タングラム門から東に千セルジュ(百キロ)ほどの距離に位置する平原に、共和国軍が部隊を展開していた。
その数は凡そ十万。一方でクロスベルの警備隊は戦力を掻き集めて一万と言ったところだ。
兵器の質や数でも共和国軍に圧倒的に劣っている。
それでも共和国軍がすぐに攻めてこないのは――
「これ見よがしに騎神をタングラム門に配備するなんて……」
騎神を警戒してのことだった。
現在、タングラム門には二機の騎神が配備されていた。
蒼の騎神オルディーネと、銀の騎神アルグレオンの二機が――
それも格納庫ではなく共和国側のゲートの前という目立つ場所に置かれていた。
普通なら挑発と受け取られても仕方の無い行為なだけに、ノエルが戸惑うのも無理はない。
ノエル・シーカー。元特務支援課のメンバーにしてクロスベル警備隊所属の二尉。クロスベルが帝国に併合される際に新設された総督府治安部隊に配属されていたのだが、先の北方戦役でクロスベルが帝国からの独立を宣言したことで総督府は解体され、部隊も解散。同僚のミレイユと共に司令部の直轄にある本隊に復帰していた。
「ミルディーヌ様の発案らしいわ」
そう言って、ノエルに声をかけるミレイユ。
「ミルディーヌ様って、カイエン公爵家当主の?」
どこか警戒する様子でミレイユに尋ねるノエル。
先の戦争では協力関係にあったとはいえ、それでもミュゼが帝国の貴族であることに変わりは無い。
いまクロスベルと帝国は独立の件や戦後賠償などもあって微妙な関係にある。
そのため、アルフィンも複雑な立ち位置に置かれている実情があった。
ミュゼにその気はなくとも帝国の工作を疑われてもおかしくない情勢だ。
ノエルがミュゼの発案と聞いて裏を疑うのは無理もなかった。
「いまは公爵家ではなくヴァイスラント公国の公王様らしいわ」
「公国? まさか、帝国から独立したんですか?」
「そのまさかみたいね。クロスベルの同盟への参加を表明されたそうよ」
思いもしなかった話をミレイユから聞かされ、驚くノエル。
カイエン公爵家と言えば、四大名門のなかでも頭一つ抜けた筆頭貴族だ。
そんな家が独立して国を興すとなれば、それは国際情勢にも影響を与える大きな事件だった。
ただでさえ内戦から続く経済の低迷や北方戦役の敗退を受けての戦後賠償が続き、帝国は厳しい舵取りを迫られている状況だ。
カイエン公爵家が独立するとなれば、帝国は更に国力を落とすことになるだろう。
その影響は帝国だけでなく大陸全土に波及しかねない。
これまでは帝国と共和国。二つの大国が牽制し合っていたからこそ保たれていた秩序と平和もあるからだ。
その片方が凋落すると言うことは、残った大国が名実共にゼムリア大陸の覇者になると言うことだ。
勢力図が大きく変わる事変と言える。
「私たちが心配しても仕方のないことよ。そういうのは上の人たちに任せましょ」
とはいえ、自分たちが心配したところで仕方がないというのがミレイユの考えだった。
ミレイユもノエルも政治家ではない。
あくまで警備隊に所属する一隊員に過ぎないからだ。
それが嫌なら――
「それでも何かしたいなら、警備隊を辞めて〈暁の旅団〉にでも就職するしかないでしょうね」
警備隊を辞めるしかないと話すミレイユに、驚く様子を見せるノエル。
ミレイユの口からそんな言葉がでると思っていなかったからだ。
「そんな顔をしなくても警備隊を辞めたりしないわよ? それより、あなたこそどうなの?」
「え、私も辞める予定は……」
「妹さんのことで悩んでいるのでしょう?」
ミレイユに図星を突かれ、困った顔を見せるノエル。
以前からずっとではあるが、妹のフランのことでノエルは悩んでいた。
それは妹のフランが警察を辞めて、猟兵の船でオペレーターをしているからだ。
そう至った経緯は聞いているし、仕方の無い状況だったというのは理解している。
しかし、危険な仕事をしている妹を心配するのは姉として当然のことだ。
