自販機が置かれた旅館の休憩処には、いくつかのマッサージチェアが並べられていた。
その一つに深く身を沈め、ユウキは至福の声を漏らしていた。
「ああああ……」
まるで老人のような声に、呆れたような声がかかる。
「妙な声が聞こえると思えば、お前か。何をやってるんだ?」
ユウキが振り返ると、そこにはシオが立っていた。
ユウキと同じ旅館の浴衣を着て、これから風呂に向かう途中なのか?
手には洗面用具を入れた桶を持ち、肩からはバスタオルが垂れ下がっていた。
「なにって見れば分かるだろう? マッサージだよ、マッサージ。最近ちょっと肩こりが酷くてさ」
ウィーン、という機械音と共に、ユウキの背中が心地よく揉みほぐされていく。
その光景に、シオは眉をひそめた。
「肩こりって……お前、幾つだ? 俺よりも若いだろう」
「十六かな。高校一年生。一応、あのミツキ先輩と同じ学校だよ。そういうアンタは?」
「十八だ。学校には通ってないがな」
シオの答えに、ユウキは興味がなさそうに「ふーん」とだけ応じた。
「まあ、いいんじゃない?」
「随分と、あっさりしているな。バカにしたり、学校には行った方がいいとか言わないのか?」
シオの言葉には、どこか棘があった。
ユウキはマッサージチェアの振動に身を任せながら、面倒臭そうに答える。
「なにそれ」
「北都のお嬢様が高校くらいは卒業しといた方がいいと、昔から顔を合わせるたびに世話を焼いてきていてな……。さっきも九重と言ったか? 教師を連れてきて、説得を受けていたところだ」
「アンタも大変だな……」
ユウキの同情とも呆れともつかない呟きに、シオは少しだけ毒気を抜かれる。
自分の周りには余りいないタイプだけに、どう接して良いのか分からないのだろう。
「まあ、どっちでもいいんじゃない? 僕も姉さんと両親が五月蠅いから、学校に通ってるだけだしね」
「そうなのか?」
「これでも結構稼いでるからね。家賃や生活費は自分でだしているし、親から援助してもらっているのは学費くらいかな? それも自分でだしてもいいんだけど、親の務めとかで譲ってくれなくてね」
ユウキはこともなげに言う。
彼の収入源は、趣味で始めた株や為替のトレード、そしてアプリ開発だ。
タワマンの高層階に住んでいることからも分かるように、天才的なプログラマーでもある彼は、それだけで大人以上の収入を得ていた。
それに加えて、いまはリィン専属の情報屋のようなこともしている。そのため、結構な額の報酬が、ユウキの口座には振り込まれていた。
「……良い両親じゃないか」
シオの呟きは、本心からのものだった。
そんなに子供が稼いでいれば、その金をあてにする親も少なくないだろう。
それを思えば、ユウキの自主性を認めつつ、学費までだしてくれる親というのは十分に良い両親と言える。
少なくとも、シオから見れば、ユウキは家族に恵まれているように思えた。
「たまに電話してきたと思ったら小言ばかりだし、五月蠅いだけだよ」
「叱ってくれる相手がいるというのは、幸せなことだと思うぞ」
「そうかな? そういうアンタは――」
静かな、しかし重みのあるシオの言葉に、ユウキはハッとする。
彼が孤児院出身であることを思い出したからだ。
バツが悪そうに口ごもる。
「……ごめん」
「気にするな。そういえば、お前も〝関係者〟だったな。なら、事情は全部知っているということか」
シオの問いに、ユウキは頷く。
リィンに依頼されて、グノーシスや〈BLAZE〉の一件を調べる過程で、シオのことも情報を掴んでいた。
仕事で得た情報とはいえ、自分だけがシオのことを知っていることに、少しの罪悪感があるのだろう。
だから、ちょっとだけ自分のことを語る。
「まあね。僕は〝あの人〟の協力者って位置付けだけど。借りもあるし、稼がせてもらってるから持ちつ持たれつって感じかな」
あの人とは、リィンのことだ。
いまから半年ほど前、姉と共に異界の事件に巻き込まれた際、リィンに救われたことがあった。
