「何が、何が起きている!?」

 恐怖に表情を染め、何かから逃げるように廊下を走る〝若い男〟の姿があった。
 東方人街の外れにある木造建ての一際大きな屋敷。
 ここは黒月の長老会に名を連ねる八家の一つ、ライ家の本屋敷だった。
 そして、逃げ惑う男の正体はライ家の跡取りで、現当主の孫に当たる人物だ。

 計画通りにルウ家の失脚が決まり、ライ家が長老会の主席となることが決まった夜――
 ライ家の屋敷で宴会が催されていたのだが、酒に酔い潰れた男が目を覚ますと、そこには目を疑うような惨状が広がっていた。
 次期当主と目されていた父親が首を刎ねられ、亡くなっていたのだ。

 すぐに助けを呼ぼうと部屋の外に飛び出すも、廊下にも無数の死体が転がっていた。
 大声で叫ぶも誰一人応答がない中、自分以外、生存者はいないのではないかと思われる屋敷の中を男は必死に走っていた。
 何が起きているのか分からないまま息を切らせながら階段を駆け下り、一階のホールに辿り着いたところで男の足が止まる。
 宵闇の中、窓から差し込んだ月明かりに照らされ、仮面をつけた女の姿が目に映ったからだ。

「ようやく目を覚ましましたか」
「ひいい……な、なんなんだ。お前!」

 仮面で素顔を隠した女は血に塗れた大剣をズルズルと引き摺りながら、ゆっくりと男との距離を詰める。
 そして恐怖の余り股間を濡らし、その場にへたり込む男に大剣の切っ先を突きつけながら――

「あなたで最後です。少しでも長く生きたいのであれば、これからする質問に嘘偽りなく答えてください」

 尋問するのだった。


  ◆


「さすがは〝(イン)〟と言ったところでしょうか」

 翌朝、惨劇の場と化したライ家の屋敷には、ツァオとその配下の姿があった。
 犠牲者は二十八名。屋敷にいた者は尽くが斬殺され、一撃で息絶えていた。
 圧倒的な暴力と殺戮。それでいて周囲に一切気取られず、これだけの大仕事をやってのけた手腕。
 ツァオが知る限り、そんなことが可能な人物は一人しかいなかった。

 ――銀。

 百年以上に渡って表裏問わず、人々に畏れられ続けている東方人街の魔人。
 彼女にしか、こんな真似は不可能だと分かっているからだ。

「しかし、ただの一人も生存者はなしですか。余程、彼女の怒りを買ったようですね。ライ家の方々は……」

 ツァオにとっても、今代の銀――リーシャがここまでのことをするとは想定外だったのだろう。
 しかしライ家のしたことを考えれば、この惨状はある意味で当然の結果だとも受け止めていた。
 彼等は〝猟兵〟に喧嘩を売ったのだ。それも絶対に手をだしては行けない相手に対して、謀略を仕掛けたのだ。
 マフィアの小競り合いなどではない。文字通りの〝戦争〟を仕掛けたのだと、ツァオは解釈していた。

「幸いライ家の長老は難を逃れたようですが、謂わばこれは警告。大人しく引き下がってくれると良いのですが……」

 恐らくは無理だろうと、ツァオは考える。
 手勢だけでなく跡取りを殺されたのだ。今頃は安全な場所に身を隠しながらも、怒り狂っていることだろう。
 相手の戦力を見極め、冷静な判断を下せる人物であれば、このような出来事は起きていない。
 間違いなく〝報復〟に動くはずだ。しかし、恐らくはそれこそが――

「彼等の狙い。ライ家を後ろから操っている者たちも炙り出し、徹底的に叩き潰すつもりなのでしょうね」

 共和国の裏社会に〈暁の旅団〉の名を知らしめ、恐怖を植え付けるつもりなのだろう。
 同じような愚か者が二度とでないように、やるからには徹底的に――それが、彼等のやり方なのだと察せられた。
 一部では英雄などと呼ぶ声もあるが、リィン・クラウゼルは猟兵だ。
 そして〈暁の旅団〉も正義の味方などではない。戦争を生業とする猟兵なのだと思い知らされる。

