自然公園から街の中心部へと繋がる公道を並んで歩く男女の姿があった。
 リィンとシズナの二人だ。

「何事もなく侵入できたね。少し拍子抜けだけど」

 首の後ろに両手を回し、なにかを期待していたかのような態度を見せるシズナ。
 彼女が何を期待していたのかを察せられない訳ではないが、

「まだ騒ぎを起こすには早い。まずはフィーと合流してからだ」

 時期尚早だとリィンは嗜める。
 軍や警察を相手に大立ち回りをすることが目的ではないからだ。
 何者かに拉致されたサミュエル・ロックスミス大統領を救出し、大統領暗殺未遂の疑いを晴らすことが第一の目的。
 そして可能であれば、今回の件を仕組んだ黒幕を引き摺りだすことがリィンたちの狙いにあった。
 やられっぱなしで何も仕返さないと言うのは、裏の世界に身を置く以上はありえないからだ。
 裏稼業は猟兵に限らず舐められたら終わりだ。相手が誰であっても、それは変わらない。
 敵の狙いはまだ見えないが、相応の報いを受けさせる必要があるとリィンは考えていた。 
 それに、今回の一件。他にも気になることが幾つかあった。
 それを確かめる意味でも後には引けない。今後の活動に影響を及ぼす可能性すらあるからだ。

「西風の妖精か。ああ、いまは()のと呼んだ方がいいのかな? 彼女とも、いつか手合わせ願いたいものだ」

 そういう状況でもマイペースなシズナに、リィンは養父の面影を重ねる。
 リィンの養父ルトガー・クラウゼルも飄々としていて食えない人物だったからだ。
 どんな時もマイペースで緊張感に欠ける人物だったが、それでも強かった。
 油断をしているように見えて、決して隙を見逃さない人物だった。
 だからなのだろう。シズナからも同じ強者の気配をリィンは感じていた。

「観の目だったか? それで大統領の居場所とか分からないのか?」

 それもあってか、シズナに大統領が連れて行かれた場所を尋ねてみる。
 場所そのものが分からなくても、なにかしら勘付いている可能性はあると考えたからだ。
 しかし、

「さすがに無理。観の目は超能力じゃないからね。もう少し情報が揃えば、見えてくるものもあると思うけど」

 いまのままでは情報が足りないとシズナは返す。
 観の目はシズナの言うように超能力や異能の類ではない。
 あらゆる先入観を排し、物事を客観的に見ることで本質を捉える武術の境地だ。
 洞察力や観察眼に通じるもので、手掛かりもない状態ではシズナと言えど勘が働くこともない。

「老師の〈千里眼〉なら可能かもしれないけどね」
「〈剣仙〉の噂は聞いているが、それほどか。未来でも見えてるんじゃないだろうな」
「老師ならありえると思う。実際その場にいないはずなのに、こっちのことが分かっているような節があるしね。さすがにあの境地には、まだ遠いかな」

 剣術でどうこうなる領域の話ではないだろうと、シズナの話を聞いてリィンは呆れる。
 しかし、シズナの師にして八葉一刀流の開祖〈剣仙〉ユン・カーファイはそんな噂が信じられるほど謎が多く、出会った誰もが認めるほどの達人だった。
 そのため、理の領域に至っていることは間違いないが、その先も見えているのかもしれないとリィンは考えていた。
 自分のように異能を持っているとまでは思っていない。
 しかし、世界の理から外れた人間であることは間違いないと感じているからだ。

「一度、会ってみたいんだがな」
「難しいんじゃないかな。半年ほど前に顔を見せたことがあるけど、そのあとまたどこかに行っちゃったしね。大陸中を旅してて、私でも何年も会えないことが普通にある人だから」

 そう言って、肩をすくめるシズナ。
 彼女自身、会いたいと思って会える人物ではなかった。
 いまどこにいるのかすら分からない雲のように掴み所の無い人物だからだ。
 放浪癖もあって大陸中を渡り歩いていることから居場所を把握することは難しい。
 しかし、

「いまは東の方にいる可能性が高いと思うけど」
「……東?」
「うん、最後に会ったのが龍來の近くだからね。たぶん行き先は東の果てじゃないかな?」

 大凡の見当であれば、つけることが出来る。
 恐らくは砂漠を抜け、荒廃した東の地へ向かったのではないかとシズナは考えていた。

「……東の果てには何があるんだ?」
「残念だけど、それは言えないかな。でも、リィンなら辿り着けるかもね」

 本来は黒神と八葉に連なる者でなければ、辿り着けない場所。
 しかし既に世界の外に立ち、理の境地に至っているリィンであれば、可能性は十分にあるとシズナは考える。
 だからと言って歓迎されるとは限らないのだが、

「いつか、オババや頭領にも会って欲しいしね」

 両親に紹介したいみたいなことを言われ、うんざりした表情を見せるリィン。
 そんな浮いた話ではないと分かっていても、面倒臭いことになる未来が容易に想像できたからだ。

