていた。
それがリィンには分かっていたのだ。
「では、彼女を止めないと……」
「放って置け。昔ならいざ知らず、いまのアイツは〝猟兵〟だ」
ツァオは〈銀〉という言葉を使ったようだが、リーシャは既に〝伝説の凶手〟ではない。暁の旅団に所属する猟兵、リーシャ・マオだ。
団の看板を背負っている以上、リーシャもそのくらいのことは弁えているはずだ。
なら、リーシャが自分の手でケジメをつけると決めた以上、信じて待つしかないと言うのがリィンの考えだった。
それに――
「シズナ。これを返しておく」
ユグドラシルの倉庫から取り出した妖刀をシズナに放り投げるリィン。
自分の手に返ってきた愛刀を喜びながらも、シズナは不思議そうに首を傾げる。
「いいの?」
「事情はどうあれ、助けてもらったようだしな。それに今の俺は〝力〟を使えないから、お前が頼りだ」
リィンの話を聞き、そう言えばとミュゼは救出した時のリィンの状態を思い出す。
いまでこそ元気そうに見えるが、半日以上眠ったまま目を覚まさなかったのだ。
それに身体にも目に見える変化が現れていた。
「もしかして、その髪の色は……」
「ああ、これか。力の代償……いや、こっちの姿に馴染んできたと言ったところか?」
王者の法は解けているはずなのに、リィンの髪は灰色に染まったままだった。
そして、よく見れば両眼も黒に微かに金色が混じっているように見える。
力を使いすぎた代償と言うよりは、こちらの姿に身体が馴染みつつあるとリィンは感じていた。
力を使う度に人ではない何かへと肉体が造り変えられていると、そんな感覚がリィンのなかにはあったからだ。
「力を使い果たして弱ってるってこと?」
「ああ、いまの俺なら簡単に殺せるかもしれないぞ? 試してみるか?」
弱体化しているとは思えないほど強気な態度で、シズナを挑発するリィン。
力が使えないと言っても、あくまでそれは異能を使えないと言うだけで戦えない訳ではない。
仮に戦いになっても、簡単に殺らせるつもりはないと言った意志がリィンの態度には見て取れた。
いまのリィンが相手なら、間違いなくシズナの方が勝つだろう。
しかし、
「やめておく。どうせなら全力のリィンと戦ってみたいしね」
こういう相手ほど危険だと言うことを、シズナは経験で知っていた。
それにどうせ戦うのであれば、万全の状態のリィンと戦ってみたいというのも彼女の本音だった。
「まあ、時間が経てば、そのうち快復するだろう。それよりもこれからどうするべきか、お前の考えを聞かせてくれるか?」
そう言って、ミュゼに尋ねるリィン。
リィンを助けるだけなら危険を冒さずともシズナに頼めばいいだけだ。
ミュゼが皆と一緒に逃げなかったのは、他に理由があるとリィンは考えていた。
恐らくデアフリンガー号は軍や警察の目を向けさせるための囮。
だとすれば――
「さすがはリィン団長ですね」
自分の考えを見透かされたのだと察して、ミュゼは笑みを浮かべる。
この状況を覆すには、ただライ家を排除すればいいと言う話ではない。
元凶を絶つ必要があると、ミュゼは考えていた。
「――アルマータ。それが、一連の事件の裏にいる〝組織〟の名です」
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