事務所にレイカを残し、リィン、シズナ、アスカ、ミツキ、そしてユウキの五人は、コウとソラが最後に目撃されたレンガ通りの裏路地へと集まっていた。
 日はすっかり落ち、街灯の薄暗い光だけが石畳を照らす路地裏で、ユウキはサイフォンを目にも留まらぬ指さばきで操作し、周辺の解析を行っていた。彼が操作しているのは、ネメシスで開発された異界専用の探知アプリだ。

「見つけたよ」

 ユウキが得意げに顔を上げる。
 アスカも手元のサイフォンに視線を落とし、探知アプリが示す数値を睨みつけた。

「空間に妙なノイズがあったから辿ってみたけど、かなり巧妙に偽装されてたね。僕じゃなきゃ見逃してたかも」
「ええ、普通に探していたら見つけるのに時間が掛かったと思うわ。お手柄ね、四宮くん」

 アスカが素直な称賛を口にすると、ユウキは少し居心地が悪そうに視線を逸らし、後頭部を掻いた。

「あ、ああ、まあね。……素直に褒められると、なんかやりづらいな」

 最後の方はごまかすような小声だったが、すぐにアスカは表情を引き締め、空間の歪み――異界のゲートが隠されている虚空へと鋭い眼差しを向ける。

「でも、これ……いつものゲートと違うわね。色やカタチもだけど、この気配って……」
「まさか、万魔殿(パンデモニウム)? また叡智の事象(グノーシス)が……」

 ミツキが不安げに眉をひそめる。しかし、リィンは静かに首を横に振った。

「いや、これは、それとは別物だ。少なくとも迷宮のゲートであることは、間違いないだろう」

 そう言いながらも、リィンもどこか腑に落ちないといった顔を浮かべている。
 ゲートの奥底から微かに漏れ出す気配に、何故か懐かしさのようなものを感じ取っていたからだ。

「何にせよ、さっさと二人を連れ戻すぞ」

 リィンの言葉を合図に、五人は実体化した赤黒いゲートの中へと、迷いなく足を踏み入れた。


  ◆


 迷宮の最奥。そこは、無機質なコンクリートと剥き出しの鉄骨が交差する異様な闘技場と化していた。
 その中央で、コウとソラは、黒い靄を全身に纏ったチアキと対峙していた。

「ソラ……! なんでアンタばっかり……ッ!」

 チアキの口から漏れるのは、ドロドロとした嫉妬と劣等感。
 異常な身体能力を発揮し、彼女は鋭い踏み込みから重い正拳を放ってくる。
 常人であれば一撃で骨を砕かれるほどの威力だが、ソラは危ういところで身を躱した。

「チアキ先輩、目を覚ましてください!」

 ソラは悲痛な叫びを上げながらも、冷静にチアキの攻撃を捌いていた。
 本人も自覚していないことだが、シズナやソウスケとの特訓を経て、ソラの戦闘センスは飛躍的に向上している。そこに加えて、ソウルデヴァイスの覚醒だ。
 怒りに身を任せたチアキの直線的な動きは、今のソラにとって決して対処不可能なものではない。
 一方でコウも、そんなソラをフォローするように立ち回り、チアキの動きを牽制する。

(ソラの奴、完全に動きを見切ってるな……俺も負けてられねえ!)

 チアキの大振りの蹴りを、コウがソウルデヴァイスの柄で的確に受け流し、体勢を崩す。
 その死角を縫うようにソラが踏み込み、鋭い一撃を叩き込んだ。
 息の合った連携の前に、チアキがガクリと膝をつく。

「そこまでだ、相沢! いい加減、諦めろ!」

 コウが鋭く声を放ち、戦いの終わりを告げようとした。


  ◆


 だが、コウのその言葉が、逆にチアキの心にある暗い底を抉ってしまった。
 驚愕から絶望へ、そして底知れぬ劣等感へと、彼女の表情が醜く歪んでいく。

「負ける? 私が? いや、もう……私は――」

 チアキが頭を抱え、苦悶の叫びを上げる。
 次の瞬間、彼女の身体を覆っていた黒い靄が爆発的に膨れ上がった。
 人の形を保っていた輪郭が崩れ、およそ二メートルにも及ぶ異形の鎧を纏った巨大な怪異へと変貌を遂げる。
 禍々しい霊力が闘技場を揺るがし、圧倒的なプレッシャーがコウとソラにのしかかった。

「そんな……先輩が、怪物に……!」

 ソラが絶望的な声を漏らす。
 変貌した怪異――チアキの力は、先程までとは次元が違った。
 圧倒的なパワーと、巨体に似合わぬスピード。
 大気を裂くような両腕の薙ぎ払いの前に、コウとソラは完全に防戦一方へと追い込まれる。

「くそっ、さっきまでとパワーもスピードも全然違う……!」

 コウは唇を噛み切り、一つの覚悟を決めた。
 相手が怪異に取り憑かれた知り合いだからと躊躇すれば、確実にやられる。

(悪いな、相沢。ちょっと痛いかもしれないけど、耐えてくれよ!)

