この地には嘗て、ゼムリア大陸東部全域を治めていたとされる国が存在した。
イスカ神聖皇国。百三十年前に〝天変地異〟で崩壊したと歴史に記されている超大国だ。
現在も都市連合に名前を残している神聖皇国だが、この国には〈皇〉を守る九つの家があった。
彼等は『九曜衆』と呼ばれ、国が滅びて百年以上の歳月が経った今でも各地に影響を及ぼし続けている。
その最たる例が〈黒月〉だ。彼等の祖先は、九曜衆の中でも最大の一派とされる一族であった。
豊富な資金力と人員。神聖皇国時代から培った情報網。
共和国の革命に乗じたと言うのも理由にあるが、それらを駆使した結果が今の黒月の基盤にあると言うことだ。
話が少し脱線したが、アリオッチも嘗ては神聖皇国の〈皇〉に仕える九曜衆の一つ〈羅睺衆〉の守護戦士であった。
いまから百三十年ほど前、革命が起きる前のカルバード王国に親善使節として訪れていたことで天変地異を免れたが、自分を除く一族の大半が命を落とし、彼自身もまた代々一族に受け継がれてきた鎧と槍斧の古代遺物〈羅睺の牙〉の〝呪い〟によって死ぬことの出来ない〝不死者〟となってしまったのだ。
それから百年ほど遺物が求める渇望を満たすために襲ってくる野盗や猟兵を殺し、彼は東の大陸を彷徨い続けてきた。
そうした行為が教会の目に留まり〝外法〟に認定された後も、古代遺物の回収にやってきた騎士団を返り討ちにする日々を送り続けていた。
そんなある日だ。彼の前に〈皇帝〉の二つ名を持つ男とメルキオルが現れたのは――
当時まだ起ち上げたばかりの〈庭園〉に誘われたアリオッチは、〝錆〟の庭園の管理人を任されることになる。
彼等の誘いに乗ったのは、ただの気まぐれだった。
荒野を彷徨う生活にも飽きてきていたし、どこかに身を置くのも悪くないと考えたからだ。
何より裏の仕事を請け負う暗殺組織というのは、戦いを求めるアリオッチにとって都合の良い環境だった。
遺物の能力も暗殺に向いていたし、いずれ渇望を満たしてくれる相手に巡り会えるのではないかという打算もあったからだ。
だからこそメルキオルが今回の仕事を取ってきた時、アリオッチは心の底から〝歓喜〟した。
いま最も話題となっている猟兵――リィン・クラウゼル。最強の男と戦う機会を得られるかもしれないと思ったからだ。
そして、その願いは叶った。
不満が一つあるとすれば灼飆との戦いでリィンの体調が万全でないと言うことだが、それでも十分過ぎるほどにアリオッチはこの戦いを楽しめていた。
遺物によって強化された自身に勝る身体能力に、数多の死線を潜り抜けてきたこと窺わせる戦闘技術。
百五十年の歳月を生きる自分と小細工抜きで互角以上に戦える戦士など、そうはいないと言う自負が彼にはあるからだ。
実際アリオッチの戦闘技術はアリアンロードに迫るレベルだと、リィンも感じていた。
達人クラス。それも〝理〟の領域へと至った最強クラスの戦士であることが分かる。
少なくとも逃げた男――メルキオルよりも戦士としての実力は、アリオッチの方が遥かに上と感じ取れる。
恐らくは組織でも最強の実力者と見て、間違いないだろう。
しかし、
「遺物に振り回されているようじゃ俺には勝てない」
「ぐ――ッ!」
闇の中に姿を消し、死角から襲って来たアリオッチの攻撃をリィンは右手のブレードライフルで振り返ることなく弾く。
アリオッチの遺物の能力は、エマの結界すらものともしない空間転位にある。
魔術とは異なる転位技術。厄介な能力に思えるが、その弱点をリィンは見抜いていた。
「便利な技だが、それだけ濃い〝瘴気〟を纏っていれば転位先を予測するのは簡単だ。それに――」
アリオッチの転位は魔術による転位と違い、短い距離しか移動できないことをリィンは指摘する。
そして移動距離が長くなるほど、霊力を込める時間が必要となると言うことにも気付いていた。
奇襲には使えるかもしれないが、百アージュの距離を一瞬で詰めることが出来る相手に通用する能力ではない。