「……その頭領やオババっていうのも親バカじゃないだろうな?」
「うん? まあ、大事にされてると思うけど……これでも一応は()なんて呼ばれているしね」

 シズナの故郷での立場は分からないが、それがあったかとリィンは溜め息を吐く。
 プリンセスキラーと呼ばれている原因など、多少は自覚があるからだ。
 のこのことシズナの故郷に顔をだせば、厄介事に巻き込まれる未来しか見えない。
 とはいえ、まったく気にならないと言えば嘘になる。
 荒廃した大地が広がる東の果てについては、リィンも以前から気になっていたからだ。
 砂漠化の原因が、七耀脈にあると言うのは分かっている。
 しかし、東から徐々に浸食が進んでいる原因は他にもあるはずだと考えていた。

(いずれ、調査に向かう必要はあるか)

 とはいえ、その前に片付けておくべき問題が幾つもある。
 先に教会や結社と決着をつける方が先だと言うのが、リィンの考えだ。
 目的へ至るアプローチは違えど、目指す場所は同じだとリィンは考えていた。
 故に、道が交わる時が必ずくる。その時になって邪魔をされてはかなわないからだ。
 だからこそ、盟主との会談を望んだのだ。
 あれから接触はないが、まずは話をつける必要があると感じていた。
 教会についても交渉の余地はあると思っている。
 少なくとも教会が一枚岩でないことは、先の〈黒の工房〉の一件からも明らかだからだ。
 とはいえ、争いは避けられないとも思っているのだが――
 結局、目指す場所は同じでも手段や目的が違えば、完全に分かり合うことなど出来ないからだ。
 精々、足の引っ張り合いにならないように協定を結ぶくらいが限界だとも感じていた。

「リィンさん……また、ですか?」

 そんな風にシズナと話をしながら歩いていると、いつの間にか戻ったリーシャが呆れた表情で二人の前に立っていた。
 リーシャには先に市街の様子を探りに行ってもらっていたのだ。
 あてにしていたシズナが土地勘がなく、役に立たなかったことが理由だった。
 幸いリーシャは首都で活動していたこともあると言う話だったので、彼女に情報収集がてら偵察を頼んだのだ。

「言っておくが、シズナとはそういうのじゃないからな?」
「私はリィンがその気なら別にいいけど?」
「おい、話をややこしくするな。お前、意味が分かっててやってるだろう」

 とぼけるシズナに、絶対に分かっててやっていると呆れるリィン。
 そんな二人のやり取りを見て一番呆れているのはリーシャなのだが、いつものことと諦める。
 女性関係でリィンの信用がないと言うのも理由にあるが、いまはそれよりも優先すべきことがあるからだ。

「軍はやはり南側に戦力を集中させているようです。警察もアルマータの件で出払っているようで、市街地の警備は手薄でした。いまなら旧市街へ目立たず抜けるのも難しくないかと」

 リーシャの話を聞き、〈ARCUS〉で時間を確認するリィン。
 フィーと約束した合流の時間まで、二時間を切っていた。


  ◆


 首都イーディスの旧市街に一軒のレストランがあった。
 ビストロ〈モンマルト〉――古ぼけたビルの一階に入っている小さな店だが料理の味は一級品で、隠れた名店として地元に愛されているレストランだ。そこにフィーとアシェンの姿があった。

「美味しい。旧市街にこんな店があったなんて驚きね」
「ん……リィン(・・・)が指定した店だから味は間違い」

 自分自身も料理をすることから、リィンは味に関しては五月蠅い。
 猟兵の食事など煮るか焼くかの大雑把な料理が多いため、それに嫌気が差して〈西風〉時代は団の料理番をしていたくらいなのだ。
 そのリィンが指定した店だ。美味くないはずがないとフィーは確信していた。

「でも、よく彼はこんな店を知っていたわね。共和国の出身と言う訳ではないでしょ?」
「ん……リィンの過去はもう調べがついてるんじゃないの?」
「私が知っているのはギリアス・オズボーンの息子で、猟兵王に育てられたと言うことだけよ」

 噂になっている以上のことは知らないとアシェンは肩をすくめる。
 実際、調べようとしてもリィンの過去には謎が多すぎた。
 それも当然でハーメルの悲劇については情報が隠蔽され、ほとんど証拠となるようなものが残されていないからだ。
 分かっているのはリィンがギリアス・オズボーンの息子で、猟兵王ルトガー・クラウゼルに拾われて〈西風の旅団〉で育ったと言うことだけだ。
 あとは猟兵時代の活躍くらいしか足跡を追うことは出来なかった。
 あの非常識なまでの力をどうやって身に付けたのかなど、肝心なことは〈黒月〉の調査でもほとんど何も分かっていないというのが実情だ。

