「まさか、こんな奥の手を隠し持っていたとはな」
ヴァリマールの操縦席から緋色に染まった空を見上げ、リィンはニヤリと笑う。
アルマータには何かあると思っていたが、まさか〈異界化〉を引き起こす手段を持っているとは思っていなかったからだ。
異様な姿へと変貌したトリオンタワーを中心に空間の揺らぎを感じる。
そのことから、このタワーが異界化現象の依り代に利用されているのだとリィンは察する。
「確か、エプスタイン博士が設計したものだったか」
いまから五十年前。導力革命の父と称されるエプスタイン博士によって設計されたのが、このトリオンタワーだ。
現在は電波塔として使われているが、当時は気象観測機能を備えた時計塔として建設された経緯があった。
しかし、当時の設計のものが大きな改修を施すことがないまま各種通信用の導力波に対応し、現在も使われているのは奇妙な話だ。
ようするに、このタワーは設計当時から導力ネットワークの利用を想定して建てられたと言うことになる。
エプスタイン博士だからと納得している人々も多いが、リィンは違った。
自分自身が未来の記憶を持って、この世界に転生した〈転生者〉だからだ。
(エプスタイン博士については謎が多い。このタワーもその一つだが、他にも予言めいたことを幾つも行っている節があるしな。もしかすると――)
自分のような転生者。もしくは未来人である可能性が高いとリィンは考えていた。
とはいえ、生きているなら会ってみたいと思うが、既に亡くなっている人物だ。
それを確かめる術はない。
「首都のランドタワーが、随分と様変わりしちゃったね」
「お前は緊張感の欠片もないな」
「そういうリィンだって、全然気負ってないよね?」
ヴァリマールの腕に捕まりながらトリオンタワーを上空から見下ろし、緊張感の欠片もない態度を見せるシズナに呆れるリィン。
しかしシズナから言わせれば、リィンもたいして自分と変わらないと思っていた。
この状況でまったくと言って良いほど力んでいない。自然体と言えるほどに落ち着いているのは、それだけ多くの修羅場を経験しているからだ。
空が赤く染まった、この不可思議な現象にも心当たりがあるのだろうとシズナは察する。
「それで、どうするんだい? 地上に降りて正面から堂々と乗り込んでみる?」
それとも――と話すシズナの問いに、リィンは「決まっている」と答える。
そして、
「俺たちは猟兵だ。猟兵らしく挨拶してやろうじゃないか」
ヴァリマールをトリオンタワーの展望台に飛び込ませるのだった。
◆
「なかも、こんな感じなんだ。やっぱり現実世界と隔絶した空間になっているみたいだね」
シズナの言うように、タワーのなかには異質な空間が広がっていた。
外からは想像もつかないような広大な空間が――
展望台の窓を割って内側に入ったと言うのにガラスが飛び散った様子もなく、既にその窓もなくなっている。
「そっちこそ、随分と慣れているみたいだな」
「まあね。前にも言ったよね? 魔を調伏するのは得意なんだ」
こういう現象には慣れていると言った態度を見せるシズナに納得するリィン。
シズナの刀は『妖刀』と呼ぶに相応しい業物だった。
そんな刀を当たり前に振り回せる人間が、普通であるはずがない。
以前からシズナには同類の気配をリィンも感じ取っていたのだ。
同業者と言う意味ではない。人ならざるものの気配をだ。
「ああ、言っておくけど、私はまだ人間だよ。キミと違ってね」
「人の心を勝手に読むな。だが、そう言うってことは自覚はあるんだな」
「まあね。でも、そうでもしなければ、キミたちのような人ならざるものには敵わないからね」
人では決して勝てない存在。そんなものと戦うには、どうすればいいのか?
簡単だ。人であることをやめてしまえばいい。
とはいえ、まだシズナは完全に人間をやめてはいないのだろう。
シズナは人の状態を保ちながら、人ならざるものの領域に足を踏み入れている。
それは腰に提げた妖刀の力と、彼女の血筋が関係しているとリィンは見ていた。
「黒神一刀流か。大陸の東は、かなり物騒なところみたいだな」
「そうだね。いずれ、機会があれば案内してあげるよ」
「そう言うってことは、お眼鏡に適ったってことでいいのか?」
「あ、やっぱりそのことにも気付いてたんだ」
リィンが自分の目的に気付いていたことにシズナは驚いた様子を見せる。
とはいえ、それが演技であることもリィンは気付いていた。
お互いに分かっていて、相手を利用していたからだ。
シズナの目的と言うのは、リィン・クラウゼルを見定めることだった。
そのために態と捕虜になり、暁の旅団に身を置く道を選んだ。
斑鳩があっさりと了承したのも、最初からそれがシズナの企みであると知っていたからだ。
「理由を尋ねないんだね?」
「聞いても答えるつもりないだろう? だが、黙って利用されるつもりはないぞ」
「分かってる。その時が来たら、ちゃんと全部話すつもりだよ。でも、いまは――」
シズナが何を言わんとしているのかを、リィンは察する。
空を見上げるシズナの視線の先――そこから、懐かしい気配を感じたからだ。
「この気配、魔王のものだな」
煌魔城の一見が頭を過る。
あの時に感じた禍々しいほどの瘴気と、人ならざる強大な気配。
紅き終焉の魔王と同等の気配をリィンは感じ取る。
「おもしろくなってきたね」
「……本当に緊張感のない奴だ」
どこまでも変わらないシズナの態度に呆れながらも、リィンはタワーの最上階を目指すのだった。
◆
時は少し溯り、煌都ラングポートのとある病院にて――
「看護師が見つけた時には、既にこの状態だったそうです」
そう話す黒服の視線の先には開け放たれた窓と、夜風に揺らめくカーテン。
そして、もぬけの殻となった病室があった。
ここは――
「失態ですね、これは……まさか、彼を連れ去れるとは……」
ヴァン・アークライド。裏解決屋の病室だった。
重傷を負っていた彼が、窓から一人で病室を抜け出すなどありえない。
ツァオの言うように、状況から何者かに連れ去られたと考える方が自然だった。
「監視の者は?」
「全員、殺されていました。狂気は恐らくダガーのようなものかと」
ダガーと聞いて、ツァオの脳裏に容疑者の候補が何人か浮かぶ。
しかし状況から言ってヴァンと面識があり、可能性の高い人物は一人しかいなかった。
(棘のメルキオル。アルマータの仕業と考えて間違いなさそうですね)
犯行の手口からメルキオルの仕業である可能性が高いとツァオは考える。
しかし、ヴァンを連れ去った目的までは分からなかった。
目撃者を始末するためだとすれば、これまで放置していた理由が分からない。
今更ヴァンを狙ったところで、彼等が得るものなどないはずだ。
それに殺害が目的であれば、連れ去ったことにも疑問が残る。
「いえ、もしかすると……」
リーシャを庇ってヴァンは重傷を負ったものと考えていた。
しかし、最初から狙われていたのはリーシャではなくヴァンだったのだとすれば?
