離れにある特別室は、重苦しい空気に包まれていた。
 部屋にいるのは、リィンとシズナ。そして、アスカ、ミツキ、レイカの五人だけだ。
 通話を終えたアスカが、サイフォンからゆっくりと耳を離し、深々と溜め息を吐いた。

「ヤマオカさんに確認を取ったけど、やっぱりママは知ってたみたい……」

 その声には、疲労と諦念が滲んでいた。
 母親が〈聖杯〉の一件を黙っていた理由は、リィンが十年前の災厄を鎮めた真の英雄だと、軽々しく打ち明けるわけにはいかなかったからだろう。
 それに、とアスカは続ける。

「〈聖杯〉についても、よく分かっていなかったみたい。〈聖杯〉の話もリィンさんから聞かされた情報が全てだったそうよ。説明ができない以上、不確かな情報で混乱させるよりも、事態の収拾を優先したんだと思う。ごめんなさい……もっと早く情報を共有できていれば……」
「いえ、柊さんに謝ってもらうほどのことではありません。どのみち、私たちがその情報を得ていたからと言って、何か対策が取れたかと言えば……首を横に振るしかありませんでしたから」

 情報を知っていたところで、結果は変わらなかっただろう。
 ミツキは冷静に状況を分析する。
 むしろ、問題は――

「もう、隠していることはないわよね?」

 レイカの射貫くような視線が、リィンに突き刺さる。

「そう言われてもな。俺も知らないことの方が多い。エマがいれば、話は別なんだが――」
「エマ?」

 聞き慣れない名前に、レイカが首を傾げる。

「ああ、うちの――」

 うちの団員だ、とリィンが説明しようとした、まさにその時だった。

「リィンの愛人の一人だね」

 シズナが、縁側でお茶を啜りながら、とんでもない爆弾を投下した。
 ピシリ、と部屋の空気が凍り付く。
 リィンが「待て」とばかりにシズナを一瞥したが、既に遅かった。

「あ、愛人って、どういうことよ! それに愛人の『一人』!? シズナさん以外にもまだいるっていうの!?」

 レイカが、わなわなと震えながら詰め寄る。

「うんとね、エリィとアリサって恋人が二人いて、私以外にも……確定してるのが、四、五人? 候補も入れると十人以上かな?」
「おい、シズナ。お前はちょっと黙ってような……」

 シズナが指を折りながら数える姿に、レイカは絶句した。
 驚いて固まっているのは、ミツキとアスカも同じだった。
 英雄色を好むとは言うが、まさか両手の指でも足りないほどの恋人がいるとは、完全に想定外だったからだ。

「ううん? 何を驚いてるの? 別にこのくらい普通でしょ?」

 三人の反応が心底意外だったのか、シズナはさらに爆弾を投下する。

「権力者が妾を何人も侍らせるのなんて珍しい話でもないし、リィンの立場だったら十人でも少ないくらいだよね」

 この世界と違い、ゼムリア大陸では一夫多妻は決して珍しいことではない。
 魔獣という脅威が存在する世界では、死は常に身近にある。度重なる戦争や魔獣による被害で、男女比は著しく偏っていた。
 そんな世界では、金や力のある男が多くの女性を娶り、養うことが推奨されている側面すらあった。
 シズナが言っているのはそういうことだ。リィンのように強く、社会的な立場のある男であれば、女性を何人囲っていようと驚くには値しない。それが彼女の中の常識なのだろう。

「立場? リィンさんは傭兵だと聞いていましたが……」

 そのシズナの言葉に、真っ先に疑問を呈したのはミツキだった。
 帝王学を学んできた彼女だからこそ、シズナの論理は理解できる。だが、同時にだからこそ疑問に思った。
 それは、相応の立場にある人間でなければ成り立たない話だ。
 リィンが異世界人であり、猟兵団を率いているという話は聞いた。
 だが、猟兵――この世界でいうところの傭兵が、それほどの重要な立場にあるとは到底思えなかった。

「ああ、それは――」

 と、シズナが口を開きかけたところで、リィンが素早く背後に回り、その口を手で塞いだ。
 これ以上、余計なことを言われては堪らないと思ったのだろう。
 だが、時は既に遅かった。

「リィン。……詳しく、話してくれるわよね?」

 笑顔だが、まったく目の笑っていないレイカと、アスカとミツキに詰め寄られ、リィンは観念したように深々と溜め息を吐き、全てを白状させられることになるのだった。


  ◆


「内戦の英雄……それも、世界のパワーバランスを左右するほどの組織の長……ですか」

 リィンとシズナから全ての事情を聞き終えたミツキは、困惑を隠せない表情でこめかみを押さえた。
 ゼムリア大陸におけるリィンの立場が、彼女の想像を遥かに超えていたからだ。

「世界最強の猟兵団。それが、リィンが団長を務める〈暁の旅団〉だからね」

 シズナが、どこか誇らしげに胸を張る。

「それを言うのなら、お前も大陸東部最強の侍衆〈斑鳩〉の副長だろう」
「否定はしないけど、規模では全然かなわないかな。うちはあくまで猟兵団の規模を超えるものじゃないし、さすがに大国を相手に喧嘩を売れるほどじゃないからね。でも、リィンは違う。あの〈黄金の羅刹〉だけでなく〈北の猟兵〉まで傘下に加えたんでしょ?」

 シズナにそう指摘されると、リィンも否定できないのか押し黙る。
 いまの〈暁の旅団〉が、ゼムリア大陸のパワーバランスそのものを左右するほどの組織へ成長している自覚は、リィンにもあった。