「リィンは帝国生まれで帝国育ちだよ。でも〈西風〉は帝国を主戦場としていただけで、共和国に一度も来たことがない訳じゃない。あなたたちも前に〈星座〉とやり合ったんでしょ?」
「……私は関わっていないけど、ツァオが随分と苦戦をさせられたみたいな話をしていたわね」
 
 黒月は過去に一度、〈赤い星座〉と一戦を交えたことがあった。
 どうにか撤退させることに成功したものの〈黒月〉も痛手を負ったのだ。
 あのツァオが怪我を負って帰ってきたことから、アシェンもよく覚えていた。

「猟兵って、皆あなたたちみたいに化け物ばかりなの?」
「強い猟兵団は他にもいるけど、当時の〈西風〉と〈星座〉は西ゼムリアでも別格の存在だったしね。いまの〈暁の旅団(わたしたち)〉の方が凄いけど」

 そう言って、料理を口に運ぶフィー。
 確かに〈暁の旅団〉が最強の猟兵団であることを否定するつもりはないが、

(彼女も相当の負けず嫌いね)

 フィーが嘗ての古巣や〈赤い星座〉を意識していることは見て取れた。
 それだけ、いまの団に愛着と自信を持っているのだとアシェンは察する。
 実際そう誇れるだけの力と実績が、いまの〈暁の旅団〉にはある。
 リィンばかりが目立っているが団そのものの力も、大陸随一だとアシェンも認めていた。
 だからこそ、ルウ家は〈暁の旅団〉と対等な関係を結ぶことを決めたのだ。
 それが〈黒月〉の未来に繋がると確信してのことだった。

「そう言えば、いろいろとあって曖昧になってたけど、アシェンはリィンとのお見合いどうするの?」
「――と、突然なにを!?」
「アシェンがここにいるのを黙認しているのって、そういうことでしょ?」

 そこを指摘されると、アシェンも反論できなかった。
 薄々と彼女も祖父の思惑は察していたからだ。
 偶然が重なった結果とはいえ、フィーたちと行動を共にしていることはルウ家も既に把握しているはずだ。
 なのに誰一人として接触してこないのは、そう言うことなのだろう。
 なにを期待されているのかを察せられないほど、アシェンはお子様ではなかった。

「じ――」
「ん……?」

 何者かの視線に気付き、フィーが振り向くとカウンターに隠れて小さな頭が飛び出していた。
 まだ日曜学校に通う年齢にも達していない四、五歳くらいの小さな女の子だ。
 フィーがデザートのケーキを突き刺したフォークを右に左にと動かすと、少女の視線も左右に動く。
 それを見て、少女に向かって手招きするフィー。

「いいの?」
「ん……食べていいよ」
「ありがとう! おねえちゃん!」

 とことこと走ってくると目を輝かせ、フィーの隣の席に座る少女。
 不慣れな手つきフォークを使いケーキを頬張る少女の姿に、思わずアシェンの表情も緩む。

「子供の扱いに慣れてるわね」
「団じゃよく小さい子の面倒を見てたしね。団は大きな家族みたいなものだから」

 フィーの話に、なるほどとアシェンも納得する。
 猟兵とマフィアでは立場が異なるが、アシェンにも覚えがあるからだ。
 そう言う意味で、ツェオはアシェンにとって兄のような存在でもあった。
 ずっと憧れていたのだ。だから――

(憧れ? そう、私はツァオに憧れていた。でも、それって……)

 本当にツァオに抱いていた感情は、恋だったのだろうかとアシェンは考える。
 リィンと出会ってから、自分でも自分の気持ちがよく分からなくなってきていた。
 ツァオのことが嫌いになったと言う訳ではない。いまでも好きな感情はある。
 ただ、それが異性として好きなのか、家族に向ける親愛なのか判断が付かないでいた。
 いままで、そういう経験をしたことがないからだ。
 逆に言えば、リィンがはじめてそのことを意識した異性とも言える。
 お見合いの話がなければ、こんなにも意識することはなかった相手。
 最初は絶対に断ってやると息巻いていたのに、いまは違っていた。

「こら、ユメ! それはお客様のでしょ!」
「あ、ママ!」

 口の周りにクリームをつけたまま、慌ててテーブルの下に隠れる少女。
 エプロンを身に着けた二十代半ばと思しき栗毛の女性。
 状況から少女の母親なのだと、フィーとアシェンは察する。

「すみません。うちの娘が……」
「ん……問題ない。食べきれそうになかったから手伝ってもらっていただけ」

 女性を宥めようと、少女を庇うような返事をするフィー。
 そんなフィーの気遣いを察し、女性もそれ以上は何も言えずに苦笑する。
 
「では、せめて飲み物をご馳走させてください。ユメ、お行儀良くするのよ」
「うん……おねえちゃん、ごめんなさい」
「気にしなくていい。ほら、まだケーキ残ってるよ」

 再びフィーの横に座り、残りのケーキを頬張る少女。
 そんな二人のやり取りを見て、ツァオと幼い頃の自分の姿をアシェンは重ね合わせるのだった。



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