エリィと同じ長い銀髪の女性の名前は、ディアナ・マクダエル。
クロスベルを代表する政治家の一人、ヘンリー・マクダエルの一人娘にしてエリィの母親だ。
しかし、十二年前に両親は離婚。それから一度も母と顔を合わせたことがなく、手紙でのやり取りを何度かしていたもののそれもここ数年は途絶えていた。
だから、なにを話していいのか分からないのだろう。
緊張した面持ちのエリィを見かねて、アリサがヘンリーに尋ねる。
「その方が新しい市長ですか？」
新市長にエリィを推す声がある中、このまま政治家を続けることをエリィが迷っていたことをアリサは知っていた。
リィンとの関係が噂される中で〈暁の旅団〉に対する過度な依存は、自分にも原因があるのではないかと思い悩んでいたからだ。
当然そのことは祖父のヘンリーも把握していた。
彼自身〈暁の旅団〉の協力なくしてクロスベルの独立は保てないと考える一方で、猟兵に対する過度な依存はクロスベルのためにならないと考えている一人だったからだ。
そのため、警備隊の戦力強化には前向きな考えを示している政治家の一人だった。
なにより孫娘一人にクロスベルの未来を――重責を負わせたくはなかったのだろう。
だから、
「そうだ。正式な就任は選挙の後になるが、既に根回しは済んでいる」
娘を――ディアナを帝国から呼び戻したのだ。
当然、簡単な話ではなかった。ディアナも最初の内はヘンリーの誘いを断り続けていたし、議員の中にも反対する者たちは当然いた。
しかし、ディアナのなかにも未練と後悔はあったのだろう。
だから最初は断り続けていたヘンリーからの誘いを受けたのだ。
切っ掛けは、クロスベルの独立。そして、リィンとエリィの噂を耳にしたことにあった。
「好きな人が出来たそうね。相手を聞いた時は驚いたわ」
幼い頃から真面目で正義感の強い子だっただけに、まさか娘のエリィが猟兵とそんな関係になるとは思ってもいなかったのだろう。
しかし、
「ええ、私はリィンを愛しているわ。例え、母さんが反対しても……」
「誤解させたみたいね。安心して、そんなつもりはないわ」
反対している訳ではなかった。
家族を捨てた自分に、エリィの人生に口を挟む権利はないと考えているからだ。
それに、
「猟兵を悪く言うつもりはないわ。政治家も綺麗な仕事ではないしね。あなたも、そのことはよく分かっているはずよ」
政治家も猟兵のことを悪く言えるほど、高尚な仕事ではない。
直接手を下していないだけで、恨みを買う仕事であることに変わりは無いとディアナは考えていた。
「それじゃあ、どうして……」
「あの人がクロスベルを去った理由と同じよ。あなたは政治家に向いていない」
エリィの父親もまた、正義感に溢れた政治家だった。
だからこそ大国の圧力に屈し、長いものに巻かれるやり方しか出来ない政治に嫌気が差し、クロスベルから去ったのだ。
ディアナと別れて故郷の共和国に帰ったのは、マクダエル家の――義父の期待に応えることが出来なかった彼なりのケジメの付け方でもあったのだろう。
エリィもそんな父親と同じ道を歩もうとしていると、ディアナは感じていた。
「あの人は未練がましく共和国でも政治家を続けているみたいだけど、はっきりと言うわ。あなたには向いていない」
クロスベルのためにエリィが頑張っていることは分かる。
しかし同時に愛する人との間で板挟みになり、葛藤を抱えていることも見て取れる。
このままではエリィはその重みに耐えきれず、押し潰されてしまうだろう。
だからディアナは覚悟を決め、ヘンリーの誘いを受けたのだ。
「あなたは、あなたの信じる正義を貫きなさい」
それが幼い娘を置いて、あの人との思い出が残るクロスベルから逃げた自分に出来る罪滅ぼしだと考えて――
「母さん……」
ディアナは席を立つと、それ以上は何も答えず会議室を後にする。