なのにフランは〈暁の旅団〉の船を降りるつもりはなく、警察にいた頃よりも福利厚生がしっかりしていて給料が良いからと言う理由でノエルの説得を無視し続けていた。
給料は分からないでもない。警備隊も給料は安いからだ。
しかし、福利厚生がしっかりした猟兵団というのが理解できない。
有給休暇に家賃補助。更には医療サービスも無料で、船には訓練用のトレーニングルームや浴場などの充実した設備を完備。食堂の料理はどれも美味しくメイドさんの給仕まで受けられると、フランが熱弁していたのをノエルは思い出す。
そんな至れり尽くせりの猟兵団があってたまるかと、思わずツッコミを返したくらいだった。
「フランがありえないことばかり言ってるんですよね……」
そのことをミレイユに相談するノエル。
大方、煙に巻くための嘘で大袈裟に言っているだけだろうと思っていたのだが、
「それ、本当よ? 私も何度か船にお邪魔したことがあるし」
「え……」
「それに家賃補助も本当のことね。旧市街の再開発が進められているのは知っているでしょ? あれにルバーチェ商会や〈AEOS〉が参入しているらしくて宅地開発がされているそうよ。既に完成した建物が〈暁の旅団〉の寮にも使われていると聞いているわ」
想像よりも遥かに大きな話を聞かされて、ポカンと呆気に取られるノエル。
ルバーチェ商会が〈暁の旅団〉のフロント企業だという話はクロスベルの人間であれば誰もが知っている。ラインフォルトから独立した新興企業の〈AEOS〉も、リィンの恋人と噂されるアリサ・ラインフォルトが起業した会社だ。
だからと言って、街の開発に猟兵団が関わっているなどと普通は考えない。
「もっと言うなら〈アルカンシェル〉もオーナーが代わって、そのオーナーが〈暁の旅団〉の団長という噂もあるわね。他にも――」
「ちょっと待ってください! う、嘘ですよね? 私をからかってるんじゃ……」
「全部、本当のことよ。〈暁の旅団〉は確かに猟兵団だけど、あれほどしっかりとした組織はなかなかないでしょうね。待遇は大企業並。いいえ、それ以上と言ってもいいくらいね」
暁の旅団が他の猟兵団とどこか違うことはノエルも分かっていた。
それでも、まさかそこまでとは思ってもいなかったのだろう。
しかし〈暁の旅団〉の待遇が良いことは確かなのかもしれない。
給料も警察に勤めていた頃よりも遥かに良いのだろう。
それでも危険であることに変わりは無い。そう考えるノエルだったが、
「そもそも危険な仕事と言う理由で反対するのは無理があるわよ。私たちの仕事だって、危険じゃないと言えるの?」
「それは……でも、猟兵よりは……」
「本当にマシと言える? いま、こうして戦争になろうとしているのに?」
何も言い返せなかった。
ノエルも本当は分かっているからだ。
心配だと言いながらも、自分の考えをフランに押しつけているに過ぎないと言うことは――
「ノエル。あなたが守りたいものはなに?」
「それは勿論、クロスベルの市民の命と財産を守るのが――」
「それは警備隊の使命の話でしょ? そうじゃなくて、あなた自身が守りたいと思うものが、ここにはあるのって聞いてるの」
ここにあなたの守りたいものがあるのかとミレイユに問われ、すぐにノエルは答えを返せなかった。
彼女がクロスベルの警備隊に入隊したのは、亡くなった父が警備隊に所属していたからだ。
共和国との合同演習中に共和国軍の兵士が発砲したライフルの誤射で、ノエルの父親は命を落とした。しかし、その事件はクロスベルの政治的な立場が弱いために、ただの『事故』として処理され、共和国軍の兵士も処罰を受けることはなかったのだ。
そのことを切っ掛けにノエルは父と同じ道を志し、クロスベル警備隊へと入隊した。
その後、特務支援課に出向したりといろいろとあったが、いまもこうして警備隊で活動を続けている。
