首都イーディスの南に広がる森の中に、リィンたちの姿があった。
「この川を真っ直ぐに溯って行けば、首都南部の自然公園にでる。我々が案内できるのはここまでだ」
「いや、十分だ。世話になったとギエン老によろしく伝えてくれ」
リィンが礼を言うと、小さくお辞儀をして姿を消す仮面の男たち。
彼等はルウ家に所属する凶手たちだ。
「さすがですね。ライ家の凶手よりも数段上の使い手です」
そんなルウ家の凶手の実力を、リーシャは高く評価する。
単純な戦闘力だけであれば自身の方が上だと思う一方で、彼等の土俵で相手をするのであれば厳しい戦いを強いられると思わせられるだけの実力を感じ取っていたからだ。
「あの爺さんらしい。〈黒月〉の力は未だ健在だと言うことを俺たちに見せたかったんだろう」
ライ家の件で組織内がゴタゴタしているとはいえ、〈黒月〉はそのくらいで揺らぐ組織ではない。
虎の子の凶手に案内させたのは、自分たちの力が衰えていないことを示しておきたかったのだろうと、ギエン老の考えをリィンは読んでいた。
それに――
(目的地まで案内するついでに俺たちを利用するつもりか。本当に食えない爺さんだ)
凶手たちが煌都に戻った訳ではなく首都へ向かったことにリィンは気付いていた。
自身の手の者を首都へ送り込むことが、ギエン老の狙いなのだと――
そのために案内したように見せて、リィンたちを利用したと言うことだ。
「でも、リィン。本当に信じてよかったの?」
確認を取るように、シズナはリィンに尋ねる。
実は自然公園から首都に侵入する案をだしたのは、ギエン老ではなくジェラールだったからだ。
いまリィンたちは二手に分かれて、首都への潜入を試みていた。
自然公園を経由する南のルートから首都への潜入を試みるのが、リィン、リーシャ、シズナの三人。
そしてジェラールはと言うと、一足先に飛行場から首都イーディスのギルド支部へ連行されていた。
分かり易く言えば、陽動だ。
ジェラールを連行しているのは、ジンとエレインの二人。
アルマータのボスがギルドの英雄に捕まったとなれば、世間の注目を集めることになる。
軍や警察も、そちらに人手を割く必要が出て来るだろう。
ただでさえ、いまはデアフリンガー号の対応に人員を割いていると言うのにだ。
「理には適っているしな。実際、裏があると分かっていても、ジェラールの申し出をギルドは断れなかった。〈不動〉と〈剣の乙女〉は煌都の事件を捜査するためにやってきた訳だしな」
ジェラールが煌都で起きた一連の事件の実行犯でないにしても、重要参考人であることに変わりはない。
その本人が捜査に協力すると言っているのだ。
ならギルドの対応としては、ジェラールの申し出を断ることなど出来ない。
彼等の目的は犯人を逮捕して裁くことではなく、民間人の不安を払拭することにあるからだ。
「アルマータのボスを捕らえたという実績さえあれば、ギルドの面目は保たれるからな。少なくとも、それで人々は安心する。そのあとジェラールを裁くかどうかを決めるのは司法の仕事だ」
しかし、政府内にもアルマータと繋がりのある人間がいることを考えれば、ジェラールが罪に問われる可能性は低いとリィンは見ていた。
それでもギルドは動かざるを得ない。それが遊撃士の責務だからだ。
自分たちが利用されていることにジンとエレインは気が付いているだろうが、彼等もギルドに所属する遊撃士である限りは組織の方針に逆らうことが出来ないはずだ。
自分の身一つで陽動としての役割を果たすだけでなく、ギルドの最高戦力を抑え込んだジェラールのやり方にリィンは感心していた。
とはいえ、それはそれ、これはこれだ。
「ギルドが監視してくれると言うのだから、ありがたく利用させてもらえばいいさ」
アルマータを〈暁の旅団〉の傘下に加えるつもりはなかった。
一見すると協力的に見えるが、あれは誰も信用していない人間だとジェラールの本質を見抜いていたからだ。