そんな母の背中を見送りながら、深々とエリィは頭を下げるのだった。
◆
「無職になってしまったわね」
正式な通達はまだだが、共和国でリィンたちが起こした事件の責任を取るカタチで、政務官を解任されることが決まった。
だと言うのにエリィの表情は、憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとしていた。
なんとなく、こうなるような予感が彼女の中にもあったのだろう。
旅行の前に祖父と交わした会話。あの時から既に覚悟は決めていたからだ。
「〈エイオス〉に再就職する？ エリィなら歓迎よ」
そんなエリィを自分の会社に誘うアリサ。
励ましているのだろうが、本気でもあった。
射撃の腕はプロ級で、政治や経済に精通した幅広い知識を持ち、実戦経験もあって胆力もある。
エリィほど優秀な人間は探しても、なかなか見つからないからだ。
しかし、
「ごめんなさい。もう再就職先は決めているの」
エリィの答えは決まっていた。
猟兵団の運営は実働部隊だけで出来るものではなく、兵器や装備の点検を担当するメカニックから物資の調達や管理を担う後方部隊など、縁の下で活躍する団員の方が実際の数は多いくらいだ。
しかし現在〈暁の旅団〉には、仕事のスケジュール管理や依頼の交渉を行う専属の担当者がいない。
いままではスカーレットがその役割を担っていて、現在はクレアが諜報活動と兼任している状況だった。
こう言ったことに長けた人間であれば猟兵などにならずとも食べていけることから、交渉や経理に長けた人材は猟兵団では貴重で、なかなか代わりの出来る人間が少ないことが理由として大きかった。
エリィが担当するのであれば、スカーレットやクレアの負担も減る。
実際そうした話は前からあったのだ。だから就職先は決まっていると言ったのだが、
「エリィって時々、大胆な発言をするわよね」
「……え？」
「こういう場合の就職先って、アレでしょ？」
アリサが何を言っているのか理解が出来ず、目を丸くして考え込むエリィ。
しかし、会話の流れと自分の発言を振り返って、ようやくその意味を理解する。
「ち、違うわよ！ そう言う意味で言った訳じゃ――」
「はいはい、分かってるから」
「もう！ アリサからかってるでしょ！」
顔を真っ赤にして否定するエリィを、アリサは軽くあしらう。
共和国軍が目前まで迫っていると言うのに、緊張感に欠けるやり取りが続くのだった。
◆
「エリィ……」
ロケットに入れた写真を見詰めるスーツ姿の男性がいた。
ライアン・コネリー。サミュエル・ロックスミスが代表を務める共和党に所属する共和国の政治家だ。
そして、いろいろとあって共和国に帰国したエリィの父親でもあった。
先の総選挙で当選を果たしたとはいえ、政界に復帰したばかりで議員の中では、まだまだ新人に過ぎない。
そんな彼がサイデン地区にある高級ホテルにいるのは、とある人物から連絡をもらったためだ。
「ようこそ、お越し下さいました。ライアン・コネリー議員」
声をかけられて、慌ててロケットを胸元に仕舞うライアン。
ライアンが振り向くと、そこには東方の民族衣装を着た黒髪の年若い少女の姿があった。
すぐに連絡をくれた人物であることをライアンは察する。
「ライアン・コネリーだ。では、キミが……」
「はい。ルウ家が息女、アシェン・ルウと申します。今日はお時間を作って頂き、ありがとうございます」
ルウ家のことを知らない政治家など、この共和国には存在しない。
それだけに小娘などと侮ることなく、ライアンは気を引き締める。
裏社会を支配し、政界にも強い影響力を持つ〈黒月〉であれば、新人の議員一人を失脚させるくらい容易いことだと分かっているからだ。
それに共和国で政治家をする以上、彼等との関係は避けて通れないと言うことも理解していた。
以前の彼であれば、こんな誘いに乗ることはなかっただろうが、あれから十二年だ。