「では、私もそろそろ動くとしましょうか。組織の不始末を彼等だけに任せたとあっては黒月の名折れ。せめて、身内の後始末くらいは我々の手で行わないと示しがつきませんからね」

 そう意味深な言葉を残して、ツァオも密かに行動を始めるのであった。


  ◆


 首都イーディスの南、百五十セルジュの位置で線路を塞ぐように共和国軍は部隊を展開していた。
 その数は凡そ三千。彼等の目的はただ一つ、デアフリンガー号の監視にあった。
 監視に留めている理由は単純で、首都に配備された部隊だけでは彼等を捕らえるどころか足止めも難しいという現場の判断からだった。
 先のクロスベル侵攻で二体の騎神に手も足もでず、共和国軍が敗退したことは記憶に新しい。
 千を越える戦車が破壊され、共和国の誇る飛空艇部隊が為す術なく敗れたのだ。
 しかし、首都に配備された部隊の戦力は侵攻作戦で投入された兵力の十分の一に満たない。
 表向きはデアフリンガー号に騎神は積み込まれていないとされているが、それをバカ正直に信じるほど共和国の軍人は無能ではなかった。
 騎神がアーティファクトの類である以上、常識は通用しないものと考えた方がいい。
 リィンやシャーリィがどこからともなく騎神を召喚したという情報を、共和国の情報省は掴んでいた。
 もし本当に騎神を呼び出せるのだとすれば、先のクロスベル侵攻の二の舞となりかねない。
 それが、この睨み合いが続いている原因だった。
 とはいえ――

「何日もこのままとは行かないでしょうね」

 そんな状況を高台から観察するように様子を窺う女性がいた。
 カルバード共和国政府中央情報省に所属する情報将校、カエラ・マクラミン特務少尉だ。
 現在、首都と煌都を結ぶルートは陸路だけでなく空路も含めて、軍によって完全に封鎖されている。
 その影響は小さなものではなく、既に経済的な側面でも混乱が起き始めていた。
 当然だ。煌都ラングポートは首都イーディスに次ぐ人口と経済力を持つ共和国第二の都市。
 国を代表する都市の交通が妨げられれば、国民生活にも少なくない影響を及ぼしかねない。
 仮に分かっていてやっているのだとすれば、この上ないほど共和国にとって痛い嫌がらせと言えた。
 とはいえ、リィンに濡れ衣を着せたことを考えると、この程度は報復とも呼べない嫌がらせだとカエラは考える。
 彼等がその気になれば、首都イーディスを壊滅させることも不可能ではないと分かっているからだ。
 弟の件では彼等に感謝しているが、それだけに〈暁の旅団〉の力をこの場にいる誰よりも理解しているのが彼女だった。
 だからこそ、余り良くない状況だとも理解していた。

「長く保って一週間……いえ、五日が限界と言ったところね」

 この睨み合いが長くは続かないと、カエラは予想していた。
 恐らくは五日以内にデアフリンガー号の制圧に動くはず。そのために〝特殊部隊〟を投入するはずだと――
 しかし、上手く行くとは思えない。リィンの姿がないとはいえ、デアフリンガー号にはシャーリィがまだ残っているのだ。
 彼女だけでも厄介なのに〝妖精〟の姿も確認されており、そこに加えて〈暁の旅団〉の団員たちやエイオスの護衛たちも戦力に加えると、仮にハーキュリーズを投入したとしても作戦が上手く行くとカエラには思えなかった。