仮にアリオッチが転位によって逃走を図ったとしても、リィンは〝異能〟の気配を感知することが出来る。
一足でアリオッチとの距離を詰められる以上、遺物による転位はリィンにとって何の障害にもならなかった。
「戦士としての実力は認めるが、異能の扱いはまだまだだな。呪いを克服できていない時点で、お前のそれは遺物の力に振り回されているだけだ。使いこなせているとは言えない」
確かにアリオッチは強い。戦士としての技量は自分以上であることをリィンは認めていた。
しかし呪いに振り回されている時点で、遺物の力を完全に自分のものとしているとは言えない。
同じように〝呪い〟を宿す身だからこそ、アリオッチが力をコントロールできていないことにリィンは気付いたのだろう。
「その遺物の効果は恐らく転位の他に認識阻害もあるんだろう。狩りに特化した遺物と言ったところか? だが……」
呪いを克服できていないが故に、アリオッチの全身からは瘴気が溢れている。
それが遺物の力でも隠しきれないほどの気配を放っている原因だと、リィンは指摘する。
だから遺物の力を使って姿を隠そうが、勘の良い者なら容易にアリオッチの存在に気付く。
これなら、まだ遺物の力を使わない方がマシだとリィンは感じていた。
「あっさりとこいつの弱点を見抜くとはな……」
「異能の扱いに関しては自信があるからな」
戦闘技術だけで言えば、理の領域に至った達人に及ばないとリィンは認めていた。
しかし異能の扱いに関して言えば、誰にも負けない自信がリィンにはあった。
呪いであろうが関係ない。自らの糧として、利用できるものは何でも利用する。
畏れるのではなく自身の力と向き合い、克服してきた結果が強さの根幹にあるからだ。
「ククッ、確かにお前の言うとおりだ。俺はまだこいつを完全に御し切れていないんだろうさ。だが異能を十全に使えないのはお前も同じだ。違うか?」
「ああ……否定はしない。灼飆との戦いで少し無茶をしたからな」
アリオッチの言うように、よくて全力の二割程度の力しかだせないだろうと言うことはリィンも分かっていた。
少なくとも〈王者の法〉は使えない。同じ理由で〈根源たる虚無の剣〉も今の状態では制御が難しい。
鬼の力は……髪の色が灰色に変わっているように常時発動しているような状態にあるとリィンは感じていた。
基礎的な身体能力が、以前とは比較にならないほど強化されているからだ。
そのため、異能の力が身体に馴染んで次の段階に進んだのではないかと考える。
――人の身で神へと至る技。
それが錬金術の秘奥。王者の法とも呼ばれるアルス・マグナの真髄。
マクバーンがそうであるように、リィンもまた人ではない何かへと変わろうとしていた。
人の姿をした人以外の〝何か〟へと――
「だが、問題ない」
故に不要な心配だと、アリオッチの疑問にリィンは答える。
万全でないからと言って、戦えない訳ではない。
そもそも戦場では、戦いの準備が出来ていないからと言って敵は悠長に待ってくれない。
体調がどうであれ、常に万全な状態で戦える訳ではないからだ。
「お前こそ、正々堂々とか言うつもりはないんだろう?」
昔はどうであったか知らないが、いまのアリオッチは暗殺を生業とする裏組織の幹部だ。
闘争を好む性格は生来のものだと思うが、騎士道精神なんてものを尊ぶ相手とリィンは思っていなかった。
それに――
「そもそも逃すつもりはないからな。最初に言っただろ? お前等はここで叩くと」
日を置いて再戦なんて真似を、リィン自身もするつもりはなかった。
この場で見逃せば共和国軍よりも厄介な敵になると、猟兵としての勘が告げていたからだ。
アルマータがただのマフィアであれば、黒月に任せて放置でもよかった。
しかし、アルマータが〝庭園〟と繋がっていると分かった今では無視することなど出来ない。
庭園の前身となった組織のことは話に聞いた程度ではあるが、リィンも知っているからだ。
ましてや――
「暗殺集団と言うだけでも厄介なのに〝教団〟と繋がった連中を俺が逃すと思うか?」
「――ッ!?」