正しさだけでは実現できないことがあると、過去の失敗から嫌というほど学んだ。
いまなら義父の考えが理解できる。
時には清濁を併せ呑むことも政治家には必要なのだと、考えを改めさせられたからだ。
「議員もお忙しいでしょうし、早速本題に入らせて頂きます。大統領閣下ですが、無事に保護したと連絡がありました」
「――！ それは本当か！？」
大統領が無事に保護されたと聞き、驚きながらも安堵の表情を見せるライアン。
実のところ共和党に所属する議員たちは、密かに大統領の救出に動いていた。
軍との繋がりが噂される一部の議員たちが強硬的な姿勢を見せているが、ライアンを始めとした保守派の議員の多くは、クロスベルとの戦争など望んではいないからだ。
しかし、ロックスミス機関にまで軍の手が及び、キリカ・ロウランが捕らえられたという話を聞いて、状況は絶望的だと考えていたのだ。
そんな時だった。アシェンから連絡があったのは――
「すぐに大統領に会わせて欲しい。あの方がいれば、このバカげた戦争を止められるかもしれない」
「ご安心ください。既に閣下は大統領府に向かわれています」
「なに？ なら、私もすぐに――」
「こちらの車でお送りします。ですが、その前に議員にお尋ねしたいことがあります」
アシェンに引き留められ、警戒する様子を見せるライアン。
確かに彼等には感謝しているし、清濁を併せ呑む必要があるというのは理解しているつもりだ。
だが、黒月が裏社会の組織であることに変わりは無い。彼等に近付き過ぎて、悪事の片棒を担ぐつもりはなかった。
再び政治の世界に戻ってきたのは、帝国の内戦を発端としたクロスベルの事件や娘の活躍を聞き、そんな欺瞞に満ちた世界で自分なりの正義を貫く覚悟を決めたからだ。
そんなライアンの危惧は、当然アシェンも理解していた。
しかし、彼に声をかけたのには理由があってのことだ。
「今回の件、大統領の救出に寄与したのは〈黒月〉ではありません。〈暁の旅団〉です」
「な……」
暁の旅団の名を聞き、驚いた様子を見せるライアン。
その名前を、このタイミングで耳にするとは思ってもいなかったのだろう。
「まさか、エリィが……娘が関わっているのか？」
そのため、ライアンが当然そういう反応を示すこともアシェンは読んでいた。
政界に返り咲いたとはいえ、過去の事件から同じ政治家からも疎まれているため、積極的に彼を仲間に引き入れようとする議員は共和党内にも少ない。そのため、彼は党内でも少し浮いた存在となっていた。
しかし、誰が味方で誰が敵かも分からない状況においては、ライアンのような政治家の方が信用できる。
故に話を聞くのであれば、彼以外にいないとアシェンは考えたのだ。
「ご安心ください。今頃、御息女はクロスベルに帰還している頃です」
「だが、デアフリンガー号は軍の監視下に……いや、そうか。キミがここにいるのが、その答えと言う訳か」
軍の監視など〈暁の旅団〉には意味が無いのだとライアンは理解する。
煌都で起きた事件や、その後の流れについても大凡の事情は共和党も掴んでいるからだ。
そのため、この場にアシェンがいると言うことが、なによりの証明だった。
「なにが聞きたいのかは知らないが、私の知っている情報など高が知れているぞ？」
ここまで話を聞けば、アシェンが何を求めているのか察せられないほど鈍くはなかった。
その上で、何を聞きたいのかとライアンは尋ねる。
彼等が望んでいるような情報を自分が持っているとは思えなかったからだ。
しかし、
「愛国同盟党首、ロイ・グラムハート。彼について聞きたいことがあります」
真剣な表情で新大統領について尋ねてくるアシェンの話を聞き、その目的をライアンは察するのだった。
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