神山温泉が誇る離れの特別室。
その広々とした和室には、ぴんと張り詰めた空気が流れていた。
正座したリィンの前で、仁王立ちになったトワがビシッと指を突きつける。
その姿は教師というより、風紀委員長そのものだった。
「不純異性交遊は、ダメだよ! しかも、教師と生徒なんて絶対に許されないんだからね!」
トワの叱責に、リィンは深々と溜め息を吐いた。
その隣では、どこ吹く風といった様子でシズナがお茶を啜っている。
「なら、私はいいよね。リィンの生徒じゃないし」
そう言うと、シズナはリィンの腕に自分の腕を絡め、豊満な胸をぐっと押し付けた。
その挑発的な行動に、二人の声が綺麗にハモった。
「ダ、ダメです!」
「ダメに決まってるでしょ!」
顔を真っ赤にして叫ぶトワと、眉をつり上げて抗議するレイカ。
そんなカオスな状況に、リィンはこめかみを押さえる。
「とにかく!」
トワは咳払いを一つして、教師の威厳を取り戻そうと努める。
「生徒たちもいるんですから、リィン先生も慎みのある行動をお願いします!」
腰に手を当て、力強く言い切るトワ。
だが、シズナは悪びれる様子もなく、不思議そうに首を傾げた。
「もしかして、トワも混ざりたいの?」
その純粋無垢な爆弾発言に、トワの思考が完全に停止した。
レイカもまた、信じられないものを見る目でシズナを見つめて固まる。
こいつはまた……とリィンが天を仰いだ、その直後。
「~~~~~~~~っ!!」
顔を真っ赤に染め上げたトワの、言葉にならない悲鳴のような怒声が、静かな山間の旅館に響き渡るのであった。
◆
檜の香りが立ち込める広々とした露天風呂。
湯けむりの向こうには、手入れの行き届いた庭園と、満天の星空が広がっていた。
「……いま、何か聞こえなかったか?」
湯船に浸かりながら、コウが怪訝そうに呟く。
「うん? そうか? 俺は何も聞こえなかったけど」
リョウタは呑気に頭に乗せた手ぬぐいの位置を直した。
その横で、ジュンがふと思い出したかのように話題を振る。
「そういえば、コウ。前から疑問に思ってたんだけど、いつから久我山さんたちと、あんなに仲良くなったの? アイドルとか、あまり興味ない素振りだったよね?」
ジュンの鋭い質問に、コウは答えにくそうに視線を泳がせた。
「そう、それ! 俺も疑問に思ってたんだよな。〈SPiKA〉のライブに誘っても興味なさそうだったのに、いつの間にかS席に招待してもらえるくらい仲良くなってるしさ。柊さんといい、どんな徳を積めば、そんなことになるんだよ……」
リョウタが、恨めしそうな目でじりじりと詰め寄ってくる。
コウは困った顔で頬を掻きながら、用意していたカバーストーリーを話し始めた。
「リィン先生だよ。いつものバイト先で、あの人の事務所を紹介されて、そこからリオンたちとは知り合ったんだ」
「事務所? リィン先生って芸能事務所でもやってるのか?」
「いや、そうじゃなくて、あの人の本業は探偵だよ。詳細は話せないけど、〈SPiKA〉の事務所が最近おかしな事件が身の回りで起きているからって、あの人の事務所に相談して、それで俺も少し手伝ったんだ」
リオンたちと事前に打ち合わせていた言い訳だ。
異界のことを正直に話すわけにはいかないため、用意しておいたカバーストーリーだった。
コウの話に「なるほどな」と、リョウタは意外なほどあっさりと納得した。
「そういうことなら言ってくれりゃいいのに……ああ、でも守秘義務とかあると話せないか。確かに〈SPiKA〉の周りで、おかしなことが起きているって噂は前からあったしな」
「そんな噂になってたのか?」
「ああ、ライブ中にスピーカーの調子がおかしくなったり、握手会でファンが突然奇声を上げたりとかさ。機材トラブルや興奮したファンが突拍子もない行動にでることなんて、よくあるとまでは言わないけど割とあることだからな。偶然だろうって意見が大半だったけど、心配する声もあったんだぜ」
ファンの間で噂になっていたことをリョウタは説明する。
異界絡みの事件が、そんな風に伝わっていたことを聞いて、コウは少し驚く。
だが、そういう噂になるように、北都が情報を操作したのだろうと、すぐに察しが付いた。