D∴G教団との繋がりがある組織を見逃すつもりなど、リィンには一切なかった。
◆
「白銀の剣聖……彼が追って来なかったのは、そういうことか」
「悪いけど、これも〝仕事〟でね。大人しく投降してくれるかな?」
抜き身の刀を手に投降を促してくるシズナに、メルキオルは追い詰められていた。
逃走を図った先で罠を張っていたかのように、シズナが待ち伏せていたからだ。
ライ家を襲撃したのはリィンの命令ではなく、リーシャの意志によるものだとメルキオルは考えていた。
というのもヴァンに深手を負わせることで、そうなるようにメルキオル自身が仕向けたからだ。
(あの時点で、彼は〝銀〟と連絡を取り合ってはいなかったはずだ。なら、この状況を作り上げたのは――)
ミュゼの存在がメルキオルの脳裏に浮かぶ。
ミュゼ・イーグレット。本名はミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。
現カイエン公にして、あの鉄血宰相に匹敵する頭脳と知略を持つと噂される才女。
一部では運良く〈暁の旅団〉を味方につけることが出来ただけの小娘と揶揄されているが、正しくその能力を評価している者たちもいた。
それが共和国の情報局であり、黒月を始めとする裏組織の者たちだ。
だからこそ、メルキオルも警戒はしていたのだ。それでも想像の上を行かれた。
どこからどこまで計画通りであったのかは分からないが、少なくともミュゼは今の状況まで見通していたことが分かる。
「残念だけど、まだ捕まる訳にはいかなくてね」
「まあ、そうだよね。最悪、殺しても構わないって話だから〝手加減〟は出来ないけど……」
――それでも抵抗するなら自由にすればいいと刀を構え、シズナは剣気を放つ。
肌がひりつくような強者の気配に、メルキオルの額から冷や汗がこぼれ落ちる。
メルキオルが強いと言っても、あくまで彼の本業は暗殺者だ。
真っ向勝負でシズナに勝てると考えるほど、彼は蛮勇ではなかった。
故に――
「――ッ!?」
風の刃と思しき斬撃がシズナに襲い掛かる。
寸前のところで後ろへ跳ぶように回避すると、それも読んでいたかのように天使のような翼を広げた傀儡がシズナに襲い掛かる。
鋼鉄の爪から放たれる高速の斬撃。しかし、それすらも刀を高速で振るうことで弾き返すシズナ。
そして、
「助かったよ――〝オランピア〟」
「……礼は不要です。任務ですから」
メルキオルの隣に降り立つ傀儡と、その腕に抱かれた白髪の少女の姿がシズナの目に映る。
天使タイプの人形兵器。それも恐らくは古代遺物に相当する代物。
「なるほど、伏兵を忍ばせていたのか。庭園の管理者の一人かな?」
オランピアと呼ばれた少女が、メルキオルと同じ庭園の幹部の一人だとシズナは見抜く。
二対一。数の上では不利な状況と言えるが――
「これで〝少し〟は楽しめそうかな?」
シズナの闘志は少しも揺らいでいなかった。
むしろ、敵が増えたことで楽しみが増えたと言った笑みすら浮かべる。
そんなシズナの剣気に当てられ、メルキオルの表情も険しさを増す。
「これで諦めてくれると楽だったけど……そりゃ、そうだよね。まだ二対八くらいで、こっちが不利かな?」
「……それほど彼女は強いのですか?」
「ああ、化け物だよ。本気で殺すつもりなら、管理人〝全員〟で相手をしないといけないほどのね」
メルキオルの言葉に驚いているのか感心しているのか、まったく感情の読めない表情をオランピアはシズナに向ける。
しかし二人掛かりでも敵わないと言われても戦意を失っていないことは、その様子からも察することが出来た。
いや、そもそもそうした〝感情〟が最初からないように見える。
だからなのだろう。
「だからさ。悪いんだけど、僕が逃げるまで時間を稼いでくれるかい?」
そんな理不尽とも言える命令にも反抗することなく、オランピアは無言で頷くのだった。
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