駅前にあるファミリーレストラン。放課後の店内は学生たちや家族連れで賑わっていた。
その一角にあるボックス席で、リィンはブラックコーヒーを静かに啜っていた。
向かいの席には、巨大なチョコレートパフェと格闘するシズナと、同じくフルーツパフェを優雅に口に運ぶレイカの姿がある。
「それで、本当にほっとくつもり?」
レイカがスプーンを止め、心配そうにリィンを見る。
先程の校門での出来事は、彼女の耳にも入っていた。
相沢千秋の変貌ぶりは、レイカにとっても他人事ではない不安を感じさせるものだったのだろう。
「ああ、アイツから自分に任せてくれと言い出したんだ。俺たちが手をだすのは筋違いだろう」
「そうかもしれないけど……今回の件にも、異界だっけ? あれが関わっている可能性が高いんでしょ?」
「それも含めて、見守るつもりだ。実戦に勝る経験はないしな。それに、コウも馬鹿じゃない。自分の手に負えないと判断すれば、すぐに頼ってくるはずだ」
リィンはカップを置き、淡々と答える。
突き放しているようにも聞こえるが、その声には教え子に対する信頼が滲んでいた。
少なくとも、リィンの見立てで今のコウは駆け出しの猟兵くらいの実力は身につけていた。
ソウルデヴァイスによる能力の底上げを考慮すれば、もう少し良い線を行くだろう。
まだ特訓を始めて三ヶ月も経っていないが、出来る限りのことは叩き込んだ。となれば、あとはコウ次第だ。
その時、入り口のドアベルが鳴り、騒がしい集団が入店してきた。
黒いスカジャンやピアスを身につけた、柄の悪い若者たち。
杜宮で最強と謳われる不良チーム〈BLAZE〉のメンバーだ。
「っし、今日は奢りだ! 好きなもん食え!」
「マジすか! さすが先輩!」
彼らは周囲の客の迷惑も顧みず、大声で笑いながらドリンクバーの方へ向かう。
我が物顔で通路を占拠し、店内の空気が一気に悪くなる。
「そういや、聞いたか? カズマさんがそろそろ退院してくるらしいぜ」
「マジか! やっとかよ。長かったなー」
「シオさんはどうするんだろうな。最近、ライブハウスにも顔をだしてないんだろう?」
そんな会話をしながら、彼らは通りかかったウェイトレスの女の子に目をつけた。
おどおどと道を譲ろうとする彼女の前に、わざと立ちはだかる。
「お、ねーちゃん可愛いね。仕事終わったら、俺らと遊ばない?」
「あ、あの……困ります……」
「いいじゃんかよー、減るもんじゃなし。ちょっと付き合えって」
ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべ、ウェイトレスの手首を掴もうとする。
その瞬間だった。
「…………」
リィンが無言でスッと視線を向けた。
殺気などない。ただ、静かな眼差し。
だが、その瞳には数多の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、絶対的な〝圧〟が宿っていた。
調子に乗っていたメンバーの一人が、ふと背筋に氷柱を突き刺されたような寒気を感じて振り返り、リィンと目が合った。
そして、その隣では――
「…………♪」
シズナがパフェのスプーンを咥えたまま、にっこりと微笑んでいた。
三日月のように細められた瞳。美しい笑顔のはずなのに、そこからは底知れぬ捕食者の気配が漂っている。
瞬間。
彼らの動きが凍りついた。
顔色がサァーッと青ざめ、滝のような脂汗が吹き出る。
「「「…………ッ!!」」」
彼らは弾かれたように直立不動の姿勢を取った。
不良特有の猫背はどこへやら、軍隊のような規律正しさだ。
「「「お、お疲れ様ですッ!!」」」
店内に響き渡る大声で、九十度の綺麗なお辞儀をする。
ウェイトレスも、周りの客も、何が起きたのか分からずポカンとしている。
不良たちは、顔を引きつらせたまま後ずさりした。
「「「し、失礼しましたッ!」」」
彼らは脱兎のごとく、逃げるように店の外へと走っていく。
その速さは、陸上選手顔負けだった。
「……言っておくが、俺はまだ何もしてないぞ?」
ポツリと、聞いてもいないのにリィンが弁明する。
レイカは大きな溜め息を吐き、スプーンでパフェのクリームを突っついた。
「それよりもアイツら、お金払ってないんじゃない?」
ドリンクバーには、飲みかけのジュースが入ったコップが残されていた。
それを見て、リィンはこめかみに青筋を立てながら、深々と溜め息を漏らすのだった。
◆
夕暮れの帰り道。
茜色に染まった空の下、コウとソラはレンガ通りを並んで歩いていた。
長く伸びる二つの影。二人の間には、重苦しい沈黙が漂っている。
「すみません、コウ先輩。私のせいで、先輩まで嫌な思いを……」
ソラが消え入りそうな声で謝罪する。
俯く彼女の横顔には、深い後悔の色が滲んでいた。
尊敬する先輩があんな風に変わってしまったこと、そして自分に対して憎悪を向けてきたことが、彼女の心を深く傷つけていた。
「気にするな。それに、ソラの言うとおり俺の知ってる相沢じゃなかった。やっぱり、何かおかしい」
コウは努めて明るく振る舞い、ソラを励まそうとする。
チアキの態度は異常だった。あれは、ただ精神的に追い詰められているというレベルではない。
何か、得体の知れない力に精神を侵食されているような――かつて遭遇した、異界に関わる事件と同じ匂いがした。
「大丈夫だ。俺が必ず、相沢を元に戻して――」
コウがそう言いかけた、その時だった。
グニャリ、と。
周囲の空間が不自然に歪んだ。
「え……?」
ソラが足を止める。
世界の色が変わる。
夕焼けの鮮やかな赤ではない。もっとどす黒く、禍々しい赤黒い色が、アスファルトや建物を侵食していく。
肌を刺すような寒気と、吐き気を催すような濃密な霊気。
異界化の予兆だ。
「まさか、こんなところで……ッ!?」
コウが警戒して周囲を見回すよりも早く、二人の目の前の空間に亀裂が走った。
パリンッ、とガラスが割れるような硬質な音と共に空間が砕け散り、そこにぽっかりと黒い穴が開く。
迷宮の入り口――〈異界の門〉だ。
そこから伸びた見えざる手が、ソラへと襲いかかる。
「きゃあああっ!?」
ソラの悲鳴が上がる。
まるで重力に逆らうようにソラの体がふわりと宙に浮き、門の中へと引きずり込まれていく。
「ソラッ!」
コウは叫び、迷わず地面を蹴った。
恐怖など感じる暇もなかった。
ただ、後輩を助けなければという一心で彼は手を伸ばし、彼女を追って赤黒い門の中へと身を投じる。
二人の姿が闇に呑み込まれると同時に、異界の門は音もなく閉じる。
歪んでいた空間も元に戻り、後には静かな夕暮れの街だけが、何事もなかったかのように残されていた。
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