それは亡き父の志を継ぎ、自分たちのような境遇の人々を少しでも減らしたいと考えたからだ。
だが、いまのクロスベルは以前とは違う。大国の圧力に屈しない街へと変わりつつある。それはノエルが望んだことでもあったが、急激な変化に気持ちが追いついていなかった。
すべて〈暁の旅団〉のお陰だと分かっているからだ。
自分たちのしてきたことはなんだったのかと疑問を抱くのも無理はない。
それでも警備隊に所属している理由を問われると、自分でも分からなかった。
「私にはあるわ。いえ、あったと言うべきなのかもしれない。彼が帰って来る場所を守りたい。失いたくないと思っていた」
それが、誰のことかは聞かずともノエルには理解できた。
ミレイユがずっと、ランディのことを一途に想い続けていることを知っているからだ。
しかし、過去形で話すミレイユに迷いのようなものを感じ、ノエルは尋ねる。
「……いまは違うんですか?」
「分からないと言うのが正直なところね。彼は彼で、自分の居場所を見つけてしまった。そんな彼を応援したいと言う気持ちと、戻って来て欲しい。また一緒にこの街で暮らしたいと思う気持ちの両方があるから……」
やはりミレイユも迷っているのだと気付かされる。
警備隊を辞めたりしないと言っていたが、本当は迷っているのだと――
ランディを追いかけたいと言う気持ちと、彼との思い出が残るこの街を守りたいという二つの想いが、ミレイユのなかでせめぎ合っているのだろう。
そんなことを考えていると不意に――
「彼に相談してみたら? 連絡、取り合っているんでしょう?」
「う……どうして、それを……」
「分かるわよ。いつもニヤニヤと手紙を眺めてるじゃない。あれって彼からの手紙でしょ?」
ミレイユからロイドとのことを指摘され、狼狽えるノエル。
確かにロイドとは今も連絡を取り合っていた。
いまロイドは捜査官として、ある事件を追って大陸の各地を転々としている。
その事件とは、
「でも、いま忙しいみたいで……。共和国にいるようなのですが、裏の組織が違法な薬物を取り引きしているらしくて、その捜査に動いているみたいで」
「それって、まさか……」
「確証はないみたいだけど、彼は例の薬との関連を疑っているみたいです」
過去幾度となく社会を騒がせたグノーシスに関する調査だ。
国家、ギルド、教会。様々な勢力が協力して壊滅に追い込んだ〈教団〉の再捜査を行っていた。
クロスベルの事件から帝国の内乱。
そして、北方戦役の裏で〈黒の工房〉が暗躍していた件など――
すべてにグノーシスの存在が関わっていたことから、いまも〈教団〉の残党が暗躍しているのではないかという疑惑が浮上したためだ。
クロスベルの警察だけでなく、この件は各国の調査機関やギルドも動いていた。
「相変わらず危険なことに首を突っ込んでいるのね。お互い苦労するわね」
「まあ、うん……でも、大丈夫だと思います。協力者もいるみたいですから」
協力者と聞いて、パッと頭に浮かぶのは共和国の警察とギルドくらいのものだ。
しかし、敢えてノエルが協力者と言うからには違うのだとミレイユは察する。
「捜査に関わることのようだし、詳しくは聞かないわ。と言うか、あなたたち手紙でそんなやり取りをしてるの? もっと甘酸っぱい話だと思ってたのに……付き合っているのでしょう? 男と女なら他にすることがあるでしょうに」
「な、なに言ってるんですか!? 私と彼はそんな不健全な関係じゃ――」
「彼ね。前はロイドさんだったのに成長するものね」
「もう、ミレイユ!」
顔を真っ赤にしてノエルが声を荒げた、その時だった。
非常事態を告げる警報が基地内に鳴り響いたのは――
「これは!」
「いくわよ。ノエル」
ミレイユの後を追うように走るノエル。
その直後、ゲートの外で爆発音が響くのだった。
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