それ以来、ユウキはリィン専属の情報屋のような役割を担っていた。
リィンが協力者に引き入れたわけではなく、借りを作りっぱなしは嫌だと、ユウキの方から申し出たのだ。
それに、ユウキにも目的があってのことだった。
同じような事件が、この先も起きないとは限らない。また姉が巻き込まれるようなことになったら、自分だけの力では助けられないかもしれない。だからこそ、リィンとの関係を築いておきたかったのだろう。
リィンもそれが分かっていて、ユウキを協力者として使っていると言う訳だ。
「ユウくん、こんなところにいたの」
互いのことを知り、二人の間に少し柔らかな空気が流れた、その時だった。
柔らかな声と共に、ユウキの姉のアオイが姿を見せたのは――
彼女も、シオやユウキと同じく旅館の浴衣を着ていた。
だが、風呂上がりなのか、湿った髪と肌が紅潮していて妙に艶めかしい。
ここにリョウタがいれば、「付き合ってください」と思わず告白してもおかしくないほど、大人の色香が漂っていた。
「げ、姉さん」
「あら? あなたは確か――」
弟のユウキの前に立とうとして、アオイの視線がシオに向けられる。
そして、「あ」という声と共に、満開の花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「高幡志緒です。どうも」
「ユウくんと一緒に助けに来てくれた方ですよね。その節はありがとうございました」
シオのことを覚えていたのだろう。
アオイが深々と頭を下げると、シオは調子が狂うといった様子で慌てて手を振った。
「いや、俺は……もののついでというか、あの時はなりゆきで……」
「でも、助けにきてくれたことに違いはありませんから。うちの弟と、仲良くしてあげてくださいね」
「ちょっと、やめてよ、姉さん!」
「何を怒ってるの? 姉として、ご挨拶しているだけじゃない」
「そういうのを、やめてくれって言ってるんだよ!」
姉弟のやり取りを眺めながら、シオはどこか羨ましそうに呟いた。
「……お前も、苦労しているんだな」
「分かってくれる? はあ……いつも、こんな調子なんだよ」
二人が揃って深々と溜め息を吐いた、その時。
廊下の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「高幡くん、どこに行ったのでしょうか? まだ、話は終わってないのに……すみません、先生」
「ううん、気にしないで。無理強いは良くないと思うけど、ミツキちゃんが心配する気持ちも分かるしね。いつでも、相談くらいは乗るよ』
ミツキとトワの声だ。
気配が近付いてくるのを察して、シオの顔が、さっと青ざめる。
ここで掴まれば、また二人から説得と言う名の、小言を貰うことは目に見えているからだ。
とはいえ、ミツキが本気で心配してくれているというのは分かるだけに、シオも強くは言えないのだろう。
せめて定職に就くなりしていれば、反論もできただろうが、いまのシオは〝無職〟だった。
いや、正確にはアルバイトをしてはいるのだが、〈BLAZE〉のこともあってスポットバイトのようなカタチで生計を立てていた。そう言う意味では、コウに近いとも言えるだろう。
「くっ……どうすれば……」
「男湯に隠れればいいんじゃない? さすがに、そこまでは追ってこないでしょ」
なんとなくユウキが漏らした囁きに、シオは光明を見出した。
その手があったかと、ばかりにユウキの腕を掴む。
「それだ! いくぞ、付き合え!」
「え、なんで僕まで――」
「ユウくん、暇ならこれから一緒に――」
アオイが声をかけ終わるよりも早く、ユウキはシオの腕を掴んでいた。
「露天風呂、行こうか!」
二人は、まるで追っ手から逃げるように、男湯の暖簾の向こうへと連れだって消えるのだった。
後書き
しばらく、それぞれにスポットを当てた幕間的な話が続きます。
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