「つまり……どういうこと?」

 話のスケールが大きすぎて、いまいち理解が追いついていないレイカが、恐る恐る尋ねた。
 ミツキとアスカは、揃って重い溜め息を吐く。
 そして、ミツキがこの世界での立場に置き換えて説明した。

「ゾディアックやネメシスのような、裏の組織のトップ。それが、リィンさんと言うことです」
「それって、北都グループの会長さんみたいな?」
「いえ、話を聞く限りでは、もっと上ですね……。お祖父様はゾディアックという連合の中の一企業のトップという立場でしかありません。ですが、リィンさんが団長を務める組織は、その存在自体が世界のパワーバランスそのものを握っている……そう言っても過言ではありませんから」

 ガーン、と効果音が聞こえてきそうな表情で、レイカは固まった。
 自分の思い人が、そんなとんでもない組織のトップに君臨しているとは、夢にも思っていなかったのだろう。

「リ、リィンって……凄かったのね」
「俺が凄い訳じゃないんだが……ほとんど、仲間たちのお陰だしな」

 自分には戦うことしかできないという自覚があるだけに、〈暁の旅団〉がここまで大きな組織になったのは、仲間たちの尽力のお陰だとリィンは本気で思っていた。
 しかし、シズナがそんなリィンの謙遜に、呆れたようにツッコミを入れる。

「一人で十万の帝国軍を全滅させておいて、それはないんじゃない?」

 その一言に、今度はアスカとミツキが凍り付いた。
 リィンが強いことは分かっていたつもりだった。だが、それはあくまで〈怪異〉に対しての話だと考えていたからだ。
 その力が〈人間〉に向けられた時のことを、二人は真剣に考えてはいなかった。
 いや、無意識に考えないようにしていたのだ。
 だが、リィンが猟兵であるという事実を、今更ながらに思い出す。
 戦場こそが、彼が本領を発揮する場所なのだと。

(これは、認識を改める必要があるかもしれませんね……)
(上が、リィンさんに変な気を起こさないように釘を刺しておかないと……ああ、だからママは、私に……)

 二人は、リィンの立場と自分たちが置かれている状況を再認識し、これからの対応に深く頭を悩ませることになるのだった。


  ◆


 同じ頃、旅館の別の部屋では――
 夕食後にもう一度、温泉を堪能してきたワカバとアキラが、浴衣姿で寛いでいた。
 ワカバがお茶を淹れていると、窓際で団扇を片手に涼でいたアキラが不意に尋ねた。

「ワカバって、リィンさんのことが好きなの?」

 アキラの唐突な問いに、ワカバは急須を手に持ったまま、ぴしりと固まる。

「ワカバ! お茶、溢れてるから!?」

 湯呑みからお茶が溢れ、テーブルに広がっていくのを、アキラが慌てて肩に掛けていたタオルで拭き取る。
 ハッと我に返ったワカバが、顔を真っ赤にして叫ぶ。

「ご、ごめん。アキラちゃん!」
「はあ……その反応、やっぱりそうなんだ」
「うっ……」

 あまりにも分かり易いワカバの反応に、アキラは溜め息を吐く。
 図星を突かれたワカバは、俯いてしまった。

「でも、リィンさんにはレイカ先輩がいるから……」

 そう言って、ワカバは表情を暗くする。リィンのことが好きだ。だが、リィンにはレイカがいる。
 だから、それを口にはださない。感情を隠して、身を退くつもりでいるのだろう。
 争いを好まない、ワカバらしい考え方だとアキラは察した。
 察した上で、あえてもう一度尋ねた。

「でも、好きなんだよね?」
「…………うん」

 アキラの真剣な眼差しに、ワカバは観念したように小さく頷いた。

「お兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかなって最初は思ってたんだけど、いつの間にか目が離せなくなっていて……」

 気付けば、最近はリィンさんのことばかり考えている、と。
 もじもじと、恥ずかしそうにリィンへの思いを口にしはじめたワカバに、アキラは深々と溜め息を吐いた。

「なら、告白しちゃえば?」
「え!? だ、ダメだよ、リィンさんにはレイカ先輩が――」
「いや、それを言うのならシズナさんだっているでしょ? 正直、アスカさんやミツキさんも怪しいと思うけど……」

 アキラに指摘され、ワカバは「そういえば……」と思い至る。
 レイカにばかり遠慮していたが、よくよく考えれば、リィンの側には常にシズナがいたことを思い出した。

「二股……ううん、アスカさんやミツキさんも加えたら、四股?」

 顔を真っ赤にしながら、そんな言葉を口にするワカバ。明らかにテンパっていた。
 アキラとしては、さすがに四股はどうかと思うが、リィンがそういう人間でないことは彼女も分かっている。
 大方、まだ告白すらしていない段階なのだろうと考えていた。ああ見えて、レイカが奥手なことはアキラも知っているからだ。
 なら、ワカバにもチャンスはあるはずだ。友人として、アキラはワカバを応援したいと思っていた。

「だから、レイカ先輩に気を遣う必要はないんじゃないかな。まだ、どういう関係かは分からないし、ワカバにもチャンスが――」
「うん、そうだよね。四人もいるのなら、そこに私が加わっても……」
「えっと、ワカバ?」

 アキラは、そういうつもりで言った訳ではなかった。
 だが、ワカバは何か妙な決意を固めたように、瞳に炎を宿している。
 アキラは、自分がとんでもないことを言ってしまったのかもしれないと、後になって気付かされるのだった。



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