「どうにかして、この戦いを止めないと……そのためにも〝閣下〟の力が必要ね。ご無事なら良いのだけど……」

 大統領の安否を気遣うカエラ。彼女がこうして単独行動をしているのには理由があった。
 煌都までリィンたちの案内役を務めた後、情報省からの指示で大統領の周辺警護の任にカエラは就いていた。
 主には大統領が宿泊する施設や視察場所など、警備の不備や危険がないかを確認して回る仕事を任されていたのだが、そんな時に大統領が移動中の車で襲撃されたという報告を受けたのだ。
 慌てて現場に駆けつけたものの既に大統領の姿はなく、現場は軍によって封鎖されていた。
 大統領がどこの病院に連れて行かれたのかも情報漏洩を防ぐためとの理由から教えてもらえず、挙げ句にはキリカ・ロウランが〈暁の旅団〉と内通しておりリィン・クラウゼルと結託して大統領の暗殺を企てたと、ありえない話を軍の幹部から聞かされたのが昨日のことだ。
 その場でカエラも捕らえられそうになったが何とか逃げだすことに成功し、情報を集めようと動いていたところでデアフリンガー号の噂を耳にしたと言う訳だった。

「煌都中の病院を探ったけど、大統領が搬送された形跡はなかった。だとすれば……」

 首都に運ばれた可能性が高いとカエラは考える。
 そもそも大統領が襲撃されたという話自体、カエラは本気で信じていなかった。
 状況から見るに、軍によって連れて行かれたと考える方が自然であったからだ。
 しかし、軍によるクーデターと考えるのは早計だ。ロックスミス大統領の任期はあと三ヶ月もない。
 既に政権の移行は始まっていて、こんな真似をしなくとも三ヶ月後には新しい政権が発足されるのだ。
 そう考えると、愛国同盟が裏で糸を引いている可能性も低いと考えられる。
 先の選挙には不審な点もあったが、それでも愛国同盟のロイ・グラムハートが次の大統領に就任することが決まったのだ。
 ここで危険を冒して、現役の大統領を排除する理由は彼等にはない。なら、他の勢力の仕業と考えるのが自然だ。
 軍を動かせるほどの立場にあり、ロックスミス大統領を邪魔と考えている人物。
 同じ共和党の中にもそういう政治家がいない訳ではないが、正直ここまでする人物となるとすぐには思い浮かばなかった。

「いえ、もしかしたら……」

 カエラの頭に一つの可能性が浮かぶ。
 政治家や軍人にも協力者がいて、且つロックスミス大統領の存在を快く思っていない相手。
 ロックスミス機関を設立する理由の一つにもなり、情報省も調査を続けてきた相手。
 それは――

「反移民主義団体。彼等が暗躍しているのだとすれば……」

 想像の域をでないが、今回の件に反移民主義団体が関与している可能性が高いとカエラは推察する。
 新たな大統領が決まり、政権の移行の最中に起こった事件。
 リィンたちが共和国へやってきたタイミングで事件が起きたことからも、計画的な犯行と見ていい。
 ライ家、反移民主義団体……薄らと事件の真相が見えてくる。しかし、まだピースが足りない。

「まずは情報を集めるのが先ね。そのためにも〝彼〟との合流を急がないと――」

 そう言ってカエラは最後にデアフリンガー号を一瞥すると、その場を後にするのだった。


  ◆


「この強化スーツがここまで破壊されるやなんて……それに……」

 メイド服のような制服を身に纏った女性の視線の先には、カシムが使っていたバスターランスが作業台の上に置かれていた。
 しかし見るも無惨に破壊されており、ほとんど原形を保っていない状態であった。
 ゼムリアストーンの亜種を用いた特殊な合金を使い、最先端の――いや〝未来〟の技術で完成させた最新の武装が、だ。
 強化スーツもシズナが使っているものに似ているが、その性能は段違いと言っていい。ナイフを弾く防刃性に銃弾を弾く防御力。戦術オーブメントの身体強化を限界以上に引き出しても、肉体にかかる負荷をスーツが吸収してくれるという現代の数世代先を行く技術が用いられていた。