「しかし、なるほどな。濃いメンバーだと思ったけど、全部リィン教官の関係者ってことか」
「あ、ああ、顔の広い人だしな」
すべてをリィンの所為にしていることに罪悪感を覚えつつも、コウは頷く。
だが、リョウタはまだ何か言いたげだった。
「でも益々、謎の多い人だよな。探偵しながら臨時教員として働くとか……それも探偵の仕事の一環なのか?」
「俺も詳しくは知らないけど、たぶんな」
「放課後、稽古を付けてもらってるのも?」
「まあ、そんなものだ」
少し訝しむような視線を向けられながらも、コウが頷くと、リョウタは「そっか」と納得した。
そして、ふと真面目な顔になる。
「でも、安心したぜ」
「なんのことだ?」
「ちょっと心配してたんだよ。お前って、ストイックっていうかさ、バイトばかりで付き合いも悪いじゃん? それで、俺たちくらいしか友達もいないし、クラスからも浮いてただろう?」
「そんなこと……あるかもな」
「リョウタ、ずっとそのこと気にしてたもんね」
ジュンが静かに続けた。
「それに、コウって困っている人を放って置けないというか、ひとりで解決しようとするところがあるし」
「いや、そんなことは……」
「あるよ。去年、僕が三年の先輩に絡まれそうになったところを、助けてくれたでしょ。先輩のところにいって、殴られながらも説得してくれたって聞いてるよ」
「気付いてたのか……」
「だから、僕も心配してたんだよ。また、厄介なことに首を突っ込んでるじゃないかって」
「コウなら、ありえるからな」
親友二人の言葉に、コウは自分の信用のなさを痛感し、盛大な溜め息を吐いた。
だが、同時に感謝もしていた。あらためて、二人との友情を確かめることが出来たからだ。
こんな風に心配してくれる友人は、稀だろう。
だからこそ、リョウタとジュンのことは信用できると、コウは思っていた。
それだけに、本当のことを話せないのが、後ろめたくもあるのだが――
そんな重い空気を破ったのは、隣の女湯から聞こえてきた、楽しげな声だった。
「きゃあ! シズナさん、いつの間に、ちょっとやめてください――」
「いいじゃん、減るものじゃないし。トワの説教が長いから、リィンに任せてきたんだよね」
「ああ、いや……そこは……」
アスカとシズナの会話。
それに続いて、他の女性たちの姦しい声が次々と聞こえてくる。
「……ハルナ先輩も凄かったですけど、ミツキ先輩もプロポーションいいですよね」
「うん……ちょっと憧れるかも……」
「えっと……ありがとうございます。でも、お二人も魅力的だと思いますよ。アキラさんはスレンダーで引き締まっていて、ワカバさんも可愛らしくて」
これは、アキラ、ワカバ、ミツキの声だろう。
「そういえば、リオン。時坂くんとは、あれからどうなの?」
「はい!? な、なによ、突然――」
「あ、私も気になります」
「わ、私も!」
ハルナが冷やかし、リオンが慌てた様子で声を張り上げる。
そこに、アオイとワカバも話に乗っかり、カオスな状況が出来上がっていた。
そんななか、ガバリ、とリョウタが湯船から立ち上がった。
その目は血走り、ワナワナと身体が震えている。
「ゴクリ……この先に魅惑の女の園が……」
「おい、リョウタ!」
コウの制止も聞かず、リョウタは男湯と女湯を隔てる高い壁に向かって駆け出した。
「止めてくれるな! 男には、やらなければならない時があるんだ!」
意味不明な理屈を叫びながら、ほとんど手掛かりのない壁を、驚異的な身体能力でよじ登っていく。
そして、その指先が、ついに壁の頂上に届こうとした、その時だった。
「なにしてるの?」
ひょこり、と壁の上からシズナが顔を覗かせた。
リョウタの動きが、完全に固まる。
そして、
「あ……」
短い悲鳴と共に、彼の身体は重力に従って湯船へと落下した。
盛大な水柱が上がり、コウとジュンの「リョウター!」という叫びが響き渡る中、
「……なにやってるのよ」
湯船に浸かりながら、アスカは呆れた声を漏らすのであった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m