リィンの女性関係に関する手厳しい追及が一通り落ち着きを見せ、部屋に少しだけ安堵の空気が戻った頃だった。
リィンは湯飲みに口をつけ、ふと思い出したように話題を切り替えた。
「そういえば、ミツキ。旅館の裏手にある祠について、何か知らないか?」
「祠、ですか?」
唐突な問いに、ミツキは小首を傾げる。
「ああ、昼間、蜂の巣の駆除に行った際に見つけてな。旅館の裏手の山道を少し登ったところに、小さな祠があったんだ。古びてはいたが、今でも手入れがされているようだった」
リィンの説明を聞き、ミツキは記憶の糸を手繰り寄せるように少しの間、考え込む素振りを見せた。
杜宮市は古都としての側面も持ち合わせており、至る所に古い伝承や史跡が残されている。その全てを把握しているわけではないが、北都の令嬢としてある程度の知識は持っていた。
「杜宮には古い伝承がたくさん残っていますので、その一つではないかと思います。ただ、申し訳ありません。具体的な由来までは……」
「詳しくは知らないか」
「はい。ですが、旅館の方がご存じかもしれません。後で訊いておきましょうか?」
「ああ、頼む」
リィンが短く礼を言うと、横で話を聞いていたレイカが身を乗り出した。
「昼間も気にしているみたいだったけど、やっぱり何かあるの?」
彼女の視線には、好奇心と少しの不安が混ざっていた。
リィンの勘がよく当たることは、これまでの付き合いで嫌というほど理解しているからだ。
アスカもまた、真剣な眼差しをリィンに向ける。
「もしかして、異界絡みですか?」
「確信はないが、妙な気配を感じた。それも、感じたことのある気配を――」
リィンは腕を組み、記憶の糸を辿るように目を細める。
あの洞窟の奥から感じた、清浄でありながらどこか人知を超えた威圧感。
それは、怪異の放つ禍々しさとは決定的に異なるものだった。
「それって、もしかして聖杯の話に出て来た、リィンが出し抜かれたっていう相手?」
お茶請けの饅頭を摘まみながら、シズナが事も無げに核心を突いた。
「……さすがに鋭いな。ああ、あの時に感じた気配と似ていた気がする」
リィンが認めると、シズナの瞳が獲物を見つけた肉食獣のように怪しく輝いた。
「へえ……リィンを出し抜くような相手だし、神仏の類なら納得かな」
相手にとって不足なし、と言わんばかりに口の端を吊り上げるシズナ。
その好戦的な態度に、リィンは呆れた様子で釘を刺す。
「まだ敵と決まったわけじゃない。妙な気を起こすなよ」
「ええ……やらないの?」
「相手次第だ。怪異ならともかく、聖獣の類なら殺すと面倒なことになりかねないしな」
リィンは溜め息混じりに答える。
この世界における聖獣の定義は定かではないが、もしゼムリア大陸のそれと同等の存在だとすれば、女神の遣いとも言える高位の存在だ。
下手に手を出せば、地脈にもどのような影響が出るか分かったものではない。
出来ることなら、殺さずに片を付けたいとリィンが考えるのも無理はなかった。
「聖獣、ですか? もしかして、神様にも会ったことがあるんですか? ……まさか、神殺しもしたことがあるとか、言いませんよね?」
アスカが恐る恐る尋ねる。
冗談めかしてはいるが、リィンならあり得るかもしれないという疑念が拭いきれないのだろう。
リィンは少し考え込み、やがて淡々と答えた。
「あれを神と呼んでいいのかは分からないが、邪神の類なら斬ったことはあるな」
脳裏に過ぎるのは、呪われし騎神――イシュメルガ。
世界を闘争で満たそうとした巨いなる一との戦いは、確かに神話の再現とも呼べる激闘だった。
そのあまりにあっさりとした告白に、アスカとレイカが絶句する中、シズナが首を傾げる。
「あれ? 魔王も倒したことあるんじゃなかった?」
「あれは倒したというより、シャーリィが屈服させて、いまは乗りこなしているしな」
紅き終焉の魔王。
かつて帝都を恐怖に陥れた魔王は、シャーリィが完全に乗りこなしていた。
そのため、あまり倒したという実感が、リィンにはないのだろう。
「本当に、なんでもありね……」
レイカがこめかみを押さえ、深々と溜め息を吐いた。
常識という言葉が、この二人には通用しないことを改めて痛感させられたからだ。
その時だった。
「リィン、これって……」
シズナの声色が、ふっと変わった。
先程までの享楽的な響きが消え、研ぎ澄まされた刃のような緊張感が混じる。
「ああ、この感覚は……」
リィンもまた、鋭い眼光で虚空を睨みつけた。
肌を刺すような違和感。世界から音が消え失せたような、不自然な静寂。
それは、異界化の前兆とも違っていた。
もっと根本的な、世界の理そのものが改変されたような感覚。