それならヴァンが連れ去られた理由にも、ある程度の説明は付く。
とはいえ、
「彼が狙われた理由が分からないことには、これも憶測の域をでませんね」
結局、ヴァンが狙われた理由が分からないのでは意味がないと、ツァオは考えを振り払う。
そして、小型の通信端末をスーツの内ポケットから取りだし、
「――いま少々よろしいでしょうか?」
ヴァンと縁のある人物に連絡を取るのだった。
◆
「エレインさん!」
同僚の遊撃士が呼び止める声を無視し、ギルドを飛び出すエレイン。
彼女がこんなにも慌てているのは理由があってのことだ。
『――いま少々よろしいでしょうか?』
そう言って連絡を寄越してきたツァオから聞かされたのは、ヴァンが連れ去られたという事実だった。
犯人は恐らくアルマータ。しかし、その目的が分からない。
現在、黒月の方で調査を始めていると、ツァオはエレインに連絡してきたのだ。
気遣うような素振りだったが、その目的ははっきりとしている。
エレインを利用して〈アルマータ〉の動きを探ろうとしているのだろう。
そんなことはエレインも分かっていた。
煌都の病室に案内された時から、自分がツァオに利用されていることなど分かっていたのだ。
それでも――
「ヴァン!」
傷ついた幼馴染みの姿を見て、なにもせずにいられなかった。
自分が都合良く利用されているだけだと分かっていても、ヴァンをこんな目に遭わせた犯人を見過ごすことなど出来なかったのだ。
しかし、大通りにでたところで足が止まる。
ツァオの言っていたように手掛かりが何もないのはエレインも同じであったからだ。
いや、一つだけヴァンに繋がる手掛かりが、エレインの頭に過る。
「あの時、彼女は……」
フィーの見ていた方角を思い出し、振り向くエレイン。
それはトリオンタワーの方角だった。
あの時、彼女は間違いなくトリオンタワーの方角を見ていた。
だとすれば、少なくともその方角に彼女の仲間がいる可能性が高い。
状況から考えて、その仲間と言うのは恐らく――
「〈暁の旅団〉団長……リィン・クラウゼル。でも、彼が動いているなら、もしかすると……」
アルマータも同じ場所に向かっている可能性があるとエレインは考える。
今回の一件はすべて、リィン・クラウゼルを中心に起きているからだ。
黒月、アルマータ。それに共和国政府までもが、たった一人の人間に振り回され、ここまでの事件を引き起こすに至っている。
信じがたいことだが、それだけの影響力がリィン・クラウゼルにはある。
それでも――
「待ってて、ヴァン。私が必ず、あなたを――」
危険を顧みず、ヴァンの元へとエレインは走るのだった。
◆
「やれやれ、あの新大統領も食わせものだよ。これだけの組織と人間を巻き込んで、自分の思い描いた舞台を整えてしまうんだから。ひょっとしたら、あのギリアス・オズボーンを超える策略家かもしれないね」
見晴らしの良いビルの屋上から、異様な姿へと変質したトリオンタワーを眺める少年の姿があった。
まるで〈道化師〉のような格好をした彼の名はカンパネルラ。
身喰らう蛇――通称〈結社〉で、ナンバー0の数字を与えられた執行者だ。
彼の〈結社〉での役割は、あくまで見届け役。計画の観測が彼が盟主より与えられた役目だ。
いま共和国で起きていることは直接〈結社〉の計画とは関係ないが、密かに複数の使徒と執行者が動いていることが確認されていた。
すべて、あの男――ロイ・グラムハートが企てた策略に乗せられてのことだ。
「でも、彼がこんな一手にでた理由も察しは付くかな。キミは少しやり過ぎたんだ」
それは、この舞台の中心人物――リィンに向けた言葉だった。
結社の計画も彼の所為で、最終段階に移行する前に中断している状況だ。
最後の日は刻一刻と迫っていると言うのに、盟主は計画よりも彼の存在を気に掛けていた。
それ自体はどうでもいい。盟主がそう決めたのであれば従うだけの話だ。
しかし、彼を表舞台から遠ざけようとするのが世界の意志であるのなら、カンパネルラはそれを肯定する。
道化師に選択の余地はなく、あくまで観察者に過ぎないからだ。
「しばしのお別れだ。また会える時を楽しみにしているよ、猟兵王。いや――」
魔王さま。
そう言って深々とお辞儀し、道化師は舞台から姿を消すのだった。
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