間違いなく何かを企んでいる。
裏切ると分かっている人間を傍に置くほど、リィンはお人好しではない。
なら殺してしまうのが一番簡単だが、ジェラールもそれが分かっているからこそ筋を通し、従順なフリをしているのだ。恐らく簡単に尻尾はださないだろうとリィンは見ていた。
だから、泳がせて様子を見ることにしたのだ。
「それにこの作戦が罠なら、かえって都合が良い。堂々とジェラールを始末できるしな」
罠であればジェラールを始末する大義名分が立つ、とリィンは話す。
むしろ、そちらの方が話が早く済むとさえ、考えていた。
だからこそ、この先に罠はないとも確信できるのだ。
この程度で尻尾をだす相手であれば、ここまで苦労はしないからだ。
それよりも懸念があるとすれば――
「私は行方を眩ませている〈庭園〉の動きの方が気になります」
「そう言えば、〈黒月〉が捕まえてたのも逃げちゃったんだっけ?」
リーシャとシズナの言うように、アリオッチが行方を眩ませていた。
ツァオにしては大きな失態だが、この件に関しては相手が悪いとリィンは感じていた。
そもそもジェラールが大人しく捕まっていること自体が、ありえないと考えているからだ。
逃げようと思えば、いつでも逃げられると言った余裕がジェラールにはあった。
同じことがアリオッチに出来ないと思えない。
大方、アーティファクトの力を使って逃げたのだろうとも察しが付いていた。
アリオッチが使っていた戦斧と鎧のアーティファクト。あれは呪いの装備だ。
恐らくは騎神と同じように、契約者と魂で繋がっているものだろう。
なら契約者から引き離し、隠したところで無駄だ。
離れていてもアーティファクトを召喚するくらいのことは出来ると推察できるからだ。
「お前は〈黒月〉のことを言えないだろう」
とはいえ、シズナに〈黒月〉の失態を非難する権利はないとリィンは考えていた。
彼女も〈庭園〉の管理人を二人、逃がしているからだ。
「返す言葉もないね。だから名誉挽回の機会をくれるんでしょ?」
そのつもりでついてきたと言わんばかりの笑みを浮かべるシズナ。
実際、作戦を確実に成功させるには、シズナの協力が不可欠だった。
これからリィンたちは、首都で一騒動起こすつもりでいるからだ。
「ロックスミス大統領の救出。この作戦を成功させれば、状況を一変させられるはずです」
リーシャの言うように、この作戦が成功すれリィンの疑いを晴らすことが出来る。
上手くやれば容疑を晴らすだけでなく、大統領を味方につけることでイメージを払拭してリィンを英雄に仕立てることも難しくはないだろう。
二年前に帝国で起きた内戦の時のように――
しかし、
「ミュゼには悪いが、俺は英雄になるつもりはない」
リィンには別の思惑があった。
ミュゼをクロスベルへ一足先に帰したのも、それが理由だ。
「やはり考えは変わらないみたいですね。穏便に済ませる方法があるのなら、彼女の考えも理解できなくはなかったのですが……」
「そう? 私はリィンのやり方の方が〝猟兵〟らしいと思うけど。リーシャだって話し合いの通用しない相手だと思ったから、敢えて恐怖を煽るような方法でライ家への報復を実行したんでしょ?」
「それは……」
シズナの言葉を、リーシャは否定できなかった。
頭に血が上っていたとはいえ、シズナの言うようにそうした考えがなかった訳ではないからだ。
リーシャの行動は味方を守るためでもあった。
ライ家の目を自分に向けさせ、彼等の行動を力と恐怖で抑え込もうとしたのだ。
それだけの影響力が〈銀〉の名前にはあると思っての行動だった。
「人の心を最も強く縛るのは畏れだ。そして、私たちは遊撃士じゃない。目的のためだったら容赦なく人を殺す猟兵だ。まあ、英雄と魔王は相反するように見えて紙一重の存在だとは思うけどね」
リィンの考えを擁護しているように見えて、どこか棘のある物言いをするシズナ。