「レイカさん!」
アスカの悲鳴が上がった。見れば、レイカが固まっていた。
先程と変わらない表情で、眉一つ動かさず、瞬きもしない。
アスカが慌てて肩に触れるが、まるで石像のように微動だにしなかった。
「これは、まさか……」
ミツキが青ざめた顔で周囲を見渡す。
窓の外、風に揺れていたはずの木の枝が、空中で静止している。
遠くで聞こえていた虫の声も、川のせせらぎも、全てが唐突に断ち切られていた。
「ああ、時間が止まっているみたいだな」
リィンは冷静に状況を分析し、告げる。
「信じられません。時間に干渉するなんて……常識を逸しています」
ミツキの声が震える。
異界化や怪異の存在には慣れている彼女たちでさえ、時間停止という現象は未知の領域だった。
「タイミングが良すぎるね」
シズナが妖刀の柄に手を掛け、愉しげに、しかし油断なく周囲を警戒する。
「ああ、間違いなく昼間の件だろうな。こうも早く、干渉してくるとは思わなかったが」
リィンは立ち上がり、視線を旅館の裏手――あの祠がある方向へと向けた。
まるで、そこから何者かが手招きしているかのような気配を感じる。
「……向かわれるのですね?」
ミツキが覚悟を決めたように問う。
「ああ、どうやら俺たちを誘っているみたいだしな。お前たちは――どうするのか、訊くまでもなさそうだな」
リィンの問いかけに、ミツキとアスカは力強く頷いた。
仲間が、友人が、理不尽な現象に巻き込まれているのだ。
ここで退くという選択肢は、彼女たちにはなかった。
◆
リィンとシズナが準備を整えて離れの外に出ると、そこには既に仲間たちが集まっていた。
先に外へ様子を見にでていたミツキとアスカが、動ける人間を集めたのだろう。
「動ける奴は、これで全員か」
リィンが視線を走らせる。
そこには、ミツキ、アスカの他に、コウ、リオン、ユウキ、シオ、そしてジュンの姿があった。
全員、まだ戸惑っている様子が見て取れる。
「キョウカさんもダメでした。他の方々も全員、固まっています」
ミツキが沈痛な面持ちで報告する。
一般人だけでなく、霊的な耐性があるはずのキョウカでさえも、この現象には抗えなかったようだ。
「どうやら、この空間では〈適格者〉だけが動くことが出来るみたいね」
アスカが推論を述べる。
顔ぶれから、恐らくはソウルデヴァイスを使える適格者たちだけが、この時間の停止した空間で動くことができるのだと察したのだ。
「え? でも、そこの二人はソウルデヴァイス使えないんじゃ?」
ユウキが不思議そうにリィンとシズナを指差した。
確かに、二人は適格者ではない。ソウルデヴァイスを発現することも出来なかった。
「たぶん、これが原因かな?」
シズナは悪戯っぽく笑うと、腰に差した黒鞘の太刀を軽く持ち上げて見せた。
「妖刀〈暁鴉〉――東方に伝わる漆黒の太刀。これが、一種のソウルデヴァイスみたいなものとして機能してるのかもね」
シズナが怪異を滅することができるのも、この太刀に秘められた力によるものだ。
納得したように頷くユウキ。そして、視線はリィンへと向く。
「リィンはたぶん――」
「俺が、騎神の〈起動者〉だからだろうな」
シズナが言おうとすると、リィンが答えを告げる。
騎神。その言葉を聞いて、真っ先に反応したのはミツキとアスカだった。
以前、国防軍の部隊に取り囲まれた時、リィンが呼び出した巨大な騎士人形を、二人は鮮明に記憶していたからだ。
「騎神……災厄を打ち倒したという機動兵器……」
そして、もう一人。ジュンが呻くように呟いた。
その瞳には、驚愕と共に、ある種の畏怖が宿っていた。
「やっぱり、知ってたか。教会の狙いも大凡察しは付くが――」
リィンはジュンを見据え、眼光を鋭くする。
教会がリィンたちを監視していた理由の一つが、この騎神の存在にあることは明白だった。
神話級グリムグリードを滅ぼす力を持った巨神。
そんなものを、教会が放っておくはずがないからだ。
「まあ、いいだろう。俺たちの邪魔をしなければ、お前たちをどうこうするつもりはない」
リィンはフッと殺気を霧散させると、ジュンに背を向けた。
「肝に銘じておくよ……」
ジュンは脂汗を拭いながら、小さく安堵の息を漏らした。
「それで、どうするんだ?」
シオが、じれったそうにリィンに尋ねる。
彼の視線は、旅館の外へと向けられていた。
裏山の方から、薄らと青白い光が放たれているのが見て取れるからだ。
「祠へ向かう。恐らく、そこに元凶がいるはずだ」
リィンの宣言と共に一行は静止した時間の中、夜の山道へと足を踏み出すのだった。
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