 恐らくは結社でも再現不可能な技術。
 それだけの装備を〝史上最強〟と呼ばれた猟兵が使っていたのだ。
 あの〝赤の戦鬼〟や〝白銀の剣聖〟が相手でも、完全武装したカシムが負ける可能性は限りなくゼロに近い。
 だと言うのに、リィン・クラウゼルには歯が立たなかった。
 いや、途中までは良い勝負をしたと言って良いだろう。
 しかし、どれほど凄い装備を身に付けようと、戦闘技術や経験で勝っていようと戦闘力の差を埋めることは出来なかった。
 小手先の技術など必要としない圧倒的なまでの暴力。あれこそが、本来のリィンの力なのだと思い知らされたカタチだ。
 その結果、カシムは右腕と両足を失うという重傷を負った。
 海蝕洞が戦闘の余波で消失し、海面を漂っていたところをMK社の飛行船に回収されたと言う訳だ。

「手足の欠損。現代の技術では再生なんて不可能。日常生活を介助なしに送ることすら難しいやろな……」
「だが〝彼女〟なら可能だ」

 声のした方をメイド服の女性が振り返ると、そこには作業服に身を包んだ老人の姿があった。
 嘗てルーレで小さな工房を営み、高位の猟兵に〈黒の工房〉で製造された武器を提供していた人物。
 フランツ・ラインフォルトのもう一人の師にして、グエン・ラインフォルトに並ぶ知識と経験を持った技師。
 ――ジャッカス。それが、老人の名であった。
 そして、カシムが使っていたバスターランスの開発者でもある。

「儂の開発したバスターランスがこうも無残な姿になるとはな。只者では無いと思っていたが、とんでもない小僧じゃわい。イッヒッヒッ!」

 薄気味の悪い笑い声を漏らすジャッカスに、呆れた様子を見せるメイド服の女性。
 彼女の名はミラベル・アールトン。MK社に所属するサービスコンシェルジュ――通称SCの一人だ。
 SCと言うのは、MK社と契約を結んでいる人物に対して支援を行う専門社員のことだ。
 最適なプランの提案から情報提供に至るまで、契約者に対して便宜を図るのが彼女の仕事であった。

「博士、さっきの話やけどカシム主任の治療は可能なんか?」
「博士はあれほどやめろと……まあ、よかろう。可能じゃよ。儂の専門からは外れるが、彼女からもたらされた〝生体義肢〟の技術を用いれば、失った手足の代わりを用意することは可能じゃ」

 もっとも元通りに動けるようになるかは分からぬがな、と他人事のように笑うジャッカスをミラベルは睨み付ける。
 しかし少しも気に留める様子はなく、ジャッカスの興味は回収されたバスターランスへと向いていた。
 自分の作品が破壊されたことがショックと言うよりも、技術者として未知の力に対する興味の方が勝ったのだろう。

「本当なら主任には、ゆっくりと療養を取って欲しいところやけど……」

 まず間違いなく治療を終えれば、じっとしてはいないだろうという確信がミラベルの中にはあった。
 長い付き合いとは言えないが、カシムという男がどれほど実直で不器用な人間かは理解しているつもりだからだ。

(しかし、リィン・クラウゼルか。これだけの力……〝彼女〟が危険視する理由も頷ける)

 事前に情報で知っていたつもりでも、リィンの力に対してまだ認識が甘かったことをミラベルは痛感する。
 可能であればリィンの捕縛。不可能なら戦力分析というのが、カシムが上から受けた命令であった。
 後者に関しては、十分過ぎるほどのデータが取れたと言っていい。
 しかし、危機が去った訳ではない。

「このままと言う訳にはいかんやろな。とはいえ、社の方針に従うしかないんやけど……」

 遠くない未来に再びリィンとまみえる時が来ると、ミラベルは不吉な予感を覚えるのであった。



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