シズナが何を言いたいのか、分からないリィンではなかった。
そのことを一番よく理解しているのは、リィン自身でもあるからだ。
「なら、お前が英雄にでもなってみるか?」
「それも面白いかもね。リィンが悪い魔王になったら考えるよ。魔を調伏するのは得意だからね」
そう言って笑みを浮かべ、どこまで本気か分からない話をするシズナに――
「そうならないことを祈るよ」
と、リィンは肩をすくめながら言葉を返すのだった。
◆
ジンとエレインが〈アルマータ〉のボスを捕らえたというニュースで、いま共和国の首都は大きな盛り上がりを見せていた。
実際に捕らえたのはリィンで、二人は〈黒月〉からジェラールの身柄を引き渡されただけに過ぎないと言うのにだ。
しかし、噂には尾ひれがつくものだ。
「おめでとうございます。これでSランクへの昇格は確実ですね」
「お前さんもな。これで〈紫電〉に並ぶ最年少のAランクが誕生と言う訳だ」
そのことに納得していない様子の二人がいた。
今回の事件で、最大の功労者に祭り上げられたエレインとジンだ。
それもそのはずで、この噂をギルドは否定するどころか、二人の功績として大々的に広めていた。
当然のように、リィンや〈黒月〉の名前を伏せて――
恐らくは政治的な取り引きがあったのだと想像が付く。
そちらの方がギルドにとって都合が良いと言うのは二人も理解しているつもりだが、納得が行くかは別の話であった。
「二人揃って、浮かない顔ね」
テーブルに珈琲の入った二つのカップが置かれる。
エレインが顔を上げると、そこにはウェイターらしき格好をした長身の男がいた。
このカフェバーのオーナー兼バーテンダーのベルモッティだ。
「こっちは、お店のサービスよ」
「あ……ありがとうございます」
珈琲と一緒に差し出された焼き菓子に驚きながらも、甘い香りに誘われて思わず手が伸びるエレイン。
「甘くて美味しい」
「そう、よかったわ」
先程まで強張っていたエレインの表情に笑みが戻ったのを確認して、ベルモッティの顔からも笑みが溢れる。
「彼の件、聞いたわ。大変だったわね」
「いえ……その……あれから何か情報が入っていませんか?」
エレインがベルモッティにこんなことを尋ねるのには理由があった。
表向きはカフェバーのオーナーだが、情報屋としての裏の顔も持っているからだ。
「黒芒街の辺りで〈キリングベア〉を見たという情報が入ってきてるわ」
「それって〈ルバーチェ商会〉の……」
ルバーチェ商会の名は、当然エレインも耳にしていた。
表向きは真っ当な商売をしているように見えるが、その実体はクロスベルの裏社会を取り仕切るマフィアで、いまは〈暁の旅団〉の傘下にあると噂されている組織だ。
黒月との関係も最近は噂されていて、ここ共和国の首都でもルバーチェ商会の名をよく耳にするようになってきていた。
その幹部が首都に来ていると聞かされれば、エレインが驚くのも無理はなかった。
「ガルシア・ロッシか。厄介な男が現れたもんだ」
「……ジンさんでも警戒するほどの人物ですか?」
「嘗て〈西風〉に所属していた頃は、猟兵王の右腕と目されていた男だ」
戦えばどうなるか分からないと話すジンの話を聞き、エレインも警戒を強める。
ジンの実力は間違いなく共和国のギルドで随一と言っていい。
そのジンが警戒するほどの相手ともなれば、いまのエレインの実力では敵わない可能性の方が高い。
それに――
「このタイミングで首都に現れたと言うことは〈暁の旅団〉絡みでしょうか?」
「可能性は高いだろうな。煌都方面の鉄道が封鎖されている例の件と関係があると見て、間違いないだろう」
デアフリンガー号の件を言っているのだと、エレインは察する。
首都の南の沿線では、いまも軍との睨み合いが続いている状況だ。
都民への動揺が広がっており、これ以上の封鎖は政府としても避けたいはずだ。
そのため、今日明日中にでも動きがあっておかしくないような緊張状態が続いていた。