 隙を作り出し、最大の一撃で装甲ごと怪異の力を打ち砕くしかない。
 そう考えたコウは、ソラに向かって叫んだ。

「ソラ! 俺が囮になって、あいつの足を止める! その隙に、お前の最大の一撃を叩き込め!」

 コウの言葉に一瞬ためらうような素振りを見せるソラ。
 優しかった頃のチアキの姿が頭をよぎり、彼女の動きを鈍らせる。
 しかし、ソラはすぐに顔を上げた。

「はいっ!」

 ソラは力強く頷いた。
 コウ先輩だけに頼るわけにはいかない。自分の手で決着をつけて、必ずチアキ先輩を元に戻してみせる。
 その一心で拳に力を込め、じっと堪えるようにチャンスを待つ。

「うおおおおおッ!」

 コウはソウルデヴァイスにありったけの霊力を込め、怪異の真正面から突っ込む。
 しかし、怪異の両腕の一撃をソウルデヴァイスを盾にするようにして受け止めるも、強烈な衝撃に耐えきれず宙に弾き飛ばされてしまう。

「まだだ!」

 吹き飛ばされながらも、コウは空中で体勢を立て直し、自らのソウルデヴァイス――蛇腹状の刃〈アンカーギア〉を放つ。
 地面に先端を突き刺し、それを支点にして回転するようにチアキの周りを回り、鎖を怪異の巨体に幾重にも巻き付けて拘束した。
 ギリギリと鎖が軋む音が鳴る。
 怪異が咆哮を上げて暴れるが、コウは必死に堪えた。

「いまだ、ソラァッ!」

 それが、合図となった。コウの狙いを先読みしたソラは既に踏み出していた。
 風を纏い、神速の如き速さで加速するソラ。手甲型のソウルデヴァイス〈ヴァリアント・アーム〉にありったけの霊力を込め、手のひらの間に風を収束させ、小さな台風を作り出す。
 迷いは完全に消えていた。ただ、先輩を救うためだけに。

「はあああああッ! ――風塵虎吼掌(ふうじんここうしょう)!」

 両手の掌底から放たれる暴風の一撃。全身全霊を込めた渾身の一撃が、怪異の胸元へと深々と突き刺さる。
 甲高い音と共に怪異の装甲が砕け散り、黒い靄が霧散していく。
 強烈な風の余波が闘技場に吹き荒れ、やがて光の粒子となって消えていく。
 そして、元の姿へと戻ったチアキが、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


  ◆


「先輩……!」

 意識を失い、冷たい床に倒れたチアキにソラは慌てて駆け寄り、その身体をしっかりと抱きとめる。
 息があることを確認し、安堵の息を吐く。

(よかった……本当に、よかった)

 だが、戦いは終わっていなかった。
 チアキの身体から抜け出た〝黒い靄〟が、突如としてソラの背後で実体化したのだ。
 それは、より強い力を持つソラの身体を奪おうとするかのように、背後から音もなく襲い掛かる。

「しまっ――ソラ、後ろだ!」

 コウの警告に、咄嗟のことで反応が遅れるソラ。
 黒い靄が彼女に触れる寸前――

「油断大敵、だよ」

 風のように、シズナが二人の間に割って入った。
 カチリ、と鯉口を切る涼やかな音。
 鞘から抜かれた妖刀『暁烏』の銀閃が、闇を裂くように黒い靄を両断する。
 ソラが目を見張る中、怪異は悲鳴を上げる間もなく、霧散するように消滅した。


  ◆


 迷宮が崩壊を始め、空間が元の裏路地へと戻っていく。
 無機質な闘技場の風景が薄れ、レンガ通りの見慣れた景色が広がった。
 そこに、リィン、アスカ、ミツキの三人も姿を見せる。

「助かった……来てくれたのか。あ、そうだ。相沢は――」

 コウが慌ててソラの方を見ると、ソラの腕の中でチアキは意識を失ったまま眠っていた。

「命に別状はありません。すぐに医療班が到着するので、もう少し我慢してください」
「あ、はい。よかった、チアキ先輩……」

 ミツキの言葉にソラは穏やかな表情で眠るチアキを見て、心からの安堵の息を漏らす。

「どうして救助を待たなかったのかとか、いろいろと言いたいことはあるけど……よくやったわ」

 アスカが腕を組みながら小言を言いつつも、コウの成長を認めるように労いの言葉をかける。

「あ、ああ……それなんだけどさ。なんか変な感じだったんだよな」
「……変?」
「相沢に取り憑いていたあの怪異……これまでに見たものと違うっていうか……上手く説明できないんだが……」

 首を傾げながら違和感を口にするコウ。
 ただの怪異ではない、もっと悪意に満ちた何かをコウは感じ取っていた。
 その話を聞きながら、リィンは無言で怪異が消滅した空間をじっと見つめていた。

(あの怪異……郁島ソラに取り憑こうとしているようにも見えた。それに、あの黒い靄……)

 リィンの脳裏に、かつて目にした『黒キ星杯』の底知れぬ闇と、自分とは別の歴史を歩んだもう一人の自分――『オルタ』の姿が不意によぎる。
 この世界には存在しないはずの、絶望と悪意の記憶。

(……まさか、な)

 リィンは小さく首を振り、頭に浮かんだ想像を振り払う。
 だが、その瞳の奥には、拭いきれない警戒の色が色濃く残っていた。



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