「そう言えば、二人はどうやって戻ってきたの?」
「MK社の飛行船に同乗させてもらいました」
「なるほど。それで、こっちの情報網に引っ掛からなかったのね」
MK社の名を聞き、ベルモッティは納得した様子を見せる。
ベルモッティは裏社会で名の売れた情報屋だ。彼を頼ってくるのは遊撃士だけでなく猟兵やマフィアと言った裏社会の人間から政府の関係者まで、顧客は多岐に渡る。そのため顔も広く、軍や警察だけでなく政府内にもコネを持つ彼の情報網に、普通であれば引っ掛からないはずがないからだ。
しかし、何事にも例外はある。その一つがMK社であった。
ベルモッティの情報網でも、MK社の動きだけは掴むことが難しい。
それだけMK社の情報対策が優れていると言うのもあるが、ここ最近になってから急に名前を聞くようになってきた組織と言うのが理由として大きかった。
彼等の名を耳にするようになったのは、次期大統領との関係が噂されるようになってからだ。
それまでMK社は共和国内で目立った実績のある組織ではなかった。
民間軍事会社として活躍しはじめたのもここ一年ほどで、名前すら聞かないような小さな会社だったのだ。
「情報料代わりに聞いても良いかしら? あなたたちの目から見て、彼等はどう映った?」
だからこそ、ベルモッティは二人に尋ねる。
共和国のギルドでトップに位置する二人であれば、自分と違った視点から見えるものがあるのではないかと考えたからだ。
小銭を稼ぐよりも、そちらの方が遥かに価値が高いと考えたのだろう。
「不自然なほど高い技術力を持っているように感じました。それに――」
「灼飆だな」
ジンの口から『灼飆』の名を聞いたエレインは頷き返す。
カシム・アルファイド。〈灼飆〉の二つ名を持ち、ゼムリア大陸東部を中心に活動する猟兵団〈クルガ戦士団〉の部隊長を務めていた男で、リィンが台頭してくるまで『史上最強』の猟兵と呼ばれていた人物だ。
「MK社に雇われたというのは耳にしていたけど、二人は会ったの?」
「いえ、残念ながら会えませんでした。任務で怪我を負ったとのことで――」
「……怪我?」
エレインの言葉に何かが引っ掛かったのだろう。
そして、ベルモッティの頭に先日〈煌都〉で起きた騒ぎが頭を過る。
そう、海蝕洞の消失事件だ。表向きは海底火山が原因などと言われているが――
「リィン・クラウゼルと戦って怪我を負った?」
「ああ、俺たちもそう見ている。タイミングが合いすぎているしな。それに――」
「彼も体調が万全のようではありませんでした。恐らくは〈灼飆〉との戦いで力を消耗したのだと思います」
それは即ち、カシムはリィンを消耗させるほどの善戦をしたと言うことになる。
リィンと実際に対峙したことのある二人だからこそ、分かるのだろう。
それが、どれほど困難なことかを――
「正直に聞かせて欲しいのだけど〈暁の旅団〉の団長を相手に二人なら勝てそう?」
「……悔しいけど無理です。戦いになる想像すらできませんでした」
「俺もだ。時間を稼ぐ程度なら出来ると思うが、あれは人間の敵う相手じゃない。そういう類の化け物だ」
ベルモッティもリィンの噂は耳にしていた。
しかし、どれも俄には信じがたい情報であったため、確信を持てずにいたのだ。
(想像していた以上に危険な状況みたいね)
ギルドでトップの実力を持つ二人が、まったく敵わないと断言する相手。
そんな相手を消耗させるまで追い詰めた〈灼飆〉の力。
想像するだけでも、いまどれだけ共和国が危険な状況に置かれているかをベルモッティは理解する。
故に――
「二人に大事な話があるわ。これは、とっておきの情報なのだけど――」
上手く行くかは分からない。
それでも何もしないよりはマシだと考え、ベルモッティは自分の持つ情報をジンとエレインに託すのだった。
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